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Brugge Style
トコノミスト
勝手に弟子入りしました。
トコノミスト。
雑誌graceのアートディレクターをつとめなさる岡本一宣氏とおしゃる方が、毎月同雑誌に「世界の床の間から」と題し、ページ4分の1くらいの記事を書いていらっしゃる。
記事の内容は置くとして、「世界唯一のトコノミスト」と名乗られているから
「ちょちょと、トコノミストはここにもおりますがな」
と、激しく反応してしまった。
(正しくはマルクシスト、マルクシアンの差に習って「トコノミアン」と自称していたのだが、まあこんな違いはどうでもよい)
うっかりしていた。こういうことはさっさと公言して世界から認知を得ておかないと「家元」を名乗れなくなってしまうのだ。
ま、じゃあ弟子にしてもらうか。
トコノミストて何のこと?と言われそうだから岡本氏の解釈を紹介する。
「床の間とは主人の文化度の顕示とある種のナルシシズムと考える。要は住まう場所における自慢のコーナーなのである。」
どうだ、まさにワタクシではないか。
自分の貧しい知性と主張には常に懐疑的であるよう努めたいと思っているので、上の文章は「消極的な自慢」としたいところであるが。
母方の実家には堂々たる床の間があり、弘法大師のお手によるとか、○○天皇から賜った、とかいう立派な(嘘。地味やな~という印象)軸が下がっていた。
わたしはひんやりしたカビ臭いその床の間に座って本を読んだり絵を描いたりするのが好きな子どもだった。遠くからいくつものおふすまを隔てて人の声が聞こえた。
祖母に見つかると叱られたが、祖父は笑っていた(わたしは彼のおかげでジジコンプレックスなのである)。
実家の床の間は軸は下げずに年中小磯良平の絵がかかっており、やはりそこに座り込んで、まあなんですな、年頃になってからは泣いたりしたこともあった。
...いかにわたしが床の間に馴染んできたか、ということを書いたが、やはりこれも読む人次第ではMoetの自慢話である。
西洋の家は、『床の間』という限られた宇宙(=自分)空間を最小限のモノで表現するのではなく、居間全体を床の間とする傾向があるのでわたしの趣味ではない。
今の家にはマントルピースやニッチがあるので、そこがトコノミストにとっての床の間か、という感じではある。たしかにその小さい舞台/宇宙にいろいろ飾り付けるのは好きだ。
しかしながらトコノミストの真髄は物理的な空間にではなく、心情的なものにあると思う。
何かが現れては消える場、と言いますか。
それがまあ、ナルシシズムと自慢、に集約されているのだろう。
俳諧は床の間的な文芸だと思うので興味がある。
などなど...
もし岡本氏から入門許可のメールが来たら(来るわけないか)幸甚である。
身近に師はなくとも今後もトコノミスト道を精進していきたい(笑)。


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