なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

ブラックジャック展

2023年10月19日 | 

へ。

久しぶりに読みましたけど、考えるところ多し。

 リアルタイムで読んでた(贅沢な・・)わけですが、当時のチャンピオンは凄いラインナップで。「ドカベン」「がきデカ」「マカロニほうれん荘」「750ライダー」、後半は「百億の昼と千億の夜」なんて、萩尾望都さんまで連載を持ってましたっけ。すごっっ。で、手塚治虫さんは、子供らの間で流行ってた「マンガの描き方」系の本では、必ず「マンガの神様」とか称せられてた人なのに、その人が他の漫画家と混ざって普通に連載を持ってる、というのが、当時はすごくヘンな感じがしてたんです。なんかこう、「歴史上の人物」みたいに捉えてたところがあって。

 で、BJ。改めて読むと、一話一話のクオリティが高くて。。。。こんなお話が毎週のように提供されるのを、全くもって疑問に思ってなかったんだから、子供って残酷ですわねえ・・・。この展覧会、中心が原画&各話の粗筋という構成だったもんで、ついつい読んでしまう。きっちり覚えてるから、驚くんですが。

 でねえ、この展覧会の主たるテーマのセリフ「医者はなんのためにあるんだ!」ですけど、自分的には明快な回答があります。だから、ぶれない。あーよかった、BJに騙されて医者等々医療にかかわる仕事についちゃった人は多そうだし、自分もその一人だけども、BJ氏が色々考えたり疑問を呈する点について、明快に返せる事ばかりになってるから、まあ、この仕事が向いてたんでしょうね。

 医者は何のためにあるか、こりゃあ勿論「納得」のため、と断言できます。人にせよ動物にせよ、死んじゃう、という理不尽に対抗する手段は悪いけどごく最近までなかった。だから、無理やり納得させるために宗教が出来上がったんだと思う。しかし、今や医療は、こうこうこうで、こういう病気です、こういう治療をして、うまくいけば治ってバンザイ、うまくいかなくても、こういう経過でこうだから、ま、しゃあない、という納得感が得られるようになってきてるのね。

 人間の医療で、気の毒だと思うのは納得感が相変わらず得られにくいことで、どうしてかというと、なにせ、なんでもやらせちゃうから~~。輸液でも胃婁でも、まあ他にもあーだこーだ、延命だの治療法だの、本人が拒絶しても家族がそれを認めない、んでずるずる、もっとこうすべきじゃないか、ああすべきじゃないか、きりがない。医療の進歩が逆に納得感を生み出せてないきらいがあるようで。

 獣医療は、そこのとこが、限界が大きいのだ。動物は、「治療されてる」とか「手術されてる」とか、全く理解しない。だから、嫌になっちゃえば軽く拒否するし、輸液とかしても、自分で管を引っこ抜いて終了なんて普通。色々限界が大きいから、その中であれこれ工夫して、やれる範囲でやる、それでオダブツなら、もうしゃあない、となることが当院では殆ど。他院では、それに「金」が加わって、飼い主がいびられたりするようなんですけどね、そんな事をやる病院はヤブだから、サクッと病院を変えた方がいいのさ。

 やるだけやったんだから、もうしゃあないわ、という納得感を飼主・患者・医療側がそれなりに持てるかどうか、これが、重要で、最終的にはそのために医療があるんだろう、と思ってるんですよ。

コメント
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