■メイン写真
瓢箪崩山の山頂直下の祠からワイドビューを楽しむ
■今回のコース
岩倉駅→飛騨ノ池→寒谷峠→江文峠→金毘羅山→翠黛山→大原バス停
珍名かつ、漢字の書き取りテストをやられたら全滅しそうな名前の3座を
歩いてきた。いずれも京都の大原の里10名山に選定されている里山だ。
叡山電車鞍馬線の岩倉駅から北へ、長谷町のはずれから北東へ延びる林道を
進む。右に飛騨ノ池を見送る。シラサギが一羽、我々の足音を聞いて飛び立った。
聖護院門跡長谷廟所の横を過ぎて、寒谷にそって、未舗装になった林道を上っていく。
最後は山道の急登に変わる。
尾根に登り切ったところが寒谷峠。
「さむたにとうげ」と読むが、「サムタニトゲ」としゃべると韓国語みたいだ(笑)。
右へ、岩場を乗り越えて、まずは瓢箪崩山(ひょうたんくずれやま)を往復する。15分ほどで山頂だ。
山頂からは比叡山が見える。また、南側に比良山系の蓬莱山、打見山が切り開きの
隙間から覗ける。
寒谷峠に戻り、北への尾根道をとる。井出分岐、476m点を過ぎると、左に大きく
方向転換するポイントがあるが、倒木で荒れていた。
去年の台風の爪痕か、この日、倒木はあちこちで見られたが、最低限、通れるように
処理されているところはいいが、あとは乗り越えたり、くぐったり、巻いたり
しながら進むので気が抜けない。
この先で、不可解な謎が連続した。
まずは箕ノ裏ヶ岳への分岐のあたりで、ザックが一つ、放置されていた。
声を放って、誰かいるか確認したが、返事はなし。
ともちゃんが「ちょっと前に左のほうからとの声がしたような」と言ったが、
持ち主の影はなし。ザックの中身は確認するのをやめておいた。
しばらく進んだところで、今度は自転車が放置されていた。
空のペットボトルが3つ、フレームのホルダーに据え付けられていた。
全体の様子から見て、まだ新しそうだが、山に入るような自転車ではない。
荷台の横に荷物が着けられていたが、やはり中身を確認するのはやめた。
急坂を下って江文峠に下り立つ。
道路を渡って、鳥居の右から沢沿いの道に入る。ずっと続く石段が、ここがかつて
参道だったことを物語る。
江文寺跡。
ネットで調べると、数少ない情報から「本尊は毘沙門天だったようだが、創建の
由緒などは明らかでない。大治5(1130)年には寺名を確認できるので、これ以前から
あったことは間違いない。また、鎌倉時代末期の作とされる『拾芥抄』にも寺名が
見える」とある。いつごろ廃寺となったのだろう。建物は跡形もない。
東麓にある江文神社は、かつて江文寺と合祀されていたという。
じめじめした沢筋を離れると、江文神社からの道に合流し、すぐにむつみ地蔵に
着く。「地蔵」というが、祠の中にある石仏は2体並んでおり、道祖神のよう。
ここで、道の脇にヤマビルがうごめいていた模様。
琴平新神社に到着。ここで、ともちゃんのザックにヒルがついていたことが分かる。
幸い、被害はなかった。全員、足下を確認。
念のために持ってきていたヒルの忌避スプレーを全員の靴に降ってもらった。
尾根道を登っていくと、しだいに岩場が目立つようになる。
クライミングゲレンデからの道を過ぎ、さらに先へ進むと、東に大原の里と、
梶山から小野山への尾根が見えた。
大峰山系を思わせるような岩場がいい。
金毘羅山(こんぴらさん)山頂直下にある説明板。間違ってはいないが、デフォルメが激しい!
祠の前からは、この日一番のビューが楽しめる(メイン写真)。
比叡山はもちろん、生駒山、さらに先に金剛山地、男山、天王山、ポンポン山
あたりまで、おなじみの山々が見渡せた。
金毘羅山は、厳密には双耳峰になっている。その一つ、三角点峰へ。
途中、大岩を巻くが、振り返ると天之御中主神(アメノミナカヌシ)の文字が
刻まれた円形の岩板が見える。
天之御中主神とは、古事記では宇宙の最高神とされ、神々の中で最初に登場する神だ。
その先の展望が広がる岩場では、背の高い石塔が立つ。
一見、ハングル文字のような文字が刻まれている。
これは古代文字「阿比留文字(あひるもじ)」で、先ほどと同じ、
「アメノミナカヌシオオカミ」と刻まれているそうだ。
阿比留文字は、古来、対馬国の卜部氏・阿比留氏に伝わったとされる文字だそうだ。
三角点峰は残念ながら展望はない。祠の屋根は吹き飛ばされて壊れていた。
双耳峰のもうひとつの頂には、三壷大神が祀られている。
かつて山、「火壷、風壷、雨壷」の自然の石壷がここにあり、大原の人々が
雨乞いをしたという。
ヒカゲツツジが多いヤセ尾根から、小ピークをひとつ越え、次のピークが
翠黛山(すいたいさん)だ。美人のまゆを意味する「翠黛」は、麓からの姿か。
山頂は樹林に囲まれた静かなたたずまいだ。
東へ続く、激下りの坂をひたすら下りる。
アップダウンが多いこの日の行程に、そろそろ皆さんの足が悲鳴を上げ始める。
獣除け柵をくぐり、阿波内侍の墓の裏に出てくる。
阿波内侍は、平安時代後期の貴族・藤原信西の息女で、崇徳天皇の寵愛をうけたが、
出家して証道比丘尼となり、尼寺である寂光院の第21代の住持となった。
柴を頭の上に乗せて都へ売り歩く「大原女」のモデルだという。
大原のバス停に着いたのは17時前。ちょっとゆっくりしすぎたかな。
それだけ過ごしやすい空気が流れていたということか。
※初心者から楽しめる「遊山トレッキングサービスの登山教室」は、「ここをクリック」!!
瓢箪崩山の山頂直下の祠からワイドビューを楽しむ
■今回のコース
岩倉駅→飛騨ノ池→寒谷峠→江文峠→金毘羅山→翠黛山→大原バス停
珍名かつ、漢字の書き取りテストをやられたら全滅しそうな名前の3座を
歩いてきた。いずれも京都の大原の里10名山に選定されている里山だ。
叡山電車鞍馬線の岩倉駅から北へ、長谷町のはずれから北東へ延びる林道を
進む。右に飛騨ノ池を見送る。シラサギが一羽、我々の足音を聞いて飛び立った。
聖護院門跡長谷廟所の横を過ぎて、寒谷にそって、未舗装になった林道を上っていく。
最後は山道の急登に変わる。
尾根に登り切ったところが寒谷峠。
「さむたにとうげ」と読むが、「サムタニトゲ」としゃべると韓国語みたいだ(笑)。
右へ、岩場を乗り越えて、まずは瓢箪崩山(ひょうたんくずれやま)を往復する。15分ほどで山頂だ。
山頂からは比叡山が見える。また、南側に比良山系の蓬莱山、打見山が切り開きの
隙間から覗ける。
寒谷峠に戻り、北への尾根道をとる。井出分岐、476m点を過ぎると、左に大きく
方向転換するポイントがあるが、倒木で荒れていた。
去年の台風の爪痕か、この日、倒木はあちこちで見られたが、最低限、通れるように
処理されているところはいいが、あとは乗り越えたり、くぐったり、巻いたり
しながら進むので気が抜けない。
この先で、不可解な謎が連続した。
まずは箕ノ裏ヶ岳への分岐のあたりで、ザックが一つ、放置されていた。
声を放って、誰かいるか確認したが、返事はなし。
ともちゃんが「ちょっと前に左のほうからとの声がしたような」と言ったが、
持ち主の影はなし。ザックの中身は確認するのをやめておいた。
しばらく進んだところで、今度は自転車が放置されていた。
空のペットボトルが3つ、フレームのホルダーに据え付けられていた。
全体の様子から見て、まだ新しそうだが、山に入るような自転車ではない。
荷台の横に荷物が着けられていたが、やはり中身を確認するのはやめた。
急坂を下って江文峠に下り立つ。
道路を渡って、鳥居の右から沢沿いの道に入る。ずっと続く石段が、ここがかつて
参道だったことを物語る。
江文寺跡。
ネットで調べると、数少ない情報から「本尊は毘沙門天だったようだが、創建の
由緒などは明らかでない。大治5(1130)年には寺名を確認できるので、これ以前から
あったことは間違いない。また、鎌倉時代末期の作とされる『拾芥抄』にも寺名が
見える」とある。いつごろ廃寺となったのだろう。建物は跡形もない。
東麓にある江文神社は、かつて江文寺と合祀されていたという。
じめじめした沢筋を離れると、江文神社からの道に合流し、すぐにむつみ地蔵に
着く。「地蔵」というが、祠の中にある石仏は2体並んでおり、道祖神のよう。
ここで、道の脇にヤマビルがうごめいていた模様。
琴平新神社に到着。ここで、ともちゃんのザックにヒルがついていたことが分かる。
幸い、被害はなかった。全員、足下を確認。
念のために持ってきていたヒルの忌避スプレーを全員の靴に降ってもらった。
尾根道を登っていくと、しだいに岩場が目立つようになる。
クライミングゲレンデからの道を過ぎ、さらに先へ進むと、東に大原の里と、
梶山から小野山への尾根が見えた。
大峰山系を思わせるような岩場がいい。
金毘羅山(こんぴらさん)山頂直下にある説明板。間違ってはいないが、デフォルメが激しい!
祠の前からは、この日一番のビューが楽しめる(メイン写真)。
比叡山はもちろん、生駒山、さらに先に金剛山地、男山、天王山、ポンポン山
あたりまで、おなじみの山々が見渡せた。
金毘羅山は、厳密には双耳峰になっている。その一つ、三角点峰へ。
途中、大岩を巻くが、振り返ると天之御中主神(アメノミナカヌシ)の文字が
刻まれた円形の岩板が見える。
天之御中主神とは、古事記では宇宙の最高神とされ、神々の中で最初に登場する神だ。
その先の展望が広がる岩場では、背の高い石塔が立つ。
一見、ハングル文字のような文字が刻まれている。
これは古代文字「阿比留文字(あひるもじ)」で、先ほどと同じ、
「アメノミナカヌシオオカミ」と刻まれているそうだ。
阿比留文字は、古来、対馬国の卜部氏・阿比留氏に伝わったとされる文字だそうだ。
三角点峰は残念ながら展望はない。祠の屋根は吹き飛ばされて壊れていた。
双耳峰のもうひとつの頂には、三壷大神が祀られている。
かつて山、「火壷、風壷、雨壷」の自然の石壷がここにあり、大原の人々が
雨乞いをしたという。
ヒカゲツツジが多いヤセ尾根から、小ピークをひとつ越え、次のピークが
翠黛山(すいたいさん)だ。美人のまゆを意味する「翠黛」は、麓からの姿か。
山頂は樹林に囲まれた静かなたたずまいだ。
東へ続く、激下りの坂をひたすら下りる。
アップダウンが多いこの日の行程に、そろそろ皆さんの足が悲鳴を上げ始める。
獣除け柵をくぐり、阿波内侍の墓の裏に出てくる。
阿波内侍は、平安時代後期の貴族・藤原信西の息女で、崇徳天皇の寵愛をうけたが、
出家して証道比丘尼となり、尼寺である寂光院の第21代の住持となった。
柴を頭の上に乗せて都へ売り歩く「大原女」のモデルだという。
大原のバス停に着いたのは17時前。ちょっとゆっくりしすぎたかな。
それだけ過ごしやすい空気が流れていたということか。
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