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キッスは3回




ベルギーの習慣のうち、なかなか馴染めないものがいくつかある。

頬に3回キスのあいさつ。


ひさしぶりに会う友人やお祝などの機会に、感極まって抱き合うことはわたしでも全く自然にできるが(これをやる相手はたいていアメリカ人である)、頬に3回のあいさつは単に「かたち」である。

だから生理的に接近したくない人物にもせねばならないことがある。


男性がわたしの頬ではなく、唇をめがけて湿った口を突き出してきたりする時、「セクハラやん」と思うことも多々ある。


今夜もパーティーでそういう目に合い、わたしのテリトリーに入ってくるなああああ!という気持ちを押さえつつ、満面の微笑。
そういえば笑顔って緊張している時に作ってしまう表情なんだそうだ。
納得である。


反対に自分自身がニンニク料理を食した後などは、「ごめん!くさくて!」と心の中で謝りつつ、息を止めながら相手に接近してしまう...(笑)



ベルギー人の友人たちは、わたしが日本人でそのあいさつが苦手ということを知っているので、最近ではよほどの機会でない限り強制しなくなったが、娘にベルギーの正しいごあいさつを教えるためにも、わたしが逃げているわけにもいかなかったりして。


ちなみにこのあいさつ、女性同士、あるいは男性と女性間で行われるもので、わたしの周りに限って言えば、男性同士でしているのは見かけたことがない(握手か抱き合うか、ですな)。

ほら、やっぱりある種の男性からキスされるのは抵抗があるということじゃないのか?


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異常気象?




今日のブルージュ、わたしの車の温度計によると14.5度まで気温上昇。


ラジオで「この時期の観測史上最高気温を記録しました」との放送があった。
それほど暖かいのである。

庭の片隅では去年植えたアイリスの球根から芽が...


それにしてもこちらに住むようになってから天気のハナシばかりするようになった。
「なぜ人間は天気のハナシをするのか(好むのか)」考えてみると面白いかもしれない(きっとつまらないだろうと思うけど)。


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親しかった友人と連絡が途切れ、1年ぶりで電話があった時、彼は独身になっていた。



外資系大手の管理職に就き、郊外のかっこいい輸入住宅に夫婦と社会に出たばかりの子ども2人、レトリバー犬と暮し、休日は湖にヨットを浮かべるのが趣味で...
だが仕事以外は彼にとって、今ではすべてが昔日の夢。

ある夏の日、彼は留学生と恋に落ち、そのために離婚したそうだ。
その後彼女は帰国し、去年末は雪の東欧で再会したとか。



こういう話には必ず「恥知らずなバカモノ」とか「わがまままで幼稚な人」という反応がある。わたしはずいぶん年上の友人の恋による狂乱を笑って受けとめるだけの懐の深さはあるつもりだが...
たしかに利口な行動ではないかもしれない。


彼の恋がホンモノかニセモノか、すべてを賭けるか不倫で終わるか、実際のところは当事者にしかわからないことなのだ。

いいトシをして...たかが恋愛で...子どもや奥さんが気の毒...世間が言う通りなのかもしれない。


でも、哀しいかな、若いころは、独身のころは、決して解らないような、経験を積んだ後でしか巡りあわないような、そんな恋があるのではないかと思えてならないのだ。

まるである程度の年令に達したある秋の夕暮れ、突然「風の音にぞおどろかれぬる」という句が府に落ちた、身体で理解できた、といった具合に理解できるそういう恋が。



永遠の愛を誓いあっても人間は変わり、気持ちも変わって行く。

すべてのことは移り変わる。 だからこそ「今・ここ」という永遠、瞬間瞬間の気持ちを大切にして生きるしかない。

自分の感情の変化で他人を傷つけてもいいとは思わないが、おそらくそれも人生の相のひとつなのである。


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まめ男(お)の新年




わが夫、「まめ」なることイタリアン・ジゴロのごとし、である。



例えばわたしがドストエフスキーなぞを読みながら長風呂をしていると、「わざわざバカラ」のグラスにシャンパンを入れて持ってきてくれるし、パリに出張したらエルメスでサイズ7の手袋を、NYではマノロでサイズ37のハイヒールを買ってきてくれる。

家にいればそこいらを整えるのは当然のこと、窓ガラスを洗い、庭のテラスを掃除するのに余念がなく、家中を埋め尽くすほどの花を買うのが大好きである。

そんなまあ、わたくしにはもったいない徳(?)の高い男なのである。


そんな彼が意外とできなかったことの一つに「料理」がある。
作れるのはゆで卵とスクランブルド・エッグだけ、というマノロのハイヒールからは想像もできない原始的メニュー。


しかし、とうとうこのヴァカンス中、料理に目覚めジェイミー・オリバーの料理の本を買ってきたのである。
そして産まれて初めて作ってくれた料理が「桃を詰めたポーク・チョップのロースト、フレッシュ・タイム風味」。


....


まるで、やっとこさ彼氏ができた女が張り切って「鯛と蕪蒸し」などを作ってしまうその心に似ているではないか。

初めは「肉じゃが」くらいにしとけよ。

その後、料理魂に火がつき、初心者によくある過ちを繰り返しつつ(料理のレシピに指定されている材料がなければ作れない、
料理が終了するころキッチンが半壊滅状態...)今日もすごいんだかなんだか分らないような料理を食べさせられる妻である。

「まめ」度、確実にアップしていっているようである。


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Knoningskroon (王様の冠)




本日はKnoningskroon (王様の冠)の日。

正式にはEpiphany(公現祭)、キリスト教の祝日。
 

ベツレヘムに誕生したイエス・キリストを東方の三博士が訪れた日が今日1月6日(クリスマス後の12日目)。 
ユダヤから見て異邦人である三博士(三大陸を象徴)の来訪により、キリストの救いがユダヤ人の外に広がったことを祝う日なのだそうである。


このお祝にベルギーやフランスでは、ポーセリンのミニチュア人形の入ったケーキ(パイ)を食べる習慣があり、切り分けたケーキの中に人形が入っていた人は「大当たり」、一日中、王様/女王様として振る舞えるのだ。


このケーキを使って「王様ゲーム」がやりたい、大人はみんな言う。


子どもがいる友人達を招いてお茶会にしたのですが、ポーセリン人形が当ったのは友人パパの1人であった。


当らなかったと言って泣き出す子どもがちらほら。

ほら、この金の冠をかぶった王様も困った顔をしている...


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