毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「外交官か」   2011年12月29日(木) No.252

2011-12-29 21:02:39 | 中国事情
「自分、何様?外交官?」と今日は、やや自嘲気味。
日本での職場の付き合いの基準は『行きたい人と、行きたい場所へ』だった。
気の進まない人と飲むなど断然お断りしてきたし、相手も私を誘わなかった。プライベートと仕事はできるだけ分け、子ども関係以外では仕事時間外のボランティア活動はしなかった。

 ここでは、なかなかそうはいかない。今日は外国語学院の副院長が英語教師数人、日本語教師(私だけ)と懇談し、その後我々をディナーに招いた。
「いや、結構です。」
と一度はお断りしたが、新平老師が「これは仕事のようなものです。中国では付き合いが大事ですから。」
と言うので、しかたなくなく出かけて行った。午後4時からのミーティングでは、やたら英語が飛び交っている。しかし、英語オンリーでは新平老師がなんのために日本語通訳としているのか分からない。私は断固日本語で話をした(てか、ホントはその方が楽だから~)。
副院長から聞かれたのは財大の学生や大学についての印象や提案だ。私はここぞとばかり日頃の思いを言いまくった。

 「この大学の学生の特徴は、先生の言うことをよく聞くし、真面目だ。よく記憶するよう努力している。しかし、彼らの多くは主体的な学習をしているとは思わない。例を挙げれば課外活動としての「日本語コーナー」だ。南昌市内でも毎週末あり、校内でも理工大とのジョイント日本語コーナーをしてきた。私が強く呼びかければ、何人も来る。しかし、呼びかけを忘れた日にはほとんど来ない。
(小学生じゃあるまいし、何故私が引っ張り回さなければならないんだ。「日本語コーナー」は日本語のスキルアップやプラスワンの日本文化を知るまたとないチャンスとして、自分たちが言い出したことなのだ。運営も自分たちでして当たり前じゃないか)と、何度か小言を言った。だが、直接テストの点数や成績に結びつかないものへの反応はどうも鈍い。
 さらに、受動的な学習形態を固定化している象徴として、教室の机椅子の固定がある。自由に席を移動したり、会話のパートナーを変えることが非常にやりづらい。その体制に慣れきっている学生達は、最初私が「はい、立って相手を求めて歩き出しなさい。」と言っても、キョトンとして座ったままだった。
 そうは言っても、教師の一生懸命さを学生がきちんと受けとめてくれる態度には嬉しく思う。中日間に問題がある度に立場が微妙になる日本語学科の学生達だが、将来、中国と日本の架け橋になってくれるに違いない彼らに大いに期待している。」
と、ここまでまくし立てたところで、カナダ出身のスティーブさんか誰かが、次にまくし立てだしたので私は演説を終えた。

 ディナーは、豪華で美味しかった。でも、私は庶民出身なので、(なんかお金がもったいないな~)と感じてしまった。
コメント
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