Mr.Dashのぶろぐ館

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2022年3月16日(水) 宇陀にある神武伝説の低山、菟田の高城、高倉山、城山をめぐる!

2022年03月18日 | 山登りの記録
■メイン写真
360度のビューが楽しめる宇陀松山城跡


■今回のコース
桜実神社前バス停→桜実神社→菟田の高城→桜実神社前バス停⇒高倉口バス停→五社大明神→
高角神社(高倉山)→高倉口バス停⇒道の駅宇陀路大宇陀→宇陀松山城跡(城山)→春日神社→
松山の歴史的町並み→道の駅宇陀路大宇陀


宇陀周辺には、神武天皇ゆかりの「高倉山」の候補地が5座あるという。
この日は、「らくらく山歩の会」で、その中から大宇陀区の高倉山と、宇陀松山城跡の
城山を歩く。
他の3座は、榛原の福地岳、諸木野の高城山、そして東吉野村の霧氷で知られる高見山だ。

神武が高倉山に登ったのは、菟田(うた)の穿邑(うがしむら)で饗宴を開いた後、
吉野川流域の有力者たちと出会い、再び宇陀へと戻ったときだ。
これから征服する大和盆地の様子を、山頂から眺めたと伝わる。



まずは桜実神社へ。ここには神武が植えたと伝わる「八つ房杉」を訪ねる。



幹周り9m、樹高14mだが、この杉の特徴はサイズだけにあらず。
ひとつの株が8本の幹に分かれ、それぞれが複雑に絡み合っている姿はまるで
ヤマタノオロチのようだ。
樹齢は書かれていない。2600年と言いたくなる人が出てくるからだろうか。



すぐ近くの小ピークが菟田の高城だ。石碑がある。
神武が八咫烏に導かれて熊野から大和に進軍したとき、ここに城を築き、軍隊を休憩させた。
そのことから、日本最古の城の跡とされる。



続いて高倉山(高角神社:たかつのじんじゃ)へ。入口に石鳥居が立つ。



参道の途中にある五社大明神。ここにも神武碑がある。



平らにならされた小ピークに、高角神社が鎮座する。
式内社なので、平安時代初期から朝廷に重視されてきた由緒ある神社だということだ。



高倉山の山頂には、本殿の祠の横に寛政11年(1799年)の石碑と、奥の平坦部平に、
昭和15年の「神武天皇高倉山顕彰碑」がある。
高角神社そのものは、元々城山にあったのを、宇陀松山城の築城の際にここに遷座したとの
伝承もあるという。

続いて、宇陀松山城跡(城山)を訪ねる。



まちづくりセンター(千軒舎)の裏からアプローチ。
隣接する薬草園の敷地内の梅が満開。いい香りがした。



コンクリート舗装の立派な道を行く。山頂まで600m余りだ。
城跡の歴史や構造を説明する看板もあって便利だ。



ネコノメソウが咲いていた。



南西虎口の雀門跡には、わずかに石垣が残る。



だだっ広い山頂に到着。東にある少し小高い台地が天守跡だ。

山頂からは、みごとな展望が開けている。
ここが「高倉山」だったとすれば、神武軍は、大和の軍の様子もよく分かっただろう。
個人的には、5つの候補の中ではここが最も「それらしい」感じを受ける。



南の方角に見える大峰山系。山上ヶ岳や稲村ヶ岳あたりが見えているのだろう。
まだ白い雪を頂いている。



北側は、鳥見山、貝ヶ平山、香酔山、額井岳といった榛原付近の山々が一望できる。



ここ数日、急に春の陽気となっている。スミレが花を咲かせていた。



別のルートから下山し、春日神社に寄る。
手水舎の後ろの石垣に人工の穴があり、城に続く秘密の抜け穴だとの伝説がある。



山から下りたら、松山の街並みをそぞろ歩く。
江戸、明治時代の古い建物が多く残り、ノスタルジーあふれる情緒が感じられる。
豪華な屋根付きの看板を備えた建屋は、大宇陀歴史文化館「薬の館」だ。

ラストは街道沿いにあるパティスリー「アナンダ」や、道の駅「宇陀路大宇陀」で
買い物を楽しむ。のんびり・ゆったりした一日だった。

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