岳友のY井カメラマンが、「面白いから」と悪書を1冊貸してくれた。
毎月中盤は、10日に「BE-PAL」、15日に山と渓谷が出るので、
それ以外の本を読むのはどうしても月末から月初にかけての時期になる。
そういうことで、前回、Y井カメラマンと沢登りに出かけたときには
まだ読めていなかった。
で、「反社会学講座」(パオロ・マッツァリーノ著)を読んだ。
まあ、大真面目にフザケているのが愉快痛快。書いてあること自体は
それほど意外なことではないのだが、社会学的手法をあざ笑いながら、
しっかりその手法に乗って世の中のいろんな現象を突っつく。
自論と反する3段論法の説には、開き直りの3段論法と、一見、
権威があるのかどうかも分からない引用を巧妙に散りばめて、目くらまし。
スイスイと読み進むと、「うんうん、その通りだ、パオロさん!」と
拍手喝采してしまうから、この人の文章力と、底意地の悪さは天下一品だ。
じつはMr.Dash、大学時代に社会学を専攻していた。
ゼミの先生だったか、特別講義の木津川計さんだったか忘れたが、
社会学とはすべての常識を疑い、既成の概念(パラダイム)とは別の
切り口から事の本質を導き出す、要するに世界を斜めから読む「斜界学」で
ある、この視点で物事をみれば、決して「社会が苦」にはならない、
そんなことを教えてもらった。
そういう見方をしなければ社会学にならないのかナと、さらにひねくれた
理解をしつつ、たしかに社会学的アプローチは、それなりに愉快だった。
かつて、シンガーソングライターのさだまさし著書で、世の中の
主流を避けて避けて、そうじゃないほうへ自分をもっていった、みたいな
ことを書いていた。
メジャーかマイナーかを選ぶのは個人の趣向だとしても、メジャーは何かと
いうことを常に客観的に見ていなければ、マイナーにも進めない。
Mr.Dashは、思い返せば高校生くらいから、どうも、世の中の流行や
代表的な世論といったものから、反対のほうを選んできたような気がする。
その生き方に正当性を与えたのが、社会学的アプローチなのだ。
このコジツケで偏屈な学問がなければ、Mr.Dashは単なる
身勝手でいいかげんな遊び人で、いつまでも”オトナ”になりきれない
アホな奴であり、お茶目でなくなる。
パオロ・マッツァリーノさんがどんな人だか知らんが、きっとお茶目な
人に違いない。
毎月中盤は、10日に「BE-PAL」、15日に山と渓谷が出るので、
それ以外の本を読むのはどうしても月末から月初にかけての時期になる。
そういうことで、前回、Y井カメラマンと沢登りに出かけたときには
まだ読めていなかった。
で、「反社会学講座」(パオロ・マッツァリーノ著)を読んだ。
まあ、大真面目にフザケているのが愉快痛快。書いてあること自体は
それほど意外なことではないのだが、社会学的手法をあざ笑いながら、
しっかりその手法に乗って世の中のいろんな現象を突っつく。
自論と反する3段論法の説には、開き直りの3段論法と、一見、
権威があるのかどうかも分からない引用を巧妙に散りばめて、目くらまし。
スイスイと読み進むと、「うんうん、その通りだ、パオロさん!」と
拍手喝采してしまうから、この人の文章力と、底意地の悪さは天下一品だ。
じつはMr.Dash、大学時代に社会学を専攻していた。
ゼミの先生だったか、特別講義の木津川計さんだったか忘れたが、
社会学とはすべての常識を疑い、既成の概念(パラダイム)とは別の
切り口から事の本質を導き出す、要するに世界を斜めから読む「斜界学」で
ある、この視点で物事をみれば、決して「社会が苦」にはならない、
そんなことを教えてもらった。
そういう見方をしなければ社会学にならないのかナと、さらにひねくれた
理解をしつつ、たしかに社会学的アプローチは、それなりに愉快だった。
かつて、シンガーソングライターのさだまさし著書で、世の中の
主流を避けて避けて、そうじゃないほうへ自分をもっていった、みたいな
ことを書いていた。
メジャーかマイナーかを選ぶのは個人の趣向だとしても、メジャーは何かと
いうことを常に客観的に見ていなければ、マイナーにも進めない。
Mr.Dashは、思い返せば高校生くらいから、どうも、世の中の流行や
代表的な世論といったものから、反対のほうを選んできたような気がする。
その生き方に正当性を与えたのが、社会学的アプローチなのだ。
このコジツケで偏屈な学問がなければ、Mr.Dashは単なる
身勝手でいいかげんな遊び人で、いつまでも”オトナ”になりきれない
アホな奴であり、お茶目でなくなる。
パオロ・マッツァリーノさんがどんな人だか知らんが、きっとお茶目な
人に違いない。