THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

CHICAGO JAPAN TOUR 2016 REPORT 5

2016-01-31 04:55:27 | CHICAGO

1月15日(金)

横浜パシフィコ公演 第2部

休憩時間から暗転した途端にキース・ハウランドが一人で登場。

いきなりステージ中央で大股開きのポーズを決めて轟音のようなアーミングからネックを持ち上げギターヒーローよろしく超早弾きを披露。

へヴィーメタルコンサートでエディ・ヴァン・ヘイレンかイングヴェイJマルムスティーンを観ているよう。

その流れから「オールド・ディズ」のイントロ・リフを単独リフで轟かせた後にバンド全員で通常演奏に。(ジェイソンVO)

メドレーでDRフィルから「一体、現実を把握している者はいるだろうか?」

当然のごとくリー・ログネイン堂々たるイントロTP・SOLOで大歓声。

エンディングでは入魂のTB・SOLOをオリジナルスタジオ・テイク以上に引っ張り気味に吹き込んでジミー・パンコウはドヤ顔。

ロバート・ラムのMC後、「忘れ得ぬ君へ」

オリジナルのツインVOメンバー達はもうすでに脱退しているけれど、ジェイソンとルーによるVOも絶品。全く違和感無くお見事の一語に尽きます。

しかしいつものことながらあの壮大なアレンジからなる楽曲をよくもまあ、ここまで細部にわたってパーフェクトに再現できるものですなあ。

「君こそすべて」とAOR全盛期のシカゴ楽曲がこれでもかと続き、観客はじっくりと身をゆだねて聞き入るのみ。

ロバートとキースの2人がアコースティック・ギターに持ち替えて4カウントから軽快にかき鳴らしたのは「ビギニングス」。

ロバートのVOも絶好調。忠実にスタジオ・オリジナルバージョンのラインを再現してくれます。

リーとジミーによる火花散るソロ・バトルでは観客全員の目が2人に釘付け。

すかさずジェイソンの渋いベースのフレーズがスタート。

「アイム・ア・マン」のはじまりです。

ブラス隊がここでは前面横一列順々に並んで次々とパーカッショニストへと変身。当たり前の話ですがそのエネルギッシュに打ち鳴らす姿はさすがプロ。全身全霊を込めてリズムを奏でます。

ロバート、ジェイソンのVOから(3番は無し)ウォフレッドのパーカッション・ソロ・タイム。前回の2012年初お披露目も凄かったけど今回は更に磨きがかかっていてライブ中、一つの山場を迎えた感あり。テクニックだけにとどまらずコミカルな演出,変拍子、客との掛け合い、複雑なリズム・コンビネーションと申し分なし。

普通このような単独ソロともなると、観客はトイレに行く時間か息抜きに費やされ(私は決してそんなもったいない事はしないで食い入るように見入りますが)るのですが、ウォフレッドの場合は一瞬の瞬きも惜しいほどのすご技連発。

トリスとの火を吹く攻防も凄まじい限り。

ドンドンと加熱していったと思ったらじらすようにペースダウン、そして再びパワーアップする様は言葉で表現できないほど。(私はウオフレッドに個別で会った際にNICE GROOVE!という賛辞を贈ったところニッコリと微笑んでTHANK YOU!と返してくれました。もっと私が英語堪能ならば色々な音楽談義ができたのですが、もうこれでいっぱい、いっぱい。せっかくのチャンスだったのに。情けない・・・)

また「アイム・ア・マン」に戻ってルーのボーカル。

矢継ぎ早に「ストリート・プレイヤー」へ。

2012年に初日本お披露目だったこの曲。あの時のジェイソンの力の入れようは半端ではなかったけれども、今回はこなれてきたのか風格溢れるスタイルで軽快に気持ちよく飛ばしていました。

(転調も鮮やかに)

珍しくリーお馴染みのハスキーヴォイスでMC。

「君と二人で」を紹介。中間部におけるソプラノ・サックス・ソロでレイ・ハーマンがこれぞ職人芸の真骨頂とばかりにアドリブを余裕で展開。

「素直になれなくて」。もう何もいうことはありません。この曲のヒットが無ければ今こうしてシカゴを目の前で見る事はなかったのですからね。

ああ、どこもかしこも美しい曲。

リーのファンファーレ風トランペット・ソロから引き継がれて「ゲッタウェイ」

ここいらからは完全に会場総立ち状態。老若男女、もう誰一人座っている者はいません。

シカゴ初のミリオンナンバー「サタディ・イン・ザ・パーク」

私は感極まって泣きそうです。

この曲を否定する人なんていないでしょうね。

定番「愛のきずな」は後半のハードパートからの導入プレイでダメ押し。

エンディングはザ・ビートルズ「ガット・ゲッツ・ユー・イントウ・マイ・ライフ」の一節。(この曲がシカゴ結成のキッカケでもありコンセプトだったのです)

メンバー達は一旦下がるも「アンコール!」の求めに応じて当然のごとく再び現れてくれました。

怒涛のブラスロック「自由になりたい」ではオリジナルの何十倍も過激に疾走。

ルーのボーカルも迫力いっぱい。

本当にこの人は色々なタイプの楽曲を器用に自分のものに吸収、消化して表現してくれますね。レイ・ハーマンのサックス・ソロは前回の時とはフレーズが変わっていて「おお~~~!!」と大興奮。

正真正銘のラストソング「長い夜」が鳴り響くと「ああ・・・もうこのステージもとうとう終わりなんだなあ・・・・」と切なくなってきて複雑な心境。

この際、完全燃焼した者勝ち。

一緒に歌いまくりです。大満足のコンサート。

やっぱりシカゴは別格です。

「ドウモアリガトウ!ニッポンダイスキ!!」とこなれた日本語でジミーから感謝のお言葉。

メンバー達が舞台袖に去った後、BGMと共に会場が明るくなり夢心地気分から一挙に現実へと引き戻されます。

アナウンスが流れるホールを出て、この後には日本中のシカゴ・ファン達が集う打ち上げのための居酒屋へ移動。

場所はコンサート会場から徒歩数分で格安、サービスも申し分なし。幹事担当は日本一のシカゴ・ファン用ブログ管理人さんです。ありがとうございました。

想像以上に物凄い人数のシカゴ・ファンでごった返していた綺麗な店内ではコンサートの余韻に酔いしれる中で祝宴が延々と繰り広げられていました(今は無きシカゴ・ファン・クラブで知り合ったご夫婦の結婚記念日もケーキでお祝い。おめでとうございます!)。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DIO LIVE(LD&VHS&LP)

2016-01-30 15:07:39 | free form space

ジミー・べインを偲んで・・・・3

ジミー・ベインは黄金期のディオを支えていましたがアルコール問題が表面化して脱退。

その後、出戻りもしましたが、誰が何といってもやっぱりディオのベーシストといえばジミー・べインでしょう!

最後に私が持っているディオの映像を。

 

VHSですが(!)「衝撃のスペクトラム・ライブ」(59分)

5人編成になってからのもので、1984年8月、フィラデルフィアのスペクトラム・ホールで3万人を動員して行われたライブ。

この頃はステージのセットも巨大化して壮大な物に。

ロニー念願のドラゴンまでもがステージに登場して剣を手に格闘を演じるという演出効果も話題になっていましたね。

内容のほうはといいますと、ブラック・サバスの曲も交えていて言うこと無しです。

「スタンド・アップ&シャウト」して「WE ROCK!!」

 

私は1度だけディオのコンサートを観ました。もちろんベーシストはジミー・ベイン。

「スーパー・ロック・イン・ジャパン1985」

8月10~11日にかけてのオールナイト(前日夕方から翌朝にかけて)

今振り返れば物凄いメンツが大挙出演(私は当時でさえ凄い!と思っていたけど)

ディオを筆頭にフォリナー、ママズ・ボーイズ、ラフ・カット、スティング、そして日本からはアース・シェイカー!

場所は東京湾お台場運動広場隣り・・・・ようするにゴミの埋立地らしいです。(まだ例のテレビ局ができる前のこと)

写真はその時のパンフレットとVHS(59分)

オープニングはアースシェイカーで、ジャパニーズ・へヴィーメタルファン達で盛り上がっていましたね。

その後の出演順はよく覚えていませんが、とにかく夜になるにつれて雨が降り出してきたのは強烈な記憶として残っています。

埋め立て地なので、即座に地面はヘドロ化、泥の川、ぬかるみでベトベト、悪臭ガスが沸いてきて最悪な状況に・・・。

深夜になると、その中でごろ寝している猛者もいてビックリ。

まあ、コンサート自体は十分に堪能できました。私も全てのバンドが初体験だったのでウキウキしていたしね。この出演者中で唯一浮いていた(皆も言ってたけど)スティングはメタル系のオーディエンスばかりなのに皆が大熱狂。私の当時のバンド仲間も特にオマー・ハキムのドラミングを観て、ただただ「凄い・・・・!」の一言を漏らすのみ。

全盛期の頂点に達していた感の「フォリナー」も素晴らしかった。商業ロックと揶揄されようが良いものは良いです。

燻し銀のステージングに惜しみない拍手が贈られていました。ヒット曲満載。

明け方、朝日を背に受けて登場したママズ・ボーイズ兄弟も大熱演。クワイエット・ライオットとカバー曲が被ったスレイドのスタンダードもいかしていたし、エレクトリック・バイオリンも披露(音響トラブルで序盤は聞こえなかった・・・)

日本へヴィーメタルのご意見番的評論家の伊藤政則氏もジョギングパンツ姿でアナウンス解説担当。「ママボー!」と紹介して笑いをとってもいました。白血病でその後、ドラマーは他界しちゃいましたが、自分は最初で最後の貴重な日本公演目撃者になれました。

ラフ・カットもレアですよね。

フォーメーションもばっちりに意外なほど貫禄のライブを見せつけてくれました。ボーカルのポール・ショーティノはその後、ビッグ・マウスの故ケヴィン・ダブロウの後任ボーカリストとしてクワイエット・ライオットに正式加入。

さて、ディオです。

なんとこの来日直前ロニーは盲腸の手術を終えたばかりでした。普通ならばコンサートなんてとんでない話。でもリーダーでメイン・ボーカリストの責任もある。

調整の結果、本人たっての希望で驚いた事にライブが実現したのです(マサ伊藤氏による説明がさらなる感動を呼びました)

夜も更けて観客の疲労も雨もピークに達しかけていたにも拘らず、ディオは圧巻のパフォーマンスを繰り広げてくれたのです。もちろん常にその輪の中心にはロニーが。加入したばかりのキーボード奏者クロード・シュネルも熱演。

メンバーは揃いのカッコイイ黒レザー(サテン?)を基調としたビーズ、チェーンを散りばめた衣装でプレイ。ロニーがメンバー達を引き連れて広大な特設屋外ステージの左右を行き来し、夜霧の中でロックする姿は今も鮮烈に残っています。

「ロング・リブ・ロックンロール!」

アンコールもかかりましたが、絶対にありえないと思っていたロニーが再登場

熱狂の「スタンド・アップ&シャウト」

本来ならばもう1曲「WE ROCK」も用意されていたのですが、「ロニーの盲腸の傷が開いた!」とマサ伊藤がアナウンス!

ドクター・ストップで断念。でも大満足のステージでしたね。プロ中のプロの意地をまざまざと見せつけられました。

この時のコンサート・イベントは色々とその後、問題があったようで、スティングのギャラが高かったとか噂が渦巻く中プロモーターは無くなってしまいました。数年後、ディオの単独来日公演も決定(札幌も含む)

しかし直前にドタバタがあって延期。ヴィヴィアンが脱退して元ジェフリアのクレイグ・ゴールディ加入で目出度く実現しました。(もちろんジミーも在籍)

 

最後に紹介するのはへヴィー・メタル版「ウィー・アー・ザ・ワールド」の「HEAR&N AID~STARS」

ロニーを筆頭にディオがその膨大なる人脈とソング・ライティングをいかして呼びかけて実現したモンスター級のプロジェクト。

二度とお目にかかることは不可能と思われる失禁モノのミュージシャン達が一堂に会しての「スターズ」は必見。

ロニーが陣頭指揮をとって(ポジション的にいえばメタル界のクィンシー・ジョーンズ?)レコーディングは進行。

まずはディオがベーシック・トラックを録り、次いでテクニカル・ギタリスト達がソロをリレー形式でプレイ。もちろんメガトン級のリード・ボーカル・トラックも振り分けられてレコーディング。

その光景は迫力満点の一語。

それぞれに個性剥き出しの火花散る攻防です。

最後には全員が一堂に会してのコーラスワーク。プロモーション・ビデオやインタビュー&メイキングもあります。

LPには「スターズ」以外にも8曲のロックソングが収録されています(アクセプト、ディオ、ジミ・ヘンドリクス、キッス、モーターヘッド、ラッシュ、スコーピオンズ、Y&T)

多方面から雑音が飛び交ったこの「ヒア&エイド」でしたが、何はともあれ今でもメタル界の語り草となっています。

いずれにしてもこの音源や映像は権利の関係上なのか即座に廃盤、今だにソフト化されていないという幻の代物と化しています(ジミーの貢献度も必見)。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DIO(CD&LP&12INCH)

2016-01-30 13:56:12 | free form space

ジミー・べインを偲んで・・・・・・2(最近このシリーズがやたらに多くて悲しい)

 

ワイルド・ホーシズ解散後のジミーは、かつてのレインボウ時代の盟友、ロニー・ジェームス・ディオの呼びかけに賛同してその名も「ディオ」に参加。オリジナル・ベーシストの座に君臨します。

ロニーはブラック・サバスでの大活躍後(スタジオ&ライブと名盤を残しサバス初来日も実現)音楽性の問題で脱退。同僚でもあったヴィニー・アピス(あのカーマイン・アピスの弟で蛙顔やヘアースタイルまでソックリ。リック・デリンジャーと「デリンジャー」というバンドも結成していました)を引き連れて自らのバンドを立ち上げたのでした。

数多くの若手ギタリストをオーディションした末に(ジェイクEリーやイングヴェイJマルムスティーンの名も)ヴィヴィアン・キャンベル(後にリバー・ドッグス、ホワイト・スネイク、そして現在はデフ・レパード!)に決定。

衝撃のデビュー作「ディオ/情念の炎~ホーリー・ダイヴァー」を発表。快進撃をはじめます。

ロニーがレインボウ時代からずっと提唱していた中世ヨーロッパ風様式美へヴィー・メタル・サウンドを頑固一徹貫き通してコンスタントに活動の輪を広げつつも人気を拡大。時はNWOBHM絶頂期で大盛り上がりでした。

ご他聞に漏れずこのバンドもメンバーの入れ替わりが激しかったのですが、それでもジミーはリズムセクションのヴィニーと共にロニーの良き相棒としてずっと在籍していました。黄金期の中核を守り通してくれましたね。あの独特の音作りと決してでしゃばらないソツのないベース・ランニングとステージング。名前のとおり「ジミ」といえばジミなスタイルですが、歴代のスーパーミュージシャンのボトムを支えるお手本のような物でこれがある意味では正解だと思います。だからこそフロントのスター達が更に引き立ってバンド全体の活性化にも貢献できるというもの。

ちなみに私一番のディオ・アドレナリン噴出しまくりへヴィーメタル・チューンはデビュー作のオープニング「スタンド・アップ・アンド・シャウト」です

この曲ならば一日中、繰り返しヘッドバンキングできるかも!(恐ろしい構図!?笑)

ライブの掴みを明らかに狙った構成がパーフェクト。メンバー全員のプレイも申し分なしの血管ぶち切れソング一押し。

この手のジャンルはこうであれ!のお手本のようなアレンジと盛り上がり。天晴れです。

別の角度からのお好みならば売れ戦狙いでキーボード、クロード・シュネル(元ラフ・カット)が参加してサウンドに奥行きも増した「ハングリー・フォー・へヴン」でしょうか。

青春映画「ビジョン・クエスト」用に提供した作品でロニー自身は嫌っていましたけど、これもよくできたハード・ロックでお薦めですよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JIMMY BAIN 死去

2016-01-30 13:14:52 | free form space

先月、へヴィーメタル・ベーシストの重鎮レミー・キルミスターの訃報が届きビックリしたばかりのところに、今度はジミー・べイン死去のニュースがロック界に激震を走らせました。

2016年1月24日68歳で他界・・・・。

 

スコットランド生まれの彼の名前を初めて知ったのは、ほとんどの人達が同じだとおもいますが、元ディープ・パープルのカリスマ・ギタリス率いるリッチー・ブラックモア率いる第2期レインボウでのこと。

それまで全く無名の若者だったジミーがオーディションの末に勝ち得たポジション(最もそれ以前にジミーのライブを観たリッチーが目をつけていたらしいです)。

今でもレインボウ最高傑作、そしてハードロック界永遠の名盤と誉高きセカンド・アルバム「RISING(邦題:虹を翔る覇者)」に参加しています。

結局彼はこれ1枚のみの参加でレインボウ初来日にも同行。ライブ・アルバム「オン・ステージ(LPは2枚組)」、ずっと後になってからのリリースとなった「ライブ・イン・ジャーマニー1976」という音源をも残しています。

「ライジング」は捨て曲なしの名曲揃い、テンションの高い名演で語られていますが、残念なことにジミーのベース音が弱い(新参ベーシストのこういった例は他にもパープルにおけるBURNのグレン・ヒューズ、メタリカ問題作ジャスティス・・・・でスタジオフル・アルバム作として初参加したジェイソン・ニューステッドなどがあります)

そういったことを除外視してもツボを心得た素晴らしいジミーのベース・プレイ。当初、トニー・カレイやジミーの腕前には問題視する輩も多かったですが私は彼のルックスや役割分担を理解したそつないテクニックが好きでした。

たしかに3頭政治といわれたあのバンドにいきなり抜擢されたのだからそうとうなプレッシャーだったと思いますが(3人が群を抜いて凄すぎ!)、驚いた事にリーダーの口下手リッチーと口論の末にジミーが勝利したという逸話もあります!すげえ!怖い物知らずというか若気の至りか?!しかし根に持ったリッチーは深夜、寝静まったジミーの部屋に潜り込み火炎放射器攻撃を浴びせたとか(信じられない・・・)

危うくジミーは命を失う寸前、軽くても全身大火傷だったとか(これって犯罪でしょう??!!)

奇行が平然とまかりとおるロック界ならではの笑い話(いや、笑って済まされないね)

さて、レインボウを去ったジミーは即座に元シン・リジー、後にモーター・ヘッドのメンバーだったブライアン・ロバートソンとともに伝説のバンド「ワイルド・ホーシズ」を結成してベース以外にボーカルも担当していました。

この2人がこれまたロック然としていて物凄くかっこよかったね。

結局短命に終わったこのバンドの後にお酒好きなジミーはレインボウのオリジナル・ボーカリスト、ロニー・ジェームス・ディオと合流することとなるのです。

 

ああ・・・・レインボウの「ライジング」メンバーのうち3人がもうこの世にいないのですね。

第1期メンバーだった元エルフのドラマー、ゲイリー・ドリスコールもそれよりも先に悲劇の死を遂げているから既に4人がレインボウでは亡くなっていることになります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EAGLES(CD)

2016-01-29 01:08:51 | free form space

グレン・フライを偲んで・・・・4

締めくくりは、やっぱりイーグルス栄光の名盤群で。

1972年の「ファースト」、コンセプト・アルバムのセカンド「ならず者」、ドン・フェルダーを迎えた3枚目「オン・ザ・ボーダー」、バーニー・レドン参加最後のアルバム「呪われた夜」、全米で最も売れたアルバム(全米だけでも2900万枚以上!プラチナ・ディスク認定第一号)「グレイテスト・ヒッツ1971-1975」、説明不要の代表作「ホテル・カリフォルニア」、ティモシーBシュミット加入後初のシングル「ふたりだけのクリスマス」、第一期ラストアルバム「ロング・ラン」、初のライブ盤「イーグルス・ライブ」は2枚組、そしてベスト第2弾「イーグルス・グレイテスト・ヒッツVOL,2」、奇跡の再結成作「ヘル・フリーゼス・オーヴァー」、28年ぶりのスタジオ盤2枚組「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」は全22曲入りの力作で全米№1を記録(写真は限定デラックス・エデイションでボーナス・トラック2曲収録)

 

イーグルス歴代のベーシスト、ランディ・マイズナー、ティモシーBシュミットは共に元POCO(アメリカの伝説的カントリーロックバンド)のメンバー。

実はシカゴのオリジナル・ギタリスト、テリー・キャスが銃の暴発事故で非業の最期を迎えたときにバンドの将来を不安視したピーター・セテラは、当時最もお気に入りのバンドでもあったイーグルスに加入できないかなあ・・・・なんてふと思った、と以前つぶやいていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EAGLES 来日公演パンフレットETC・・・・

2016-01-28 16:50:32 | free form space

グレン・フライを偲んで・・・・3

 

「ホテル・カリフォルニアへようこそ」は初のイーグルス伝説本。

もう一冊シリーズ物で「地球音楽ライブラリー・イーグルス」

これ1冊さえあればイーグルスのアルバム、シングルはもちろんのこと、ソロ名義、セッション作品、ゲスト参加まで詳細に網羅されているので大助かりの永久保存版です。

VHSアメリカ版「HELL FREEZES OVER」収録時間100分

奇跡の再結成映像に世界中の音楽ファン達は熱狂して話題騒然でしたね。17曲入り。新たなアレンジを施した往年の名曲群の中に位置する新曲も新鮮な衝撃を与えてくれて素晴らしい。

 

来日公演パンフレットは3冊所持しているのですが、「ザ・ロング・ラン1979」はアルバム・ジャケット同様に真っ黒。

6月25日(月)の日本武道館チケット付き。この後絶頂期を迎えたままイーグルスは1982年正式に解散を発表、長い眠りに入ります。

1994年再結成後、先の映像作品「ヘル・フリーゼス・オーヴァー」と4曲の新曲とライブを織り交ぜた変則アルバムを発表。大規模なワールドツアーの一環として1995年来日。

この時の東京ドーム公演では野球狂の彼ららしく、当時の日本人スーパースター野茂秀雄投手をステージ袖に招待したそうですよ。

そしてイーグルス最初で最後の札幌公演が2004年遂に実現!

新聞でも大々的に報道されていましたが、2部構成のコンサートは感動的でしたね。

ドン・フェルダーの脱退、観客の入りがイマイチ、札幌では他の公演よりも曲数が少ない・・・といろいろありましたが内容としては申し分なし。

大御所の風格漲る見応え満載のコンサートでした(バックミュージシャンも多く、またメンバーのソロ・コーナーもありました)

「フェアウェルⅠツアー」という謳い文句は彼等一流のジョークだったらしく、それを本気に受け取って「もうイーグルスは見られない」と思っていたファンも多かったそうです。まったくもう・・・・。

ちなみに私はジョー・ウォルシュ、ランディ・マイズナーも1981年東京で個別に見ちゃいました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GLENN FREY SOLO&EP

2016-01-28 15:33:06 | free form space

グレン・フライを偲んで・・・・2

イーグルスの大ヒット曲EP2枚。

「HOTEL CALIFORNIAドン・ヘンリー、ドン・フェルダー、グレン・フライ共作~6:08(B面・お前を夢みてPRETTY MAIDS ALL IN A ROWジョー・ウォルシュ、ジョー・ヴィタル共作~3:51:1977年4月発表)」「呪われた夜ONE OF THESE NIGHTSドン・ヘンリー、グレン・フライ共作~3:28(B面・VISIONSドン・ヘンリー、ドン・フェルダ共作~4:00:1975年8月発表)」

輸入シングルで「ふたりだけのクリスマスPLEASE COME HOME FOR CHRISTMASチャールズ・ブラウン、ジーン・レッド共作~2:57(B面・FUNKY NEW YEARドン・ヘンリー、グレン・フライ共作~3:59:1978年12月発表)」

 

さてグレン・フライは1980年のイーグルス解散後もプロデュース業、そしてソロでヒット曲を連発します(もちろん大好きな野球にも汗していました!)。

「THE HEAT IS ON」はその中でも代表格に位置するヒットソング。

アルバムのほうはといいますと・・・・

1982年写真はUSA&JAPAN盤LP「NO FUN ALOUD」(10曲入り、32位)

1984年「THE ALLNIGHTER」(10曲入り、22位)

1988年「SOUL SEARCHIN’」(10曲入り、36位)

1992年「STRANGE WETHER」(日本のみボーナストラック入りで全16曲収録)

シカゴ・ファミリー・メンバーも参加してるのですよ。さすがに大物ミュージシャンだけあって錚々たる大物の名前がズラリ列挙されていますが、ここではあえてシカゴ関連の人達を。

ファースト・ソロの「ノー・ファン・アロウド」ではシカゴの弟分バンドとして一世を風靡した伝説のバンド、マデュラからデヴィッド・ホウク・ウォリンスキーがオルガン&シンセサイザーでプレイ(彼はその後チャカ・カーン&ルーファスの主要メンバーとしても大活躍)

ビル・チャンプリンもバック・コーラスにて客演(&ガール・フレンドとあるのは現在の奥さまタマラ・チャンプリンでしょう)

シカゴのサポート・トランペッター、リー・ソーンバーグの名前も確認できます。

ソロ・デビュー作から2年の歳月を経て発表されたセカンド「ザ・オールナイター」はタイトルが示すとおり白黒のジャケット・デザインで夜のイメージを演出

ここでもシカゴ・ファミリーのリー・ソーンバーグはホーン・アレンジとフリューゲルホーンを担当。

デヴィッド・ホーク・ウォリンスキーはオルガン、シンセサイザー、ファズギター、プログラミングと大忙しでスペシャル・サンクス扱いです。

4年のインターバルをおいての3作目「ソウル・サーチン」ではなんとデヴィッド・ホーク・ウォリンスキーがキーボードは当然としてアレンジ、サブ・プロデューサーに昇格。そうとうグレンから厚い信頼を受けての抜擢だったのでしょうね。

オリンピック並みに再び4年の間を置いて発表された4作目「ストレンジ・ウエザー」

ここではジェイソン・シェフのお父さん、ジェリー・シェフがベーシストとして参加しています!

この人はキング・オブ・ロックンロール、エルビス・プレスリーの晩年における専属ミュージシャンだった大御所です。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GLENN FREY 死去

2016-01-28 14:56:57 | free form space

シカゴのジャパン・ツアーも大盛況のうちに終了。興奮冷めやらぬ状態で帰路についた翌日に衝撃のニュースがまた飛び込んできました。

イーグルスの中心的メンバー、グレン・フライ死去の報。

2016年1月18日、リウマチ性関節炎や肺炎による合併症が死因だそうで享年67歳でした・・・。

今年明けてから1月だけでナタリー・コール、デヴィッド・ボウイ、そしてグレンが鬼籍の人に。

70年代のアメリカンロックを語る上で決して欠かす事のできない偉大なるバンド、イーグルスのリーダーでもあったグレンはリンダ・リンシュタッドのバックバンドを経た後に、陰のドン・ヘンリー、陽のグレンと言われるくらいに2人で数多くの名曲を生み出し、歌い続けてき中核ともいえるメンバー。

イーグルスとしてグラミー賞6回、アメリカン・ミュージック・アワード5回受賞。イーグルスとソロ合わせて24曲ものトップ40を送りだしてきました。1998年にはシカゴよりも相当先に「ロックの殿堂入り」も果たしています。

そのシカゴとは総売り上げ枚数もほぼ同じ(一時バンドが解散していたにも関わらず)

またシカゴとは野球仲間として試合も行っていましたね!私がイーグルスを初めて知ったのはラジオから流れてきたデビュー・アルバムからの「魔女の囁き」でした(何故か「テイク・イット・イージー」ではありませんでしたよ!)

音楽雑誌で彼らの存在は以前からよく知っていましたが、なんといっても極めつけは「呪われた夜」

あのドラマティックで衝撃的な病み付きイントロ。不思議な魅力に溢れた展開で一気にファンになりましたね。

そして歴史に残る大傑作作品「ホテル・カリフォルニア」を発表

私もドンドンとモンスターバンドに成長していく様をタイムリーに見てきたロック小僧の一人でした。

::::::メンバーチェンジ、来日、解散、ソロ、再結成::::::

グレン亡き後のイーグルスはいったいぜんたいどうなっちゃうのでしょうか・・・・・・?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CHICAGO JAPAN TOUR 2016 REPORT4

2016-01-27 19:53:59 | CHICAGO

<前半>
 1.Introduction
 2.Questions 67 & 68
 3.Dialogue (Part I & II)
 4.If You Leave Me Now
 5.Alive Again
 6.Wake Up Sunshine
 7.Now
 8.Call On Me
 9.(I've Been)Searchin' So Long
10.Mongonucleosis
11.Will You Still Love Me?
12.Another Rainy Day In New York City
13.Look Away
14.Ballet For A Girl In Buchanon

休憩(公称15分、実際にはもう少し長めか?)

<後半>
15.Old Days
16.Does Anybody Really Know What Time It Is?
17.Hard Habit To Break
18.You're The Inspiration
19.Beginnings
20.I'm A Man ~ Drums & Percussion Solo
21.Street Player
22.Just You 'n' Me
23.Hard To Say I'm Sorry ~ Get Away
24.Saturday In The Park
25.Feelin' Stronger Everyday (曲の後半部分のみ)

<アンコール> (後半終了後の暗転から殆ど間を置かずに開始)
26.Free
27.25 Or 6 To 4

***4公演共に、セット・リストは同じ***

 

日本における熱烈シカゴ・ファンとしては5本の指に楽々入る親しき友人のライブ・レポートを参考にいろいろと加筆させていただきここに掲載させていただます。(本人の了解済み)

 

1曲目のIntroductionはロバートがショルダーキーボードでステージセンターで
シャウトして歌い続けます!!!以前ならロバートは上段のポジションでプレイしていたのでこれは見た目にも新鮮。とても70歳以上には見えませんね。 相変わらずカッコイイ。
しかもフルバージョンでやってくれました!!初めて、遂にやってくれました。ロバートのイントロダクションはパワフルで私はお気に入りです。
トップソロのジミーは決めの難解なブレイクにいくくだりで、驚いた事に階段をダダダッ!と駆け降りながら(もちろんトロンボーンを吹きながらですよ!)ステージ中央に出てきました。次のリーも同じく階段を降りて
トランペットソロを華麗に響かせ、3番手のギターソロでもキースが入れ替わりでセンターにてへヴィーなサウンドを轟かせています。この余裕あるプレイには感服しちゃいました。2曲目のQuestions67&68。シカゴ仲間の間で「どうせまた日本語だろうな」と
言っていましたが英語です(これも私は初生体験)!!確かにステージを見ましたら今まで
日本語の時はカンペがステージにありましたが今回は無かったので!

でも1番のみロバートの部分は日本語でした!!!「ダケドドウデモイイサア~」。これには往年の観客達大喜びで歓声がドッと沸きあがりましたね。

最近のステージではジェイソンが右端のポジションですがこの曲の時は
センターで歌いました。ホーンズが右側に全員移動。

3曲目DialoguePART1&2。2010年の時のルーはまだまだという感じでしたが今は
完全にシカゴの一員に堂々と君臨、違和感無しです!!
ひじょうにいい仕事をしています。もはや彼はシカゴにおいて無くてはならない存在だと痛感した次第。

最初の3曲の間、観客の反応は良かったです。立ち上がりたいと思っていても
周りが立ち上がっていないから立ち上がらない(私もそうでした)人達がかなり
いた感じ。なので立ち上がり状態は途中までごく一部の人だけという状況


この曲の後にジミーがおもむろにカンニングペーパーを取り出し(もはや、お約束事なので観客達も待ってましたモード全開)日本語で

「ヨコハマ!」の都市名をからめたご挨拶。これはその都市によって若干のアレンジをくわえていたようで方言なども交えて笑いをとっていたようです。

 

 

4曲目の「愛ある別れ」はバラードなので観客たちは一旦着席してじっくりと聞き入っています。キースが12弦アコースティックギターに持ち替えて思い入れたっぷりにソロも爪弾きつつ切ない曲調に彩りを添えてくれます。彼も貫禄が出てきましたな。5曲目の疾走感溢れるロックチューン、アライブ・アゲインで
再度観客が立ち上がりはじめました。でも全体の4・5%という感じです。

6曲目は「シカゴと23の誓い」からwake up Sunshine。比較的若手のファン達は「えー、これってどのアルバムに収録されているの?」みたいな反応。でもコアな ファン達はかなり反応良かった感じです!!!
そう、かくいう私も今回とても楽しみにしていた1曲。もちろん初めて聞くことができたので感無量の極致。もともと昔から大好きな曲だったから尚更です。当時シングルカットしていても大ヒットしていたでしょうね。ウキウキしちゃうくらいの極上アップテンポでピアノも軽快
なボビー節全開の御機嫌ソング。ジミーの燻し銀トロンボーン・ソロもいい味出しています。7曲目の前にロバートのMCが入り最新曲「NOW」。今回のツアーでこの曲を一番聴きたかったので私自身は鳥肌モノでした!! 改めて「いい曲だなあ・・・」としみじみ聞き入っちゃいましたよ。シカゴにとってまた傑作が一つ加わったのです。ジェイソンはあまり喉の調子が良くない様子で、無理がかからないような歌唱。でも感情移入の歌い込み方は半端じゃあないです。さすがジェイソン!お見事、天晴れ!!
「call on me 」はラテン系の新メンバー、ウォフレッド・レイエスJRにとって真骨頂。イントロから力強いボンゴのグルーブが新たな息吹きを与えてくれています。オリジナル以上にパーカッション風味が倍増。ドラマチックな効果音から導かれたかたちでプレイされた雄大なるスケール感で迫ってくる「遥かなる愛の夜明け」では観客も座ってじっくりと聴き入る感じでしたが10曲目の「Mongonucleosis」では結構
立ち上がり始めました。 無意識にでも腰がうずくダンサブルチューンです。リーのトランペット・ソロも炸裂しまくり。

この後、ステージ全体が暗くなりステージセンターに数人のスタッフがキーボードとマイク、スタンド、イスを設置。
3人のメンバーによるキーボード・ソロタイムへ。

11曲目まずはジェイソンがちょっと気取りながらポーズを決めつつゆっくりと登場。指慣らしで鍵盤に指を走らせながら復活作「Still Love Me」イントロへとつなげていきます。2012年の来日公演の時に野村邦丸さんの
ラジオ番組でジェイソンが生放送で歌ったのを記憶していましたが、これがまたうっとりと心に染み入るくらいに良かった!

ウォーリーもバックでいい音を出していました。

12曲目は「シカゴⅩ」からの第1弾シングル「another rainnyday New York City」。ロバート独壇場という感じでした。これも私は初体験だったのでウルウル状態・・・。オリジナルはピーターがリードボーカルを担当。中間部ではスティールドラムが導入されていたサルサ風ロックミュージック。ここでは両サイドにキースのアコースティック・ギターと ウォフレッドのコンガ(1個を抱えてイスに座ってのプレイ)を従えての演奏。RAW映像が鮮やかに蘇ってきました。やっぱりボビーの曲を聴くと黄金期の熱いシカゴが鮮明に蘇ってきます。
13曲目の「Look Away」。ボビーからバトンを受け取ったルーがステージ中央で熱唱!!アコギバージョンが途中から
ホーン導入の通常バージョンへ。私はホーンありのこの曲は知りませんでしたが
アメリカのツアーではやっていたそうです。
この構成は壮大なる効果を醸しだしていて改めて「プロフェッショナルだなあ・・・」と偉大なる目の前のバンドをただただ見つめつつも、ひれ伏すのみでした。完全に参りました。
ルーがセンターキーボードに残ったまま7楽章からなる組曲の金字塔14曲目「バレー・フォー・ア・ガール・イン・ブキャナン~ぼくらに微笑みを」へ。曲調がころころと変化して「言いたい事がたくさん」では地響きをたてるがごとくの低音強調ソングへ。「不安の日々」では一転リーの見せ場到来とばかりに流麗なるトランペットソロを吹き鳴らします。ちなみにこの場面のみリーは通常のB♭管からC管へと持ち替えています(STAファニーによるリサーチ。C管は若干ではありますが中の管部が短いのです)。メドレーで「ウエストバージニアの幻想」ではサポート・メンバーのレイ・ハーマンがサックスからフルートに素早く持ち替えてリーとのユニゾン、次いでボビーとキースのユニゾン、最後はブラスセクション総がかりで纏め上げ。半端じゃあない構成を涼しい顔して演奏するシカゴは、そこいらのロック小僧集団ではちょっと太刀打ちできない神々しささえ漲っています。「カラーマイワールド」の時に
リーが一旦バックへ下がったので2010年の東京国際フォーラム初日、リーがステージに戻るのが遅くて歌えな
かった場面を一瞬思い出しましたが今回は大丈夫でした(笑)。思いっきりフェイクしてのリー・バージョンも秀逸。 「今こそ自由を」ではトリスによる破壊力満点のドラムソロに会場全体が大喝采。「愛は限りなく(now more than ever)」の最後はギリギリ限界まで引っ張りに引っ張って圧倒のフィニッシュ。

あっという間の第一部、前半戦でこの勢いですよ。

ここまで約1時間15分、休憩15分。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CHICAGO JAPAN TOUR 2016 REPORT 3

2016-01-27 01:04:46 | CHICAGO

2016年1月14日(木)になりました。

シカゴ日本公演の前半2ステージは大盛況のうちに終了。折り返し点の後半2公演が今日からです。

ここ横浜でコンサートを観るのは私初めて(今回シカゴは東京公演は無し)。

何と前日ロバート・ラムとウォフレッド・レイエスJRがアシスタント・ツアー・マネージャーと「ラーメン博物館」を訪れていたという情報をゲット。

早速足を運んでみました。シカゴファンの友人が案内役をかってくれて入場料まで払ってくれたのです。

ちなみにこの場所からすぐのところにS・T・Aアルトサックス奏者ジュンの実家があるそうです。

入り口前ではどんぶりから麺を箸で持ち上げたユニークなオブジェが迎え入れてくれます。

思っていた以上に入場客が多いのにビックリしていたら、そのまま階段を降りて中へ。

ここで更に数倍ビックリ!一気に昭和初期の世界にワープしちゃったかのような錯覚に陥っちゃう見事なレトロセットが目前に現れたのです。

これらは作り物ではなく実際に当時あった現物ばかりだそうで説得力ありすぎです。

古き良き日本の貧しくも暖かかった家庭の情景が目に浮かぶようです。

さすがに私の世代ではありませんが街頭テレビまでが設置されていて、ブラウン管には力道山の試合が(もちろん白黒画像で)映し出されているという凝り様。

壁のチラシやポスター、角のタバコ屋さん、公衆電話ボックス、傷みやシミまでがリアルそのもの。

まさに「三丁目の夕日」さながらに、子供時代を彷彿とさせてくれます。お土産売り場も充実。懐かしいラーメン店では実際に注文も出来て食事を楽しむ事もできます。

パンフレットも沢山の国別に翻訳してズラッと陳列。思わず感動のあまりに写真を撮ってしまいました。こんなに種類の多いのは初めて見たもので。

ここでシカゴのメンバーは何を思ったのでしょうかね?そうそうロバート・ラムの大好物は意外にも「とんこつラーメン」だそうです。

この後偶然にもシカゴのメンバー数人に会うことができてサインをもらったり、写真撮影に応じてくれたり、握手してくれたり、ちょっとした会話(本当にちょっとのカタコトで)もしてくれたりで至福のヒトトキでした。

私はひねくれているというか、当たり前にシカゴのCDにサインしてもらっても面白くないので各メンバーのコアな物を持っていって目前に出してみたらばやっぱり「OH!」と満面の笑みで大喜びしてくれました。私の名前まで聞いてくれたりしてね。

シカゴのメンバー達はこれだけのキャリアがあるにもかかわらず、気取った感じや冷たい感じのする人は一人もいなく皆素朴にフレンドリーで気さく。特にトリスはサービス精神に満ち溢れたナイスガイ。ルーも負けないくらいの好人物なのですが、一番新しいメンバー、ウォフレッドはもう良い人の領域を超越していますね。いつまでもニコヤカに会話してくれるし、カメラのシャッターまで押してくれようとするし。

ラテン系の明るい気質そのもの。

よりファンになっちゃいました。彼が以前在籍していた「サンタナ」のアルバムを取り出したら物凄く嬉しそうにして、そのアルバムの事を全くを知らない女性ファン達へ親切に細かな説明までしていましたよ。

その後、ジミー・パンコウが珍しくキャップ姿でケーキを買いに現れました。

真剣にショーケース内を吟味してコーヒーも一緒に購入していきました。もちろん私も同じケーキをゲットして写真撮影。

なるほど。あのトロンボーン・テクニックはケーキも関係しているのかな?(笑)

ジミーはバンド内ではルーと1.2を争うほどの酒豪ですが甘い物もいけるのですね。

ケーキショップのうら若きお姉さん店員に「今の外国人の人を知っている?」「いえ・・・知らないんです・・・」「伝説の国民的アメリカン・ロックバンド、シカゴのオリジナル・トロンボーン奏者だよ」と教えてあげたら「あ!シカゴ知っています!!」とビックリ。

これでまた一人シカゴ認知度を広めちゃいました。

さあ、時間も押し迫ってきたのでコンサート会場へ移動です。

4年ぶりの生シカゴですね。

場所は真横がすぐ海という、ちょっと風光明媚なトレンディドラマの1シーンみたいなところ。もうすでに数多くの人達が海風を浴びながら行列を作っています。皆「寒い・・・」とこぼしていたけれど北海道に比べればこんなの快適そのものさ。

PM6:00と共に開場。まっしぐらにグッズ売り場へ。賑わうロビー内でTシャツ4枚とパンフレットを購入して一安心。これでまたコレクションが増えました。

観客を見回してみたら、やはり年齢層が高い。会場はとても広くて綺麗。

客席についてステージに目をむけるとお馴染みの巨大ロゴはなく、代わりにスクリーンが鎮座。

女性アナウンスが注意事項を告げます。

センスの良さが伺えるBGMが延々と流れる中、ザ・ビートルズの「ジョンとヨーコのバラード」が飛び出してきて思わずニンマリ。そして会場内では女性の売り子さんがパンフレットを販売するためにグッズ収納専用バッグを抱えて通路を歩いています。こういう光景ははじめてみましたが、これが飛ぶように売れているのですよ!

開演時間がやってきた!暗転してSE・・・・・いよいよです・・・・男性によるバンド紹介で「レディース&「ジェントルメン!!」

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする