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山のお寺の鐘がなる








夕焼けでお家に帰りたい

というよりも
飲みに行きたいです。

丸い大きなお月様が出て、
きらきら金の星が出る頃まで。

飲み友達募集中。
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蓋を開けないで@「ジゼル」








珍しく映画館で映画を見た。

ボリショイ・バレエからの生中継、スヴェトラーナ・ザハロワ(Svetlana Zakharova)の「ジゼル」。


スヴェトラーナはやはり別格だった。
小さな頭(顎から頭の先までのサイズが、手首の中央から中指の先までと同じ?!)、ありえないほど細長い首と細長い手足、それだけでも恵まれているのに、あの技術と優美さ。表現力は、特に彼女は「影のある暗い女」を踊ると天下一品だ。

彼女が舞台に登場しただけで(しかも生ではなく、生中継ですよ?)、涙が腹の辺りから湧いてきて毛穴から漏れそうな気がしたほどだった。

なぜか? 「ジゼル」は数え切れないほど見たことがあるので、音楽も振り付けも予測ができる。それがワクワクの元だ。しかしその予測は必ずよい意味で裏切られる、これに感動するのだ。


終わってからは感情の蓋が開いたようになり、夫に八つ当たりしてしまった。

ジゼルには怒りと不満、許しや愛などの感情があると思うのだが、わたしの場合、怒りと不満がドバーッとあふれ出てきたのだ。ああ、なぜ許しと愛の方があふれ出ないのだ?
感情の蓋が開いたとき、ネガティブな感情よりもポジティブな感情のほうが溢れ出る、そんな人になりたいもんですな。

スヴェトラーナのジゼルはそれほどの「何か」だったのだ。
まさにまさにまさにーっ! 当代一のバレエの女神。


アルブレヒトのセルゲイ・ポルーニンも素晴らしかった。彼、頑張ってバレエに取り組んでいるのですね...


(写真はwww.teatroallascala.orgより)
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ゴヤ、すべての者の泉




ナショナル・ギャラリーで始まったゴヤ展へ。

ゴヤの肖像画だけを集めた展覧会。


語彙の少ないわたくしが天才ゴヤの大迫力作品群をどう説明したらいいのだろうか...と考えていたらウィキペディアにこんなことが書いてあった。

彼の生地はスペイン北東部サラゴサ近郊のフエンデトードス、すなわち「la fuente de todos 総ての者の泉」。

すべての者の泉!

肖像画に描かれた人々の、外見の特徴、性格、知性、嗜好、魅力、身分などを平面上に現す、彼は豊かで永遠に尽きない「泉」のようだ。


ほとんど門外不出のPortrait of the Duchess of Alba(写真の中央、あの有名な絵)も来ており、この絵の前に座ってこれを鑑賞するだけでも来館する理由があると思った。
当然のことだが、実物は今までに見た写真とはどれとも違っていて、ものすごい吸引力。ブラックホールのような絵だ。
モデルのアルバ公爵夫人はこの絵の通りにエキセントリックな人物で、化粧を、ゴヤにさせたそうですよ...


次の予定のために最後の何枚かは鑑賞できなかったので、次回がまた楽しみ。
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受賞者のインタビュー




今年も日本人の研究者がノーベル医学生理学賞と物理学賞を受賞した。

フレー!

どのマスメディアも彼らの研究の内容について一般大衆にわかりやすいように説明するよりも、生い立ちや経歴を感動的に説明する方に熱心だ。まあ毎度のことだから驚かないけど。オリンピックでメダルを取った選手に関しての記事もそうなりがちですよね。

日本人が受賞したことが誇らしいというよりも、研究内容に注目すべきだ。
そのとおりだ。が、わたしがおふたりのインタビューを読んで、人間とはこんなに誇らしいのだと感動したのは事実。科学者を目指している娘に説教したいことが医学生理学で受賞された大村先生のインタビューにはぎっちり詰まっていたので、自分が忘れてしまわないようメモ代わりに記しておきたい。


「他の人の真似はしない。同じことはしない」
「すべて世のため、人のため」
「全部微生物のおかげ。周りで支えてくれた人のおかげ」
「失敗を恐れるな」
「次の世代に仕事を引き継ぎたい」


しかもユーモアのセンスがあり、スポーツがおできになる。
新薬開発の特許で莫大な富を得、それを研究所や美術館や地元に還元されたという怜悧さもすばらしい。
「子供の頃叩き込まれた農作業の知識が研究に役に立った」というのも素敵だな。

きっといつも機嫌のいい方なのだろうと推測する。なぜなら、機嫌が良い人でなければ「大体のことは失敗する。でも何回か繰り返すと「またやろう」と思って、やる気になるんです」なんてありえないもの。

不肖わたくしもいつも娘に「成功するのはハッピーな人」と言い聞かせているが、まさにこのことなのである。


「菌を分離した時にはわからない、何年後かにわかる」というくだりは、科学者として最も大切な態度のひとつだが、教育する側も心すべきだと思う。
昨今、すぐに結果や行為の利益が出るような教育が期待され、例えば日本の人文社会科学系学部の存続問題にもつながっているが、われわれは子供の成長や勉強や研究には時間がかかるということを忘れてはいないだろうか。

梶田先生も「この研究はすぐに役立つようなものではなく、いい言葉でいえば人類の知の地平線を拡大する」とおっしゃった。
そうなのだ、すべての学問は、即戦力になる技術を習得するためにではなく、地の地平線を拡大するためにある。

すぐに役に立つとか、すぐに金になるとか、そういうセコい考え方は教育や学問の現場ではもうやめましょうよ。

と、思ったのだった。


(インタビューは10月6日、7日の毎日新聞デジタル版を参考にした)
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raven girl




ロイヤル・バレエのRaven Girl(カラス少女)をサラ・ラム(Sarah Lamb)で。

アメリカの作家、 オードリー・ニッフェルガー(Audrey Niffenegger)による「ダークな童話」が原作の異種婚姻譚だ。

「ダークな童話」とあちこちで解説されているのは、例えばグリム童話などに採集された民話は、基本的に残虐さや性描写にあふれており、その系統ということか。


以下話の筋書きが含まれます。

人間の男性とカラスの間に生まれた少女が、性同一性障害ならぬ、種同一性障害に悩み(カラスの心を持ちながら人間の体に囚われている状態だという)、手首を切り落としてカラスの羽をもらうという選択をする。その後、カラスの王子と結ばれハッピーエンド...

と、観客は(少なくともわたしは)ありきたりな価値観を破壊されて宙ぶらりんに取り残されるという大変魅力的な話。


全体の語り口が少々ばらけているような気がし、ただ物語を最初から最後まで淡々と舞踏で語るのではなく、どこかにもっとフォーカスしたほうがよりよい「物語バレエ」になるのではないかと思ったが、グリム以前の、善悪の判断なしに話を丸ごと受け入れろと要求してくる素朴な民話を舞台芸術で語る、という行為を重視するならこれでいいのかもしれない。

他にはカラスのコスチュームが素晴らしいと思った。特にマスク! 


サラ・ラム、先日はこのように批判したが、やはりすごいダンサーである。
人間の脳は、身体よりも自分のほうがずっとインテリジェントだと思っているが、脳が解釈を始めるよりも前に身体が優れた解釈を下して動き始めていて...

実は身体のほうがずっとインテリジェントなのである。

カラス少女も、彼女の身体が「カラスになる」という判断を下したのだ、きっと。


(写真はthegardian.comより)
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