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日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「なぜ中国の若者は日本のアニメが好きなのかー日本アニメと私④」2014年12月23日(火)No.1061

2014-12-23 23:22:59 | 日本語

この真正面からのargumentativeな文はどうだ。

中国の若者、と一口で言っても1年毎に雰囲気が違う。

なので日本語教師も、1年毎に新しい時代を感じるのだ。

下の作文は最も若い1年生(今年の5月当時)の作文で、

アニメのタイトルの多くは私にはチンプンカンプンだ。

そして何より、日本アニメのオタクとして真っ向から論戦を張る態度が、非常に新鮮だった。

政治的発言ではなくても、世間的に通りが悪そうなことを敏感に察知し、

さりげなくその話題を避ける傾向は日本だけではなく、中国にもある。

と言うか、中国ではよりシビアな環境なのだから、

生きていくためにはしかたがない面もある。

日本は、言論の自由があると言うのに……(ああ、もう今はないか)。

ところで、日本語学科の学生のみならず、

日本のアニメファンの裾野は本当に広い。

私も、興奮した面持ちの知らない学生に話しかけられ、

「日本のアニメで日本語覚えました。『ナルト』『ワンピース』」

と言われた経験がある。

 

―――「なぜ中国の若者は日本のアニメが好きなのか」

江西財経大学1年(現2年)陳楊

私は中学生の時からアニメを見始めたが、高校時代には本当に「狂気」になっていた。

最初見たのは同級生がずっと強く推薦してくれたアニメ『家庭教師』であった。

それをきっかけに、アニメの世界に入った。

『ソウルイーター』と『の祓魔師』などは高校時代の少ない楽しみの一つでした。

たとえ高校三年間の一番勉強で忙しい時期であっても、毎週の休日に実家にもどり、

コンピュータを立ち上げ、毎週一回ずつ更新する20分のアニメを追いかけて見た。

 

ちょうど今日は、ずっとファンだった『妖精の尻尾』がようやく一年ぶりに更新する日だ。

ついに更新される喜びと感動の気持ちは言葉で説明できない。

  

では、なぜ中国の若者は日本のアニメが好きなのか。

まず、日本のアニメ制作は精巧である。

そして、日本のアニメ・漫画の人物はモデルのようだ。

これは特に女性にとっては、美を追求する一つの方法だ。

自分の愛を求める気持ちをアニメの中で探すことは、生活に対する愛の表現だ。

『北斗の拳』の英雄描写は非常に成功したが、

ケンシロウの正義感、拉欧の天下に君臨する気概と、多奇の仁愛も生き生きと描写した。

怒りの鉄拳が敵の体を粉砕する画面を見た時、気持ちがわくわくする。

 

中国人は想像力に欠けて、創造したキャラクターは人よりもっと醜いです。

日本の漫画の人物に比べて、まさに雲泥の差がある。

また、中国のアニメはあまりにも知識を伝えることを強調しぎて、ストーリーはつまらない。

中国は『三国演義』、『水滸伝』、『西遊記』のアニメ版をみて、私達はもう見飽きた。

どんな人物をどのように変えても、ストーリーは変わらない。

 

次に、中国市場のアニメの対象は基本的には幼児で、

ほとんどのテーマは「道徳的教訓」だ。

しかし今の社会、少年の思想はますます多様化し、

彼らの視線はもうただ「戦火がない、完全平和」のことに置かない。

反抗的な心理なので、彼らにもっと世界のマイナス的な面も見たい、

日本のアニメはちょうどこの要求を満足させる。

アニメを通して、世界の弊害を説明して、邪不胜正(勧善懲悪)のことだけでなく、

多くの懸念や変わる思惟はますます多くの若者が惹かれる。

 

多くの知識人は日本アニメを見下す。

しかし、日本のアニメはちょうど東方啓蒙文化の高きから低きを臨む如き、

姿を変えた一種の青春啓蒙ドラマである。

日本のアニメは友情や愛情などを宣伝する。

これは若者たちを互いに励まし、助け合わせるものである。

日本のアニメは物語だけではない、教訓も含まれている。

私たちは、『スラムダンク』から理想のために奮闘すること、

『シャーマンキング』から仲間、友達の大切さ、

『ナルト』から根気強さ、

『カードキャプターさくら』から「きっと、絶対に問題ない」という魔法の言葉を得た。

日本のアニメには独創性や魂がある。

現実生活の中で見つからない共感、喜びと感動が見つかる。

さらに教育の意義もある。

 

日本では、アニメが重要な産業として重視されている。

しかし中国はそうではない。

例えば、吹き替えだ。

日本で吹き替えは声優と言って、アニメになくてはならない職業、

また非常に感情移入が必要な職業である。

例えば、蘭(名探偵コナン)の吹き替えの山崎和佳奈はこの役の声を演じるために、

わざわざバンジーをして絶叫の声を学んだ。

ひるがえって中国の吹き替えは、悪く言えば吹き替えだなんて言えない。

感情もなく、2人は台本に照らして朗読するだけで、基本的なストーリーも知らない。

だから、吹き替えの効果は期待できない。

 

今、多くの人は日本のアニメを見るのが非愛国的行為だと言う。

これはとてもおかしい主張だ。

日本のアニメを見るかどうかと愛国は何の関係もない。

逆に私は、日本のアニメを見ることが愛国的行為だと思っている。

なぜかというと日本のアニメを見ることによって中国のアニメの欠陥を認識することができ、

そして、外国の知識をも吸収することができるからだ。

私たちは明確に日本アニメが中国のよりもっと強固であると認めている。

――――――――――― 

 

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