東京の蕎麦、いわゆる江戸のそば切と言えば、砂場、更科と藪が有名です。
藪蕎麦は、神田の「かんだやぶそば」が有名ですが、その発祥は実は江戸市内ではなく
雑司ヶ谷(豊島区)にあったとされています。
(かんだやぶそば)
享保の時代に、鬼子母神門前の「雑司ヶ谷藪の内」の蕎麦切が名物として知られていました。
江戸郊外にありながら、江戸市中から食べに行く人が多い名店だったようで
これが藪蕎麦の名前の元祖とされています。
(鬼子母神参道)
他方、時代が下って天保年間に小石川団子坂に蔦屋という蕎麦屋があり
近くに竹藪があったことから「藪そば」と呼ばれるようになり
明治時代に、この藪そばの神田連雀町の支店が砂場系の蕎麦屋だった堀田家に譲り渡されて
現在の「かんだやぶそば」の祖となりました。
(蔦屋の三輪伝次郎は投資に失敗して店を手離したようです)
(現在の団子坂)
藪蕎麦は、神田の「かんだやぶそば」が有名ですが、その発祥は実は江戸市内ではなく
雑司ヶ谷(豊島区)にあったとされています。
(かんだやぶそば)
享保の時代に、鬼子母神門前の「雑司ヶ谷藪の内」の蕎麦切が名物として知られていました。
江戸郊外にありながら、江戸市中から食べに行く人が多い名店だったようで
これが藪蕎麦の名前の元祖とされています。
(鬼子母神参道)
他方、時代が下って天保年間に小石川団子坂に蔦屋という蕎麦屋があり
近くに竹藪があったことから「藪そば」と呼ばれるようになり
明治時代に、この藪そばの神田連雀町の支店が砂場系の蕎麦屋だった堀田家に譲り渡されて
現在の「かんだやぶそば」の祖となりました。
(蔦屋の三輪伝次郎は投資に失敗して店を手離したようです)
(現在の団子坂)