孤高のギタリスト、アイルランド出身のゲイリームーアのデビューは「スキッドロウ」
このバンドは「キングクリムゾンに対するアイルランドからの回答」というキャッチコピーにて登場するも大した成功は得られなかったね!
その後、故郷の盟友フィルライノット率いるシンリジーへと合流。
ここから一気にゲイリームーアの名がロック界に広まる!
この頃、ハード系、フュージョン系がロック界隈で吹き荒れていただけに、ゲイリームーアに対して熱い視線が注がれたのでしょう。
第二のジェフベックなんて言われていた。
私もそれがきっかけで一気にゲイリーへ興味を持ち始めた。
そして当然の如くゲイリームーア人気は沸騰!
アルバムをコンスタントに発表、コンサートツアーと順調に活動後、長年の夢でもあったブルースフィールドに着手。
そうそう、ゲイリームーアが影響を受けた数多くのギタリスト中、その際たる人物こそピーターグリーン。
スキッドロウ時代にツアー同行したフリートウッドマックでピーターグリーンにいたく気に入られたそうで、ゲイリームーア自身もピーターの奏でるブルースフィーリング溢れるギターサウンドに多大なる感銘を受けたそう。
その際にピーターの愛機レスポールをタダ同然で譲り受けたとの事。
その後、ドラッグによる健康問題で引退同然だったピーターに捧げるアルバムまで制作して話題になったね。
これをきっかけにピーターも奇跡の復活を果たす!
素晴らしき師弟愛だ。
ゲイリームーア初来日時、新宿厚生年金会館でライブ観戦したんだけど涙無しには聞けない名曲「パリの散歩道」でピーターから授かったレスポールを使用。
例のエモーショナルな泣きのフレーズから究極のサスディーンをふんだんに盛り込んで聞かせてくれました。
ピーターも今頃は愛弟子との久しぶりの再会を喜んでいるかな?
サンタナ初期の代表曲と言えば、ほとんど誰もが「ブラックマジックウーマン」と答えるでしょう。
この曲、結構サンタナのオリジナルだと思っている人が多い。まあ、そのくらいにハマっているんだけどね。
で、オリジナルはフリートウッドマック初期のナンバー。
作者はピーターグリーン。
本格派ブルースロックギタリストの元祖だ!
なんたってクラプトンの後をついでブルースブレイカーズに加入したという実力の持ち主。
そこで知り合ったメンバー達と組んだのがかのフリートウッドマック。
「噂」のビッグヒットで思い切りポップ化したマックを知っている人達にとっては違和感たっぷりにビックリするくらいなブルースロックバンドだった。
ドラッグ問題でピーターは残念なことに脱退を余儀なくされるんだけど、その後も数多くのミュージシャン達に影響を与え崇拝されていた。
エアロスミスとか。
ヘビーメタルのジューダスプリーストもマックの「グリーンマナリシ」をレパートリーに取り上げている。
ピーターは長年のブランクを経て奇跡の復活を果たすも先日、亡くなったそうです。
73歳かあ…もっと年齢は上だと思っていた。
ピーターの来日公演は観た事はないけど、彼愛用のレスポールギターは見た事があります!
ミリオンダラーボイスこと、元シカゴのピーターセテラ。
コンサートツアーからの引退宣言をしたそうです…。
残念だけどまあ、仕方ないですね。
オリジナルシカゴメンバー中、最年長だもんなあ。
シカゴ17リリース後、シカゴを脱退して発表したセカンドソロアルバムからのシングルが2作続けて一位を獲得するという快挙を達成。
シカゴ在籍中に発表したファーストソロはほとんど話題にならなかっただけに、これは素晴らしいことです。
その後もコンスタントにアルバムを発表。
日本では映画「竹取物語」の為に提供したボビーコールドウェルの壮大なるバラード作品「ステイウィズミー」も忘れられない。
最も本人はこの曲の存在をすっかり忘れていたらしいけど(^◇^;)。
オシャレなスーツに身を包み、スッカリとダンディになったピーター!
AOR期シカゴからのファンならば普通に受け入れられる感覚だけど、私のようにハードなブラスロックサウンドが轟く中、長髪振り乱しジーンズで汗まみれのロッカー然としていたピーターがカッコいいベースラインを弾きまくりハイトーンシャウトする姿からファンになった者にとっては、無意識のうちに時代の流れを感じてしまいます。
今のピーターは家庭を大切にしながらマイペースで、音楽ライフをエンジョイ!
素敵な年齢の重ね方をしていますね。
もうシカゴと共演することはないのだろうか…?( i _ i )
ティモシーBシュミット
アメリカンミュージックシーンに於いてはベテランのシンガー&ベーシストだ。
凄いバンドを渡り歩いてる。
カントリーロックバンドの大御所ポコにランディマイズナーの後任として加入。
そして再びランディマイズナーが脱退したイーグルスに加入。
アルバム「ロングラン」中、最大のヒットバラード「言い出せなくて」はティモシーのボーカル。
一聴して「これはヒットするだろうなあ」と思ったよ!
素晴らしい歌声だ。
モンスターアルバム「ホテルカリフォルニア」の後でもしっかりと燻し銀のリズムセクションと華麗なるハーモニーでイーグルスを一歩引いたポジションで支えていた。
シカゴはポコ、イーグルス共に何かと交流があったけど、シカゴ低迷期、ピーターはイーグルス加入とまではいかなかったね…。
イーグルス解散後、TVコマーシャルソングとして流れていた懐かしいアカペラソング「ソーマッチインラブ」がリバイバルカバーで話題に!
それを歌っていたのがティモシー!
達郎も「オンザストリートコーナー」で取り上げていたね!
札幌ドーム唯一のイーグルスコンサートで「言い出せなくて」を聞けた。
観客の入りはあまり芳しくなかったけど、ラストの「デスペラード」と共にシットリしんみりと酔いしれさせてもらいました!
三浦春馬くんを初めて観たのは、永ちゃん主演のスペシャルTVドラマ「雨に眠れ」
まだ駆け出しの子役だったけど、永ちゃんとの絡みがある重要な役柄。
それから数年後、凛々しいイケメンとして頭角を現していた!
「あ?!あの時の子だあ!」
ビックリした。
顔つきも精悍になってたね。
顎のホクロですぐにわかった。
それからは大躍進!
最近益々ノリにのっているようにみえていた矢先だっただけに残念で仕方ない…。今後も楽しみだったんだけどなあ。
masa's art chicago logo respect gallery
サンフランシスコのサイケデリックロックバンドの重鎮 サンズオブチャンプリン。
グレードフルデッド、ジェファーソンエアプレインらと比較してもなんら遜色のない存在として君臨。でも地元界隈以外では知名度は低かった…。
「無名として有名」と呼ばれていた。
オリジナリティ、パフォーマンス、テクニックなどなど申し分ないのに。
その理由は、当人達にプロデビューする欲がなかったから。
それ以外にも色々あります。
大手レコード会社の重役が直々に契約交渉に訪れるも、小鳥へのエサやりの時間だからと拒否したり、ツアーに出ても途中でドラッグがなくなったとの理由で切り上げる。
またメンバーの入れ替わりが激しく、初期アルバムにはメンバー名を記入しない。レコード会社も変える。
編成やバンド名を変えたり、the をバンド名につけたりする。
そんなわけでして、ここ日本でアルバムがリリースされたのはバンド晩年期になってからやっとの状態。
私だってこのバンドを知ったのはビルがシカゴに加入してから。
実際、日本ではほとんど売れてなかった。多分、日本盤シングルは1枚だと思う。しかも時世を反映してかディスコ風な最悪デザインジャケットで。
ちなみにサンズオブチャンプリンのデビューは1969年。アナログアルバム二枚組でブラスメンバーを含めた編成。
シカゴと何かと共通点が多い。
ジャズ、ファンク、ブルース、ソウルテイストもふんだんに盛り込んだサウンドはゴージャス。
あまりにも、先取りし過ぎてレベルが高かったのでは。
もちろんコンポーザーとしても手腕を発揮している中心メンバーのビルチャンプリンの渋いボーカルは申し分ない。
ボズスキャッグスにも決して引けを取らないクオリティ。 で、写真の二枚組CDアルバムは サンズがアブラののっていた頃のもの。
自主レーベルを立ち上げるも、その反省点を踏まえてアリオラレーベルに移籍。
そこでの3作品をカップリング。
「the ariola years」
よりポップにダンサブルに進化。AOR調な曲も最高。時にはタワーオブパワーに迫るくらいの切れっ切れグルーヴもありご機嫌だ。
核となるビルはさすがこの後にグラミーを2度も獲得しただけある。
結局この3作を残してビルは脱退してしまいます。
もうバンドとしてやりたい事はほとんどやり尽くしたという事か。
後年ビルチャンプリンは サンズを再結成してアルバムを発表。現在もマイペースにてツアーを行っていいます。
ビルはずっとワーカホリックだけど、シカゴを脱退してからの方がより音楽活動をエンジョイしているように感じます。
でもこのバンド、残念ながらいまだに来日はしてないんだよね。
ビルの健康面も心配だけど、是非共日本でも生サンズを見せて欲しい‼️
馴染みの郵便局カウンターで、郵便物の厚さを計測する用具が羨ましくなり冗談半分に「それいいなあ…売ってよ!」と受付のお姉さんに言うと「100円ショップでこの間、見かけましたよ!」と教えてくれた!
早速その足で近所の100均店へ行ってみたらホントに売ってたあ!
しかも4サイズで定規付き!これで100円とは!ビックリ‼️これ、そんなに売れるのかなあ?…便利だけど。
1992年、ポテトチップスのコマーシャルソングとしてヒットした「ボンバーガール」
懐かしいなあ!
サウンドに時代を感じるね!
骨太でセクシーな男性シンガー2人による夢のようなユニットだ!
どちらか1人だけでも十分に貫禄なのに、何という贅沢なことよ!
近藤房之助はちびまるこちゃんのピーヒャラ♫〜で知った。日本が誇る貴重なブルースシンガーだ。
そしてこの曲の仕掛け人は織田哲郎!
当時、最も多忙でノッテイタね!
膨大なヒット作を生み出していた。
海外で強盗にあって背後から首を絞められ歌手にとっての命ともいえる声帯を潰されてしまったとの事。何という事だ。あまりにも残酷すぎる…。
それでも歌唱法を変えたりしながらコンポーザー、プロデュース業などで現在も活躍中。
ちなみに「ボンバーガール」はサックス以外全てを織田哲郎さんが担当しています!