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凡庸な、それも才能



Nicolas MaesによるJacob Tripの肖像。
Jacobo Tripは鉄と武器を扱う最も成功した裕福なオランダ商人で、
レンブラントも肖像画を描いている(下)



ナショナル・ギャラリーで無料で開催されているミニ展覧会、Nicolaes Maes:
Dutch Master of the Golden Age
『ニコラース・マース:黄金時代のオランダ名匠』を見てきた。


ニコラース・マースはかの巨匠、レンブラント(1606ー1669)の弟子のひとりである。

素人のわたしの感想が許されるのなら、「超有名な巨匠の弟子だっただけ」の人だ。

マースによる、レンブラントの模写や、構図を真似た作品はたくさん残っている。
なるほど形態や色は天才から模倣できる一方、「巨匠を巨匠たらしめている何か」はどうしたってコピー不可能で、それだけを取り出すことはできないのであるな。

弟子が師から何かを習得する際、師匠を見るのではなく、師匠が見ている月を見よ、という。
この「師匠」は、別に実在する人間でなくてもいい。

師匠の眼を借りて月を見る弟子は、「真似」や「自分の成功」という私心を捨てたとき、弟子でありながら弟子ではなくなる。今の自分自身を超越した何かに憑依されてしまうのだ。

例えばそれをギリシャ神話ではミューズと呼び、モーツアルトは「自動筆記」と呼んだ。

マースの作品は、どれもこれもレンブラントの「ミューズ」だけを画面から洗い流して捨てたような作品が多い。



17世紀、稀有の大繁栄を遂げたオランダ(オランダはイギリスに先駆けて世界で最初に世界の「覇権国家」になった国である)では、富裕な市民階級が社会の中心になり、芸術作品も彼らのスタンダードに合わせて制作されるようになった。
画商という職業が誕生したのもこのころである。

絵画の主題も歴史や神話を題材にした大型から、市民階級が好む家庭生活や教訓、静物を題材にした小型に変化した。
内容も当然、理解に知識が必要なテーマから、誰が見ても分かりやすいテーマへと変化していく。

マースが後世に名を残し「名匠」とまがりなりにも呼ばれるのには、彼の凡庸さ、普通さ、ニュートラルさ、キッチュさ、あざとさ、土産物屋の品物風、といったものが、市民階級が中心となったオランダの黄金時代がまさに要請したものだったからかもしれない。

時代にぴったりと呼吸を合わせた名人。それも才能なのだ。

実際、彼が生きていた17世紀には結構人気を博したようで、最終的に肖像画家に転身し、亡くなった時には立派な財産があったそうだ。

一方で、レンブラントの芸術家人生には大きな浮き沈みがあり、しかしマーケットに迎合するより芸術を追求し、困窮のうちに亡くなっている。


以上は展覧会マース評ではなく、素人の意見、印象です。



レンブラントによるJacobo Tripの肖像。
ナショナル・ギャラリー蔵なので、写真を撮りに走った(笑)。ピンボケで失礼。
この写真では到底良さが伝わらないので、近々撮り直してきます。

この死期迫る老人の存在の淡い輪郭、預言者のような精神性...!!
二人の画家によるJacoboTrip夫人のMargaretha de Geerの肖像の比較はさらにおもしろい。
レンブラントはMargaretha de Geerの性格に、絵画の対象として
深い興味を持っていたのではないかとすら思えるほど。
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