ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

第1回緊急事態宣言から1年

2021年04月07日 12時30分00秒 | 国際・政治

 ちょうど1年前の2020年4月7日、「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」が閣議決定され、同日に第1回の緊急事態宣言が発せられました。

 今、COVID-19の変異株が猛威を振るう状況にもなっており、感染者数も増大しています。2021年1月に第2回の緊急事態宣言が発せられましたが、第1回と比較してどれほどの効果があったのでしょうか。解除されてからではなく、解除される前から感染者数が増えていたのです(しかも、新規感染者数は何日か前に行われた検査によって判明したものです)。

 今日(2021年4月7日)の0時14分付で、共同通信社が「緊急事態宣言初発令から1年 大阪でコロナ最多、第4波警戒」(https://this.kiji.is/752181701779701760)として報じていました。短い記事だったので拍子抜けしたのですが、大阪府などに「まん延防止等重点措置」が適用されるものの、感染者数が減っていないことが指摘されています。そればかりでなく、既に医療が逼迫状態にあるという県も出てきています。これなら「第4波」が来ていると考えられてもおかしくありません(私自身は「第3波」の継続にすぎないと思っていますが)。実際、今日にも大阪府が「医療非常事態宣言」を出すと、共同通信社が2021年4月6日21時35分付の「大阪府、7日に医療事態宣言 抑止決め手なく『赤信号』」(https://this.kiji.is/752126715144421376)で報じています。この記事によると、大阪府における病床使用率は6日において66.5%、但し「受け入れ準備のできた病床に限ると86.1%」です。これは、COVID-19による重症患者を受け入れる病院が少なくなり、ついにはなくなるということはもとより、交通事故の重傷者、癌などの重症患者を受け入れる余裕もなくなっていることを意味します。

 ここで不思議に思われるのが、日本よりも一日あたりの患者数が多い国々で医療体制が逼迫しているという報道を聞かないことです。これには、単に報道されていない、本当は逼迫しているが隠匿されている、という事情も考えられます。しかし、いずれにもあたらないということであれば、日本の医療体制そのものに構造的な問題、悪い表現を使えば宿痾があるということになります(実際に構造的な問題を指摘する声もあるようです)。法律上の問題なども考え合わせなければならないとは言え、ついに日本は独自にCOVID-19感染対策としてのワクチンを開発できず、輸入に頼らざるをえなかったという厳然たる事実が、日本の医療体制における構造的な問題を暗示しているように思われます。ちなみに、ワクチン開発は医療に限らず基礎科学研究の遅れ(基礎科学研究に対する軽視)なども示唆しています。

 また、これもよく指摘されるところではありますが、飲食店への時短要請にどれだけの意味があるのかということです。密を避けるというのであれば、飲食店に限った話ではありませんし、夜に限ったことでもありません。時折、ちょうど昼食時に飲食店の前で10人以上の行列ができていることもありますし、飲食店以外でも混んでいる店などもあります。YouTubeで渋谷ハチ公前交差点の様子をライヴで見るのですが、2020年4月と比べても人通りが多くなっており、第2回の緊急事態宣言はあまり意味がなかったと感じさせられました。いつの間にか、オンラインの活用によるリモートワーク(在宅勤務)もあまり叫ばれなくなりましたし、2021年度は大学でも原則として教室での対面授業とするようにというお達しがあります(大学では学生も教員もコマ毎に入れ替わるし、講義・授業によって出席人数が異なることに注意してください。ここが小学校、中学校および高等学校と大きく異なります)。夜に密にならなくとも時間帯がずれているだけであれば話はあまり変わらないということです。

 世界中を見渡して、日本は何処か外れている。

 そのように思われても仕方のないところでしょう。

 この「外れ」が何に由来するのかということについては、記さないでおきます。おわかりの方も多いでしょうから。

 2020年12月8日に閣議決定された「国民の命と暮らしを守る安心と希望のための総合経済対策」を見ると、3頁に次のような文章があります。長くなりますが、引用します。

 「Ⅱ.経済対策の考え方 

 経済対策は、家計や企業の不安に対処するべく、万全の「守り」を固めるとともに、新たな時代への「攻め」に軸足を移すという、2つの大きな視点からなる。『守り』とは、まず何よりも、万全の医療提供体制を確保するとともに感染拡大防止に全力を挙げ、同時に、内外の感染状況による経済への影響、とりわけ雇用・事業・生活への影響をできる限り緩和することである。 

 一方で、『攻め』とは、今回のコロナ危機を契機に浮き彫りとなった課題である国・地方のデジタル化の著しい遅れや、東京一極集中、海外での生産拠点の集中度が高いサプライチェーンといった我が国の脆弱性に対処することである。そして、環境と経済の好循環を生み出すグリーン社会の実現、経済の基盤を支える中小・小規模事業者の事業再構築支援を通じた体質強化と業種・職種を越えた労働の円滑な移動、非連続的なイノベーションを生み出す環境の強化など、民間投資を大胆に呼び込みながら、生産性を高め、賃金の継続的な上昇を促し、所得の持続的な拡大と成長力強化につながる施策に資源を集中投下することである。 」

 COVID-19対策が「守り」とされていることに違和感を覚えます。「攻撃は最大の防御」と言いますが、今「攻め」をすべきであるのはまずCOVID-19に対してでしょう。

 また、「デジタル化の著しい遅れ」は、確かにCOVID-19を「契機に浮き彫りとなった課題」であることも否定できませんが、COVID-19の感染拡大があろうがなかろうが長らくの課題でありましたから、20年程前の「IT革命」から話がほとんど進んでいないような状態であることを意味していないでしょうか。少なくとも、私には既視感があります。ちょうど、机に月刊税理2021年4月臨時増刊号「税務手続のデジタル化」と石井大地『こうすればうまくいく行政のデジタル化』(2020年、ぎょうせい)があるのですが、両方を一目見て「20年ほど前に電子申告の論文を書いたりしたな」と思い出しました。電子申告、電子政府、行政の簡易迅速化という言葉は、21世紀に入ったばかりの年にもあったのです。

 さらに「国民の命と暮らしを守る安心と希望のための総合経済対策」を読み続けると、「新型コロナウイルス感染症の拡大防止策 」よりも「ポストコロナに向けた経済構造の転換・好循環の実現」に多くの頁が割かれています。力点の置き場所が違うのではないかと疑います。志望する大学(高等学校などでもかまいません)の受験もしていないのに、入学後の生活を夢想するようなものになりかねません。

 勿論、COVID-19の感染が収束に向かい、その後の社会像を考えることは必要です。しかし、目下の懸案はCOVID-19です。政府は経済成長率の回復などを目指しているのですが、それには感染症対策への十分な取組こそ求められるでしょう。国民の多くが感染すれば、症状の軽重を問わず労働力も消費力も奪われます(程度の差はありますが、それに過ぎません)。「生産性を高め、賃金の継続的な上昇を促し、所得の持続的な拡大と成長力強化につながる」ことなど期待できません。COVID-19の感染拡大より前から、生産性および賃金の低下は指摘されていました。敢えて記すなら、COVID-19は日本における生産性および賃金の低下に拍車をかけるものであるに過ぎません。

 内閣府のホームページに掲載されている「国民の命と暮らしを守る安心と希望のための総合経済対策」の概要版を見ても、あるいは誇張されているのかもしれませんが、明らかに力点の置き場所が「ポストコロナに向けた経済構造の転換・好循環の実現」に置かれています。現在の日本においてCOVID-19への徹底的な対策は期待できないのかもしれません

 感染症対策の第一は「自助」でしょう。それは理解できます。しかし、「自助」は「共助」や「公助」とともにあります。どれかが優先されるというものではありません。我々が国家の中で、社会の中で生存していく以上、国家には国民生活の安全を維持するという任務があります。従って、「自助」は「共助」や「公助」の前提をなすとともに、「共助」や「公助」という前提があって初めて成立するものでもあります。間違っても、一般国民に対しては「自助」を強調しつつ、特定の人々に対しては「共助」や「公助」を優先して差し出すということがあってはなりません。


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