毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「浪江町のおばあちゃんたちの言葉」 2014年12月1日()No.1042

2014-12-01 20:21:06 | 原発事故

昨日11月30日は大阪市内で

『原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて!―中山千夏講演会』があり、

「じゃりんこチエ」や「ひょっこりひょうたん島のはかせ」の声優だったり、

国会議員だったり、小説を書いたり、ウーマンリブの活動家だったりした千夏さんが

どんな歳の取り方をしているか、人生の先輩に会いに行くような気持ちで参加した。

千夏さんの話は後日にすることにして、

その集会ではいくつもの物品販売ブースあり、

福島県浪江町からの避難生活をずっと余儀なくされている

女性たちグループ「浪江花の会」のメンバーが刺繍した布巾も売られていた。

下の桜模様のと、孫用に猫の柄のを買った。

家に帰って袋から取り出すと、印刷された手紙がついていた。

「浪江花の会

東電原発事故で家を追われ、桑折町の仮設で暮らしている

おおむね65歳以上の7名で作っています。

事故で避難してから、何もすることのない日々でした。

朝から晩まで働いた日々からすれば、

こんな楽なことはありません。

でも、こんなに辛い、切ない思いをしたこともありませんでした。

 

故郷浪江を思い出さない日はありません。

 

このまま寂しく終わりたくない。

日々を、何か手仕事して人と語らいながら、

今をせめて心豊かに暮らしたい。

「負けてらんに

そんな気持ちで作っています。」

 

「被災に際し全国の皆様にご支援をいただき、本当にありがとうございました。

沢山の方々に、様々な形で日々の暮らしを支えていただきました。

明日が見えない日々にどれだけ励まされたことでしょう。

拙い手仕事ですが、手を動かしていれば、不安や辛さを忘れることができます。

何かしていなければ、

こんな老後を望んだわけではないこの暮らしの辛さに押し潰されてしまいます。

毎日、こうしてみんなで働くのは張りがあります。

この1枚を通じて、私たちの思いが伝わればありがたく思います。

ありがとうございました。

福島県伊達郡桑折町東段30C14-5菅野方  浪江花の会」

と書いてあった。

浪江町には原子力発電所がない。

2011年3月11日のあの日まで、東北電力による誘致活動を

毅然として拒否し続けてきた町だ。

町を流れる請戸川には鮭が遡上し、

美しい山里のたたずまいはよくテレビで紹介されていた。

そんな町が、現在もなお家に戻ることができないほど、

福島原発一号炉事故により、

放射能に汚染されたゴーストタウンに変わってしまった。

浪江町の人たちはどれほどの悔しさ、情けなさに身を焦がしたことだろう。

自分たちの選択ではなかったにもかかわらず、

二度と故郷へは帰れない境遇に甘んじなければならないとは……。

そんな中、今も政府自民党は東電から多額の献金を受け取り、

手に手を取って、原発再稼働にひた走っている。

さらに復興予算で「福島県環境創造センター」なる放射能の研究・教育拠点が

2015年度に開所するという。

また、安全神話をばら撒く気か。

墓は破壊されたまま、遺影は壊れた家に取り残されているというのに。

この国の上層部の人間は、普通の人の人生なんか、何一つ考えちゃいない。

日本では政治家や経済人の上層部だけが生きていけたらそれでいいのである。

と、安倍首相率いる政府および自民党の90%は思っている。

90%とは原発再稼働賛成の自民党議員の割合である。

出典ccpics.net  壊れたままの墓

 出典 www.inspiration-gallery.net

ご先祖、家族の写真が家にそのまま取り残されている。

 

 出典blog-imgs-44.fc2.com

家の中で食べ物をあさる豚。

(下から3枚の写真・説明はmisukiruさんのブログhttp://matome.naver.jp/odai/2138053328248435601よりお借りしました)

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