(県民大会翌日、10日(月)の琉球新報朝刊。膨大な参加者となった会場の雰囲気がうまく撮影されている。)
(10万1千人が集まったオスプレイ配備反対県民集会)
いよいよ今日(9日)は、オスプレイ配備反対の県民集会の日。朝9時、オスプレイにバッテン印がついた真っ赤なTシャツを着て家を出る。
(那覇市内にも、大会のシンボルカラー、赤の布を掲げた家が)
宜野湾の大会会場には10時前に着いた。高江住民の会の人たちと一緒に、参加者へのチラシ撒きを続ける。
午前11時、いよいよ大会が始まった。もう会場は見渡すかぎり赤いTシャツの人たちでいっぱいだ。知事の不参加宣言で水をさされたのではないかと心配していたが、よかった。
会場では、「やんばるの森にヘリパッドはいらない」の緑の旗の下に高江の人たちと一緒に座った。皆で、「たかえをまもれ」のプラカードを掲げる。この大会は、オスプレイ配備反対といいながら、オスプレイの訓練場となる高江のヘリパッド建設反対には一言も触れていないのだ。
(1959年6月30日 宮森小学校への米軍ジェット機墜落事故を忘れるな! 「石川・宮森630会」)
沖縄国際大学の女子学生が、「今日のこの青い空は、アメリカのものでもない、日本のものでもない、沖縄県民の空だ。」 と訴えて、会場から拍手がわき上がった。その後、大会を欠席した仲井真知事のメッセージが代読されると、会場のあちこちから、「やめろー」「読むなー」のブーイングがいっせいに起こったが当然だろう。
途中で参加者数が発表された。10万1千人とのこと。今までの県民大会で最大の参加者数だ。いっせいにワーという歓声が湧き上がる。
1時間ほどで大会も終わりに近づいた。今までの発言で高江のことに誰も一言も触れないのに業を煮やし、高江の住民らと一緒にステージの前に出ていった。そして、「たかえをすくえ」のプラカードを壇上に示し、大声で訴える。下地幹朗議員がチラチラとこちらを見ている。今、高江の工事を請け負っている大米建設は、彼の親族会社なのだ。
(壇上の主催者らに高江の問題を訴える住民の会)
そして最後に挨拶にたった加藤弁護士(沖縄弁護士会会長)が、次のように発言された。
「宜野湾市の空にオスプレイはいらない。
嘉手納の空にもオスプレイはいらない。
そして、
高江の空にもオスプレイはいらない!」
県民大会で初めて「高江」がでてきたのだ。皆で、歓声をあげる。
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<オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会の決議(全文)>
沖縄県民は、米軍基地の存在ゆえに幾多の基地被害をこうむり、1972年の復帰後だけでも、米軍人等の刑法犯罪件数が6000件近くに上るなど、米軍による事件・事故、騒音被害も後を絶たない状況である。
1995年9月に、米海兵隊員3人による少女暴行事件が起こり、同年10月には事件に抗議する県民総決起大会が行われ、8万5千人もの県民が参加し、米軍に対する怒りと抗議の声を上げた。県民の強い抗議の声に押され、日米両政府は、96年の日米特別行動委員会(SACO)により米軍普天間基地の全面返還の合意を行った。
しかし、合意から16年たった今日なお、米軍普天間基地は市街地の真ん中に居座り続け、県民の生命・財産を脅かしている。
そのような中、日米両政府は、この危険な米軍普天間基地に「構造的欠陥機」であるオスプレイを配備すると通告し、既に山口県岩国基地に陸揚げがなされている。さらに、オスプレイは米軍普天間基地のみでなく、嘉手納基地や北部訓練場など、沖縄全域で訓練と運用を実施することが明らかとなっており、騒音や墜落などの危険により、県民の不安と怒りはかつてないほど高まっている。
オスプレイは開発段階から事故をくり返し、多数に上る死者を出し、今年に入ってからもモロッコやフロリダ州で墜落事故を起こしている構造的欠陥機であることは、専門家も指摘しているところであり、安全性が確認できないオスプレイ配備は、到底容認できるものではない。
沖縄県民はこれ以上の基地負担を断固として拒否する。そして県民の声を政府が無視するのであれば、我々は、基地反対の県民の総意をまとめ上げていくことを表明するものである。
日米両政府は、我々県民のオスプレイ配備反対の不退転の決意を真摯(しんし)に受け止め、オスプレイ配備計画を直ちに撤回し、同時に米軍普天間基地を閉鎖・撤去するよう強く要求する。
以上、決議する。
2012年9月9日
オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会