THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

DIVERSITY WIRELESS SYSTEM

2013-09-28 14:22:20 | 楽器館

YAMAHA  PROFESSIONAL SYSTEM EFFECTORS

WXY-05R  RECEIVER

WXY-05T  TRANSMITTER

28年くらい前に入手した当時の人気ワイヤレス・システム。

酷使したのに一度もトラブったことがない頼れる奴でした。

アンテナ2本は折りたたみ式の本体上部左右固定型。

トランスミッターは9ボルト電池1個使用。プラグ・パーツはハイグレードなものに自ら交換。

楽器ケース専門の製造会社に勤務する先輩に指導してもらって自分でハードケースも製作しました。

ところがその後の電波法改正に伴い、正常な状態にも関わらず使用不可能になってしまいました・・・・気に入っていたのに・・・。

MASA

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RHYTHM TRAINER

2013-09-28 13:19:59 | 楽器館

必須強化アイテム、SEIKO SQM-348(日本製)

9ボルト電池1個使用。

20年以上前に入手したものですが現役でお世話になっています。

こいつと1対1で黙々と練習するひととき。

地味なトレーニングではありますが結構没頭してクセになります。

でもあまりやりすぎると1日中、頭の中で「ピコピコ・ツトトト・・・!」音が鳴り響いています(笑)

MASA

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FRANK ZAPPA

2013-09-27 14:51:49 | free form space

STAのトロンボーン奏者、ミツと会話していて数年前にびっくり名前が飛び出しました。彼は生粋のジャズ・ミュージシャンなのに「フランク・ザッパに夢中だ」とのこと。

ロック界広しといえど、ザッパほどマニアックでちょっと難解、ぶっ飛んでいるミュージシャンはそういないと思います。そういう方面では王者的貫禄をずっと誇示してもいました。

まあ、アバンギャルドなものを好むリスナーやミュージシャンには圧倒的支持を得ていたのも事実でフォロワーも多方面に存在します。

私もノブも数枚のアルバムは所持しているのではありますが、どっぷりと聴きこむほどにはまるということは残念ながらありませんでした・・・。

写真中段右端のアルバムはBOHUSLAN BIG BAND(スウエーデン盤)の12曲入りZAPPAカバー集(トータル・タイム67:23)。

ミツからのプレゼント。そういえばザッパには音楽のジャンルというものは何の意味ももたない、ナンセンスなものでしたっけ。

ドゥーワップからジャズ、ビッグバンド、ハードロック、ミクスチャー、サイケデリック(本人はドラッグ否定者)、ヘビーメタルまでとなんでもござれ。

 

ザッパが子供の頃、彼の喘息対策のために家族はアメリカの各地域を点々とします。

多感な10代にはありとあらゆる音楽を聴きまくっていたそうですが、14歳の時に出会ったのが「エドガー・ヴァレーズ」

ヴァレーズは擬音やノイズなどを音楽に大胆に導入した近代前衛音楽の代表格。

ザッパが受けた影響は相当なもので、その後の音楽活動にそれが如実に現れています。

ちなみにシカゴも「Ⅴ」のオープニングは「ヴァレーズに捧げる歌」でした。あのイントロで聞かれるギターのアーミングによる「ギュワ~~ン~~~」はまさに真骨頂、当時のライブにおける重要なレパートリーでもありました。

で、ザっパは1966年にめでたくデビュー・アルバム、傑作「フリーク・アウト」(ザ・マザース・オブ・インベンション)を発表するのですが、これがぶっ飛びの2枚組によるコンセプト・アルバム。

シカゴの数年先を行っていたのですね。

マザースには一時的にシカゴ育ての親、ジェームス・ウイリアム・ガルシオも在籍していたそうです。

噂によると彼が高価なアンプを所持していたのが迎え入れられた要因だとのことですが、ことの真意はいかに??

その後、マザース・・・は積極的にアルバム発表、ツアーに没頭。

ザッパ製作の映画VHSはこのブログのジョージ・デューク訃報のところで紹介したので割愛。

私がテレビで初めてザッパの動く姿を見たのは深夜に放映されていたクレー・アニメのようなプロモものでザッパが弾いているギターが怪物に変身してザッパの左首筋に噛みつく!という奇怪な映像。でもインパクトは強烈で「凄い!!カッケー!」と思いましたね。

誰もが知っているディープ・パープル「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の誕生エピソード。

モントルー、レマン湖のほとりで「マシーン・ヘッド」のレコーディング中だったパープルは近くの会場でマザースのコンサートがあるとの情報を入手。

ところがそのコンサート中にちょっと危ない男が乱入してきてFIRE GUN(火炎放射器)を竹製の天井に向かって放った。材質が材質だけにあっという間にあたり一面は火の海に。

黒煙が会場からレマン湖の水上にまで漂いパニック状態に。リッチーがずっと温めていたあのリフにその事の成り行きをそのまま、イアン・ギランが歌詞に起こして乗せたのがあれです。しっかりと「フランク・ザッパ&マザース」と歌っています。

王様も「湖上の煙~~火の粉がパチパチ」と歌っているよん。気の毒なことにこの火事でザッパのバンド機材は全て灰になってしまいました。

1976年1~2月には初来日も実現します。浅草で行われた記者会見では司会を内田ロックンロール裕也氏が担当、花魁ショーも交えての華やかな内容が話題に。ベースのロイ・エストラダは元リトル・フィートのメンバーでしたが、それ以外のバック・ミュージシャンはほとんどが無名。でも超テクニカルなプレイの連発で観客は度肝を抜かれたそうです。その中にまだ幼い顔をしたテリー・ボジオも在籍していてツイン・ドラムによる圧倒的パフォーマンスを披露。日本で知った当て字「雑葉」をよほどザッパ本人は気にいったらしく後のアルバムにもその漢字を使用。親日家でもあり、またの来日公演を熱望していたほど。

 

マザース解散後もアクティブな創作活動は衰え知らず。

いくつものレーベルを渡り歩きながらもコンスタントにアルバムを発表。

ただアルバムを乱発するのではなく、妥協なき演奏はメンバー達に対する要求にも反映されリハーサルは毎日10時間、ツアーのためにそれを数カ月も費やし、その間もメンバー達にはギャラを支払い、時にはステージにはビッグバンドも参加、キーボード、ギターなども複数人が駆り出されたために大赤字だったとか。

レコード会社もザッパのプロモーションには積極的ではなく、注文も多かったためにブチ切れたザッパは発売前のアルバムをラジオで流すという掟破りの訴え行動を起こしたそうです。

あるコンサートではステージに上がってきた観客に突き落とされたザッパは複雑骨折の重傷を負い、それが原因で喉の筋肉が圧迫されて高音ヴォイスが出しにくくなりあの独特のボーカルスタイルが確立、まさに怪我の功名というべきか・・・。

また別のステージではファンが「俺のほうがザッパよりも下品だ!」と言い放つやその場で脱糞!!それをザッパが食べたというもの。もちろんこれはデマなのですがザッパ本人が「クール!!」とのコメントを述べたためにいかにも事実のように一人歩きした次第。

まあ、ザッパの音楽はずっと「猥雑、変態的で意味不明」と方々からやり玉に挙げられていましたから。曲調も何が飛び出すか予想もできない展開連発、複雑で入り組んだ難解なフレーズ、転調、移調当たり前。歌詞には政治、宗教、世の中の不条理な出来事をシニカルに風刺、とにかくまともにこちらが取り組もうとしてもするするとおちょくられるというザッパ・ワールドの快感がいつのまにか病みつきになるほどです。またパロデイ・センスも抜群で写真上段中央はビートルズのサージェント・ペッパー・・・なのは一目瞭然。私が、滅多にしないジャケ衝動買いの1枚。アルバムタイトルや曲名の邦題も奇奇怪怪。まあCD化再発の段階でかなり改善はされてきましたがもともとの原題が原題ですからね・・・。一番私が忘れられないのが殺虫剤スプレーCMの流行語から引用した「ハエハエカカカ・ザッパッパ」につきます。

その後は「もうステージではやるべきことは達成された」とツアー引退宣言。

益々レコーディングに没頭します。

空港での待ち時間にも楽器が手元にないにも関わらず譜面をどっさりと持ち込んで曲作りを行うほど。

今では自他ともに認める天才ギタリスト、ステーブ・ヴァイもザッパ門下生。

彼が弟子入り志願で伺ったとき、「じゃあ行こうか」と連れられていったので、てっきり「スタジオでさっそく演奏?」と思っていたヴァイ。

ところが行き先はレストランで「世の中の音には全て音階がある。この食事中の雑踏、会話を譜面に起こしなさい」とのシュールな出題を浴びせられたとか。

バイのファースト・ソロアルバム収録曲やデビッド・リー・ロスの「ヤンキー・ローズ」イントロで聞かれる笑い声、おしゃべりをワウ多用で再現する技巧はその影響の現れなのでしょうね。

ヴァイは当初、採譜係でしたが、その後はセカンドギタリストに昇格。

彼ほどのテクニシャンがこの扱いですからね、他にも驚きの卒業生多数。

共演者もエディ・ジョブソン、エイドリアン・ブリュー、ビニー・カリウタ、ピーター・ウルフ、レ二ー・ホワイト、ランディ・ブレッカー、マイケル・ブレッカー、サイモン・フィリップス、ラヴィ・シャンカール、チャド・ワッカーマン、イアン・アンダーウッド・・・・・・。

故ローウエル・ジョージもザッパ学校の生徒でしたが「君は自分のバンドを作りなさい」と言われてエストラダとリトル・フィートを結成したという話は有名です。

10年以上にわたる前立腺がん(発見された時にはすでに手遅れだったそうです)との闘病の合間も音楽創作は続いたそうです。晩年は「ザッパのオーディションに俺は合格できないだろう・・・」と自らにも厳しい姿勢を示すほどに。

自分の死期を悟った中、他界する間際までザッパはまさに独創街道まっしぐらの音楽家でした。ザッパの前にザッパなし、ザッパの後にもザッパなし。唯一無二の存在。

ザッパ・ジュニア達もミュージシャンとして成長。写真右下は愛息ドウイ―ジル・ザッパの1991年発表のソロ15曲入り「コンフェッションズ」。

ビージーズの「ステイン・アライブ」もカバー、参加ミュージシャンも豪華でヌーノ・ベッテンコート、ザック・ワイルド、ドニー・オズモンド、スティーブ・ルカサー、ウォーレン・デマルティー二、ティム・ピアース・・・。

物凄い顔ぶれですがそんな状況に埋もれることなくドウイ―ジルは見事なソロワークをぶちかましてきます。さすがザッパJR(本人はこう言われることを嫌うでしょうが)。

しかし毛深い繋がり眉毛は父親と瓜二つ(笑)。意外なのは日本が誇るビッグ・スター矢沢永吉のジャパン・ツアーにドウイ―ジルが一度だけ参加のために来日、札幌にもやってきました(もう一人のギタリストはドゥービー・ブラザースのジョン・マクフィー)。

またドウイ―ジルは俳優業もこなしています。

1987年公開のアーノルド・シュワルツエネッガー主演のアクション・ヒット映画ステイーブン・キング原作「バトル・ランナー」にフリートウッド・マックのミック・フリートウッドの息子役で、他にも「プレティ・イン・ピンク 恋人たちの街角」があります。

ザッパ自宅の地下室には膨大なレコーディング・テープが山積みされているそうで、今までに発表されたアルバム数だけでも100枚以上ですがそれはほんの氷山の一角で、遺族たちの手によって現在もコンスタントに毎年数枚のペースで未発表作品がリリースされ続けています。

 

写真下段左はVHSライブ「ダズ・ヒューモア・ビロング・イン・ミュージック?」(58分)。

THE PIER、NEW YORK CITY AUGUST 26,1984年の作品です。

曲間にはザッパのインタビューも収録。

鬼才、変人のイメージが先行しそうな人物ですが、この映像を見るに実はそうとうにインテリ、頭の切れるジェントルマンです。

ステージのほうはといいますと、しょっぱなからもの凄いフレーズが繰り広げられ変拍子の連打、何と表現していいのやら言葉に困るほどの独走態勢でドンドンと進行していきます。

時にはおもちゃ箱をひっくり返したようなコミカルな演劇要素も飛び出し、妙なせりふ回し、お約束の決めポーズは巨匠ザッパのジャンプで決まり。

ザッパはコンダクターの役割も担っていて、彼の合図で曲がいきなり豹変するそうです。

長々としたインプロビゼーションで毎回、曲は表情を変える、これ当たり前。

曲のアレンジ・パターンも1曲につき数種類が用意されていてザッパのサインで予告なしにチェンジするそうです。こいつはメンバー達も大変だ、気を抜けないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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秋分の日も合同練習!

2013-09-25 09:28:09 | リハーサル

ロックバンドは機材などの荷物が多くて紛失、忘れ物に気をつけないとうっかり事故が多発。そこで頑丈なジュラルミン製の小型ケースに小物をごろごろと収納します。写真のこいつらはもう30年以上もお世話になっているのでボロボロ。年季が入っているでしょう。

                                       T-シャツ姿ではもう外を歩けないですね。

最近雨続きの日々ですが、元気よくスタジオに集合。

ロビーではクール&ザ・ギャングのライブDVD映像を上映中。

このバンドもシカゴに負けず劣らず長い歴史があります。

めまぐるしく変化する音楽界の潮流に押し流されることもなく敏感にあらゆるイメージチェンジを繰り返しながらも大量のヒットを連発、頑張っていますね。

オーナーにホットコーヒー、お菓子、のど飴をご馳走になりながらセッティング開始。

2人がスケジュール調整つかず6人での音出しとなりました。

いつものようにブラス用のマイク2本立て、中央床にはモニタースピーカー、そしてシンの後方にはキーボード用モニターアンプを移動設置。

音量バランス調整などを済ませた時点で20分以上経過(いつものことですが)。

ブラスはサックス2人体制。

アルトとテナーというウッドウィンズのみの管ですが、それでも音がでかい。

ダイスケはいつもウォーミングアップで軽く指ならし程度にひとり吹き込みしますがそれでももの凄い音量。

P・Aからのアルトレベルを下げて!と直々に注文するほど。

彼の若さと技量が反映された当然の結果ですが本人いわく使用楽器がそういう大音量タイプのものだそうで、マウスピースやリガチャーなどもそれに見合ったこだわりのものを装着しているそうです。

よってロック以外のジャンルでは音色などで浮いてしまって嫌がられるとか・・・。

「ずばりSTAなんかのブラスロック向きでしょう!!」

ナベさんがぶら下げているサックス・ストラップがピンクのキティちゃんなのがとってもお茶目で可愛い。

彼はSTA最年長ですがとても似合っています、ずっと使っていたそうですがまったく気づきませんでした。

サックスの2人はとにかく隙あらばお互いの楽器コレクション談義に大盛り上がり。

サックス愛溢れる会話に見聞きしているこちら側も思わず和んでしまいます。リードもこだわりがあるそうで、てっきり定番のバンドレン3か3半かと問いただしてみると、ラボーズなどの通受けしそうなメーカーなどをご両人は愛用しているそうです。

さて、来月の夕張用セットリストと並行して続行中のSTAレパートリー復刻作業。

今もどんどんと曲数が増えています。

壁に貼りだされた一覧表を見てため息をつくメンバーもいますがまだまだこれからも書き足していきますよ(笑)。

いい機会だから年末用にちょっとした趣向も凝らせてもらいます。

ブラスロック経験、日の浅い2人もほとんど馴染んできましたね。

ダイスケはトランペット・ソロ部分を何も言わず正確にそのフレーズをアルト・サックスで違和感もなく速攻で吹いたので全員ビックリ。

「スコアに音符が載っていたので,ハイ!!」頼もしい奴です。

ナベさんも感覚をほぼ把握しつつあるので、この勢いに乗って行われる4人のフルブラスによる本番がますます楽しみになってきました。

時にはおなじみの口によるトランペット&トロンボーン・ソロを他のメンバー達がガイドライン程度に演じます。

エンディングや場面チェンジ個所も口頭で誘導(のちほどミツ&タツに教えてもらって頂戴)。

あれほど苦汁を味わっていたナンバー数曲も難なくこなせるほどの成長。(油断するとすぐに初歩的、なんてことのないところでミスしますが…その辺のつめも今後の課題。もっと緊張感をもって1曲1曲真剣に取り組まなければ。よく力士が取組後の勝利インタビューで言うあれですね)

ケンはドラミングの合間にミキサーも兼任、シンは音色ボタンの切り替えも大仕事、ノブもエフェクター効果の踏み込み段取りに試行錯誤、マサも全体流れの把握、そしてタイムキーパー役も担っていてと、とにかく皆が演奏プラスアルファですったもんだ。

後半は前述の復刻作業パート2。

なまっていない部分、まったく忘れ去られている部分、なんとか勘を取り戻せそうなまあまあな部分、思っていた以上にいけそうな部分と人それぞれ。経過を見て徐々に構想を固めていきたいと思います。

ダイスケのリクエストで残り時間は夕張ライブ用のセットリスト再演。

ずっと鬼門とされている変拍子一連の流れのみを抜粋して何度も何度もしつこく全員で演奏。

気迫がモノを言うこのパートは微妙なミスも許されないので納得いくまでトライ。

これだけやったんだからいかがかな?やはり全員思うところは一緒だったようで。

 

後片付けしながら、今期ファイターズの戦況を皆で話題にしていましたが(マサはこの日、札幌ドームで対楽天イーグルス戦を応援に行ってからの駆け込みSTA練習でした。5対0で連敗・・・)う~~ん・・・・。

 

 

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SUNNY (BOBBY HEBB)

2013-09-24 11:29:05 | free form space

秋ですね・・・。

そこで今の季節にピッタリとフィットする甘く切なくほろ苦い美しい曲を紹介します。

先月の小樽サウンドエナジーにて我がSTAのシン率いるB・N・P(ブランニュー・ポップス)がライブで披露していた「サニー」がそれ。

曲は誰もが知っている有名なものですが、恥ずかしい話、私は詳細をよく把握していなかったのです。

リーダーのシンや、ボーカルのミキ嬢にいろいろと質問をしたものの、それでもずっと気になって仕方ない。

帰宅後、まったく偶然なのですが自身の音源ラックからその「サニー」のカバーがポロポロと出てくるではないですか?!

とりあえず3枚をピックアップ。

当然といえば当然の「ポール・モーリア」(1973年)

こちらは可もなく不可もなく・・・といった感じ。イージー・リスニング・テイストで聞いてください。

「エレクトリック・フラッグ」が取り上げていたのはビックリ。

「ア・ロング・タイム・カミンan american music band」

に収録されていますが、実はオリジナルアルバムには未収録。その後、CD化の際にボーナストラックとして日の目をみました。でもおまけ意識で聞いてみると「おみそれしました」とただただひれ伏してしまうほどの入魂のテイクです。

だってバディ・マイルスとマイク・ブルームフィールドらで結成された伝説のスーパー・ブラスロックバンドとしてシカゴ等とよく当時は比較対象として引き合いにだされていたのですからね。ちなみに彼らもコロンビア・レーベルで写真のカバーフォトはジョン・バーグです。

3つめはお懐かしや1977年ディスコ・ブーム吹き荒れる中で飛び出し大ヒットしたボニー・M。

これがまた時代に見事マッチしていて意外なほどにグッドです。これで知った方もかなり多いのではないでしょうか?

この調子だと、今後もまた色々な「サニー」が棚から出てくるんだろうなあ。

調べたところ、それもそのはず、この曲は「キング・オブ・カバーソング」と言われているらしく、わかる範囲だけでもざっと500曲はくだらないとのこと。(イエスタディに迫るほど)

BNPが取り上げたバージョンはジャミロクアイのものだそうです。なるほど彼らのセンスの良さが伺えますね。

他にもスティービー・ワンダー、ジェームズ・ブラウン、エラ・フィッツジェラルド、ホセ・フェリシアーノ、フランク・シナトラ・・・、

日本でも堺正章、奥田民生、平山みきなどが取り上げています。まさに国境、音楽ジャンル、性別問わず誰からも愛される永遠の名曲。

今後もカバーは後をたたないでしょうね。

 

さて当の本人、ボビー・ヘブですがアメリカはナッシュビル生まれの黒人シンガーです。

音楽一家の4人家族。チェット・アトキンスにギターを習いながらも仲良しだったタップダンス好きの兄から勧められてステージ初体験。

それがきっかけでグループ活動に専念。

解散後の1966年、デビュー曲「サニー」が全米チャート2位、R&Bチャートにおいても3位を記録するほどのビッグヒットとなり一躍時の人となりました。

でもその曲作りのきっかけにはとても悲しいエピソードがあります。

大好きだった兄がボビー25歳の時、強盗の凶弾に倒れたのを悼んでのものだそうで、あのケネディ大統領が凶弾に倒れた日と1日違い。

てっきりサニーって女性だと思っていましたが実はモデルは男性だそうです。

その後の数多くのカバー・イメージでは恋愛ストーリーとしても認識されているのでそれはそれとして解釈の自由ということで支障はないと思います。

亡き兄への愛情あふれる望郷と尊敬の念、悲しみと悔しさ溢れる想いに誰もが胸を打たれることでしょう。

ボビーは実に3000曲以上もの楽曲を制作したそうですが残念なことにヒット曲はこの「サニー」のみ。

いわゆる口の悪い言い方で表現すれば1発屋。

でもこの「サニー」に込められた涙なしでは聞けない熱い感情は、そんじょそこらのヒット曲数十曲分に軽く匹敵するのでは!?。

ボビー・ヘブは70年代に入った頃から音楽活動をほとんど行なわなくなったのですが、2005年、久々にニュー・アルバムを発表。

2008年には感動の来日公演も実現させています。

しかし2010年8月8日、肺がんにより生まれ故郷のナッシュビルにて72歳の生涯を閉じました。

 

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これも打楽器だよね。

2013-09-19 22:34:46 | 楽器館

日本ハム・ファイターズ、2013年はどうしたんだろう・・・苦戦しています。

オフィシャル・グッズのこいつは軽量でリーズナブル、デザインも様々で音質も心地よく響き渡ります。

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青春デンデケデケデケ

2013-09-19 13:37:51 | free form space

旭岳は初冠雪だそうです!

日本にエレキ・ブームを巻き起こしたバンドはビートルズではなく、ザ・ヴェンチャーズです。

彼らが当時の若者達に与えた影響は計り知れないくらい多大なもので、テレビでは「対決!エレキ合戦」番組が始まり、楽器メーカーはこぞって類似品(本家のモズライトは高嶺の花)のビザール物を乱発、学校では「不良の始まり」とエレキ禁止令が発令され(今では信じられないですが)そうなるといつの世も同じで反発精神旺盛に、かえって熱をぶり返すほどに盛り上がり部屋から飛び出し街中、海に山に車中にと、このサウンドが轟き渡ったのです。

来日公演も毎年定期恒例となり日本中くまなく往年のギター小僧達を痺れさせまくっています。もちろん現役バリバリに活動中。日本エレキの神様、寺内terryタケシ氏は最初にそのサウンドを聞いた際に「どうやって、あの歪みが出るの?どうやってあのチョーキングができるの?」と悩んだそうです。

自作のラジオ改造物で日本初のギター・アンプを町内に響かせたそうですが、歪みの原理が謎でスピーカーに釘でブツブツと穴を開けたとか・・・。

ヴェンチャーズが来日した際に寺内氏はスタンドに立て掛けられた彼らのギターに触ってみたら「???・・・・」弦が柔らかい!!

スムーズにチョーキングが可能!!そのことをノーキー・エドワーズに質問したら弦のセットをくれたそうです。そうなんです、その頃、日本にはまだライト・ゲージというものが存在していなく太い弦でギリギリと弾いていたのです(巨人の星の大リーグボール養成ギブスのようなものだ!笑)。

それからは皆がギュイギュイとチョーキングを気持ちよくやりまくったとか・・・微笑ましい話。

1970年代の歌謡界にも曲をいくつも提供していてヒット曲乱発、ベンチャーズ・ガールが何人も排出されています。

日本では一部の音楽好きな若者やバンド人間にもヴェンチャーズを過小評価している人たちが数多く見受けられますが、実際あの楽曲のクオリティの高さには驚かされます。

もちろんテクニックは申し分なく、ギターはもとよりあらゆる演奏の基本が凝縮されていてお手本のようなもの。

またアレンジも斬新で職人芸の最高峰。さて、今年2013年のヴェンチャーズ・ジャパン・ツアーも9月16日の甲府公演をもって好評のうちに終了。

相変わらずのテケテケ旋風を巻き起こして健在ぶりを余裕と貫禄をもって見せつけてくれました。

長い歴史の中ではメンバーの脱退、出戻り、死去などもあり、現在はドン・ウィルソンただひとりがオリジナル・メンバーですが、そのアクテイヴな音楽活動に対する姿勢はまだまだ光り輝いています。

 

今世界中でカリスマ的な存在のギタリストの中にもヴェンチャーズを崇拝している人たちがたくさんいます。

シカゴのオリジナル・ギタリスト、テリー・キャスも例外ではありません。

そう言われて改めて聞いてみると、それっぽい片鱗が見え隠れしているでしょう。

ヴェンチャーズはロックのカヴァーを多数録音していますが、写真右のDVDに収録されている「スターズ・オン・ギター」では彼ら自身の有名なギター・リフの合間にロック史に残る名フレーズを絡めています。

ローリング・ストーンズの「サティスファクション」のお次に飛び出すのは「長い夜」!

まさにタイトルの示すとおりの内容(後半にはヴァン・ヘイレンが取り上げたことでも有名なロイ・オービソンのプリティ・ウーマンも)。

またヴェンチャーズは4人組のイメージが強烈ですが、実は1970年代初期にキーボードを含む5人編成だった時代もあります。

その頃、シカゴの「自由になりたい」をレコーディングしています。唯一シカゴのカヴァー。

写真左がスタジオ盤「GOLDEN DISK VOL,2」、右側は「ライブ・イン・ジャパン1971・7・20サンケイ・ホール(渚ゆう子特別ゲストで参加)」。

さて肝心の音の方ですが、さすがです。

ブラス隊は一切参加なし。その分、キーボードが大活躍で管楽器パートのフレーズを全て担っています。

ボーカル・ラインはギターで、バッキングのギター・カッテイングもシャープに決めまくっています。

ちなみにスタジオ・テイクのみコーラスが入っています。

この時代を反映していてか、ライブ盤には司会者(宇月陽介氏)が曲間ごとに客席に語りかけるのです。

曲紹介、楽器の解説など・・・。

「フリー」のあとにも「さすが見事な迫力の演奏ですね!」と一言。

 

ヴェンチャーズは他にも「アイム・ア・マン」「プラウド・メアリー」「スピニング・ホィール」「ギミ・サム・ラヴィン」などなど枚挙にいと間がないほどの名演、選曲で楽しませてくれます。

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科学忍法火の鳥だ!

2013-09-18 03:44:33 | リハーサル

タツノコプロのアニメ作品「ヤッターマン」、そしてハリウッドでも「マッハGO!GO!GO!」が「スピードレーサー」として実写化、数年前に話題になりましたが、遂に「科学忍者隊ガッチャマン」も封切られましたね。

あのテーマソングはスタイリッシュな映像も含め、めちゃかっこいいです。

イントロのブラス・セクションなんか何度聞いてもゾクゾクします。アニメ当時から「凄い音楽だな」と思ってましたが、シンセ・サウンドもいい味出してます。今聴いても文句なしに斬新。

ガッチャマンというタイトルは「??」でしたが、5人の若者の名前、ゴッドフェニックス、ベルクカッツェ、レッド・インパルスとかセンスが光りますね。メカ・デザインも惚れ惚れします。

白鳥のジュン役の剛力彩芽がデビュー曲発表会を札幌で開催とのテレビ告知が今夏にあり、ちょうど勤務先の通り道が会場だったので行ってきました。

本物もテレビで見たとおり可愛かったけど、ダンスが思った以上に上手だったのも驚きでしたね。

ところで私個人が思うに次の実写化はやっぱり「ハクション大魔王」で決まりでしょう。

主演・西田敏行OR石塚英彦、あくびちゃん・芦田愛菜、カンちゃん・加藤清史郎・・・どうかなあ?やっぱり無理かなあ???

キャスティングはともかくとして、是非とも実写化して欲しいものです。

 

「810」初ライブも無事に終了、新たな構想を練り久しぶりの自主企画に向けてスタジオ入りしました。

その日はイベント後&敬老の日にもかかわらず8人全員が集まりましたよ。以前に比べて今のメンバー達、参加率がとても高く結構なことです。しかも北海道に台風が吹き荒れている真っ最中、多忙の者、体調が思わしくない者もいましたがやる気満々ニコニコとやって来ました。

ブラス隊が半分の4人。サックスは贅沢にアルト&テナーの2本立て。今回からダイスケとナベさんのコンビ。

演奏合間の隙を見て色々と質問をタツやミツにしています。

なんたって12月に向けて若干面白い趣向を凝らしたリハーサルで突き進もうと画策しているので油断は禁物です。

壁には通常のセットリストと右サイドにもう1枚、膨大な曲目リストが書き込まれた大型用紙が貼り出されています。これはまだほんの序の口で毎回数曲ずつ増えていきます。

STAが今までにプレイしてきた数多くのカバーソングをここらでちょっと再確認、そしていい機会なので一区切りという意味も込めてライブで演じてみようというわけです。

まあ初めてのメンバーもけっこういますので、それはそれで新鮮だと思うし、また違った意見も聞けそうです。

もちろん比重はシカゴに置きますよ。

そこでどっさりとストックしてあるスコアを引きずり出してブラス隊に配布。

曲によってはアルト、もしくはテナーが入っていない曲もいくつかあるのでアンサンブル調整と打ち合わせが必要となります。

またアルト・サックスが2パターンのスコアでダイスケに渡されている曲もあるのでこれらはミツに伺ったり、実際にSTAで吹いてみてどちらにするか納得セレクト。

他にも1曲につきキーがいろいろと書き分けられているのもあって混乱を招きます。

これは過去のメンバーの音域要望によって製作された痕跡。現在は基本的にはオリジナル・キーで活動。

外ではトンボも飛んでいて一気に秋ムード。もう扇風機のお世話にもならなくいいかな?と思ったのもつかの間、1曲やったらやっぱり暑い・・・。それでも2時間ほとんどびっしり演奏しっぱなし。そうでもしないと曲目がはかどらないのですよ(ドリンクもはかどる)。

と、ここでトラブル発生。ノブのストラトキャスター2弦が切れた!スタジオでは初の出来事です。

小樽ライブでは切れたことありますが。(でもそのまま最後まで疾走奏法)

シンのキーボードも時々音切れが発生・・・これはチェックの結果、シールドが原因かも?

そしてダイスケがマサから送られたスコアを参考にテナー・サックスの必要性を感じ取り、早速アルトと共に持ってきたのですがこれがタンポ状態微妙なようで使用を断念・…残念・・・・。

それでも、この日が初対面のダイスケ、ナベさんは仲良く音符や楽器、奏法について意見交換。

スタジオ内の壁にはギター吊り下げ用ネック・フックと上着掛け金具もあります。

ちゃっかりとミツはトロンボーンをそこにぶら下げて(これ、あまり楽器にはよくないとのこと)譜面台のセッティング。

曲が進行するに従い、テンポが速まったり、リフ入り口をミスったり、回数を見失ったり、ラフになったりと各メンバーの弱点がぽつぽつと露呈してきます。

各自、次回までに反省点として気を引き締めて修復に努めましょう。宿題がいっぱいさ。

近い将来、ダイスケにもソロを吹いてもらいましょう。

スタジオ残り30分は例によって定期的に合同練習して「不安の日々」にならないように努めたい数曲をピックアップ。これで一安心。

とりあえずは超がつくほどに懐かしい曲達が蘇って嬉しい限りです。

できれば未だに未完成で中途半端な1曲にも着手したかったんだけど、時間切れ。

後かたずけしながら次回のリクエスト曲をマサがケンに募る。そしてシンにも秘策を打ち明け。

 

 

 

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lee ritenourを4枚

2013-09-13 18:32:07 | free form space

大雪山系は例年よりも鮮やかな紅葉が今週末から来週末にかけて見ることができます。

でも内地ではまだまだ昼間の猛暑が続いているようですね。

すかっとした気分に浸りたい方向けに、リトナー初期の傑作を数枚ここに紹介したいと思います。

クロスオーヴァー、そしてフュージョンブームが吹き荒れた1970年代後半に脚光を浴びてから現在に至るまで多方面のジャンルから引っ張りだこで今だアクティブな活動が続く名実ともにスーパー・ギタリストであるリトナー。

来日回数も数知れず。ソロワークからセッション、プロジェクトとあくなき探究心は衰えることを知らず、ここ日本でも最も人気のあるギタリストでしょう。

長いキャリアの中でも、熱心なファンの間では愛聴盤の誉高く、ノリに乗っていた時期のアルバムが写真に見られる作品集です。

荒波と格闘するかのようなギター船のジャケット、1977年発表「キャプテン・フィンガーズ」7曲入り。

リーの第2作目ですが、もうこの頃、既に驚異的音楽性が熟成されている点に驚かされます。

まずはじめに言っておきますがこの人のテクニックは折り紙つき。天才職人ギタリストには同類のミュージシャンが自然と集結するものなんでしょうね。

取り巻きがすごい。といってもこの頃は皆も若くて駆け出しや売り出し中の凄腕ズラリ。現在では大御所ばかりの名前に圧倒されます。

ジェイ・グレイドン、イアン・アンダーウッド、ディブ・グルーシン、アルフォンソ・ジョンソン、アンソニー・ジャクソン、ハービー・メイソン、スティーブ・フォアマン、アーニー・ワッツ、ビクター・フェルドマン、レイ・パーカーjr,デビッド・フォスター、マイク・ポーカロ、スティーブ・ポーカロ、ジェフ・ポーカロ他・・・。

5曲目で、当時はまったくの無名であった元シカゴのビル・チャンプリンがスティービー・ワンダーの名曲「可愛いアイシャ」でボーカルを担当しています。

 

前作では335船による「白黒」ジャケットだったのが、3作目の「キャプテンズ・ジャーニー」は大物335を釣り上げてにこやかにポーズをとるリトナーのフォト・ジャケット。革製のアルバムを演出するためにLPではエンボス加工されています。

1978年発表の7曲入り。

もはや押しも押されもせぬ横綱級ギタリストとしてラリー・カールトンと双璧を成していた当時のリトナーが取り組んだスタジオ・ミュージシャンというイメージからの脱却を目論んだ力作です。

前作に引けを取らないほどのバック・ミュージシャンがズラリと名演。

お馴染みの仲間たちに加えてバックを彩るのはスティーブ・ガッド、エイボラハム・ラボリエル、アレックス・アクーニャ、パウリーニョ・ダ・コスタ、パティ・オースティン他・・・。リトナーは前作に引き続いてまだ当時としては珍しいギター・シンセも駆使。

2曲目「モーニング・グローリー」に再度ビル・チャンプリンがリード・ボーカル以外にも作詞、ボーカル・アレンジで参加しています。

 

3枚目に紹介するのは10曲入り「RIT」(1981年リリース)。

それまでのジャズ・フュージョン・ギタリストのイメージを払拭するべく挑んだ当時一世を風靡していたAORジャンル。それに見事タイミング良く符合しアルバム・チャートでも堂々26位をマーク。ジャズ系のアルバムらしからぬ好チャート・アクションを展開しました。

彼の数多い作品中、もっともボーカル・チューンをフューチャーしたポップ寄りの名盤。4曲目「イズ・イット・ユー」はビルボード誌1981年6月27日付けで最高15位というシングル・ヒットも記録しています。

当然、制作にはデヴィッド・フォスターが迎えられています。

演奏メンバーはそれまでのツワモノ軍団に加えてエリック・タッグ、デヴィッド・ハンゲイト、ジョン・ピアース、マイケル・ボディッカー、ルイス・ジョンソン、グレッグ・フィルゲインズ、リチャード・ティー、グレッグ・マティソン、ジェリー・ヘイ、チャック・フィンレイ、ゲイリー・グラント他・・・。

8曲目には驚いたことにスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「スマイリン」をカバー。

ここでもビル・チャンプリンがもはや常連組として見事なボーカルを披露。(3,4,8曲目)

余談ながら1987年、リトナー&フォスターという夢のようなジョイント・コンサートがここ日本のGWに実現。リズム・セクションはネイザン・イースト&ビニー・カリウタなどそうそうたる面々。

東京で三日間行われたコンサートの1日に、たまたま同時期に来日していたシカゴのメンバーが飛び入り出演。ビルが作詞を手掛けた「イズ・イット・ユー」でビルらがコーラスを務めるという嬉しいハプニングがあったとのことです。

 

最後に登場するのは「RIT」の続編的作品「RIT2」(1982年の秋リリースの4作目)。

写真のLPにはリトナーの直筆サイン入り。

またLPはCDよりも1曲多い11曲入りで曲順も違います。B面5曲目「SAVE THIS LOVE」がボーナス・トラック。

CDが1曲少ないというのも珍しいのですが、それは米国に先駆けて日本先行発売だった当時のLPセールス・ポイントのボーナスだったため。アーティストの意向を尊重しての、よりオリジナル・コンセプトに忠実に再現ということでCD化の際にはあえて10曲入りにしたということです。

内容のほうはいいますと、ここでもボーカルを大々的に前面に押し出して、よりモダン・ポップ路線を踏襲。(レコード会社の策略も多分に絡んでいるようです)

オリビア・ニュートン・ジョンもカバーしてヒットした「タイド・アップ」も話題になりましたが、サウンド・クリエイタ―としての可能性をさらに広げてハイテク・ポップな音作りに挑戦、ボーカル曲6曲を擁する、より洗練された入魂の1枚となりました。

バックを固めるメンツは常連さん以外に、ジョン・ロビンソン、リチャード・ペイジ、トム・スコット、カルロス・ヴェガ、ネイザン・イース他多数・・・。

ビルがVO&CHOで活躍するトラックは「キープ・イット・アライブ」「プロミセス、プロミセス」「クロス・マイ・ハート」「セイブ・ジス・ラブ」。

 

 

 

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VOL,85 SUSUKINO 810(ROCK A AROUND 4)

2013-09-09 15:42:35 | Live Set List

2013,9,8(SUN)

春先から、ずっと小樽ライブ続きのSTAでしたが、久しぶりに札幌に戻ってきました。しかもここは初出演の「ススキノ810」。

市内でも老舗の部類に入る有名な地下ライブハウスの舞台に立つことができてまた一つ念願が叶いました。

場所は、札幌駅前通から中島公園に向かってまっすぐの右サイド、名前のとおりススキノど真ん中に位置する格好の超人気スポット。

なんとZEPP SAPPOROと向かい合っています。

たいてい店名に数字が入る場合は住所から命名する場合が多いのですが、「810」は社長の苗字からとったとのこと。

スタッフから聞いた話ですが「ブリヂストンと同じです(笑)」・・・・・なるほど。

今回は全6バンド、若手のオリジナル曲が中心のジャンルも幅広いバンド・イベントに参加するという形となりました。

タイム・テーブルもきっちりと分単位で組まれていて逆リハ。

STAの本番はトリ、リハーサルはトップ、つまり出演までの間が物凄くあるのでメンバー達は各自で自由行動。

事前に受け取った専用の用紙にセットリストや希望要項などをマサが記入して提出。

その内容に沿ってマイクの本数、特殊な機材の導入ある・なし、そして立ち位置最終決め、特にブラス隊は今回4人なので、事細かくホーンの親分ミツが指示。

25分のリハーサルも滞りなく完了。

出演バンドの中では「アルファジャーク」が春先のサウンドクルー以来の再会。

お互いの活動状況を語らいながら「見せてもらうね!」と和んでいました。

午後六時開場、六時半開演。

トップのバンド「PHAGAN」

ドラムレスの打ち込みマシーンでドラム・サウンドを演出して、フロントにESPの5間ベース&ギター、そしてボーカルの3人編成。

若いのにテクニックが驚愕もの。

ヘヴィーメタルのオリジナルですが速弾き、タッピング、正確なピッキング、そしてベースとギターの超絶技巧ユニゾンとなかなかに見せつけてくれます。ボーカルのハイトーンの伸びも見事、そしてメロディアス。ライブ後に楽屋でマサが「ビリー・シーン、ジョン・ミュング、ポール・ギルバートやイングヴェイが好きだろ!?」「わかりますか!!??嬉しいなあ、バレバレですね!」

彼らの自主制作CD-R15曲入りもプレゼントしてくれました(完成度高く、びっくりするほどの演奏力でしたよ。でも今後のライブ予定は未定とのこと。サウンドに似合わずシャイなMCのメンバー達が初々しい)

そしてお馴染みの「ALFA JERK」(810は2回目の出演)

ますます渋みを増したオリジナル・ソング。1曲目が始まった途端に「アルファ・ジャーク・ワールド」に皆が釘付けです。個人的にはオープニングのインスト部分で会場に背を向け黙々とリズム隊と向き合っているKAZUYA,そして2人のバッキングからギターが加わった進行の音色、コードワーク、リフを聞いていると意外なことに、まだソウルフルでヘヴィーサウンドだった頃の初期3人組GFRを彷彿としました。

ジャパニーズ・ロックに対するこだわりは相当で、歌詞が観客サイドにビシビシと突き刺さってきたり、物語の情景が脳裏に浮かんでくる曲の展開に流石と唸らされました。

練りこまれた楽曲作りの跡がよく伺える曲目にも感心させられます。

一語一語を大切に、淡々と歌い次ぐKAZUYA、そして単調に陥りがちなこのジャンルのバッキングが独特な色彩を放っているのがドラマーのMCで解明できたような気がします。

彼はサイド・プロジェクトでファンク・バンドでも活動しているとのこと。

よく跳ねるドラムのノリにベースもスラップなどを交えて、対抗。ほどよいグルーブ感でミックスされて一種独特の個性を発揮しているのだと思いますよ。曲間には今後のライブ告知もはさみ終了。更なるアクティブな活躍に期待します!

「SAKAZUKI」(810半年ぶりの出演)

このバンドはベース不在。シンが気づいたのですが、キーボードの女性がなんと右手でベースのフレーズも担当していました!

ヤン・ハマー並です。それをいち早く察知したシンも流石。フロントの2人が交互にMCをやり取りするのですが女性KBが「ポール・マッカートニーはライブ中に、一滴も水分の補給をしない」という話題を2度ほど振ってきたのが微笑ましい(ジョン・ウェットンもそうらしいです)。

ギター&ボーカルの男性がミネラル・ウォーターを口にする度に「自分はまだまだだな・・・・」

手数の多いドラマーを後方に従えてフロントのプレイヤー2人がポップなボーカルも担当。

「PASTELSHINE」

このバンドもドラマー不在で、リズムマシーンを駆使してオリジナルを披露。

ベース&ツイン・ギターのトリオ。

彼らの持っている楽器が垂涎もの。

G&Lにトム・アンダーソン、シェクターと通受けしそうなブランドです。

とても恥ずかしそうにMCを回しあっていましたが、思わず「頑張れ!」と声をかけて応援したくなっちゃいました。

トリ前は「SHALLOW HOT SPLINGS」

この日一番の爆音4人組。

ベースはエドワーズのブラック・フライングVを使用。

マサが「ハイ・スタンダードが好き?」と聞いたら「ハイ!大好きです!!」と元気な返事。

キャップを被ってそのものズバリのハイ・スタンダードT-シャツを着て熱演していたので思わずニンマリしてしまいました。エキサイティングなボーカルを筆頭にヤング・パワー全開(死語・・・)でステージはヒート・アップ。火傷しそうなくらいです。

負けてなるものかと、その余熱冷めやらぬうちに一丁、全曲シカゴでぶちかましに行ってみましょうか、S・T・A!!

***MEMBER***

MASA・・・B VO CHO

SHIN・・・KB VO CHO

KEN・・・DR VO CHO

NOBU・・・G

MITSU・・・TB PER

TATSU・・・TP PER

HASSY・・・AS PER

ASAKI・・・TS PER

 

***SET LIST***

1、INTRODUCTION

2、QUESTIONS67&68

3、LONELINESS IS JUST A WORD(孤独なんて唯の言葉)

4、~SATURDAY IN THE PARK

5、MAKE ME SMILE(ぼくらに微笑みを)

6、~TO BE FREE(今こそ自由を)

7、NOW MORE THAN EVER(愛は限りなく)

8、25OR6TO4(長い夜)

トップの写真でもわかるとおり、「810」はバンドの入れ替え中にスクリーンが降りてきます。

「HOT TIME」もそうでしたが、あちらはプロモーション・ビデオをそこに流してくれました。

「810」はというと、next performance the sapporo transit authorityの文字が鮮やかに映し出されていました。

粋な演出ですね。

セッティング中は会場からバンドの姿が見えないわけです。

BGMも1970~80年代のハードロック、L・A,METAL、NWOBHMなどの曲がガンガンと流れてきていやがうえでも血液を熱く沸騰させてくれます。

810以前この店舗は練習スタジオが経営されていたそうでその名残がそこかしこに見受けられます。

810もオープン9周年とのこと。床には白黒格子状デザインのタイルが張り巡らされていて、マサは一目見てあの新宿ロフトを思い出しました。そのことをスタッフに言うと「たまに言われますよ」。やっぱりね。

会場右側のドリンク・カウンター前を通過してまっすぐ通路を抜けて(写真2枚目)右サイドにトイレ、左が楽屋ですが壁にはズラッと弦楽器専用ネック・フックが付いているのが親切です。これがあるおかげでギター・スタンドでの倒れ防止にもなるし床スペースも有効利用できるわけですから。

ちゃっかりとミツまでもがトロンボーンをこのフックに引っ掛けて展示(!?)していました。これ、けっこう違和感ないね。

この日のSTAは直前までバタつきましたが久しぶりの8人編成に落ち着き、ペットのタツが戻りサックスはアルトとテナーの2本立て、ハッシーが半年ぶりの返り咲き。

アサキ嬢とハッシーは大学ジャズ・サークル先輩・後輩の間柄です(暇を見ては2人でミーティングしていました)。

「イントロダクション」のイントロが開始されたとたんにあちこちから歓声が上がります。

この一声があるだけでどれだけ励まされることでしょう。

単純な私はもうこれだけで、ボルテージが上がっちゃいます。

この曲も紆余曲折を経てここまでたどり着きましたが、ようやくメンバーみんなの体にも幾分馴染んできた様子です。

思い返せばまるまる1年、去年の10月ご本家シカゴ東京公演を見た次の日に「ホット・タイム」で初演奏してからオープニングのポジションを他曲に一度も譲らないで当たり前のように演奏し続けてきました(浅草橋の日のマリンフェスタを除く)。

ヒット曲でもないのに、 STAにとってこんな曲、他には見当たりませんね。そのくらいに並々ならぬ思い入れのこもったシカゴの中でもSTA

全員が大好きな、そして何度演奏してもいまだに新しい発見のあるやっぱり鳥肌の立つテリーの名曲です(もちろん他の曲だってお気に入りだらけです)。

観客に向けて改めてのご挨拶、今日のライブに対する喜びを語って

「クエスチョンズ67&68」に突入。

しかし、サックスの若者2人組は大したものです。

だってこの810に向けてのスタジオ練習には彼ら一度も参加せずのぶっつけ本番なのですよ。

しかもハッシーは前夜に「スコアを紛失しました・・・曲目教えてください」とマサにメール。

なんとか事無きを得ましたが、さすがにハッシーは会場一番乗りで黙々と一人でイメージトレーニングに励んでいました。

アルファ・ジャークのメンバーから事前に「今日は新しい曲をやりますか?」と言われていたのでそのことをMCに絡めつつ

「孤独なんて唯の言葉」。 ケンによる「1・2・3!1・2・3!!」から全員一丸となってのイントロ、続くトランペット・ソロあたりは先読み不可能のスリリング進行ゆえに声援が飛んできます。

こいつは今まで何度も解説しましたが、ロックというよりももろにジャズ、しかもファスト・ワルツ。

通常のロック・ミュージシャンにとっては過激なくらいに馴染みの薄い演目です。

そして演奏するのも1年半ぶりだろうか・・・・?

そのときはシンとも初対面で彼が「おおおお!!」と雄叫びを客席から上げた思い出があります。

それを今はシン自身が歌ってハモンド・ソロを見事にこなしています。シン加入前はノブによるギター・ソロでしたが現在ではオリジナル音源にならってシンがボビーのジャジーで都会風なフレーズを完コピ!。ソロの入口と出口のグリッサンドのタイミングまで再現。間髪いれずまたボーカルですからシンの一人舞台。真面目にコツコツと鍛錬した甲斐あって報われました、無事完奏おめでとう!

感無量ですなあ・・・。この3拍子やイントロダクション、他の変態まみれな難易度強の曲達を演ずるSTAに感嘆の拍手を送ってくれました。

特に対バンの技巧派リズム担当者からお褒めの言葉をいただくと倍嬉しいですね。実際ステージの我々はいつでも崖っぷちギリギリ状態でキモ冷やしながらやっているのですよ。

そこを涼しい顔している風に振舞うところだけは年季の賜物かい。

前方に一礼してから「今日は日曜日ですが土曜日の曲をおおくりします、サタディ・イン・ザ・パーク!」

お約束ピアノ・イントロに合わせての手拍子。一見軽快なポップソングに聞こえるこの曲も一筋縄ではいかない部分はあちこちにあります。

メンバーそれぞれに各曲、鬼門というものがありましてパートによって意見は様々。

それこそコピーし始めの頃なんかは「これはガッツリ、ガチで構えて考えながら演奏に集中しないとやばい・・・とてもじゃあないけれどコーラスまでは無理。ましてや動き回るなんて絶対ダメ・・・」と思っていてもいつの間にやらどうにかなっているものなのです。人それぞれに向き不向きの誤差は多少ありますが。

大抵、ライブ中はこのあたりでエネルギーも消耗気味になるのですがこの日はすこぶる調子がいいみたいです。

ライブ会場はほとんどが喫煙オーケーで、イベントも終盤ともなれば場内に霞がかかるほどに。これが嫌煙家にとっては厄介な種。

余計なストレスを被ります。ボーカリストなんかは喉に物凄い負担がかかります。

810も喫煙オーケーなのですが、換気が行き届いているのでいつまでたっても澄んだ空気が味わえこれが好調の一因なのかもしれませんね。

「ロンリネス・・・」でハッシーは「比較的、演奏は楽にいけますよ」と語っていましたがお次の曲は相当に苦労したようです。

彼に限らず経験者は全員が同じセリフを吐いています「ぼくらに微笑みを」。

でもこの日は目立った事故が(ミスのことね)勃発しないね。

アサキ嬢に「STAでは初共演のサックス相棒のハッシーはどうだい?」とマサが尋ねると「音のでかさにはビックリしました!!」。

そのアサキ嬢は今までの黒髪ストレートから茶髪パーマに大変身。

ロックっぽいルックスにイメージ・チェンジしたけどよく似合っていますね。

組曲メドレー「今こそ自由を」

ころころと表情を変える曲の流れに観客が聞き入っています。ケンのエネルギッシュなドラム・ソロからタツが先導するブラス隊のリフ、マサとトロンボーンによるエスニック調ユニゾン・ラインへ。

これを通過後、マサとミツはお互い向き合って右手を高々とあげてハイタッチ。

これはシカゴのジミーとジェイソンがコンサートで必ずやるリアクションなのです。(その後2人は何やらヒソヒソと笑顔で語り合うのですが)そんな中、ケンのフロア・タムによる地響きドラミングから盛り上げて「愛は限りなく」へ。

エンディングまでよくぞハッシー、アサキ嬢は迷子にならずについてきました。

「さあ!泣いても笑っても最後です。もう10時はとっくに過ぎているからここらで極上のミッドナイト・ソングをぶちかましてみたいと思います。邦題は・・・長い夜!25OR6TO4!!!」

シカゴのなかでもトップクラスのワイルドでハード・ナンバーなのですが、比較的ブラス・セクションのリフは楽なんだそうです。ギター・ソロではけっこう休めますしね。

ところはそこのとこは楽させてはくれません。マサからブラス隊にパーカッション・プレイ指令が発令されているのです。

アサキ嬢とタツにはマラカスとタンバリンが配られます。

ハッシーは自前の卵マラカス(!)、ミツは輸入物のウッド・ブロックを持参。

これらをフルに駆使してギター・ソロを盛り上げてくれました。

ラストはマサのジャンプでフィニッシュ。

「最後までのお付き合い、サンキュウ!また会いましょう!!S・T・Aでした」

小さなトラブルや、ヒヤッとしたラフな場面にも幾つか出くわしましたがまずは上々の出来だったのではないでしょうか。

810スタッフからも「長い夜、良かったです!!」と声をかけていただきました。

楽屋に引き上げたらさっそく興奮状態のアルファ・ジャークが「YEAH!!」と駆け込んできて握手、握手。

バンド名刺やメルアドなどの交換を済ませて近い将来の再会を固く約束しあいました。

ジャズ人間3人衆のミツ、ハッシー、アサキ嬢はこのあと、プチ打ち上げ。

1ステージを終えてもSTAの連中はすこぶるにこやか。

初期のSTAならバテバテで、がおった表情があちこちに見受けられたものでした。体力温存のためにMCに工夫を凝らしたり、セットリストも比較的バテないようなブラスロック以外の曲を羅列したりしてけっこう余分なストレスを感じたものです。

今のメンバーらは強烈な全曲シカゴを立て続け間髪入れずにぶっ飛ばしても根をあげません(かなりキツいに決まってるのに)。

負けず嫌いなのと、ミュージシャンとしてのプライドにかけて突っ張っている、これは粋なこと。

もちろん地道な努力を怠らず、でもそれらをお首にも出さずに能書き一切なし。頭でっかちなバンドマンが溢れかえっているこの御時世、見習いたいものですなあ。

これからも、ぬるま湯に浸かることなく、ドンドン難題に立ち向かっていきたいと思います。2013年のライブ日程も全て出揃いましたのでそれに照準を合わせて突き進んでいきますよ。

SPECIAL THANKS TO・・・MIKI&HITOMI&MEGUMI&KEI&MR、ENDOH&MR、USUI&MR、MORI&MR、NAKATA&MR、SOHMA&MR,AKIYOSHI&THE BULLET ANTZ&KAZUYA&ALFA JARK!!!

 

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