大昔から何度も作っては直しを繰り返した恥ずかしい模型です。
生まれて初めて買った真鍮製16番バラキットはピノチオの客車でした。
京成高砂駅前に有ったニワ模型店で買ったオハフ61とオハニ61。
どちらも1500円で当時としても安かったのではないかと思います。
初めて見た客車キットは側板の曲げが妻板と合わず、どうした物かと考えた末にラワン板で型を作って、木槌でぶっ叩いて曲げなおしました。
誰も教えてくれる人が居なかったので仕方がなかったのですが・・・
オハフ61はその後も何度も組み立て直しながら現在も在籍していますが、オハニ61はスユニに改造してしまいました。
と言ってもろくな技術も無いのに無謀なことをしたものです。
客室窓とデッキを埋めて所定位置に郵便室ドアを開けたのですが、おもいっきり間違えて窓一つ隣に開けてしまいました。
そうとう落ち込みましたが、捨てるのもまた買うのもどちらも勿体無いので、適当な板をはめ込んで埋めてから開け直しました。
まあ、これでも実物通りオハニ61→スユニ61と改造したというわけです。
客室窓の名残の1000ミリ窓、窓の無い区分棚部分、スユニ61らしさが出る角度です
この2048番は水戸客車区に配置で、最後はスユニ60-2012、2013と共に水戸線で運用されていました。
水戸線の客車最終日にはこの車輌が使用されていたそうです。
その後用途廃止になり高萩駅に留置されていたところを撮影しました。
スユニ61 2048 水ミト 高萩駅(許可を得て撮影) 1982年12月
生まれて初めて買った真鍮製16番バラキットはピノチオの客車でした。
京成高砂駅前に有ったニワ模型店で買ったオハフ61とオハニ61。
どちらも1500円で当時としても安かったのではないかと思います。
初めて見た客車キットは側板の曲げが妻板と合わず、どうした物かと考えた末にラワン板で型を作って、木槌でぶっ叩いて曲げなおしました。
誰も教えてくれる人が居なかったので仕方がなかったのですが・・・
オハフ61はその後も何度も組み立て直しながら現在も在籍していますが、オハニ61はスユニに改造してしまいました。
と言ってもろくな技術も無いのに無謀なことをしたものです。
客室窓とデッキを埋めて所定位置に郵便室ドアを開けたのですが、おもいっきり間違えて窓一つ隣に開けてしまいました。
そうとう落ち込みましたが、捨てるのもまた買うのもどちらも勿体無いので、適当な板をはめ込んで埋めてから開け直しました。
まあ、これでも実物通りオハニ61→スユニ61と改造したというわけです。
客室窓の名残の1000ミリ窓、窓の無い区分棚部分、スユニ61らしさが出る角度です
この2048番は水戸客車区に配置で、最後はスユニ60-2012、2013と共に水戸線で運用されていました。
水戸線の客車最終日にはこの車輌が使用されていたそうです。
その後用途廃止になり高萩駅に留置されていたところを撮影しました。
スユニ61 2048 水ミト 高萩駅(許可を得て撮影) 1982年12月