世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ゴッコ

2008年08月22日 | 人生
「人間の幅は、遊びの数(時間)に比例する」、と思っている。


ボクは、「○○ゴッコ」 で育ってきたといってもいいだろう。


戦争ゴッコ、受験ゴッコ、企業ゴッコ、ファミリーゴッコ、自営ゴッコなどなど。

そしてイマも、人生ゴッコの真っ只中。


全てが遊び、そして、全てにギャンブル性を伴ってきた。

結果、失敗と挫折の連続だったが。

だけど、過ぎてしまうと、なぜか楽しさの感覚だけが残った。

こうだから、「懲りない」、「学習しない」、と言われてもしょうがない。



生半可なバーチャルゲームや公営ギャンブルなどは基本的にやらない。

やってる暇もない。



リアルなゴッコやギャンブルは、生死を伴う。


テレビゲームや、パチンコなどに興じるほど軟な生き方はできない。


ボクの遊びの究極は、「旅」 だ。

いつも命がけ。

ナイフを扱い、火を操る。

いつ、どこで死んでも悔いは残らない。

今を、瞬間瞬間を必死に精一杯生きてるから。


だけど、心というか、気持ちの遊び(余裕)は常に必要だ。

車のハンドルやブレーキのように。



レジャー白書で、遊び盛りの10代の「余暇の貧困化」が如実になった。

「親が子に様々な経験をさせていない」、と指摘している。


本来の遊び方を知らない、遊べない奴が多すぎる。

そりゃーそうだ。

子育て支援 (ボクは、『子育て放棄支援』と呼ぶ) といわれるまやかし政策の元で、

生まれたての子を人に預け、物心つけば塾に通わせ、習い事に狂奔させる。

挙句、親子して、家でパソコン、外では携帯をいじくってばかりじゃぁ、お先真っ暗。



身体を張って、モット遊べ、遊べ!


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