世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ホームレス part 3(前編)

2007年01月29日 | 
海外に行くと、特にアメリカの町で恣意的にふらりと立ち寄るところがある。

図書館と大学と教会だ。比較的自由に出入りができる。

どうしてそんな所に?
『図書館で過去を発掘し』、『大学で現代の息吹に触れ』、『教会で未来との交信を試みる』ため、とでも答えておこう(ちょっとカッコつけすぎ?)。

そこにはいずれも【気】を感じる。

その【気】に遭遇し、五感に取り込む。運気の流れが見えてくる。
過去に学び、現状を把握し、未来に向かって行動を起こす。

もちろん、海外に限らず日本国内でも同じだ。
図書館や書店に足しげく通い、大学の公開講座に参画する。そして旅先で神社仏閣を訪れる。

総持寺で座禅を組み、薬師寺で今は亡き高田後胤和尚に師事した。
横浜に住んでいるころ、幾度となく第三京浜を飛ばし鎌倉の禅寺で修行を積んだ。
そのときの経験が今の僕の小説の内容を飾る。

今、静かなブームを呼んでいる、お寺に泊まることもかなり昔から実践して来た。

日本と違って、外国の大学は違和感がない。僕みたいなオジサン、オバサンが数多く学生として徘徊している。その中に自然と溶け込む。
学食や生協は安くて種類も多く、貧乏旅行者にはとても重宝する。
大きいところは、映画館やボーリング場などを兼ね備えている。ゴルフコースまであって驚かされることもある。

UCLAは広すぎて一日いても飽きない。
ハーバード、MIT,コロンビア、ニューヨーク、バークレイ、スタンフォード、モンタナ、サンフランシスコ、バンクーバー、ハワイなど学生面して厚かましく闊歩したこともある。

余談だが、学生のころ早稲田で勝手に講義に潜り込んだことがある。
動機は不純。ある女優目当てだった(今でも僕のマドンナ、誰だか分かるかな?)。

さて、教会は原則として誰でも入れる。
                     ・・・・・・後編に続く