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毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「いつの間にか加担しないために」 2012年7月9日(月)No.391

2012-07-09 22:12:14 | 中国帰国者
黙っていたら原発は稼働する。
反原発行動は、人をこれ以上殺さないためのものだ。

原発だけじゃない。
あちらでもこちらでも、沈黙が賛成とカウントされる嫌な時勢だ。

過去にもそんな体験を日本はしている。
あの戦争のとき、大衆は国家のなすことに黙って従った。

満蒙開拓の美名の下に、日本人は中国東北地方・内蒙古へと大東亜共栄圏拡大の先兵として出むいた。
それが誰のためになったか。
日本人も中国人も、何も得していない。
大人は、(国のでたらめな宣伝に乗せられて、つい応じた自分が浅はかだった)と
言えるのかも知れない。
しかし、そんな大人達について行かざるを得なかった子どもがたくさんいた。
敗戦でたくさんの子どもたちは、ただ殺された。
殺されなかった子は残留孤児になって中国の大地に取り残された。
侵略と収奪でボロボロになった中国の新国家建設の中で、
日本人が生きていくということは、どういうことだったのか、
「おんなじよ。日本国内でも皆辛酸を舐めて生きてきたのだから。」
とは、決して言えない。

9歳や10歳で中国台地を逃げまどい、毎日人が死ぬのを見続け、妹の命をも彷徨の中で失った
西井澄さん。
文化大革命後、生きて日本に帰ってきた彼女は、
70歳を過ぎた今も、自力で大阪の夜間高校に通っている。
彼女が書いた作文が、今年度の「解放文学賞」佳作に選ばれた。
受賞の喜びを800字以内で書くよう言われたが、
彼女は、身近に自分が書いた文の推敲を頼める人がいなくて、
締切もせっぱ詰り、今月21日の授賞式出席を断念したという。
それを聞いて、本当に残念だった。

今月25日(水)午後1時から、
淀川区十三のロマネハウス2階で、西井澄さんの話を聞く会を開く。
近所の人同士といっても、八っつあん、クマさんの関係が築けなくなっている大阪の街。
それに棹差していく。
身近な先輩に、自分が生きてきた歴史を教えてもらうことは、私たちや、若い人、子どもたちにとって
どれほど大切か。
来られる人は、ぜひ話を聞きに来てほしい。
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