毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「がんばっぺフラガール!~ふくしまに生きる」    2011年12月10日(土) No.238

2011-12-10 11:31:55 | イベント情報
 「がんばっぺフラガール!~ふくしまに生きる彼女たちのいま~」が封切されたそうだ。

 3月11日以降、涙が勝手に出てきて止まらなくなった私は、自分で自分を励ますために、いろいろやってみた。その一つがネットで「フラガール」を購入して観ることだった。それを当時3年生のクラスみんなでも観た。最初、後ろの方に座っていた王書林さんが、途中から一番前に移動して、何回もメガネの脇から涙をぬぐっていた。他のみんなも大泣きだった。何しろ農民工出身の両親を持つ子が半分を占めるクラスだ。
 映画の舞台「福島」を黒板に書くと、どよめきが起こった。みんな福島原発事故がどこまで広がるか分からない不安を抱えていて、塩の買い占め騒動が起きていた当時のことだった(今もその不安要素は減っていないにもかかわらず、やはり外国のこととて当時の緊迫感は薄れている)。分かりづらい方言だったが、学生の心に入った映画だと思う(実はあまりの分からなさに日本語字幕で観た)。
 その映画の続編ができたという。シネマトの記事を転載する。もう封切られたところもあるらしい。見てくれる人がいたら嬉しい。

『フラガール』シリーズ第3弾へ!
ジェイ・シネカノン代表が在日韓国人2世として日本への思いと共に明らかに
 

 福島県いわき市の大型レジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」の専属ダンスチーム「フラガール」の東日本大震災後の復興支援活動を追った本作。「一刻も早く観てもらいたい」という熱い思いもあり、10月1日のクランクアップからわずか3週間という急ピッチで製作が進められ、早くも初日を迎えることとなった。会場には、いわき市をPRするキャンペーンガール・サンシャインガイドいわきが観客をお出迎え。さらにこの日は、フラガールがフラダンスを披露したり、RAKEが本作主題歌「100万回の『I LOVE YOU』」の生歌を披露したりと、さまざまな趣向が施され、会場は華やかな雰囲気に包まれた。

 そんな本作を公開にこぎつけた丁代表は
「皆さん、映画をご覧になってください。そして最後には次回作についての思いが映し出されますので、最後まで席を立たないでいただきたいのです。そこにある通り、今回のドキュメンタリーの次となる第3弾は、ストーリーとしての『フラガール』を作るつもりです。そのときはご支援をお願いします!」
と『フラガール』の新作を構想中であることを観客に向けて明らかにした。

 丁代表の本作にかける思いは非常に強いようで、
「『スパリゾートハワイアンズ』の斉藤(一彦)社長が、私のところに来て、助けてほしいというところから話は始まりました。名前からもお分かりの通り、私は在日韓国人2世です。ですから私にとって日本は第2の故郷です。日本においての在日韓国人(と日本人と)の共生において、日本を応援しないといけないなと思いました。もちろんわれわれもこれまで、金銭・物資の面で援助はしていきました。しかし映像の分野でも(援助を)やらないといけない。だから今回は『フラガール』をやろうと思いました」
と本作を生み出した思いを切々と語った。

 本作のメガホンをとった小林監督は
「ご覧のようにきれいな方が大勢いるわけで、その中に僕が一人カメラを持って中に入るわけです。まるで女子高に放り込まれた男子校の生徒みたいで、あまりにも針のむしろだなと。そんなとき、みなさんが『監督、白くまアイスを食べますか』と言ってくれて。いい思い出でしたね」
と冗談交じりに撮影を振り返った。そして
「映画という形で世界の方に観てもらい、日本の福島の現状を海外に知ってもらいたい。そして日本の方にはこれを観たらスパリゾートハワイアンズにいってもらいたい。それが福島の支援になると思うので、よろしくお願いします」
と観客に呼びかけると、会場からは大きな拍手が起きていた。

 本作は、福島県いわき市の大型レジャー施設・スパリゾートハワイアンズのフラガールたちにスポットを当てるドキュメンタリー。東日本大震災による大きな被害を受けた同地で、スパリゾートハワイアンズの営業再開と踊りで笑顔を届けようとするフラガールたちをカメラが追う。映画『フラガール』で主演を務めた蒼井優がナレーションを担当する。(取材・文:壬生智裕)

 映画『がんばっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~』は新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国公開中
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「南昌今日は2℃」   2011年12月9日(金) No.237

2011-12-10 10:12:17 | 中国事情
 天気がいいのに寒く、刺すような風が故郷の道東を想わせた。
最近、金曜の夜は2年生の発音・アクセント矯正をしている。学生寮のフロアでやったりしていたのだが、寒いので先週から我が資料室に移動した。
 資料室にはこの夏、すったもんだの末取り付けてもらった中古のエアコンがある。春の南昌は雨がよく降り続く。ビル1階の資料室は、朝一歩足を踏み入れると、床が濡れていてズルッと滑る。湿度が飽和状態に達しているのだ。前前任者の大竹先生達が日本から運んでくださったたくさんの書物がたまらなく黴臭かった。こんな部屋で執務(というほどでもないけど)を続けると、もともとお肌の弱い私は皮膚病になりそうだった。

 何年も前からデスク横上の壁にはエアコンが設置されている。しかし、スイッチを付けても、ただの風が弱弱しくホヨホヨと出てくるだけだ。その頃、学生数人がずっとその部屋で自習をしていた。日本語学科独自の自習室がないからである(同じ外国語学部でも英語学科はある)。私が日本に夏休み一時帰省している間、彼女たちはこんな暑苦しくジメジメした悪環境下で勉強するのかと思うと、可哀想だった。そういうことで、私はこれから何年ここで働くかは未定だが、とりあえず必要なものなので、自前で買おうと思った。
 私の助教(係の先生;日本でいう「助教」ではない)の新平老師に、
「今週末、学生と一緒にエアコンを買いに行く。資料室の壁に穴を開けて工事をするが許可してほしい。」
と電話した。すると新平老師は
「ちょっと待て、早まったことをするでない。私が小紅老師(ボス)に言って、彼女から学院の院長先生に窮状を訴えるから。」
と言う。中国の「ちょっと待て」はいつになるか分からない。私は本棚の本が黴臭いの、皮膚がアトピーで痒いの、床が滑って転びかけたの、学生が大学院入試に失敗するかも知れないだの、まくし立てて、早急に対処してくれるよう言い、日本へ帰った。

 その後、外国語学院(日本でいう「外国語学部」)の院長は、部屋を引っ越すとか、いいエアコンを買うとか、甘い言葉を並べたが、8月末に私が戻ってきたとき、な~んにもしていず、カビだらけの椅子、机が私を出迎えた。学生たちは堪らず、7月後半から図書館(人が一杯で席の確保が大変)に移動していた。当然私は切れて、
「学院の院長先生にこのカビだらけの部屋を見てもらうまで、一切掃除しません。」
と、ひたすら息詰まる黴臭さの中で自分のエリアだけを拭き掃除し、粘り強く暮らしていたところ、数日後ついに設置されたのが、どっかから運ばれてきたちっちゃい中古のエアコンである。事務室とか院長室とかは、巨大で新しい上等エアコンがついているのだ。

 それでも、資料室の大きさに比してとても小さいその中古エアコンは、1時間かけて部屋の一部(エアコン付近)を8℃から18℃にまで上げてくれる。今年の冬は去年より増しだ。この資料室が無理なら、麦廬園からバスで15分の我が宿舎で補習しなければならない。プライベートもヘチマもなくなってしまうし、学生にとっても不便だ。
ということで、エアコン付けてもらって良かったな~。

 
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「人を何だと思ってるんだ!」     2011年12月8日(木) No.236

2011-12-08 21:44:32 | 中国事情
 何回切れそうになっただろう。この中国式時間設定に。今日もそうだ。
朝8時半、パソコンで今日の授業準備をしていたら、電話が鳴った。オフィスのALEXからだ。
「あ~、ヒローミ(私の名前)、今日部屋のリビングの床板張替をします。」
何やて?このあいだ冬休みになってからの工事がいいか、学期中がいいか希望を聞いてきたので、
「冬休みになってからにしてくれ。」
と返事したのはどうなってんだい!?しかも、我慢ならんのが突然、急に、サドンリー「今日、今からすぐに工事します。」というこのやり方だ。

 リビングのテーブルにはいつも、各教科の宿題、資料、教科書が一覧できるように広げてある。(大変だ~!)と思う間もなく工事の人とアルバイトの英語学科の学生(通訳)が入ってきた。直ちに並べ立ててあるものをパソコンのある書斎に運び、CDや本、文房具など埃をかぶってはたまらんものも、同様に避難させた。
 工事のやり方については、夏のバルコニーカバー取り付けでよく分かった。工事請負の人たちには部屋に置かれたものに対する気配りのカケラもないということが。ソファーも何も埃だらけになるだろう、と思った。
案の定、夕方6時半、私が仕事から帰ってきて一歩部屋に足を踏み入れたら、白い床(もちろんホコリで)、白いソファー、白いテーブルと白い椅子たちが私を待っていた。

 カバーで覆うといったアイディアは毛頭ないのが、ここの工事人だ。それだけではない、バルコニーの床には工事しながら吸ったのであろうタバコの吸い殻が気楽にポイ捨てされている。
ブチッブチブチブチッ
「キエー!」と叫びながら窓ガラスぶち割ったろかと一瞬思った。が、気を取り直し、2時間かけて掃除した。メチャクチャ汗かいた。

 ここでは制度などの決定に際して、権力を持たぬ名もなき庶民(例えばワタシのこと)の意思がどれほど軽んじられるかを、何回も痛感した。そして何回も頭にきている。
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「竜さんが泣いた」   2011年12月7日(水) No.235

2011-12-07 20:15:50 | 中国事情
 今日、3年生の竜さんが泣いた。
「日本に行くことができない。」と言ってぽとっと涙を落とした。
今、財経大学の日本語学科は時ならぬ日本ブームが起きている。
 一つには、校内スピーチコンテストで優勝したら日本で一週間ホームステイできるチャンスが生まれたことだ。しかし、それはたった一人しか行けないし、期間も一週間という短さだ。 
 もう一つ、これが主なブームの元だが、岡山商科大学と提携して、2年間財大+2年間岡山商大で卒業できるコースが設定されたのだ。さらに一年間だけの交換留学の道も可能になった。来年4月、日本側の新学期からだ。
 
 3年生がそれを聞いて燃え立った。今まで鳴かず飛ばず、全体に勉強不足、やる気不足が蔓延していたかに見えた彼らだが、2年間+2年間コースには3人が、1年間だけの交換留学には一時7人が応募した。しかし、7人応募した際、大学側が説明し忘れていたことがあった。留学期間の生活費が仕送りできる証明として、6万元以上預金してある銀行の証明書が必要なのだ。
 5人がそれで脱落した。竜さんもそのうちの一人だった。彼女はお父さんに必死で何度も懇願したが、
「6万元の預金証明を出せという、そんな怪しい話はない。お前は騙されている。」
と言って取り合ってくれなかったそうだ。私が、
「日本に留学する者の中には、勉強目的ではなく、働きに来る人がたくさんいるので、日本の入国管理事務所がそうしたんです。」と言うと、竜さんは
「私も何回も何回も、そう言って父に説明したけど、全く聞いてくれなかった。」
とまたシクシク泣く。(中国じゃあるまいし、日本の大学が学生を騙すかよ~)という考えが脳裏を過ぎった。中国の大学だって、よもや学生からお金を踏んだくり取ったりはしまい。ちょっと失礼だったな、これは。

 でも、私には別の心配がある。
日本国内の人達が想像できないほど、日本語学科の大学生たちの日本への憧れは大きい。しかし、せっかく困難を乗り越えて日本に行き、生活し始めた時、彼らの憧れと期待に日本の人々と社会は温かく応えてくれるのだろうか。今の日本の人たちは、あんまり優しくない、というか、ギスギスして攻撃的で、表面を取り繕うことに終始している人たちが蔓延しているように私には見える。
 この中国江西省の片田舎から、胸いっぱいの期待とともに日本に出発した学生たちの輝く目が、失望で曇ったりしないか気が気ではない。
「じゃあ、来るなよ」
とかいう言葉がすぐに飛んできそうな気配の今の日本じゃないでしょうかね、みなさん。考え違いであったら嬉しいけど。
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「船出する一寸法師たち」      2011年12月6日(火) No.234

2011-12-06 19:22:13 | 中国事情
 確実に就職者が増えている。中国社会の就職時期は日本のように一様ではない。4年生の一学期から既に働いている子もいるし、8月末の新学期にちょっとだけ出席した後、教室から姿を消した子もいる。企業によって、4年生から実習という名目で安く働かせるところもあるし、
「卒業してから来い。」と門前払いのところもあるという。また、内定して来年春節明けから出勤するという学生もいる。バラバラだ。

 今日は嬉しいニュースがあった。日本語学科4年生クラス(1クラスしかない)から4人も「INFOSYS(杭州)」に採用されたというのだ。見知らぬ土地でたった一人、新生活をスタートさせる学生がほとんどの中で、こんなケースも珍しい。私自身はそのINFOSYSという会社を全く知らず、
「その会社は何の会社?」
と聞くと、辺りは(先生、知らんの~!?)という引きの雰囲気に満ち満ちた。いつか、杭州に行く機会があったらまたその4人と再会できるかもしれない。将来に楽しみができたわい。

 先日、江蘇省昆山の日系企業で「実習」している陳礼名さんからメールが来た。九寨溝に案内してくれた子だ。彼は本当は翻訳関係の大学院に進学したかったが、家庭の事情がそれを許さなかった。日本語力はもちろん確かだが、気遣いも細やかで優しい子だ。手紙を読んで、彼の心境が胸に沁みた。授業中、いつも目を輝かせて私の大したことのない話を聞いてくれていた陳さんが、クラスから消えたことは、私にも痛手だった。しかし、そんなことを言っても仕方がない。お椀の舟に箸の櫂で、彼は大海に乗り出していったのだ。昨年の先輩たちがそうだったように。(どうぞ、大波に飲み込まれませんように、嵐に潰されてしまいませんように)と心でつぶやく。



 
先生
 ご無沙汰しております。お元気ですか。昆山はだんだん寒くなってきました。南昌の天気はどうですか。
時間の経つのは速いですね。昆山にきて、今はもう二ヶ月半が経ちました。私は今仕事にも少し慣れて、だんだん忙しくなっています。
『陳さん、君の仕事はいったい何ですか』、
『何の会社ですか』
とかよく質問されます。実は入社したばかりのとき、自分の仕事についてはさっぱり知らなかったです。
今は、下記のように説明すれば、みんな分かってくれるかもしれません。

 会社の事業内容は、LCDバックライト用拡散フィルムと光反射フィルムの加工と販売です(長いですね…)。
今私が属している部門は品質保証部です。具体的の仕事は、取引先(日系企業、電子製品メーカー)のクレーム処理(中国語で)と日常のメールの翻訳と品質関係の通訳(二週間に僅か一回ぐらいですが、ちょっと大変です)、取引先に出張して、品質問題の確認(南京、张张家港などのところ)などです。

 最近は品質の問題が次々起きたので、日本側との連絡が頻繁になっています。残業も多くなりました(今月の残業時間はもう44時間。残業の内容は、取引先からの資料の翻訳、そして、要求されたデーターのまとめなどです)。

 住めば都という諺がありますね。昆山は、国連の『世界住み安い都市』(最佳人居奖)という賞を受け取りました。今私は昆山の天気や生活にも慣れてきています。川の水はすべて汚れていますが(中国ではどこでも同じようです。経済の発展の代価は環境破壊)秋、冬の空がまだ青くて澄んでいて、空気もとても新鮮です。
ここは上海に近いですが(新幹線で20分ぐらい、切符は15元)、物価はあまり高くないです。今は、家賃は380元で、電気代、ネット代などを含んでは500元です。そして日々の消費(野菜、果物とか)を全部合わせて、一月二人の支出は1000元ぐらいです。

 11月21日、私は会社の車で南京へ行きました。行く途中で先生に電話しました。製品の品質問題で、私は日本の技術員にお供にして、通訳をしました。新幹線で南京へ行くのはもう三回もありますが、自社の車で行くのは初めてです。残念なことは、時間の余裕がないので、他の所へ行って、しばらく観光する暇もないです。会社を出て、取引先へ行って、また会社に戻ります。高速道路で1~2、3時間もかかります。見た景色は窓側飛び去った平原、工場しかないです。

 時々私は学校に帰りたいです。高速道路で走っている車の中で外の平原の枯れた草を見るとき、仕事中窓側に座って外の柳を見る時、私はいつもぼんやりして、そして迷っています。今学期の始め私は学校を出ました。四年生の学校生活はぜんぜん体験していないです。この季節に、図書館でのんびり本を読んだり、先生の授業を受けたりするのは、いかに楽しいでしょう。
やはり私は学校を出るのは早すぎましたね。しかしこれは仕方がないので、今は心を落ち着けて働きます。
 学校を出て、いろいろなことに直面しなければならないですが、今まではラッキーです。同僚との関係も円滑に進んでいるし、仕事も先輩達のお陰で、うまくとは言えないですが、無事にやっています。クラスの皆さんは今、就職している人は何人いますか。皆さんと一緒に過ごした毎日は、とても楽しくて、今もいつも思い出します。

 11月23日、9月23日から今日まではTSUJIDENで2ヶ月間も経ちました。先輩はいつも『陳さん、焦るな、まず経験を積み重ねて』と言ってくれました。経験というものはいったい何でしょう。最近自分はアパートに帰って、反省メモを書きます。この一日自分の不足、よくできたことなどをメモします。お客様との交渉、クレームの処理などは容易なものではないです。これは学校で学べないことですね。

 今私は日本語を勉強しつつあり、英語ももっと勉強したいです。CET—6に合格しましたが、実際に英語で交流するのは全然できないです。学校にいるとき何にも心配せずに勉強に集中できたのに、自分はたっぷりの時間をつぶしてしまいました。皆さんも、学校での毎日を大切にしてください。(この話し方、大丈夫かな…)
先生のご健康を祈ってやみません。
皆様のご健闘を祈っています。
                                                     2011.11.23
                        陳礼名
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「泉谷しげると『どるめん』で飲んだ」  2011年12月5日(月) No.233

2011-12-05 07:34:47 | 日記
 泉谷しげると飲んだ。当然夢だ。場所は知る人ぞ知る、尼崎の園田の「どるめん」だ。
なぜ泉谷しげるなのか、自分の深層心理がつかめない。ま、嫌いじゃないのでいいんですけど、それにしても夢の中の泉谷さんは顔の造りが違っていて、私は「あの~、泉谷さんですよね?」などと確認したりしている。
 遅れて「どるめん」に到着したスエミ姐さん(出演者は手前勝手だが、私の夢なんだからいたし方ない)に「この人は誰でしょう?」とクイズを出すと、「ああた、何言ってんですか。泉谷さんに決まってるじゃな~い」と、泉谷さんの肩に頭を乗せてスリスリしている。そうか、みんな知っているのか…。

 「どるめん」は、客が大入りで繁盛していた。こういうことも滅多にない。いつもヒッソリと閑古鳥なく店の中、悠々とカウンターで思索するマスターも、今日は「生ビール一丁!」とか「チャナカレー、胚芽米で」とか声がかかって、てんてこ舞いだ。しかし、そんな最中でも、BGMが止まると、作っているものをほったらかしでサッとCDを交換する姿はいつも通り。客の声が五月蠅くて、何がかかっているのかは聞こえなかった。
 一緒に行った誠子さんは、この店が気に入った様子でガブガブビールを飲んでいる。店はいつもより風通しが良い。入口のドアがないのだ。みんな生ビールを飲んでいるということは、季節は夏だね。夏の夕方だ。
 帰ろうとしてお勘定を尋ねると、マスターは
「今日は一律750円です。」
とすまして言う。(そういうことしているから、経営危機に陥るんだ!!)と、すったもんだしていると、マスターの連れ合いキョンジャさんが、横から
「ソンイル(マスターのこと)の気持ちでございます。」と夫唱婦随する。

 分かった!なぜこんな夢を見たのか。泉谷しげるでなくて趙博さんでもよかった。見たかったのは「どるめん」だったんだ。
テスト作りの難行苦行が終わってホッとしていた昨日、授業もあと2週間で終わると、いつものように遅い連絡が入った。多分気が緩んで里心が首をもたげたんだ。帰国は1月中旬の予定だが、「どるめん」は、今度帰った時もきっとひっそり私を迎えてくれるだろう。
 変わらない時を保つ空間が懐かしい今日この頃だ。
  
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「日本で行ってみたいところ」    2011年12月3日(土) No.232

2011-12-03 09:35:26 | 中国事情

 「もし日本に行ったら」という題目で2年生にスピーチ原稿を書くことを課題に出した。東京、秋葉原、富士山、京都などの定番に加えて(へえ~!)とか(なるほどね~)と感じるのも幾つもあって楽しめた。だいたい次のようなラインアップだ。

1位:東京…秋葉原で安い電子製品を買い、アニメ主人公のコスプレ姿を見る。東京大学でなぜ東大生は賢いのかチェックする。銀座できょろきょろする。声優を追っかける。

2位:富士山…世界でも珍しい洞穴めぐり。登山後の箱根温泉が楽しみ。日本人の「聖なる山」だから。(←それ、知らんかったな~
3位:奈良・京都…日本の伝統文化に浸りたい。有名なキャラクターの「セントくん」に会いたい。一流校の京都大学に行きたい。

4位:北海道…乳牛を飼う荒川弘美(「百姓貴族」というのを書いた人らしい)に会い、乳牛の飼い方を交流したい。ラベンダー畑のまん中に立ってみたい。美しい自然を満喫したい。

5位:静岡県…中国ドラマの舞台で、茶畑の美しさを知った。茶畑の中にいると心が安らかになると思う。ドラマの主人公のように温泉に入ってロマンチック気分を味わいたい。(←温泉がロマンチック???) 川端康成「伊豆の踊子」の舞台だから。富士山が見えるし、ミカンや魚が美味しいから。

その他:沖縄:映像で見て、海の美しさが忘れられない、海の声を聴き、魚と話がしたい。
    長崎:野原しんのすけが住んでいるから。(←行っても会えないと思う…)                               
   図書館:新平先生が「日本の図書館は便利ですごい」と言っていたから。
大阪の先生の家:いつもお世話になっているので。
  食べ物屋:寿司・てんぷら・刺身・カレーライス・納豆・しゃぶしゃぶ・すき焼き・豆腐...ありとあらゆる食べ物。(←やっぱ、若者は食いしん坊だな) 
   青森県:子どもの頃、リンゴ好きの僕に姉が「日本のフジというリンゴは本当に美味しいんだよ。」と教えてくれたから。
    東北:ボランティア活動をしたい。(一人だけだったのでうっかり忘れるところだったけど、今でも東北を心配してくれている中国の若者がいる)
普通の人の家:普通の日本人の人たちの暮らしがどんなものか実際に確かめたいし、日本の礼儀作法も学びたい。


 東京大学、京都大学は中国で日本一、二とランク付けされている。こちらの大学生は大学の有名度にものすごくこだわる。中国では毎年、国内大学のランク付けをして発表するのだ。当然みんな家族ぐるみで有名校に子供を入れたがっている。江西財経大学は江西省ではナンバーワンのランクインだそうだ。しかし、学生の中には「私は家族の期待に応えられず、こんな大学にしか入れませんでした。」と言う子もいる。猛烈な受験勉強をしてきた彼らの頭から「一流大学ブランド」が消えることはないようだ。日本に留学を希望している子でも「あ、そこはあんまり有名じゃないですから、ちょっと…。」と厚かましいことを平気で言う。金沢大学とか新潟大学とか九州大学のことだ。

 それにしても、日本への親近感を形成するうえでアニメやドラマは絶大な影響を与えていることが分かる。私の知らない荒川弘美「百姓貴族」さんと乳牛の飼い方について情報交換をしたいという女の子の文を読んで、こっちがびっくりした。アニメの声優に会うために東京に行きたいという子も二人いた。日本語学科を第一に希望する子のほとんどは、アニメ・ドラマに惹かれて選択したという。「ドラえもん」「チビまるこ」「一休さん」「名探偵コナン」「聖闘士星矢」「ワンピース」「ナルト」は、小学校時代、まだ過酷な受験勉強がスタートしていなかった時、彼らの楽しい娯楽だったようだ。学校から走って帰って「チビまる子」を観たと書く学生もいた。アニメ・ドラマ・歌は偉大な日中(中日)親善大使だ。

 実は来年、校内スピーチコンテストで優勝したら、日本(大阪)一週間ホームステイ招待を約束した。一度は国外に出て外国を味わうことは、どの国の子にもしてもらいたいことだ。貧乏な子たちが多いこの大学の日本語学科の学生にとって、きっと意味は大きいと思う。一週間ボランティアで預かってくださる篤志家がいらっしゃって、願いが初めて実現することになった。学生の「もし、日本へ行ったら…」も、今はあながち夢ではない。

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「日本への憧れ」      2011年12月2日(金) No.231

2011-12-02 08:58:58 | 中国事情

 驚いたことに、江西財経大学日本語学科に在籍する多くの学生は、日本に一度は行ってみたいと思っている。
 なぜそんなに驚くのかというと、日本語学科在籍の学生のうち、ここを第一希望として入学した子は3分の1かそれ以下に過ぎないからだ。入学試験の点数が及ばず、第一希望の金融とか国際貿易とか会計などから落ちこぼれてきた子たちが多い。
 にもかかわらず、ほぼ全員が日本を訪れる希望を抱いている。これは、日本語学科の老師たちの尽力が奏功していると、私は日頃から感じている。日本語学科でネイティヴは私だけ、あとの4人は全員日本に留学したか、日本で働いたことのある経験を持つ中国人だ。

 私の係(助教)の新平老師は、岡山市との交流職員として2年間岡山に住んでいた人だが、彼は、
「日本に行ったら、もう中国に帰りたくなくなりますよ。」
とまで言っていると学生たちから聞いた。食べ物の美味しいこと、水道の水が煮沸しなくてもそのまま飲めること、春はみんなで桜の下で宴会をして飲めや歌えやと楽しむこと、街並みが美しく、みんな交通ルールを守って暮らしていることe.t.c.…、聞いていて私の方が
「いや~、それほどでも~。」
とクレヨンしんちゃん声になるくらいだ。それらの情報は、ほとんどが授業で仕入れたものだそうだ。この大学の日本語学科老師たちは、声高に「中日友好」を訴えるタイプではないが、みんな静かな実践者だと思う。
 山口百恵の「赤い疑惑」だかが好きで日本語を学び始めたという小紅先生は、授業で山口百恵主演の「伊豆の踊子」を見せるという力に入れようだ。彼女はまた、岐阜県の高校で中国語教師をしていた頃を振り返り、
「日本人は手作りの贈り物を一番喜びます。自作の野菜をプレゼントしたら受け取る側も『あら、珍しい』とニコニコするのです。この光景は、本当に衝撃的でした。」
と、学生に語ったそうだ。江西省で自分の畑で採れた野菜を人にあげたところで、誰が喜ぶであろう、否、喜ばない、ということなのだ。値段の張るものが素晴らしい贈り物であり、お土産は高価な場合、値段を付けたままプレゼントすることが大切なのだそうだ。
 中央大学に留学した経験のある熊老師、高老師も、よく日本の穏やかな生活や美しい風景の映像を授業で取り上げると聞いている。
 このような老師たちが摺り込む日本宣伝によって、学生たちはいやが上にも日本に関心を持たざるを得ないのである。ちなみに私は、彼らの10分の1も日本を褒めたりしていない。自画自賛や身びいきは私のセンスには合わない。これ、ちょっと「葉隠」的かも。

 来年は日中(中日)友好40周年にあたる。日本に住む日本人の排外的傾向がヒシヒシとこちらに伝わる今日この頃、大きな転換は期待しないが、自分のできる平和友好・平等互恵・長期安定・相互信頼(日中関係四原則←テスト問題)って何かなあと考え、それを実際にやるしかない。

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「う~さぶ!」      2011年12月1日(木) No.230

2011-12-01 07:56:38 | 中国事情
 いやいやいやいや、さぶいのなんのって。
昨日、可愛い2年生(完全にエコヒイキ)のクラスに行くと学生たちが
「昨日まで秋でした。今日から冬です。」
と言う。同感だ。何しろ一昨日は26℃もあったのだ。一転してこの寒さ。ネット情報によると最高気温12℃最低6℃。さらに南昌特有の冷たい風が吹く。刺すような風だ。麦廬キャンパス内を教室に向かって歩いていると、強風が吹くたびに、あちこちから「キャー!」「ウー!」と学生たちの悲鳴が聞こえる。ちょっと可笑しくてニヤリとする。

 一昨日、テスト作りを終えて気が抜け、風邪を引いた。日本ではいつも週末になると脱力感で寝込んでいたので、それと同様の状態だ。さらに、寒さまで加わって一気に本格的な風邪となり、昨夜は頭痛と寒気がひどく夜8時にまだ残っていた‘早めのパブロン’を飲んで布団に入った。
 日本語能力試験が今度の日曜日にあるので、スピーチクラブも中止。3年生のほとんどと4年生の数名がN1(1級)を受ける(4年で未だ受かっていない子がいる。一旦は諦めかけていたのが、王エイエイさんの深圳レポートを読んで奮起し、3度目の挑戦をするのだ。この子達も健気で可愛い)。4年生は今度こそ全員合格してもらいたい。
 彼らを見ていて、学生たちの学習態度に3種類あることに気が付いた。
1つは、ひたすら熱心に朝から晩までありとあらゆる努力をするタイプ。私は初めてこの大学の教壇に立った時、このタイプの子がまず目につき、驚嘆したものだ。
2つ目は、学生会、共産党、スポーツなどの方向に力を注いで学習はそこそこタイプ。授業もよくサボる。しかし、期末テストだけは立派な成績なので(なんかな~)と思わんでもない。
第3のタイプが、授業には休まず真面目に出席し、一番前の席に座るのに、なぜか成績が伸び悩みの子たちだ。このタイプの子が未だにN1に受からない。よく見たら彼女たちは、見直しとか自己チェックが甘い、甘すぎる。何度も同じミスを繰り返す。そして覚えない。のんびりとお人よしの顔をしているのが特徴だ。その彼女たちが、一昨日、キビシイ表情で問題集の分からない箇所を聞きに来た(今頃遅いっちゅうねん )。
 日曜日は寒さも少し和らぐようだ。少なくとも体調だけはいい状態で臨んでもらいたい。それにしても今度こそ受かってほしいなあ、正直なところ。

 
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