本来、この日は大阪の槇尾山・蔵岩でクライミングを楽しむはずだった。
しかし、降水確率が高い。蔵岩では過去、あまり晴れたことがなく、
今日も無理して行っても降られるだろう。そんな相性だ。
そこでクライミングを中止し、急遽、洞川の鍾乳洞めぐりをすることにした。
洞川には、ご存知4つの鍾乳洞がある。
時間の関係で回れなかった最大の面不動を除き、蟷螂ノ窟、コウモリノ窟、
そして五代松鍾乳洞を一巡だ。
蟷螂ノ窟では、はしゃいだ某2名が橋を渡らずに山上川を渡渉しようと
して見事、流れにザブン! アホ~。
まったく寒いのに、どこでも沢登りしたがるもんだ(爆笑)。
コウモリノ窟では、竪穴に、本当にコウモリがいた!!
五代松鍾乳洞は、恥ずかしながら初めて行く。意外でしょ。
林業用モノレールを予約して、かなりの急傾斜をガタゴト登る。
これが駅。
これがモノレール。シンプルだ。
そして、これが切符と入場券。
ちなみに五代松鍾乳洞は「ごよまつ」と読む。林道沿いの立派な標識には、
ローマ字で「Godaimatsu」と読みが振られていて悲しい限りで、地元自治体には
早期に修正を求めたい。
ちなみに五代松鍾乳洞は、地元の赤井五代松氏が昭和4年、標高900m近辺の
露岩帯で発見した洞窟で、その後、十数年の歳月をかけ、手掘りで、誰もが
入洞できるようにルートを整えたという。
なお、洞川~法力峠への登山道は、昭和元年にやはり五代松氏が拓いたという
資料もある。
五代松鍾乳洞は、話し好きなおばちゃんが洞内の道案内をしてくれる。
一日に20回ほど、同じところを回って説明されているんだなと思うと
ごくろうさまといいたくなる。
とても愉快なおばちゃんだが、このGWに続いた大峰界隈での遭難事故には
さすがにつらそうだった。地元の人々は、捜索などでいつもたいへんな負担を
強いられているようで、我々岳人は、心に留めておかねばならない。
洞内の鍾乳石には、「下半身」とか「ゾウ」とか「鷲」とか「鶴」とか、
印象的な名前がつけられていて、五代松氏の洒落っ気が偲ばれる。
最後に、創業350年の温泉宿「角甚」の風呂に入れて頂く。
その昔、紀州公がここに来て、山上ヶ岳に参詣したエピソードが
張り紙されていて、愉快だった。
詳しく知りたければ、ぜひ「角甚」を訪れてみよう。
しかし、降水確率が高い。蔵岩では過去、あまり晴れたことがなく、
今日も無理して行っても降られるだろう。そんな相性だ。
そこでクライミングを中止し、急遽、洞川の鍾乳洞めぐりをすることにした。
洞川には、ご存知4つの鍾乳洞がある。
時間の関係で回れなかった最大の面不動を除き、蟷螂ノ窟、コウモリノ窟、
そして五代松鍾乳洞を一巡だ。
蟷螂ノ窟では、はしゃいだ某2名が橋を渡らずに山上川を渡渉しようと
して見事、流れにザブン! アホ~。
まったく寒いのに、どこでも沢登りしたがるもんだ(爆笑)。
コウモリノ窟では、竪穴に、本当にコウモリがいた!!
五代松鍾乳洞は、恥ずかしながら初めて行く。意外でしょ。
林業用モノレールを予約して、かなりの急傾斜をガタゴト登る。
これが駅。
これがモノレール。シンプルだ。
そして、これが切符と入場券。
ちなみに五代松鍾乳洞は「ごよまつ」と読む。林道沿いの立派な標識には、
ローマ字で「Godaimatsu」と読みが振られていて悲しい限りで、地元自治体には
早期に修正を求めたい。
ちなみに五代松鍾乳洞は、地元の赤井五代松氏が昭和4年、標高900m近辺の
露岩帯で発見した洞窟で、その後、十数年の歳月をかけ、手掘りで、誰もが
入洞できるようにルートを整えたという。
なお、洞川~法力峠への登山道は、昭和元年にやはり五代松氏が拓いたという
資料もある。
五代松鍾乳洞は、話し好きなおばちゃんが洞内の道案内をしてくれる。
一日に20回ほど、同じところを回って説明されているんだなと思うと
ごくろうさまといいたくなる。
とても愉快なおばちゃんだが、このGWに続いた大峰界隈での遭難事故には
さすがにつらそうだった。地元の人々は、捜索などでいつもたいへんな負担を
強いられているようで、我々岳人は、心に留めておかねばならない。
洞内の鍾乳石には、「下半身」とか「ゾウ」とか「鷲」とか「鶴」とか、
印象的な名前がつけられていて、五代松氏の洒落っ気が偲ばれる。
最後に、創業350年の温泉宿「角甚」の風呂に入れて頂く。
その昔、紀州公がここに来て、山上ヶ岳に参詣したエピソードが
張り紙されていて、愉快だった。
詳しく知りたければ、ぜひ「角甚」を訪れてみよう。