3年生は2学期、「日本文学選読」と「日本語視聴説」を担当しています。
あと2週間の授業に何をしようかとネットの青空文庫で名前を見ていたら、
(教科書はありますが、半分は教科書以外で自分勝手に選んで教えているのです)
おお、うっかり宮澤賢治を忘れていた!
ということで、今日の文学の時間に
「雨ニモマケズ」と賢治のザックリ紹介をしました。
☝この写真、実は子どもの頃は好きじゃなかったんです。
畑に立つ洒落男という感じで。
私は農民の子だったので、農民がどれだけビンボーな格好をしているか
常日頃から傍で見て育っていて、
(賢治はなんか嘘こき男だな)とか、
(金持ちの道楽息子でねえか)とか、思えてね。
私は何度も言うように、
子どもの頃、自他ともに認めるひねくれ者でした。
「知床半島のひねくれ者」……、
なんか自然に包まれている環境にそぐわない存在でした。
実は「雨ニモマケズ」にも、納得できませんでした。
(自分をそんなに勘定に入れなくて、本当にいいんだべか)とかね。
どうも、やりにくい子だったですね。
〈()内は当時、北海道で自分が使っていた言葉です。一部東北弁と重なります〉
しかし、子ども心に、
「一日に玄米四合と 味噌と 少しの野菜を食べ」の生活の質素さとか、
「野原の松の林の陰の」の、「の」のリズムとか、
「東に~あれば」「西に~あれば」
「南に~あれば」「北に~あれば」の繰り返し、
そういうところが気に入っていました。
そして、最後に
「そういうものに 私はなりたい」
ときっぱり言うのもかっこいいなと思いました。
どういう人になりたいかは別にして、です。
私が宮澤賢治の童話にじわじわ親しみを持ち始めたのは、
30歳を過ぎてからだったような、
自分に子どもができてからだったような気がします。
(つづく)