THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

GARY HERBIG

2013-10-31 15:58:37 | free form space

ジム・ホーンと並び称される超売れっ子サックス・プレイヤ―、ゲイリ―・ハービグによる1988年、本国アメリカでの発表作「アー・ユー・レディ」を紹介します(ヒット曲「NO,8」を含む10曲入りのファースト・ソロ)

1970 年頃からプロとしてのキャリアをスタートしたゲイリーはテクニックはもとよりその好感度から多方面に引っ張りだこに。

ここにあげていったら膨大なスぺースを要しちゃうほどの仕事ぶりです。

パーシー・フェイス、ライオネル・リッチー、ポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソン、ボーイ・ジョージ、ジョージ・ベンソン、ラリー・カールトン、ジョニ・ミッチェル、ダイアン・シューア、アレサ・フランクリン、チャカ・カーン、ドナ・サマー、ポインター・シスターズ、ドリー・パートン、ケニー・ロジャース、ヴァン・ヘイレン、エルビス・プレスリー、バリー・マニロウ、ナタリー・コール、クインシー・ジョーンズなどなどジャンルを超越した大物たちとレコーディング、ツアーを共にしています。

これだけの実績を誇りながらも自身のアルバムを製作しなかったのはセッション活動が多忙を極めていたから・・・というのが大方の見解。

そのタイミングを見計らったかのようにアット・ホームでハッピーなフュージョン作品が80年代の終わりに登場したわけです。

彼のサックスの音色はとても温かく聴きやすい優しさに溢れています。

長年の仕事仲間達も祝福するかのごとく、大挙駆けつけてくれました。

ドン・グルーシン、グレッグ・マティソン、マイケル・ランドー、デニス・ベルフィールド、エイブラハム・ラボリエリ、ハービー・メイソン、ジョン・ロビンソン、スティーブ・フォアマン、ジェリー・ヘイ、ゲイリー・グラント他・・・・。

 

また元シカゴのメンバー(この時はシカゴ在籍中)、ビル・チャンプリンも2曲、リード・ボーカルで参加しています(愛妻のタマラもバック・ボーカルで参加)

全体をとおして聞いてみても物凄いクオリティの高い内容となっています。

また相変わらず渋い貫禄の喉を聞かせてくれる安心印のビルが歌う2曲、とてもいい意味で浮いています(笑)

これ、ビル在籍時のシカゴの曲だよ!と言われたら信じちゃいそうなのは、シカゴ・ファンによる贔屓目気質によるものでしょうかね。

そういうことを除外しても、これは力作、もっと高評価されてしかるべきアルバムですよ、絶対に!!

 

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ニューヨーク・アンダーグラウンドのカリスマ、逝く

2013-10-30 17:36:12 | free form space

10月27日、ニューヨークにてルー・リードが71歳で永眠されたそうです。

近年では意外なる取り合わせ、ヘビーメタル界の王者メタリカとの共演アルバム「ルル」がロック界の話題となっていました。

 

1965年、ヴェルベット・アンダーグラウンドをジョン・ケイルと共に結成。アンディ・ウォーホールがジャケット&プロデュースを手掛けたバナナのジャケットがあまりにも有名な「ザ・ヴェルベット・アンダーグラウンド&ニコ」でデビュー。前衛的で実験性に富んだこのバンドで4枚のアルバムを発表後1970年に脱退。1971年にソロ契約後、1972年イエスのメンバーらをバックに従えてソロ・デビューするも、ヴェルベッツ同様に商業的成功には至らず。

しかし熱心なヴェルベッツのファンであったデヴィッド・ボウイ、そしてモット・ザ・フープルのギタリスト、故ミック・ロンソンのプロデュースにより製作されたセカンド「トランスフォーマー」が彼初の大ヒット作となり様々なカルチャーに対して影響を与えることとなります。

その後もコンスタントに問題作を発表、ボブ・ディラン、ザ・ドアーズのジム・モリソンらと並び称されるほどに音楽界に強烈な風刺をたたきつけ、タブーとされていた題材も積極的にとりあげ哲学性を盛り込んだ詩の内容も多方面に物議を呼びました。

インタビュー嫌い、エゴイスト、気難し屋としても有名で、プリテンダーズのクリッシー・ハインドが音楽雑誌の記者だったころに、インタビュー中、いきなり灰皿を投げ付けられたとか。

またバイセクシャルを公言していた彼は3度目の結婚でヴァイオリニストのローリー・アンダーソンを妻として迎えています。

1986年12月20&21日国際チャリティ・コンサート「ジャパン・エイド、ハリケーン・アイリーン」にルーはピーター・ガブリエル、ハワード・ジョーンズ、ユッスー・ンドゥール、リトル・ステーヴン、ノナ・ヘンドリックスらの海外アーティスト達と参加。日本からはレベッカ、白井貴子、甲斐よしひろ、サンディー&ザ・サンセッツらが参加、この模様はテレビでも放映されました。

私は当時のMTVでルー・リードの珍しいプロモーション・ビデオを見る機会があったのですがこれがインパクト絶大でした。

歌っているルーが延々映し出されているのですが後半にさしかかったころ、徐々に自分の顔の皮膚をむしり取っていくというもの!!これはロボットにルーそっくりの特殊ゴムを施したものだったのですが、いやはやさすがに当たり前では済まされない拘りの内容、今でも脳裏に焼き付いています。

個人的に最も大好きな曲は無機質で単調なベースラインが上下して効果満点、幻想的でトリップ感にあふれたサウンドの中を呟くように、淡々と歌い次ぐルーの代表作でもあり最も有名な「ワイルド・サイドを歩け」

シンセ、ハイハット、コーラスと必要最低限のアレンジ・ワークが絶妙で癖になります。

 

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明日があるさ

2013-10-30 02:08:04 | リハーサル

この間も書きましたが最近は西部劇映画をよく見ます。

現在、大ヒット上映中の渡辺謙主演の邦画「許されざる者(北海道ロケ)」のオリジナル、名優クリント・イーストウッド版に唸り、さらにはずっとさかのぼって「駅馬車」

これはそれまでの勧善懲悪ものの単純なB級西部劇に強烈な鉄槌を食らわせた傑作。

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演。

フォードお気に入りのモニュメント・バレー(シカゴ・ファンにはグライド・イン・ブルーでおなじみ)を舞台に白黒映像の大昔の作品にも関わらず一人一人のキャラクター作り、カメラワークと申し分のない作り。

最大の見せ場は何と言ってもインディアン襲撃シーン。手に汗握る迫力。

で、「あれ・・・?」と思いました。

駅馬車が左方向に激走、カメラも左サイドから追撃しています。

乗客たちも各自が必至の形相・・・・「これ、どこかで見たような・・・シーン・・・・」

そうなのですよ、シカゴⅧに付属しているポスターはあのシーンのパロディだったのですね。

インディアンが警官、駅馬車に乗っていたそれぞれの俳優がシカゴのメンバーにとってかわっています。あの古臭い木造の乗り物もよく雰囲気を捉えています。

「9」「10」「11」のシカゴによるどたばたショットも、もしかしたら何かのパロディなのかな?誰か知っているいませんか??

 

都会の喧騒を逃れて短い北国の秋を体感しようと田舎道をドライブ。

音楽好きの方たちにとってとてもお勧めの場所があります。

静かな山裾、夕張郡栗山町にある可愛らしいカナダ杉による木造平屋建ての「坂本九思い出記念館」です(建築面積220㎡)。

駐車場も入場も無料(運営協力金の募金箱あり)。

左手に九ちゃんのニキビ顔スマイル特大縦型パネルがお出迎え、「九」の文字の青い門をくぐると懐かしいヒット曲が流れる館内へ。

あらゆるスペースに九ちゃんの貴重な品々が展示されています。衣装、台本、レコード、プライヴェートフォト、そしてレアな映像、お土産グッズ売り場。

とにかく拘りが物凄くて、ショーケース、テーブル、廊下入り口枠、メインホール、塔が9角形、もしくは9の文字。(この記念館のための建設資金も999人の寄付協力によって実現しました)

私も物心がついたころに「上を向いて歩こう」が大ヒットしていた記憶が鮮明に残っています。当初はまったく歌手として期待されていなかった九ちゃんでしたが、1961年にこの曲が日本で大ヒット、次いで1963年にはアメリカ、ビルボードにおいて「SUKIYAKI」というタイトルにて3週連続1位の快挙を成し遂げます。もちろん日本人でこの記録を樹立したのは今でも九ちゃんただ一人。

その後も数多くのヒット曲、名曲を連発します。「すてきなタイミング」「見上げてごらん、夜の星を」「幸せなら手を叩こう」「レッツ・キス」「世界の国からこんにちは」「鉛筆が1本」「涙君、さよなら」・・・・。

福祉、チャリティ活動にも積極的に参加、北海道のテレビ番組「ふれあい広場サンデー九」を長年にわたって担当。事故の直前まで出演収録のためにこの地を訪れていました。

1985年8月12日、日航機墜落、享年43歳・・・。

私は当時、北海道には住んでいなくてその時は埼玉の山奥にある当時のバンド・ボーカリストのプライベート・スタジオでリハーサルをしていました。

あの異常に暑かった日、あの山の向こう側でそのような惨劇があったなんて・・・。

直後の鹿鳴館ライブではボーカルが涙ながらに即興で「見上げてごらん夜の星を」をアカペラで見事に歌い上げました(彼も私も柏木由紀子さんのファンでもあります)。

だから九ちゃんが北海道で番組を担当していたことも知らず、後々この記念館が作られたいきさつを知って感動したものです。

 

STAのスタジオ練習、今回はブラス隊のほとんどがスケジュールの都合がつかず、前半は4人、つまりラッパなしのノーマル・ロックバンド状態でスタート。

この編成で1時間を通してみました。来月のライブ用に前半をさき、後半は12月用今年の総集編。

もちろんガイドライン程度にマサとケンが口でブラスのリフを演出。

大体、ホーンセクションが前面に大活躍している曲は目印を管に依存しがちなために、他のバック面が迷子になることが多々ありました。特に1コード進行や、延々と同じリフの連続だと危険。

でもなかなかに的確に演じ切っていたので皆でスマイル(たまに微妙に怪しい部分があったことは否めないけれど)。

この調子で行ってみよう!!と意気こんでみたらスネアがトラブル、次いでハイハット・クラッチも・・・・。

スペアにチェンジしているこのタイミングにしばしの休憩(と言えるほどのものでもないけど)。

STA/AOR部門担当(!?)のシンが加入したことで、鍵盤のサウンドがどれだけサウンドに彩りを添えてくれて貢献しているかノブとマサが熱弁。

シンの華麗なるピアノソロも聞けるしね。そしてボーカルの音感、メロディ・センスの的確さ。普通はどうしても自分の歌いやすいようにフェイクしたりしがちなんだけどシンがただでさえキーボード・プレイだけでも難解なのに見事にシカゴの歌心を伝えてくれます。

1時間経過したころにタツが登場。やっぱり彼の安定感あるトランぺットが加わっただけで全体のグルーブもぐっと増幅します。

そこでシカゴ以外の曲を中心に立て続け演奏。

改めて見つめなおしてみて思うにシカゴの曲って長いね(笑・・・初期限定での話)

色合いも全く違うし。

バラード、ソウル、インストウルメンタル、ファンファーレ、ストレートな縦ノリ、16ビート、3拍子、ほとんどのメンバーがソロを次々に演じる曲ありとなかなかにやりがいのある曲目です。

残り時間は1年1か月ぶりに取り組んだファンキーな曲を目いっぱいに納得いくまで何度も間髪いれずにリピート演奏。

最初はばらばらのグダグダだったのが、みるみるまとまっていく、来週もこうならいいんだけどね。時間がきてノブが一言「2時間があっという間だ」。中身が濃い証拠でしょう、たぶん。人間の集中力の限界点は何にでも2時間だそうです。

 

後片付け中のメンバーらの会話は、ビーチボーイズとアメリカの比較論。(どちらもシカゴとは仲良しです)そしてそこから2人組バンドの話題に。

ビョルン&ベニー、ヴィグラス&オズボーン、シールズ&クロフツ、ロギンス&メッシーナ・・・あれ他にもまだあったよね・・・。

心ときめくほろ苦くも気恥ずかしい青春映画も盛り上がったね。

ビージーズ、CS&Nの「小さな恋のメロディ」、エルトン・ジョン「フレンズ」

デヴィッド・キャシディ&パートリッジ・ファミリーのテレビ番組まで出てきました。

 

 

 

 

 

 

 

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松山千春

2013-10-26 18:23:32 | free form space

「落葉」「枯れ葉」「秋」ときて、この人を忘れてはいけません。

北海道、足寄出身の超がつくほどの大物シンガー・ソングライター「松山千春」、その人。

写真は1980年、11月発表の「木枯らしに抱かれて」

10曲入りで1曲目が「北風の中」といい、ジャケット表裏、中のフォトまでまさに今の季節にピッタリの作品です。

決して派手ではなく、淡々と歌い継がれていく曲の数々。

見事なまでにハリのある伸びやかな歌唱はもちろんのこと、抒情性溢れる歌詞が自然と耳に入ってきて千春ワールドに誘ってくれます。

毎度おなじみのパラシュートのツインギター、松原正樹、そして北海道出身の今剛らの面々が的確にバックからサポート。

彼の代表曲で今もカラオケで人気のあるシカゴと同名異曲の「長い夜」(!!)も全てにおいて素晴らしいですね。

 

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秋高馬肥

2013-10-23 19:19:10 | リハーサル

 戦後日本経済復興の重要なるエネルギー源として石炭はダントツに重宝されました。

炭鉱町からの交通網、運搬業務にと大活躍したのが蒸気機関車です。

子供の頃は当たり前のように走っていた黒い鉄の塊の乗り物。

今改めて振り返ってみるとたくましくて力強く文句なしにかっこいいですね。石炭が石油エネルギーに取って代わられるのと連動してSLも廃線とともにその雄々しい姿を消してしまいました。

その殆どは解体されてしまいましたが、何両かは炭鉱関連の街の公園内などに現在も展示公開されていて運転席、客室内などを無料開放、見学することができます。

写真上段から栗山公園(栗の樹ファームの麓)、長沼公園(横には温泉や屋外コンサートステージ有り)、そしてダムに埋没予定の大夕張。

夕張のSLには客車も連結されていて、昔懐かしい板張りの椅子(長距離だと体が痛くなる)、床、ドア、窓がそのままに設置されています。

客がダルマストーブに石炭くべて乗車したり、トンネル内で窓を開けていると煙で顔がススだらけになるのであわてて閉めたものです。

オランダのグループ、ショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」という曲は大ヒットしましたね。

アメリカン・ヘヴィーメタルの元祖グランド・ファンク・レイルロードは鉄道名称からバンド名を決定。

ヒット曲ではありませんが「レイルロード」という曲内では線路を叩く音をリズムに入れたり、後半にはヘッド・チューニングを緩めたフロアタムをスピードアップしてドン・ブリューワーが連打で汽車の爆走を再現、警笛も声で演出。

またお遊びで演奏していたらプロデューサー、トッド・ラングレンの提案で録音、しまいにはシングル・カットしたら大ヒット、第1位になっちゃったキャロル・キングの作品「ロコモーション」なんていうのもあります。(この曲はゴールデン・ハーフのカバーで私は初めて知りました)「驚異の暴走列車」なんていう北海道JR真っ青なアルバムもありました!キース・エマーソンもハモンド・オルガンで蒸気機関車の効果音を出していたし、沖縄のバンド、コンデイション・グリーンのギタリスト、シンキも同じような音をギターで出していました。プロレスラーのような巨体ボーカリストがご丁寧にもタバコの煙を吹き出して雰囲気を出してくれていました。

 

STAの今回のリハーサルには早々と30分前からマサ、ダイスケ、ケンがスタジオ入り。

計6人による音出しとなりました。

ダイスケは特別注文したマウスピースが届いたとのことで、さっそく試し吹き。大変にご満悦で良かったね。

このメーカーはあまり楽器店には置いていないものらしく、値段も通常のものに比べても倍はする代物。

ブレッカーが愛用しているらしくて、さすがにダイスケ、パーツ一つとっても目の付け所が違います。さらにはパーカッションとしてLPのカウベルも購入してきました。

ちゃんとスティックもホルダーも用意しているんだから大したものですよ。

さっそく演奏中に試打していましたね。

例によってアルトとバリトンを交互に持ち替えて検証続行中。

想像以上に効果絶大で、こっちまで震えが来るぐらいにエキサイティング。対バンからダイスケのプレイに感銘したと言われたよ!と伝えたら大喜び。でもミツやタツから前もって言われていた超体力消耗曲はダイスケの若さをもってしてもやはりそうとうハードなようです。

シンとマサはリフやコードを教え合ってより良い効果を策案。

ノブはケンのバイタリティ溢れるドラミングを横目に見つつもポツリと「さすがにいいねえ、いいよ!」とお褒めの言葉。唯一のバラードではケン所有のワイヤー・ブラシを取り出していました。

ブラス隊が半分の人数なので毎度のことながら、曲によっては目印を失いそうな危ない場面にいくつか遭遇。

そんな時にはシンの的確な鍵盤サウンドが道標となってほっとさせてくれます。

久しぶりのピアノ・ソロもうっとり。

今でも毎回曲が追加されているのでメンバーたちは四苦八苦しています。

曲目表が溢れかえってしまい、新たな用紙に書き換え。それでも諸事情により泣く泣く落選した曲たちがいっぱいあるのですよ。

まあそれらはまたの機会にということで。

 

後片付け中、シカゴごく初期のライブ映像の話題で大盛り上がり。

今となってはもう演奏することはないであろう曲の数々に大興奮。

もっともっと激レアなオリジナル・メンバーによるオン・オフステージ映像を見たいものです。

 

 

 

 

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george winston

2013-10-23 18:07:55 | free form space

「落ち葉」「枯葉」と秋のおすすめ音楽シリーズが続きます。ところが、夏ものはあれほどいっぱいあったのに秋ってけっこう音楽(ロック系ね)が見当たりません。

ビョルン&ベニー(アバの元旦那さんたち2人のユニット。アバの前身)の「木枯らしの少女」(この間奏に挿入されている切ないフレーズは歌謡曲にそのまま拝借されていました)という超懐かしいヒット曲なんていうのもあるにはありましたが・・・・残念ながら所持していなかった・・・。

STAの練習中にメンバーたちに相談したらノブからのおすすめがありました。

ロックではなく、ピアノ・ソロによる

大ヒットアルバム「オータム」

自宅の音藏(!?)を探索したらありましたあ!!

この曲は皆さん、知らず知らずのうちにどこかしらで耳にしていると思います。

聞いてみると「ああ・・・あれだね。いいねえ・・・」となるはず。

ピアニスト、ジョージ・ウインストンは1949年、アメリカ生まれ。

彼はザ・ベンチャーズ、ブッカーT&ザMG'S,キング・カーティス、ロニー・マック、ココモ、ジュニア・ウォーカー、などのインストゥルメンタル・グループやレイ・チャールズ、ジミー・リード、サム・クックなどのR&Bアーティストなどを親しんでいました。

その後、ブルース、ロック、ジャズなどの影響下、オルガン、エレクトリック・ピアノを弾きはじめ、1971年、伝説的なスィング・ピアニスト、トーマス・ウォーラーのレコードに衝撃を受け、ピアノに転向。

自身のバンド結成、そして作曲、アレンジを開始します。

1972年に初のソロアルバム発表、一旦活動を停止しますが、数年後には演奏再開。

1976年ウィリアム・アッカーマンが設立した北カリフォルニアのインデペンデント・レーベル「ウィンダム・ヒル・レコード」から四季シリーズともいえる大傑作ピアノ・ソロ・アルバムを立て続けにリリースします。

「オータム」(1980)、「ウィンター・イントウ・スプリング」(1982)、「ディセンバー」(1982)、「サマー」(1991)

で、ここに紹介するのはその中でもテレビCMやBGMとして今でもよく流れているズバリ「オータム」!

都会の喧騒に疲れ果てた心と体の癒しに最適。

なんか無性に優しい気持ちにも浸れます。美しくも叙情的で透明感溢れる珠玉の旋律に酔いしれましょう。

ちなみにこのCD収録3曲目でシングルカットされた(アルバムでは約9分のところをジョージ自身の編集によりエディットされています)「あこがれ・愛」。

この中に、もろ「長い夜」の歌いだし部分が顔を出します。

「カーネギー・ホール」でのボビーによるピアノ・ソロでも同様の場面がありましたが、咄嗟にそれを思い出しました。

皆さんがよく知っている「長い夜」は強烈にヘヴィーな楽曲ですが根底に流れるメロディーは実はこのように甘く安らぎを与えてくれる癒し系なのかもしれませんね・・・う~~ん、奥が深い。

 

 

 

 

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ERIC CLAPTON

2013-10-15 23:44:12 | free form space

秋のムード漂うシリーズでアルバート・ハモンド「落ち葉のコンチェルト」を紹介しましたが、第2弾はこれ、エリック・クラプトン2010年発表のアルバム「クラプトン」に収録されている最後のトラック「AUTUMN LEAVES」(14曲目)。邦題は「枯葉」、そうです、あの「枯れ葉よ~~」のあれです。あのクラプトンが切なくもほろ苦い大人の渋さを込めて歌い込んでいます。ギターソロもやや抑え気味ながらもフィナーレにふさわしい旋律を演出。リズム隊はドラムにエイブ・ラボリエルJRとアップライト・ベースがウィリー・ウィークスが好演。 

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体育の日

2013-10-15 19:29:23 | リハーサル

シカゴの出来立てほやほやの新曲がすこぶるご機嫌です。

「AMERICA」というタイトルが示すように、久しぶりの愛国心溢れるメッセージソング。

AORの甘く切ないバラード路線とは一線を画す70年代のシカゴを彷彿とさせるナンバー。イントロの爽快なるアカペラでまずははっとさせられます。その勢いのまま、軽快かつポップな彼ららしいなにか吹っ切れたかのような本編になだれ込みます。

プロモーション・クリップも動画ではなくほとんどが活気にあふれた頃のアメリカを描写するショットの連続。

歌詞にも「FREE」「YOU&ME」とか初期シカゴが好んで使ったような単語が続々と出てきます。こいつはニューアルバムがますます楽しみですね。期待していますよ。

 

5日のファイブ・ペニーを終えたあともSTAのメンバー何人かは夕張近辺をウロウロしていました。

バイクで再度、夕張までツーリングして栗山町の酒蔵・蕎麦店にも足を伸ばしたもの。

またある者は夕張南端に存在する滝の上公園散策。

写真では、まだ紅葉が始まったばかりですが、まさに今が全開山々は真っ赤だそうです。今月いっぱい紅葉を満喫できるそうですよ。

無料駐車場(きのこ汁が評判)に車を停めて森の中を歩くとすぐに赤レンガ作りの水力発電所が左側で出迎えてくれます。

大正時代に建設(1925年)されたもので、てっきり展示物なのかと思ったら現役で電力を供給しているとのこと。

以前にここを訪れた際には屋内も見学することができました。意外にもすっきりとした空間と年代を感じさせる機器類に歴史の重みを実感。窓はステンドグラス作りでお洒落。

のんびり森の中を歩くと2本の巨大な吊り橋が左側に現れて雄大な渓谷を一望することができます。

腰が抜けそうなほどの高さから(高所恐怖症です・・・)眺める千鳥ヶ滝、竜仙峡は何度訪れても見入ってしまい、ただただ自然の驚異にため息。

アイヌ伝説もあるそうですよ。

夕張がまだ発見される前にも舟で上流をめざしてやってきた人々はこの滝に阻まれて探検を断念。後日陸路から改めて奥地に進み石炭を発見したそうです。(この滝の近辺にも石炭層は存在します)

 

STAは祝日も休まず練習のためにスタジオへ7人が集合。

1年間、ライブはもちろんのこと、練習でもシカゴ以外の曲をまったくやっていなかったので最近は久しぶりに懐かしの曲たちとの再会で新鮮です。

ただ、ラッパ吹きさん、ダイスケは毎週ごとに、遠慮なしにマサから「はい!これが今回の追加ね!!」と配布されるスコアにびっくりしている様子。(まだ続きますよ・・・)

スタジオでそれらの曲を改めて演奏しだすとアッという間に持ち時間終了。

それでも常に時計とにらめっこしながら進行していきます。

まずは来月のモダンタイム用の仮セットリストが壁に貼り出されます(このライブ曲群はケンの中学時代のシカゴ仲間からのリクエストに基づいています)。

ブラス隊は各自でそれを携帯撮影。そして随時、皆がそいつをチラ見しながら流れを把握、もしくはスコアのセット、イメージ・トレーニング。

SEも復活して臨場感を掻き立てます。

シンもマサも絶賛していた夕張ライブのテンポが、この日も順調に継続されていたようで自ずと心地よいグルーブが醸し出せて雰囲気も上々。

和気あいあいと和んでいても時にはイントロのタイミングが鈍ったり、走ったり、最悪忘れてしまっていたり・・・これは責任もってチェックしておいてね。のんびり構えているとあっという間に本番当日を迎えることになっちゃいます。

タツとミツはSTA独自で考えたエンディングを曲ごとにラッパ吹きさんへ丁寧に説明。

ラッパ吹きさんもおざなりにしないで納得いくまで質問をしてくるので時間のロスなくどんどんとまとまって効率が良いです。

ブラス隊のみで演奏される小曲ファンファーレも、鳥肌が立つほどにかっこよかった!管以外のメンバーは感動。ミツ曰く「吹奏楽やっていたり、ちゃんと基本を学んでいる譜面に強い今の管奏者たちだからこそ、このように実現可能なんだよね」とのこと。ブランクを感じさせないね。これに低音部のバリトン・サックスでダイスケが4人目として加われば(ブラス隊によるアイディア)より荘厳なるサウンドが誕生するでしょう。

やっぱりシカゴと他のバンドの曲って確実に違いますね。

シカゴの曲の個性豊かな作り・・・というか変態チックなまでの複雑な構成、なにもそこまでやるかっていう凝り具合。常識的ではないこだわりのアレンジ、リズム、コード進行。

いやはや泣きたくなるほどに面白いです。

STAはここ最近になってやっとテクニック云々の評を各方面から頂戴するようになってきました(対バンのブログ・レポートしかり)。以前は、漠然とブラスロック、シカゴが珍しいため、そういった話題ばかりが先行していましたが。

たしかに今のブラス・セクションの面々、長年紆余曲折ずっと組んできたバック面と、今年大きくステップアップできたのかな!?こういうことってバンド内の連中って入り込みすぎて案外わからないもの。

だから、数年前に対バン組んだ仲間のミュージシャンと久しぶりにライブやったあとの意見ってとても貴重で的を得ているものなのです。時と場合によっては目からウロコです。

以前はウォーミングアップやお遊びがてらに取り上げていた楽曲も若干の手直し。ソロの順序の入れ替え、バトンを渡すタイミングのチェックや小節数の説明、実際に演奏中もミツによる「キュー」を目印で納得してもらう。

未だに未完成の曲も一部、スコアに手直しが必要とのこと。

マサは曲数が多すぎて、配置やつながりの前後を勘違い気味。少し頭の中を整理しましょう(笑)。休憩なしにビシビシと続くリハーサルは相当に体力の消耗も激しいはず。あの様子を第3者が見学していたらどう思うのだろうか??

 

後片付け最中、マサが先日テレビで見た白黒映像ジャズ界の巨人「チャーリー・ミンガス・コンサート」の話題に。

「グッドバイ・ポーク・パイハット」はジェフ・ベックの「ワイアード」で初めて知ったのだけど、他にもジョニ・ミッチェル、マーカス・ミラーらも取り上げています。

個人的にはやっぱり思い入れの強いベックのテイクが好きだけど、それぞれに入魂の名演揃いで好印象です。びっくりしたのはシカゴ「自由の祖国」にそっくりな曲がチャーリー・ミンガスのバンドで演奏されていたこと!

もちろんシカゴのほうが録音は後なんだけどフルート、ピアノの表現方法が影響大。シカゴはロック界においてもジャズにかけてはそうとうに精通しているんだからこれって当たり前なんだけど、新たな発見です。今度はエドガー・ヴァレーズでも聞いてみようかなあ??!(レコード買ったことある人から聞いたんだけど、よほど腰を据えて取り組まないといけないよ!とおどされた・・・)。

STAメンバー達と、また今週も店長のご好意でロビーにてホットコーヒー、のど飴、うまか棒(納豆味!)をご馳走になってそのあとは寒空の中、駐車場へ。

車のエンジン・キーを回したらいきなりカー・ラジオFMから流れてきたのは「長い夜」!しかもLPバージョン!!。

予期しない時に、こういう曲が飛び出してくると一際いかして聞こえるんだよね!わかってくれるかい!?俺の気持ちわかるかい~?YEAH,YEAH(「ロウダウン」日本語歌詞から)

 

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SPAGHETTI WESTERNS

2013-10-12 14:57:08 | free form space

ロックバンドを楽しむのと同様に、ずっと映画鑑賞もたしなんでおります。

洋画邦画新旧取り混ぜて楽しんでおりますが、スプラッタものだけはノーサンキューですね・・・。

自分が洋画にはまりこんだきっかけはマンダムCMで大ブレークしていたチャールズ・ブロンソン。

ロックがビートルズ亡き後のNEW ROCKで俄然熱くなっている頃(もちろんその中にはシカゴもしっかり入っています)、映画界もニューシネマという革新的ジャンルを確立。

「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」「イージーライダー」「バニシング・ポイント」などが大ヒット。その流れからパニックもの、オカルトもの、カーアクションを大々的に取り入れた作品などが続々と誕生してしのぎを削ります。

ちょっと遡って1960年代。

007スパイものシリーズは安定した人気を誇り、アメリカ西部劇も当たり前のように観客を大量に動員していました。(ジョン・ウエインというアメリカン・ヒーローなくしてここの部分は語れませんね)。

テレビ・ドラマ「ローハイド」で人気を博していた若手スター、クリント・イーストウッドが格安なギャラで出演したイタリア製西部劇「荒野の用心棒」が予想外の大ヒットを記録します(これ、黒沢作品のパクリ。黒沢監督はあまりにもよくできた内容を見てクレームをつけなかったとか)

これをきっかけに柳の下のドジョウ狙いのごとく量産された作品のタイトルは「用心棒」「ガンマン」「荒野」「夕陽」がお約束・・・。

これさえつければある程度のヒットは約束できたようです。

イタリア西部劇はアメリカと区別する意味で「スパゲッティ・ウエスタン」と本国で読んでいますが、ここ日本では「マカロニ・ウエスタン」と呼ばれています。

「太陽にほえろ」のショーケン演じる刑事のニック・ネーム「マカロニ」もここからきています(「マカロニほうれんそう」の意味は不明・・・笑)。

アメリカ製との大きな違いは、とにかくイタリア製はヴァイオレンス、埃っぽく暗いイメージ。アメリカのように陽気で明るく軽い笑いが散りばめられたような勧善懲悪作品は少ないです。でもハードボイルド好きな映画ファンはこれを目当てにこぞって映画館に足を運んだものです。

そこから生まれたスター御三家は先のクリント・イーストウッド(その後の映画界に及ぼした影響力からしてもう別格ですね)、フランコ・ネロ、そしてジュリアーノ・ジェンマ!

大体マカロニ・ウエスタンの代表作といえばこの3人の作品を薦めれば間違いなし。

フランコ、クリントは髭面、葉巻、ポンチョ、マシンガン、棺桶(!?)比較的口数少なく汗臭いといった印象。それに対してジェンマはがっしりしているけれどスマートな2枚目の爽やか好青年、スタイリッシュで女性にモテモテでラブロマンスもけっこう劇中にあります(先述の2人ももてていますが基本は男の世界)。だから硬派のマカロニ・ウエスタン・ファンからは敬遠される傾向にあったかもしれません。たしかに女性ファンも多かったし、来日もしていて日本の映画にも出演。人気の大きさがわかるエピソードとしてスズキからスクーター「ジェンマ」が発売されたほどです。

また彼の大きな武器は華麗なガンさばきはもちろんですが、運動神経抜群のアクション・シーンにあります。

元体操選手だっただけに、軽業師のごとく空中回転はお手の物、とにかくよく動く体がかっこよかった。

1938年9月2日ローマ生まれの彼も下積み時代が長かったのですが、モンゴメリー・ウッドという名前で出演したマカロニ・ウエスタンで注目されて人気沸騰、これをきっかけに本名にもどして看板スターに成長します。

ここ最近は映画界よりも、もっぱらテレビドラマ、そして彫刻家としての力量を発揮していました。

ただ今月始めに悲しいニュースが世界中を駆け巡りました。

10月1日イタリア・ローマ近郊を運転中のジェンマが対向車と正面衝突、その後病院へ運ばれたのですが死亡したとのことです、享年75歳。

遺作はウディ・アレン監督作品とのこと。

私事ではありますが、修学旅行でSTAケンと東京銀座を訪れたとき、なんとそこのビル会場スペースで「ジュリアーノ・ジェンマ、来日特別トークショー」とあるではありませんか!?

時間の都合で見ることはできませんでしたが・・・ケンは覚えていないだろうなあ・・・・惜しいことをしたと今も悔やんでいます。

マカロニ・ウエスタンは1970代に入り、西部劇自体が人気下降線の一途をたどり、ほとんど消滅してしまいました。

ただ面白いのはそれと入れ替わるように今度はそれまで誰も見向きもしなかったカンフー・ブームが到来したことでしょうね。

「ドラゴン」と名のつく、それまで世界中ではまったく知られていなかった肉弾戦によるアジア・アクションの始まりです。今後の展開を暗中模索していたハリウッドも腰を抜かしたことでしょうね。

ブルース・リーのカリスマ性(この時には既に亡くなっていたというのもショッキングでした)、あのヌンチャクを上半身裸で両手で頭上前方に構えたポーズ、最初にそれを見て「一体これってどういう映画??」と思いましたもん。(ラロ・シフリンのテーマソングも大ヒット)

実際、テレンス・ヤング監督の「アマゾネス」との併映作品としてロードショー時は小さな扱いでした。ところが人間離れした肉体と動きに皆がいっぺんに魅了されて(私もそのひとり)大事件となりました。そしてご多分にもれず第2のマカロニ・ウエスタン現象として「ドラゴン」と名のつく作品がどっと公開されました。

ほとんどが低予算、短期間による製作、チープでどれも似通った内容ばかりです。当然のごとく、やはりこのジャンルも一過性のものでした。

もちろんブルース・リーは全て必見、ジャッキー・チェンなどの後継者も現役組では大成功の人気者。個人的にはジミー・ウォングの「片腕ドラゴン」はカルト的傑作だと思います。

 

映画音楽も皆の心奥深くにそれぞれ数多くの思い出と共に大切に今も流れていることでしょう。

MTV以降は洋楽ミュージシャンと映画がコラボして両方がヒットするのが当たり前の時代になりました。シカゴもその恩恵を授かりました(一昔前はロック映画はヒットしないといわれていました。ビートルズやツェッペリンなどは別として)。

古き良き時代の映画音楽には熟練の作曲家が数多くいましたね。

曲を聞いただけでスクリーンがすぐに蘇ってきます。

フランシス・レイ、ニーノ・ロータ、ミッシェル・ルグラン、モーリス・ジャール(息子はジャン・ミッシェル・ジャール)、・・・・。

そしてエンニオ・モリコーネ。

息子と共に携わった「ニュー・シネマ・パラダイス」なども有名ですが、やはりなんといっても彼の名前を有名にしたのはマカロニ・ウエスタンの膨大なサウンド・トラックです。

鐘の音、鞭の鋭い「ピシッ!」という音、口笛、フラメンコ風ギター、乾いた非情なるトランペットの響き、ビューン・ビューン・・というアイヌが使用するようなムックリ音やコーラスは大砂塵にこだまする インデイアンの雄叫びをイメージしているのか・・・・。

砂埃舞う西部の町の中で向き合い決闘するシーンが浮かんできます。

インディアンの居住地で、それまでほとんどの人が足を踏み入れることのなかったアメリカはアリゾナ州のモニュメント・バレー。

故・ジョン・フォード監督が「駅馬車」でこの景観をいたく気に入りカメラにおさめて公開されて以降、西部劇の舞台として数多くの作品に使われました。

びっくりするのが白黒の半世紀以上前の映画作品を見ても、現在の風景とほとんど変化がないことですね。ここが大昔は海の底だったなんて・・・。

シカゴのメンバーが出演したり音楽も担当した「グライド・イン・ブルー」も全編ここが舞台となっています。サウンド・トラックには「モニュメント・バレー」という壮大なる曲も収録されています。(ジェームス・ウイリアム・ガルシオ作曲)

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ALBERT HAMMOND

2013-10-10 16:54:05 | free form space

毎年、秋が訪れると必ず頭の中にスっと流れてくる曲があります。

哀愁溢れる美しいタイトル「落ち葉のコンチェルト」がそれ。今でもこの季節になるとあちこちでオンエアーされますね。

 

アルバート・ハモンドはてっきりアメリカ人だと思ったらイギリス人だったのですね。

1944年5月18日生まれ、いくつかのバンドを渡り歩いたのち、アメリカに移住。

あの大ヒット曲「カリフォルニアの青い空」でブレークします(ビルボード誌1972年12月16日最高5位を記録。年間チャート記録33位)。

このタイトルはラジオ一般公募で決定したといういわくつきの曲。ちなみに歌謡曲にもしっかりとぱくられてそちらも大ヒット。今も歌い継がれています。

その後も出す曲、出す曲がヒット。

「カリフォルニアより愛をこめて(007の拝借タイトルですね)」、一転ハードな曲調の「ザ・フリー・エレクトリック・バンド」「ダウン・バイ・ザ・リバー」・・・・などなど多数。

来日公演も行いテレビ出演も果たしています。

当時のルックスは長髪にもみあげ、長い脚、ジーンズ姿にワイルドで面長ハンサム、フォークギターを座って弾くと演奏スタイルが強烈に焼きついています。

1970年代に青春時代を過ごした方たちならば必ず彼の曲でお気に入りが1曲はあるはず。

その後もコンスタントに自身の作品を発表しながらも、良質な曲を数多くのアーテイストたちに提供し続けています。

シカゴも「19」の2曲目に収録している「I DON'T WANNA LIVE WITHOUT YOUR LOVE」でお世話になっています(もちろん大ヒット。プロモーション・クリップも存在します)。

その他ホリーズ、レオ・セイヤー、そしてカーペンターズの「青春の輝き」なども彼の作品です。

面白いところでは吉田拓郎の肝いりでデビューしたフォークグループ「ネコ」も「コスモス」「君の心はおもちゃ箱」というタイトルでアルバートの作品を取り上げています。

そして前述の「落ち葉のコンチェルト」・・・写真の輸入ベスト盤には彼のヒット曲が一通り網羅されているのですが、その肝心の「落ち葉の・・・」だけが収録されていない・・・。

あれは日本だけのシングルカットだったようです。

ベスト盤購入時はお気を付けください。

ちなみにザ・ストロークスのメンバー、アルバート・ハモンドJRは御子息です。

 

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