「自民単独で3分の2の可能性もあり」という毎日新聞の世論調査は、
他社の調査とも同傾向なので、今の日本はそうなんだろう。
こうなると私の関心は、
(なぜここまで自分のためにならない政権を、庶民は支持するのか)という点に集中する。
もはや、麻酔注射されただの、脳みそ空っぽだの言って
手をこまねいているわけにはいかない。
そういう時には、本を買う。
何冊もヒントになりそうなものを買っては並べて置くのだ。
とは言っても、一日は24時間、家の仕事もあるし、語学トレーニングもせなあかん、
お医者さんから運動不足の烙印を押され、
今日から淀川河川敷散歩までスケジュールに入ってきた。
というわけで、全く遅々として進まない読書だが(ハハとしてもダメですけど)、
買って並べた本のうち、かろうじて読んだ宇野重規さんの
「民主主義のつくり方」(筑摩書房)の文中に、
藤田省三さんという方の思想紹介があって、
藤田さんが1995年に、今の日本人の傾向にぴたりと重なる分析をされているのが
私としてはたいへん印象に残った。
宇野さんの紹介文をちょっとメモ的に書きとめる。
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〈藤田は、敗戦による日本の荒廃の中に、再出発点となるべき「経験」を見出し、その意味を考え続けた。
藤田は「経験の重視と自由の精神は分かちがたい一組の精神現象」であると言う。
「物に立ち向かった瞬間に、もう、こちら側の抱いた恣意は、その物の材質や形態から或は抵抗を受け、或は拒否に出会わないわけにはいかない。そして、そこから相互的な交渉が始まり、その交渉過程の結果として、人と物とのある確かな関係が形となって実現する。」
藤田にとっての経験とは自分が思うようにコントロールできない物や事態との遭遇を意味した。その意味では、経験とは自分の恣意性の限界を知ることに等しい。
もし、人がすべてを思うままに支配できるならば、そこには経験はない。思うままにならない物事に対し、それと交渉し、何とか行き詰まりを打開すること、そのような実践こそが藤田にとって経験の意味するものであった。そして、経験なくして人間の成長はありえないと考えた。
自分の思うようにならない物事との交渉は、当然苦痛を伴うものになる。しかし、自分を震撼させるような物事との交渉を回避するとき、人はすべてを支配できるという幻想に自閉することになる。それは「自由」とは程遠い。
藤田は1990年代になって『全体主義の時代経験』(1995)を執筆し、「安楽への全体主義」に警告を発した。現代日本社会をますます覆い尽くすようになっているのは、「私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃してしまいたいとする絶えざる心の動きである。」
経験を拒み、言い換えれば自分に抵抗し拒絶を示すような事態との遭遇を回避し続けるとき、逆説的に人間は自動的な機械の部品にならざるをえなくなっていくと藤田は指摘した。〉
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「私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃してしまいたいとする絶えざる心の動き」なんて部分は思わず、あのヘイトクライムの人たちの姿を想起した。
しかし、その傾向はヘイトのヒトたちだけに決して留まらない。
今、日本で「ジャパンはアジアのトップだ」と信じたい人たちは、たいへん多い。
昨年夏、劉思婷さんと彼女の友人(中国人留学生)を連れて、能勢温泉に行き、
近くの野外食事場で昼ご飯を食べていた時、京都から来た家族連れの中年男性と喋った。
とてもフランクなおじさんだった。アイスも奢ってくれた。
しかし、お喋りの中で言った言葉
「あのさ、日本は中国より上だし。これ、事実だから。」
を、私は忘れることができない。
なぜ、わざわざそんなことを言うのか。て言うか、そう考えるのか。
中国の経済発展が目覚ましく、GDPで日本を追い越し、
それをこれ見よがしに誇示しているように見えて腹が立つのだろうか。
劉さんの友人が、即座に、そしてにこやかに
「ええ、もちろんそうです。」
と答えたが、その態度の大人っぽさも印象に残っている。
そのとき私は穴があったら入りたかった。
安倍首相は「日本を取り戻す!」「戦後レジームからの脱却」など、
威勢のいい言葉を頻発する。
それに賭けたい人々の心は(嫌な現実からひたすら逃避したい)といったところか。
しかし、今現実を見て、その現実と折り合いをつけていかなければ、
私たちの社会の前に何が待っているというのか。
もう一度、全ての国民がどん底を経験すれば分かるのか。
福島原発事故ですら、自分の経験としてとらえられない日本人には、
どのようなレベルの物事が経験効果を発揮するのだろう……。