毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「がんばっぺフラガール!~ふくしまに生きる」    2011年12月10日(土) No.238

2011-12-10 11:31:55 | イベント情報
 「がんばっぺフラガール!~ふくしまに生きる彼女たちのいま~」が封切されたそうだ。

 3月11日以降、涙が勝手に出てきて止まらなくなった私は、自分で自分を励ますために、いろいろやってみた。その一つがネットで「フラガール」を購入して観ることだった。それを当時3年生のクラスみんなでも観た。最初、後ろの方に座っていた王書林さんが、途中から一番前に移動して、何回もメガネの脇から涙をぬぐっていた。他のみんなも大泣きだった。何しろ農民工出身の両親を持つ子が半分を占めるクラスだ。
 映画の舞台「福島」を黒板に書くと、どよめきが起こった。みんな福島原発事故がどこまで広がるか分からない不安を抱えていて、塩の買い占め騒動が起きていた当時のことだった(今もその不安要素は減っていないにもかかわらず、やはり外国のこととて当時の緊迫感は薄れている)。分かりづらい方言だったが、学生の心に入った映画だと思う(実はあまりの分からなさに日本語字幕で観た)。
 その映画の続編ができたという。シネマトの記事を転載する。もう封切られたところもあるらしい。見てくれる人がいたら嬉しい。

『フラガール』シリーズ第3弾へ!
ジェイ・シネカノン代表が在日韓国人2世として日本への思いと共に明らかに
 

 福島県いわき市の大型レジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」の専属ダンスチーム「フラガール」の東日本大震災後の復興支援活動を追った本作。「一刻も早く観てもらいたい」という熱い思いもあり、10月1日のクランクアップからわずか3週間という急ピッチで製作が進められ、早くも初日を迎えることとなった。会場には、いわき市をPRするキャンペーンガール・サンシャインガイドいわきが観客をお出迎え。さらにこの日は、フラガールがフラダンスを披露したり、RAKEが本作主題歌「100万回の『I LOVE YOU』」の生歌を披露したりと、さまざまな趣向が施され、会場は華やかな雰囲気に包まれた。

 そんな本作を公開にこぎつけた丁代表は
「皆さん、映画をご覧になってください。そして最後には次回作についての思いが映し出されますので、最後まで席を立たないでいただきたいのです。そこにある通り、今回のドキュメンタリーの次となる第3弾は、ストーリーとしての『フラガール』を作るつもりです。そのときはご支援をお願いします!」
と『フラガール』の新作を構想中であることを観客に向けて明らかにした。

 丁代表の本作にかける思いは非常に強いようで、
「『スパリゾートハワイアンズ』の斉藤(一彦)社長が、私のところに来て、助けてほしいというところから話は始まりました。名前からもお分かりの通り、私は在日韓国人2世です。ですから私にとって日本は第2の故郷です。日本においての在日韓国人(と日本人と)の共生において、日本を応援しないといけないなと思いました。もちろんわれわれもこれまで、金銭・物資の面で援助はしていきました。しかし映像の分野でも(援助を)やらないといけない。だから今回は『フラガール』をやろうと思いました」
と本作を生み出した思いを切々と語った。

 本作のメガホンをとった小林監督は
「ご覧のようにきれいな方が大勢いるわけで、その中に僕が一人カメラを持って中に入るわけです。まるで女子高に放り込まれた男子校の生徒みたいで、あまりにも針のむしろだなと。そんなとき、みなさんが『監督、白くまアイスを食べますか』と言ってくれて。いい思い出でしたね」
と冗談交じりに撮影を振り返った。そして
「映画という形で世界の方に観てもらい、日本の福島の現状を海外に知ってもらいたい。そして日本の方にはこれを観たらスパリゾートハワイアンズにいってもらいたい。それが福島の支援になると思うので、よろしくお願いします」
と観客に呼びかけると、会場からは大きな拍手が起きていた。

 本作は、福島県いわき市の大型レジャー施設・スパリゾートハワイアンズのフラガールたちにスポットを当てるドキュメンタリー。東日本大震災による大きな被害を受けた同地で、スパリゾートハワイアンズの営業再開と踊りで笑顔を届けようとするフラガールたちをカメラが追う。映画『フラガール』で主演を務めた蒼井優がナレーションを担当する。(取材・文:壬生智裕)

 映画『がんばっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~』は新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国公開中
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「南昌今日は2℃」   2011年12月9日(金) No.237

2011-12-10 10:12:17 | 中国事情
 天気がいいのに寒く、刺すような風が故郷の道東を想わせた。
最近、金曜の夜は2年生の発音・アクセント矯正をしている。学生寮のフロアでやったりしていたのだが、寒いので先週から我が資料室に移動した。
 資料室にはこの夏、すったもんだの末取り付けてもらった中古のエアコンがある。春の南昌は雨がよく降り続く。ビル1階の資料室は、朝一歩足を踏み入れると、床が濡れていてズルッと滑る。湿度が飽和状態に達しているのだ。前前任者の大竹先生達が日本から運んでくださったたくさんの書物がたまらなく黴臭かった。こんな部屋で執務(というほどでもないけど)を続けると、もともとお肌の弱い私は皮膚病になりそうだった。

 何年も前からデスク横上の壁にはエアコンが設置されている。しかし、スイッチを付けても、ただの風が弱弱しくホヨホヨと出てくるだけだ。その頃、学生数人がずっとその部屋で自習をしていた。日本語学科独自の自習室がないからである(同じ外国語学部でも英語学科はある)。私が日本に夏休み一時帰省している間、彼女たちはこんな暑苦しくジメジメした悪環境下で勉強するのかと思うと、可哀想だった。そういうことで、私はこれから何年ここで働くかは未定だが、とりあえず必要なものなので、自前で買おうと思った。
 私の助教(係の先生;日本でいう「助教」ではない)の新平老師に、
「今週末、学生と一緒にエアコンを買いに行く。資料室の壁に穴を開けて工事をするが許可してほしい。」
と電話した。すると新平老師は
「ちょっと待て、早まったことをするでない。私が小紅老師(ボス)に言って、彼女から学院の院長先生に窮状を訴えるから。」
と言う。中国の「ちょっと待て」はいつになるか分からない。私は本棚の本が黴臭いの、皮膚がアトピーで痒いの、床が滑って転びかけたの、学生が大学院入試に失敗するかも知れないだの、まくし立てて、早急に対処してくれるよう言い、日本へ帰った。

 その後、外国語学院(日本でいう「外国語学部」)の院長は、部屋を引っ越すとか、いいエアコンを買うとか、甘い言葉を並べたが、8月末に私が戻ってきたとき、な~んにもしていず、カビだらけの椅子、机が私を出迎えた。学生たちは堪らず、7月後半から図書館(人が一杯で席の確保が大変)に移動していた。当然私は切れて、
「学院の院長先生にこのカビだらけの部屋を見てもらうまで、一切掃除しません。」
と、ひたすら息詰まる黴臭さの中で自分のエリアだけを拭き掃除し、粘り強く暮らしていたところ、数日後ついに設置されたのが、どっかから運ばれてきたちっちゃい中古のエアコンである。事務室とか院長室とかは、巨大で新しい上等エアコンがついているのだ。

 それでも、資料室の大きさに比してとても小さいその中古エアコンは、1時間かけて部屋の一部(エアコン付近)を8℃から18℃にまで上げてくれる。今年の冬は去年より増しだ。この資料室が無理なら、麦廬園からバスで15分の我が宿舎で補習しなければならない。プライベートもヘチマもなくなってしまうし、学生にとっても不便だ。
ということで、エアコン付けてもらって良かったな~。

 
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