私は子どもの頃からの漫画好きで、
親に怒られないよう、押入れに隠れて読んだりした所為で
このようなウルトラ高度近視になったのではないだろうか、と長年クヨクヨしていた。
大学を出て1年ほど眼科医で働いたが、
そこのお医者さんに「近視は遺伝です」と言われて、ようやくホッとしたものだ。
中国でも私のように親たちの厳しい規制の下で、なんとかアニメを見続けてきたのが、
今の大学生世代だ。
半世紀近くの歳の差をものともせず、
中国の大学の教室内には共感の渦が巻き起こったっていうか。
次の作文を読めば、中国の子どもたちの姿が目の前に浮かんでくる。
ほぼ日本と同じ(笑)。
――――――「アニメとともに成長した私」
江西財経大学2年(現3年) 周巧瑜
「瑜ちゃん、またアニメ見てるの?宿題は終わったの?」 「いつも、いつも、アニメばっかり見てる!一体、将来何になるつもりだ!」
自分の少女時代を振り返ってみると、そんな両親の叱り声がいつも家中に満ちていました。確かに、勉強する時を除いて、私はほとんどの時間をアニメを見ることに費やしていました。 「ちびまる子ちゃん」や「ドラえもん」からスタートし、その後の「カードキャプターさくら」や「デジタルモンスター」、そして、宮崎駿監督の作品に出会うまで、 様々なアニメが、いつも私の傍で成長を見守ってくれていたのです。
それらのアニメの中で、「カードキャプターさくら」は、見ていない人も多いのではないでしょうか。 私がそれを初めて見たのは小学校の四年生の時です。 まだ幼稚な子どものことなので、その少女アニメに迷ってしまったわけです。 なぜなら、その「桜」という主人公は可愛くて勇敢な女の子で、他にも可愛い友だちキャラが登場し、なんと、魔法のカードまで持っていたからです。 それが羨ましくて、自分も桜ちゃんになりたくてたまりませんでした。
両親は、晩ご飯を食べながら、また、宿題をしながら、日課の「カードキャプターさくら」を見ている私を、 「アニメばかり見て、何か意味があるのか?テレビを見るな!」 と叱りました。 そんな両親の言葉にも耐え、私は、カードを手に入れるために、掃除やお皿洗いなど、大嫌いな家事も手伝いました。 家事を通して稼いだ、あるいは、お小遣いとして母からもらった1毛銭を握りしめ、毎日終業のベルが鳴るか鳴らないかのうちに教室を飛び出して、友達仲間と一緒に間食のお菓子を買いに行きました。 友達とお菓子の袋に入っているカードを交換したり、漫画を読んだり、前の日に見たアニメのことをしゃべったりして呑気に暮らしていた私です。
「 桜ちゃん」熱はそれからまだまだ続き、(厳しい家風の我が家の両親がどうして許してくれたか不思議ですが)、たまに友達の家でそのアニメを見たり、晩御飯をご馳走になったり、女の子同士の秘密を交換したりして過ごしたこともあります。 しまいに、私たちは、自分たちで手作りの「桜ちゃんの星の杖」を作り、桜ちゃんの仕草を真似してさんざん遊びました。 そのアニメのおかげで、私たちの友情はどれほど熱を帯びて、団結が強固になったことでしょう。
再びそのアニメを見たのは六年生でした。 たった二年間の間に、友だちは、もうバラバラになっていました。 以前に買ったカードやポスターなどを見る度に、固い友情を確かめ合った友達や、彼女たちと遊んだ思い出を思わずにはいられませんでした。 もうそんなのんびりした生活には二度と戻れません。 それはまさに「是なるも人は非にして事事休し,語らんと欲して涙先に流る」、 つまり、「物事は依然として変わらないが、人の心はもう変わってしまった。心の悲しさを訴えようとすると、涙が先に溢れてくる」という状態です。
今、私は大人になって、好きなアニメの好みもアニメ作品に対する理解も成熟したものになりました。 恋愛物語だけでなく、友情や人性、人間と自然、社会の関係などをテーマにしたものも大切だと思います。
日本のアニメの中には、中華文化に関するものが枚挙に暇がないほど多くあります。 例えば、「中華一番」や「三国志」などです。 (外国人なのに、どうして、日本人は中華文化にそんなに詳しいの?中国人の私たちは、どうすればいいの?)と、アニメを見て、自国の伝統文化保護について考えさせられることもあります。
今でも、私は時々家族にこう言われます。 「また、こんな子供っぽい番組見てるの?本当に、いい加減にしなさい!」 (そう言われても、本当にいろいろ勉強になるんだから)と心で呟き、 家中に充満する小言の中でしぶとくアニメを見ています。
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