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大人にできることはあるか




わたしは、大人の責任とは、未来ある子供達に「希望がない」「どうせ変わらない」と思わせないことと、自分は無力であるとは思わせないことだと思っている。


日本の大切な友達が厭世的な気持ちになっているようだ。

自然災害と酷暑続きのためもあるのかもしれないが、世の中の動きに対して、「庶民がいちいち反応しても何も変わらないから諦めている」とおっしゃる。
特に直接不利益を被るわけではないし、自然災害に比べたら人間のできる悪さは限られているしと。

日本は残念ながら諦めた大人が増えてしまったことによって今の現状があるのかもしれない。


『医科大で官僚のコネのある人が裏口入学させてもらっているのは? 
クールジャパンプロジェクトなんか莫大な税金を使ってほとんど失ってしまったどころかマイナスですよ? 
加計も、不要な施設に何十億と使うなら(<もちろん何十億も不必要な出費があるのはコネのある人が潤うため)、学校にクーラーを設置したり、保育所を増やしたり、被災地にもっとお金を出したりできると思うんですけれど...
カジノだって出資者は外資ですよ。日本にはほとんど利益は回ってこないと思うの...
東京オリンピックも企業や役員は潤うけれど、一方で無茶なボランティア動員...どうなっているんでしょう?』
(なんかすでにトピックが古びているように思えるところが世間の変化のスピードを表していますね)


と言ったら、逆になぜそんなに熱くなれるのかがわからない、どうせ変えられない、と取りつく島もない。


日本(人)には優れた面がたくさんあると前置きした上で言う。
日本人は、このままだと破滅するかもしれないと予想できる状況でも、「精神論でどうにかする」「臭いものにはフタ」「どうせ変えられない」「どうせなら全滅した方が」という思考停止に覆われてしまいやすい人々だと思う。もちろんわたし自身を含めてだ。
まさに彼女が言うように、歴史を通して過酷な自然災害が多発する国だったからそういう心理が形成したのかもしれない。

「どうせ何をしても変わらない」と諦めてしまうのは一種の思考停止だ。
批判的な目を持たず賞賛だけに偏るのも思考停止の一種だ(だから例えば宗教は思考の停止である)。
逆に独裁的な支配者は国民の思考停止を歓迎するだろう(わたしが支配者ならそう思う)。

思考停止がいけないと思うのは、地球上のどこに住んでいようと、この世界は今の自分たちのものだけではなく、人間以外のことも、子供たちのことも、ずっと先の未来のことも考えなければならないからだ。わたしが恩恵を受けてきたように、次世代に豊かな過去、楽しい現在、よりよい未来を受け渡したい。
別に熱くなっているわけではなく、それが当たり前だとわたしは思っている。

もちろん世間に厭世的な気分が広がり、どうせなるようにしかならないとか、縄文時代のシステムに戻れたらとか、鎖国できたらいいのにという気分がわくのも理解できる。
ひとりひとりの力はごく小さく、こんな話に熱くなっているモエは政治家でもジャーナリストでも運動家でもなく、すぐに変化が起こるわけでもないというのも真理だろう。

しかし...

去年、日本の高校生へのアンケートで6割以上の子が「自分ががんばっても社会を変えることはできない」と答えていたのを思い出す。
1人2人そういう子がいても大したことはないかもしれないが、さすがに6割を超えたら大きな変化になる。

大人の責任とは、未来ある子供達に「希望がない」「どうせ変わらない」と思わせないことと、自分は無力であるとは思わせないことだと思う。

幸い、それくらいは世の中に影響力のある人物でなくてもできることだ。

6割の子が社会を変えることはできないと感じているのは彼らの責任ではなく、われわれ大人の責任なのだ。
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