毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「スエミ姐さん」 2012年7月29日(日) No.404

2012-07-29 23:37:45 | 日記
 「銀河鉄道の夜」
ジョバンニはああと深く息をしました。
「カンパネルラ、どこまでもどこまでも、一緒に行こう。
ぼくはもうあのサソリのように、本当にみんなの幸せのためならば、
ぼくの体など、百ぺん焼いてもかまわない。」
・・・・・・・・・・・・
「カンパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ」
ジョバンニがこう言いながら振り返って見ましたら、
その今までカンパネルラが座っていた席にもうカンパネルラの形は見られず、
ただ黒いビロードばかり光っていました。
ジョバンニはまるで鉄砲玉のように立ち上がりました。
そして誰にも聞こえないように
窓の外へ体を乗り出して、
力いっぱい激しく胸を打って叫び、
それからもう喉いっぱい泣き出しました。
もうそこらがいっぺんに真っ暗になったように思いました。


スエミ姐さんが逝った。
今日、7月29日午後2時30分、
急に生きることをストップしてしまった。

どこまでもいっしょに行けると、
心のどこかで信じていたのに…。
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「呼び戻したい」   2012年7月28日(土) No.403

2012-07-29 07:49:07 | 日記
スエミ姐さんは大阪市福島区にある病院の集中治療室に入院中。
25日午前に運ばれ、緊急手術を受けて、左脳の血溜りを取り除いた。
26日朝、医師が瞳孔を見、
「開いていて反応がない」と言った。
午後、検査の結果、連れ合いは
「脳が風船のようにパンパンに脹れている。昏睡から醒めずこのまま逝く可能性が高い」
と言われた。
ゴーゴーと高鼾が始まった。

連れ合いは、携帯電話を持たない。
スエミ姐さんの携帯に初めて触り、彼女の友人知人に電話連絡を開始した。
たちまち、病室には何人もの身内、友人が詰めかけた。
小学校のかつての教え子たちも、甥も姪も、人生の弟子たちも、
まさに、続々と人々はやってきた。
しかも、ここからがすごい。
その人たちは毎日、毎朝、毎晩、何回もやって来る。
主催者発表じゃないけど、
延べ人数、200人は超えていると思う。

スエミ姐さんは、
賑やかなのが好きだ。
一人ぼっちが淋しい。
連れ合いは、静かな人だが
愛するスエミのために何でもやってやろうと決意して、
「どうぞ皆さん、来て声をかけてください」
と訴えた。

27日朝、医師が瞳孔を見て、
「瞳孔が縮んで、動きがありますね。脳に関して言えば好転していますね」
と嬉しい言葉。
医師は、彼女の胸をパンパンと強く叩いて名前を呼んだ。
スエミ姐さんの目が、開いた。

その日、4回、目を開けた。
「起きて、起きて!いつまで寝てんねん」
と大声で友が声をかけたら
「起きてる」
「起きてる」
とうわ言っぽい言い方なれど、応えてくれた。

夜8時頃、
目を開けて、相手の名前を言った。
看護師に「名前はなんですか」「わかりますか」
と聞かれ、
はっきり自分の名前を言い、
「わかります」
と普通の声で話した。
まさに、会話が成立した。

そこにいたみんなは、泣いて喜んだ。

昨日28日、
元に戻ってしまった。
瞳孔は開いた。
ゴーゴーと鼾が聞こえる。

でも、
かつての教え子たちが来て、
「せんせー!来たでえ。」
「せんせー!」
と呼びかけると、体がピクピク動いた。

聞こえているんだ。ぜったい。

今どの辺にいて聞いているんだろう。
呼び戻したい。
もう一度、会話ができたら…。




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