今日は3年「日本文学」の最後の授業で「伊豆の踊子」を観た。かねてより最後はこれで締めようとAmazonから取り寄せておいたものだ。
川端康成の「伊豆の踊子」は何回映画化されたのだろう。今回観たのは4度目の映画だそうで、これが一番評判が良さそうなので買った。
「最後の日は『伊豆の踊子』の映画を観ます。」
と言うと、
「先生、私たちは2年生の時、もう見ました。」
と言うのでガビ~ンとなった。聞くと、山口百恵好きの小紅老師が「日本概況」のクラスで上映したのだそうだ。まったく、もう。
「吉永小百合の方が名作という評判です。」
と言って押し切った。せっかく日本から取り寄せたんだからね~。
1923年の伊豆が舞台だ。ということは今から90年近く前のことだ。
DVDの解説に片岡義男が、この年は関東大震災があったと書いていたが、ネットで確認してみると、
初めての国際婦人デー記念集会開催、亀戸事件、大杉栄・伊藤野枝殺害(甘粕事件)、ル=マン24時間レース、北一輝『日本改造法案大綱』、日本共産青年同盟(のちの民主青年同盟)結成、ヒトラーのミュンヘン一揆、ケマル=アタチュルクのトルコ独立運動とローザンヌ会議、ジャズ=ビブラフォン奏者ミルト=ジャクソン、遠藤周作、三国連太郎誕生とまあ、なんとすごい年だったんだ。
映画は、そんなこととはまるで無縁だ。学生はエリートの一高生で、どこでも「学生さん、書生さん」とチヤホヤされ、旅芸人とは泊まる宿まで違う。ちょっと山道を歩けば、踊り子がズボンのホコリを払ってくれるし、水飲み場では「女の後では気持ち悪いでしょう。ささ、先にお飲みなさいまし。」とか言われて、遠慮もせずに先頭切って飲み、当然の顔をしている。
いい若いもんが、踊り子に竹の杖をもらって半分に折り、どうするかと思えばポイと捨てて、後の半分で野草をバシバシ叩いて進んでいく。
なんとまあ、私は90年前に生まれなくてどんなにラッキーだったことでせう。
学生と踊り子という身分の壁に何と素直に従っている二人なのだろう、これも当時の時代がそうなのだから仕方がないのかと、wikipediaで調べる前は思った。しかし、時はすでに伊藤野枝と大杉栄が生きていた時代なのだ。
ずっと、川端康成が本能的にヒジョーに嫌いだったが、この映画を見てそのわけがちょっとわかった気がした。
それとは別に、吉永小百合の踊り子は、(監督に言われて一生懸命頑張っているなあ)という感じだったが、映画の最後近くで、これからの自分の人生を悟った踊り子のお座敷での舞は迫力があった。目が虚ろで(この踊り子、これからずっとこの顔で生きていくんだなあ)と思わせられた。まだ18歳の吉永小百合はこんな女優だったんだ、と再認識。それに引き替え、高橋秀樹は(顔が男前というだけで映画に出られるんだなあ)と、別の意味で感心した。大坂志郎、浪花千栄子、十朱幸代、南田洋子、桂小金治と、懐かしいすごい顔がたくさん出ていた。
鑑賞した後、感想を書くのを宿題にした。中国の学生たちがどんなことを書いてくるか楽しみだ。
川端康成の「伊豆の踊子」は何回映画化されたのだろう。今回観たのは4度目の映画だそうで、これが一番評判が良さそうなので買った。
「最後の日は『伊豆の踊子』の映画を観ます。」
と言うと、
「先生、私たちは2年生の時、もう見ました。」
と言うのでガビ~ンとなった。聞くと、山口百恵好きの小紅老師が「日本概況」のクラスで上映したのだそうだ。まったく、もう。
「吉永小百合の方が名作という評判です。」
と言って押し切った。せっかく日本から取り寄せたんだからね~。
1923年の伊豆が舞台だ。ということは今から90年近く前のことだ。
DVDの解説に片岡義男が、この年は関東大震災があったと書いていたが、ネットで確認してみると、
初めての国際婦人デー記念集会開催、亀戸事件、大杉栄・伊藤野枝殺害(甘粕事件)、ル=マン24時間レース、北一輝『日本改造法案大綱』、日本共産青年同盟(のちの民主青年同盟)結成、ヒトラーのミュンヘン一揆、ケマル=アタチュルクのトルコ独立運動とローザンヌ会議、ジャズ=ビブラフォン奏者ミルト=ジャクソン、遠藤周作、三国連太郎誕生とまあ、なんとすごい年だったんだ。
映画は、そんなこととはまるで無縁だ。学生はエリートの一高生で、どこでも「学生さん、書生さん」とチヤホヤされ、旅芸人とは泊まる宿まで違う。ちょっと山道を歩けば、踊り子がズボンのホコリを払ってくれるし、水飲み場では「女の後では気持ち悪いでしょう。ささ、先にお飲みなさいまし。」とか言われて、遠慮もせずに先頭切って飲み、当然の顔をしている。
いい若いもんが、踊り子に竹の杖をもらって半分に折り、どうするかと思えばポイと捨てて、後の半分で野草をバシバシ叩いて進んでいく。
なんとまあ、私は90年前に生まれなくてどんなにラッキーだったことでせう。
学生と踊り子という身分の壁に何と素直に従っている二人なのだろう、これも当時の時代がそうなのだから仕方がないのかと、wikipediaで調べる前は思った。しかし、時はすでに伊藤野枝と大杉栄が生きていた時代なのだ。
ずっと、川端康成が本能的にヒジョーに嫌いだったが、この映画を見てそのわけがちょっとわかった気がした。
それとは別に、吉永小百合の踊り子は、(監督に言われて一生懸命頑張っているなあ)という感じだったが、映画の最後近くで、これからの自分の人生を悟った踊り子のお座敷での舞は迫力があった。目が虚ろで(この踊り子、これからずっとこの顔で生きていくんだなあ)と思わせられた。まだ18歳の吉永小百合はこんな女優だったんだ、と再認識。それに引き替え、高橋秀樹は(顔が男前というだけで映画に出られるんだなあ)と、別の意味で感心した。大坂志郎、浪花千栄子、十朱幸代、南田洋子、桂小金治と、懐かしいすごい顔がたくさん出ていた。
鑑賞した後、感想を書くのを宿題にした。中国の学生たちがどんなことを書いてくるか楽しみだ。