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「山と渓谷3月号」にも本の紹介が載っていたのでご記憶の方もいらっしゃることと思うが、2003年10月に、ヒムルン・ヒマールで遭難死した野沢井歩さんを偲び、日本ヒマラヤ協会の山森欣一氏が編集した本が出た。
といっても書店では買えないもので、同協会に直接頼まないと手に入らない私家本である。それを、ともちゃんに頼んでもらって、わざわざ取り寄せた。
野沢井歩さんは、最後の富士山の強力であり、日本を代表する登山家だった。なぜMr.Dashがこの人の本を?と思われるだろうが、実は、2000年4月に偶然、パプアニューギニアのウィルヘルム山でご一緒したことがあるのだ。
その時、彼の果てしなく広い心とやさしさ、そして逞しさに感動したものだった。帰国後も、Mr.Dash「ごとき」ハイカーに毛がはえた程度の人間と、メールを交換してくださっていた。いつかどこかでまたご一緒する機会に恵まれればシアワセだなと思っていた。
それが、ある日何気なく見ていたテレビのニュースで、彼の死を知ったのだ。悲しくて、信じられなかったけれど、わざわざ松戸までお葬式にも行った。
そんなことで、追悼本が出たと聞いて、ぜひ読みたくなったのだ。お葬式では、Mr.Dashとともちゃんが一緒に写っている写真も展示されていたが、今回の本では、彼の山行記録の年表にウィルヘルム山の名があるだけだ。彼にとっても、ヒマラヤ協会にとっても、標高4500m程度の、雪もない山は価値がない。Mr.Dashも、そう思う。それでも、一行だけでも、あのウィルヘルム山について書かれていたのがとても嬉しかった。
本は、野沢井さん自身が書いた山行記録と、岳友が書いた追悼文集の、大きく分けて二つの章になっている。追悼文集は、通勤途上の電車でフツーの顔をして読むには酷すぎた。一度きりしか山行を共にしていない者でも、思いっきり共感できたからだ。
きっと野沢井さんは、Mr.Dashにとってずっと、ものすごいスーパーマンで
あり続けるのだろうな。追いつけない存在だが、自分は自分らしく、山にベストを尽くしたいという思いを新たにした。
といっても書店では買えないもので、同協会に直接頼まないと手に入らない私家本である。それを、ともちゃんに頼んでもらって、わざわざ取り寄せた。
野沢井歩さんは、最後の富士山の強力であり、日本を代表する登山家だった。なぜMr.Dashがこの人の本を?と思われるだろうが、実は、2000年4月に偶然、パプアニューギニアのウィルヘルム山でご一緒したことがあるのだ。
その時、彼の果てしなく広い心とやさしさ、そして逞しさに感動したものだった。帰国後も、Mr.Dash「ごとき」ハイカーに毛がはえた程度の人間と、メールを交換してくださっていた。いつかどこかでまたご一緒する機会に恵まれればシアワセだなと思っていた。
それが、ある日何気なく見ていたテレビのニュースで、彼の死を知ったのだ。悲しくて、信じられなかったけれど、わざわざ松戸までお葬式にも行った。
そんなことで、追悼本が出たと聞いて、ぜひ読みたくなったのだ。お葬式では、Mr.Dashとともちゃんが一緒に写っている写真も展示されていたが、今回の本では、彼の山行記録の年表にウィルヘルム山の名があるだけだ。彼にとっても、ヒマラヤ協会にとっても、標高4500m程度の、雪もない山は価値がない。Mr.Dashも、そう思う。それでも、一行だけでも、あのウィルヘルム山について書かれていたのがとても嬉しかった。
本は、野沢井さん自身が書いた山行記録と、岳友が書いた追悼文集の、大きく分けて二つの章になっている。追悼文集は、通勤途上の電車でフツーの顔をして読むには酷すぎた。一度きりしか山行を共にしていない者でも、思いっきり共感できたからだ。
きっと野沢井さんは、Mr.Dashにとってずっと、ものすごいスーパーマンで
あり続けるのだろうな。追いつけない存在だが、自分は自分らしく、山にベストを尽くしたいという思いを新たにした。