■メイン写真
金山の山頂部にある名所、「鬼の架け橋」。
■今回のコース
追入神社→尾根分岐→滝跡→園林寺跡→金山(城跡)→鬼の架け橋→園林寺跡→
尾根分岐→大乗寺→追手神社→セツブンソウ群落
今年は大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で、丹波の山城跡がさわがしい。
今回登った金山は、旧多気郡とは旧氷上郡の境に位置し、
山頂部に築かれた金山城(きんざんじょう)跡も、明智光秀ゆかりの山城だ。
氷上郡を見渡せる金山城は、光秀が八上城を攻略するための陣城だ。
黒井城から八上城への支援を断つことを目論んだという。
追入神社の近くに車を停める。
追入地区には、明智光秀の埋蔵金伝説があるらしい。
登山口には、「光秀ゆかりの~」のノボリがいっぱい。
地元、力が入っている!!
登り始めてすぐにある廃寺。背左に千手観音の石像が残るが、
お堂の中は何も残されておらず、まさに「がらん堂」。
その先には、「貫」の部分が落ちて「笠木」がかろうじて残っている、
今にも崩れそうな鳥居をくぐる。すぐ先に獣除けゲートがある。
歩きやすい山道が続き、尾根の分岐に出る。
分岐のすぐ上に、アンテナと大山荘の展望地がある。
眼下の大山地区に広がる田園「大山荘」は、古くからの荘園である。
空海が創立した日本最古の私学「綜芸種智院」を、空海の死後に売却した資金で、
845年、藤原良房からこの地を買い、東寺の荘園になったという。
尾根道を北へ進んでいくと、「滝跡」への分岐がある。
なんだろうと、とりあえず行ってみる。
ルートは一部、路肩が崩れて歩きにくかったが、100mほどトラバースすると
巨大な岩壁が現れた。確かに谷筋は水がなく、滝の姿はない。
後で知ったが、この岩は行者岩と呼ばれる。
元の道に戻ると、ほどなく園林寺跡に着く。縁起が説明板に書かれていた。
もと日蓮宗円光寺の末寺で江戸末期に村からこの地に移され、明治末期から大正時代は
尼寺となり栄えたという。先ほどの「滝跡」は、かつての滝行の場で、岩壁の上に
役行者と、岩壁の割れ目に不動明王が祀られていたという。
日蓮宗で、尼寺で、修験道という、なんともよく訳の分からない推移だ。
寺跡の上に3本の道に分かれる分岐があり、真ん中の道をとると金山の山頂に突き上げる。
頂上は平らにならされ、石垣の名残もみられる。山城があったことが容易にわかる。
山頂は雑木が刈り払われ、四方は絶景。捨てられた雑木と、まだ新しい切り株をみると
どうやら最近、伐採されたようだ。
北側に黒井城址が見える。光秀勢も、こうして向こうを見ていたのだろう。
山頂のすぐ西側は垂直の岩壁になっている。
回り込むと、巨岩がバランスよく浮いている。鬼の架け橋だ。
浮世絵師・安藤広重が丹波に来て、「日本六十余州名所絵図」の中で、これを描いた。
1449年の丹波地震でできたとの記録があるという。
架け橋の下をちょっと潜ってみるが、足元はもう断崖絶壁である。
付近の巨岩のどれかが天狗岩、軍艦岩なのだが、特定するに至らず。
下山は元の道を戻り、尾根の分岐からさらに南へ下る。
獣除けの柵を通り過ぎると大乗寺側の登山口に出る。
大乗寺は真言宗の寺。そうか、金山の修験臭はこっちの寺の影響か。
舗装道で村に出る途中、立派な山門があった。
大乗寺も、かつてはかなり大規模だったのだ。
あまりに立派なヤマザクラがあったので寄り道してみたら、おそらく大乗寺の
ものだろう、卵塔群があった。歴代住職の墓だろう。
村道に出ると大きな案内板があり、横の橋が和泉式部ゆかりの「別れじの橋」で
あることが分かった。
大江雅致の娘・和泉式部は平安時代の歌人で、恋多き女性として知られる。
丹波への旅の途中に子どもを宿し、ここ大山宮で女児を産み「加祢」と名付けた。
加祢を乳母に預け、泣きながら別れた場所だという。
ちなみに加祢は美しく成長し、再びこの地を訪れた和泉式部と再会。
京に連れ帰られると「小式部の内侍」として有名なこの和歌を詠む。
「大江山 生野の道の遠ければ まだ文も見ず 天の橋立」
追手神社に到着。創立年は不明ながら1000年以上の歴史があるという。
境内には巨木が3種。
中でも「千年モミ」は樹高35.58m、幹周7.68m。国指定天然記念物である。
平成元年度の調査で、日本最大級のモミと判明した。
この他にも、推定樹齢350年の夫婦イチョウ、樹高30m、幹周4.9mのエゾエノキが
ある。それぞれをしばらく見上げていると、首が痛くなった。
大山宮の村落の裏手に、春の妖精たちが咲くエリアがある。
最後にそこに立ち寄る。
フキノトウが春を告げる。ここは採取禁止エリア。
この日はたまに雪がちらつく寒い日。気温不足でアズマイチゲは花が閉じていた。
キクザキイチゲ、ユキワリイチゲ、ニリンソウ、キバナノアマナは見なかった。
セリバオウレン。デリケートな感じがいい。
この日、最も多く咲いていたのがセツブンソウ。斜面一面に咲き乱れていた。
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金山の山頂部にある名所、「鬼の架け橋」。
■今回のコース
追入神社→尾根分岐→滝跡→園林寺跡→金山(城跡)→鬼の架け橋→園林寺跡→
尾根分岐→大乗寺→追手神社→セツブンソウ群落
今年は大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で、丹波の山城跡がさわがしい。
今回登った金山は、旧多気郡とは旧氷上郡の境に位置し、
山頂部に築かれた金山城(きんざんじょう)跡も、明智光秀ゆかりの山城だ。
氷上郡を見渡せる金山城は、光秀が八上城を攻略するための陣城だ。
黒井城から八上城への支援を断つことを目論んだという。
追入神社の近くに車を停める。
追入地区には、明智光秀の埋蔵金伝説があるらしい。
登山口には、「光秀ゆかりの~」のノボリがいっぱい。
地元、力が入っている!!
登り始めてすぐにある廃寺。背左に千手観音の石像が残るが、
お堂の中は何も残されておらず、まさに「がらん堂」。
その先には、「貫」の部分が落ちて「笠木」がかろうじて残っている、
今にも崩れそうな鳥居をくぐる。すぐ先に獣除けゲートがある。
歩きやすい山道が続き、尾根の分岐に出る。
分岐のすぐ上に、アンテナと大山荘の展望地がある。
眼下の大山地区に広がる田園「大山荘」は、古くからの荘園である。
空海が創立した日本最古の私学「綜芸種智院」を、空海の死後に売却した資金で、
845年、藤原良房からこの地を買い、東寺の荘園になったという。
尾根道を北へ進んでいくと、「滝跡」への分岐がある。
なんだろうと、とりあえず行ってみる。
ルートは一部、路肩が崩れて歩きにくかったが、100mほどトラバースすると
巨大な岩壁が現れた。確かに谷筋は水がなく、滝の姿はない。
後で知ったが、この岩は行者岩と呼ばれる。
元の道に戻ると、ほどなく園林寺跡に着く。縁起が説明板に書かれていた。
もと日蓮宗円光寺の末寺で江戸末期に村からこの地に移され、明治末期から大正時代は
尼寺となり栄えたという。先ほどの「滝跡」は、かつての滝行の場で、岩壁の上に
役行者と、岩壁の割れ目に不動明王が祀られていたという。
日蓮宗で、尼寺で、修験道という、なんともよく訳の分からない推移だ。
寺跡の上に3本の道に分かれる分岐があり、真ん中の道をとると金山の山頂に突き上げる。
頂上は平らにならされ、石垣の名残もみられる。山城があったことが容易にわかる。
山頂は雑木が刈り払われ、四方は絶景。捨てられた雑木と、まだ新しい切り株をみると
どうやら最近、伐採されたようだ。
北側に黒井城址が見える。光秀勢も、こうして向こうを見ていたのだろう。
山頂のすぐ西側は垂直の岩壁になっている。
回り込むと、巨岩がバランスよく浮いている。鬼の架け橋だ。
浮世絵師・安藤広重が丹波に来て、「日本六十余州名所絵図」の中で、これを描いた。
1449年の丹波地震でできたとの記録があるという。
架け橋の下をちょっと潜ってみるが、足元はもう断崖絶壁である。
付近の巨岩のどれかが天狗岩、軍艦岩なのだが、特定するに至らず。
下山は元の道を戻り、尾根の分岐からさらに南へ下る。
獣除けの柵を通り過ぎると大乗寺側の登山口に出る。
大乗寺は真言宗の寺。そうか、金山の修験臭はこっちの寺の影響か。
舗装道で村に出る途中、立派な山門があった。
大乗寺も、かつてはかなり大規模だったのだ。
あまりに立派なヤマザクラがあったので寄り道してみたら、おそらく大乗寺の
ものだろう、卵塔群があった。歴代住職の墓だろう。
村道に出ると大きな案内板があり、横の橋が和泉式部ゆかりの「別れじの橋」で
あることが分かった。
大江雅致の娘・和泉式部は平安時代の歌人で、恋多き女性として知られる。
丹波への旅の途中に子どもを宿し、ここ大山宮で女児を産み「加祢」と名付けた。
加祢を乳母に預け、泣きながら別れた場所だという。
ちなみに加祢は美しく成長し、再びこの地を訪れた和泉式部と再会。
京に連れ帰られると「小式部の内侍」として有名なこの和歌を詠む。
「大江山 生野の道の遠ければ まだ文も見ず 天の橋立」
追手神社に到着。創立年は不明ながら1000年以上の歴史があるという。
境内には巨木が3種。
中でも「千年モミ」は樹高35.58m、幹周7.68m。国指定天然記念物である。
平成元年度の調査で、日本最大級のモミと判明した。
この他にも、推定樹齢350年の夫婦イチョウ、樹高30m、幹周4.9mのエゾエノキが
ある。それぞれをしばらく見上げていると、首が痛くなった。
大山宮の村落の裏手に、春の妖精たちが咲くエリアがある。
最後にそこに立ち寄る。
フキノトウが春を告げる。ここは採取禁止エリア。
この日はたまに雪がちらつく寒い日。気温不足でアズマイチゲは花が閉じていた。
キクザキイチゲ、ユキワリイチゲ、ニリンソウ、キバナノアマナは見なかった。
セリバオウレン。デリケートな感じがいい。
この日、最も多く咲いていたのがセツブンソウ。斜面一面に咲き乱れていた。
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