THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

chicago 長い夜  25or6to4

2021-05-23 11:53:14 | CHICAGO

人生観を変えた青春の一曲^_^🎶
炭鉱街のハモニカ長屋に住んでた友人宅に遊びに行く度、音の悪いカセットレコーダーから必ず流れていた曲。
「これは何?」
「長い夜。シカゴっていうバンドだ!」
彼の兄ちゃんがたくさんラジオから録音した中の一曲だった。
どれもワクワクするような曲ばかりだったけど、特にこの曲がカッコ良く響いてきた!
バンド名からリフに至るまで全てが突き刺さってきたわけだ!

まさか、還暦とっくに過ぎた自分がいまだにずっとハマり続け熱狂的に陶酔しているなんて…
10代の頃の自分に教えてやりたいくらいだ。

素晴らしいことです♪🤠❣️

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night view(chicago)

2021-05-23 09:08:35 | CHICAGO

夜景(やけい)とは、時間帯で区別した景色のうちの、夜の景色である。 第1義に、夜の景色、夜の眺めをいい、夜色(やしょく。「 夜の気配」「夜の風情」の意もあり)、ナイトビュー(英語:night view, night-view)ともいう。 日本語では、古く、夜色、もしくは、夜之景/夜の景(よるのけい)といった。

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BEE GEES

2021-05-23 09:04:07 | CHICAGO

素晴らしい曲がたくさんあるビージーズ。
大好きだなあ。
初期の頃は、メンバー構成が5人になったり、悪妻にそそのかされた挙句に、兄弟喧嘩したりで4人、2人と落ち着かないグループでしたが3人兄弟で黄金期を迎えるわけです。
これほど音楽性を極端に変えて大成功したグループも珍しい!
華麗なるハーモニーのフォーク調から(あの独特なるファルセットボイスはヤギのようだと言われてました)いきなりディスコサウンドだよ。
当時、ファン達の戸惑いは計り知れないほどでした。私は大して違和感なくすんなりと聴いていたけどね。
初期の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「マサチューセッツ」「マイワールド」などを経てから「メロディフェア」が決定打!
でも映画「小さな恋のメロディ」と共に日本以外では話題にもならなかったなんて信じられないね。映画は何度も見ながら胸ときめいたものです。可愛いトレーシーちゃん、そして王子のようなルックスのマーク、やんちゃなジャックも人気者に!
映画「サタデーナイトフィーバー」も観に行ったなあ。
全く踊れないけどね…(^_^;)
まだスマートに引き締まっていたトラボルタはこれで大スターに。
サントラも記録的大ヒット。
2000年以降はメンバーの訃報が続いてもう1人きりになってしまったね。
そうそう、ビージーズは70年代前半に一度だけ札幌公演があったんだけど、観に行った観客やラジオDJからも残念ながら不評でした。あまりにも、あまりにもね…。
ちなみにシカゴとビージーズはお互いのアルバムにゲスト参加していますよ。

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elevator(chicago)

2021-05-23 08:45:50 | CHICAGO

エレベーター(英: Elevator)は、人や荷物を載せて垂直または斜め・水平に移動させる装置である。 日本語では昇降機(しょうこうき)ともいう。 工学の分野などでは最後の長音を省略するルールによってエレベータとも表記する。

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GODIEGO

2021-05-23 08:44:02 | free form space

TVの音楽番組が減ってしまったね。
あるにはあるけど、ジャンルが偏り過ぎ。
紅白しかり…。
80年代のゴールデンタイムには良質で万人受けする楽しい音楽番組がたくさんあった。
ベストテン、ヒットスタジオ、トップテン。
ランキングの中には歌謡曲、演歌、フォーク、ニューミュージック、時には企画された色物なんかも何ら違和感なく並んでいたね。
いい時代だった。そしてバンドもズラリと出演していた。中には頑として出演しないバンドもいたけど、

サザン、アリス、モンタ&ブラザーズ、シャネルズ、ツイスト、クリスタルキング、ハウンドドッグ、ジューシーフルーツ。まさかまさかのクリエイションには正直な話ビックリした。
出演拒否組は
永ちゃん、オフコース、甲斐バンド…などなど。
その中でも、楽曲のクオリティ、オリジナリティ、テクニック、人気の全てを兼ね備えていたバンドは間違いなくゴダイゴに尽きるでしょう。 
親しみやすい歌メロ、安定した演奏力、高度なアレンジ、わかりやすい歌詞。
ちょっと別格だね。

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Heart(chicago)

2021-05-23 07:59:52 | CHICAGO

ハート、ハートマークは、心臓を表すシンボル。一般的に色は赤で示される。 なお、日本の建築などでみられる同様の形の文様や透かし彫りは猪目と呼ばれる。 ウィキペディア

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U2

2021-05-23 07:57:15 | free form space

アイルランドが世界に誇るモンスター級のロックバンドU2!
デビューからずっとファンだけど、みるみる内にもの凄いバンドへと成長していったもんね。
初来日した時なんて、私が住んでいたアパート近くの公園で写真撮影なんかしていて後でそれを知りビックリした。
1980年のデビューから不動のメンバー4人で活動しているとは素晴らしいこと。
初期の頃から強烈なメッセージを発する各メンバーらの個性豊かなサウンドに魅了されてきたけど、傑作アルバム「ヨシュアトゥリー」は神がかっていた。
しかし、あれだけ来日しているのに北海道には1度も来てくれていない…( i _ i )
U2ともなるとドームクラスだもんなあ。ちょい難しいね…(^◇^;)

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back stage pass(chicago)

2021-05-23 07:28:14 | CHICAGO

バックステージパス(BSP)とは、コンサートなどで主催者が取材記者やカメラマン・関係者などに配る通行証を意味する

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michel polnareff

2021-05-23 07:20:51 | CHICAGO

私が洋楽にどっぷりとはまるキッカケとなったミュージシャンの一人がミッシェル・ポルナレフです。

「シェリーに口づけ」を初めて聞いた時には、理屈抜きに「軽快でキャッチーなかっこいい曲」とスムーズに思いましたね。

彼は本国フランスにおいては国民的歌手として絶大なる人気を現在も誇っていますが、ここ日本でも当時「フレンチ・ポップス」の伝道師扱いで大ブレークしました。

来日公演も数多く、日本のみで発売された「ライブ・イン・トーキョー」なんていうのもありましたね。

当時のキャッチ・コピーは「ロックとロマンの出逢い」(上手い表現ですなあ)

デビュー曲の「ノンノン人形」にはじまり、「渚の思い出」「哀しみの終わる時」「愛の休日」「愛のコレクション」「火の玉ロック」「忘れじのグローリア」などヒット曲も膨大。

そのフランス独特の甘美で流麗な美しきメロディ&歌声と共に、ブロンドのカーリーヘアと大きなサングラス(白内障を隠すためとか)がトレードマークの一度見たならば忘れられない強烈で個性的なルックス。

奇行も度々、気難しい性格、潔癖症も有名で

「日本は空気は汚いから酸素ボンベを用意しろ!」とプロモーターを走り回らせたり(写真のべスト盤に酸素ボンベを横に浴衣姿でくつろぐ彼がジャケに使用されているものがあります)、ピアノの上に飛び乗ったため会場サイドから「もう彼には当ホールのピアノ貸し出し禁止!」令が出たり、来日本番直前に「ピアノの足を切れ!とわがまま言ったり(これは当然却下)、最も有名どころではお尻丸出しポスターでコンサート告知を行い逮捕&罰金刑、しかし次には全裸の上、股間部分に帽子を置いたポスター撮影を行っています(この時にはお咎めなし)などはほんの一部のゴシップ。

こういった話題にも事欠きませんでしたが、その後もサントラ盤の製作、テレビ出演にセッションとアクティブに活動。

フランス国内における彼の人気は不動のものに。

ポルナレフのコンサートやレコーディングに参加したミュージシャンは大物がズラリです。(中にはえええ!?と遂思っちゃう人も)

デビュー時にはツェッペリンのジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ。

他にもプロコル・ハルムのキース・レイド。

自他共に認める世界最高峰のベーシスト、ジャコ・パストリアス、シカゴ以前のまだ無名に近い頃のデヴィッド・フォスター、一流セッションマンのマイク・ベアード、プログレメタルギタリストのトニー・マカパイン、「チューブラー・ベルズ」のマイク・オールドフィールド・・・。

その後、彼の長年の夢でもあったアメリカに進出するべくロスアンジェルスに活動の拠点を移します(脱税による逮捕を逃れて・・などのトラブルもあり。これマネージャーの使い込みが原因でポルナレフはその後無罪放免)

そして念願のアメリカ・レコーディング作品第1弾を1975年に発表。

「FAME A LA MODE(邦題:ポルナレフU.S.A)」

全9曲入りでそれまでのフランス語から英語に挑戦。

バック・ミュージシャンも超豪華。

リー・リトナー、アンドリュー・ゴールド、スティーブ・クロッパー、フレッド・タケット、TOTO系列ではリー・スクラー&デヴィッド・ハンゲイト、ドゥービー・ブラザースからウィリー・ウィークス、エルトン・ジョン・バンドからはナイジェル・オルソンが、他にもジム・ゴードン、ジム・ケルトナー、ジェニファー・ウォーンズ(「愛と青春の旅立ち」のシンガー)、シカゴの「愛ある別れ」のオーケストレーションでグラミー・ベスト・アレンジ賞を受賞したジミー・ハスケル、ピーター・セテラのアルバムでも力を発揮していたマイケル・オマーティアンなどなど・・・・。

この大御所たちの中でシカゴ加入前の若きドニー・ディカスがアコースティック・ギタリストとしてクレジットされています。

しかしポルナレフの全米進出は残念ながら失敗に終わります・・・。

日本における彼の人気も次第に失墜。

終いには本国では発売されている彼のアルバムも、日本では長年未発売の憂き目をみることとなります。日本国内契約レコードも切れてポルナレフの記憶は薄れてゆき過去の人扱いに。

もっともフランスでの人気は衰える事も無く、またミュージシャンの間ではポルナレフをリスペクトする人も数多く、カバーやトリビュート作品も続々と発表されています。

70年初期に青春時代を送った若者達の間ではポルナレフを今でも愛してやまない支持者が後を絶ちません。そんな中、日本ではドラマ、映画、CMなどにポルナレフの名曲群がひんぱんに使用される現象が起こり、今の若者達からも新たな評価を得る事となり、近年はベスト盤、オリジナル・アルバムのCD化が話題を集めています。

当の本人は一時、活動を休止していましたが、現在はマイペースで優れた作品を提供し続けています。

彼のコンサート、観たいなあ・・・・。(札幌にも彼は2度ほど来た事があります。北海道のポルナレフ人気は全国屈指だったのですよ!ラジオのリクエスト番組には必ず上位にランクインしていました。ほどよいポップスも涙が出るほどの華麗なバラード・ナンバーも天才的才能に溢れた彼ならではのもの。)

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