崇神天皇の時代(3世紀後半?)に、初代の知知夫国造となった知知夫彦命が
おそらくそれまでも武甲山を神代として遥拝していた場所に八意思兼命を祀り
允恭天皇の時代(5世紀前半)に、知知夫彦命も合祀されるようになったようです。
8世紀頃には、知知夫は秩父と書かれるようになりはじめたようです。
後に律令制度の崩壊後、平良文がこの地に居を構えた際に妙見社を勧請し
明治の神仏分離まで永く妙見信仰の社として知られるようになりました。
平良文の子孫の一部がこの地に土着し、秩父平氏と呼ばれるようになりました。