旅して暮らすことを
考えた時
添乗員になることも考えた時期があった。
添乗員になれば
年がら年中
世界中を回れるものと思っていた。
だが
とんでもない誤解だった。
その実態を知ると
急速にその夢はしぼんだ。
商社マンすら
そうだった。
世界を股にかけて
世界中を飛び回って仕事をする
と決めた時から
商社マンは
憧れの職業だった。
そして
その夢は叶った。
だが
飛び回るには
ほど遠かったし
物足りなかった。
もっと自由に、
もっと頻繁に
もっと長く、
もっと好きなところへ、
もっとやりたいことをやる。
これがボクの夢になった。
夢は
叶えられた時に
さらに
別の夢へと進化する。
夢への欲望に
限りはない。
大空に解き放たれた風船は
空高く上がるごとに
膨らみを増す。
そして
ドンドンドンドン
大きくなって
最後は
破裂して
しょぼくれたゴムとなって
地上に落下する。
解き放つ風船は
一つではない。
大きさもまちまちなら
色も
カラフルだ。
空高く上がり切らず
宙に浮遊したままのものもある。
海外の添乗員は
過酷な商売だ。
旅先で出会う
添乗員の悲惨な姿を
何度も目にした。
あっちこっち行けるとしても
遊んだり、
観光したり、
ましてや
飲んだくれたりしている暇は
まったくない。
当然ながら
四六時中
旅行客のお世話をしなければならない。
集合時間に来ない客には
イライラさせられる。
千差万別な要望にも対処しなければならない。
明らかにふてくされている添乗員もいた。
プライベートな時間なんて
ほとんどないに等しい。
宿泊業も
24時間営業なら
添乗員も
何が起きるか分からない状態で
おちおち寝てなんかいられない。
商社マンだって
宮仕えの身であれば
自分の好きなところへ行って
好きなことをすることなど
なかなか出来そうで
できなかった。
週末、
スイスのアルプスで
スキーを楽しんでいたら
上司にイヤミを言われたことがある。
だからこそ
リゾート地における宿泊業を選んだわけだが、
これは正解だった。
現在
ゴールデンウィーク最中、
多くのお客様を迎えている。
3~4年くらい前までは
半年働いて
半年遊べるサイクルでやってこれた。
絶頂期には
100日働いて
265日は好きなことができた。
1年2か月間も
働かず
世界一周ができたほどだ。
だが
それも
今は昔。
年間50日ほどの稼働率では
暇はあっても
やりたいことをやる資金がない。
だけどそんな中、
添乗員という役割が
形を変えて
俄かに現実のものとなって
蘇ってきた。
その名も
「個人添乗員」
プライベート案内役とでも言おうか
このところ
ボクと一緒に
海外旅行をしたいという人が増えている。
昨年も
ベトナムに連れて行った男性がいた。
今回、
ボクと旅したいという
女性も現れた。
うしっしっしっし。
それは
なんと
なんと
84歳の可愛いおばあちゃんだ。
ご主人に先立たれ
好きだった海外旅行も
諦めかけていた。
荷物を持つのが大変という。
それならボクが持ってあげましょう、
というと、
では一緒に行きましょう、
ということになった。
こういう形でお役にたてれば
タビスト冥利に尽きるというものだ。
さらに
決定しているのは
ベトナム行だ。
以前このブログでも書いたが
目の不自由な方のお供をすることになっている。
そして
ニューヨーク。
娘の結婚式に参列するのだが、
この機会に
一緒に行くカップルが2組いる。
そして
秋には
もう一人
何処でもいいから連れて行ってくれという
男性が現れた。
まず
パスポート申請から
お願いしている。
日本人は
パスポートさえあれば
思いついたらすぐにでも
出国でき
いろんな国にビザなしでいける。
これは
他の多くの国に比べたら
すごく幸せなことなのだ。
(それすらも自覚していない日本人が多い)
そして
さらに嬉しいことに
あなたと行きたい、
私を旅行に連れてって
という女性も数人(?)。
これは
あくまでも酒の場での話なので
信憑性は(まったく)ない。
それでも
ウッシッシ、と
心は躍る(?)。
だが
純真な(?)男心を
愚弄するのは
辞めてほしい。
いずれにせよ
自由気ままな一人旅も
もちろんいいが
ボクの旅の経験が、
こうして
誰かのお役にたてるのなら
それもまた嬉しいことなのだ。
さあ、
兼高かおるさんに成り代わって
かじえいせいが
ご案内します。
世界の空へ。
Let's go to the world with me !
考えた時
添乗員になることも考えた時期があった。
添乗員になれば
年がら年中
世界中を回れるものと思っていた。
だが
とんでもない誤解だった。
その実態を知ると
急速にその夢はしぼんだ。
商社マンすら
そうだった。
世界を股にかけて
世界中を飛び回って仕事をする
と決めた時から
商社マンは
憧れの職業だった。
そして
その夢は叶った。
だが
飛び回るには
ほど遠かったし
物足りなかった。
もっと自由に、
もっと頻繁に
もっと長く、
もっと好きなところへ、
もっとやりたいことをやる。
これがボクの夢になった。
夢は
叶えられた時に
さらに
別の夢へと進化する。
夢への欲望に
限りはない。
大空に解き放たれた風船は
空高く上がるごとに
膨らみを増す。
そして
ドンドンドンドン
大きくなって
最後は
破裂して
しょぼくれたゴムとなって
地上に落下する。
解き放つ風船は
一つではない。
大きさもまちまちなら
色も
カラフルだ。
空高く上がり切らず
宙に浮遊したままのものもある。
海外の添乗員は
過酷な商売だ。
旅先で出会う
添乗員の悲惨な姿を
何度も目にした。
あっちこっち行けるとしても
遊んだり、
観光したり、
ましてや
飲んだくれたりしている暇は
まったくない。
当然ながら
四六時中
旅行客のお世話をしなければならない。
集合時間に来ない客には
イライラさせられる。
千差万別な要望にも対処しなければならない。
明らかにふてくされている添乗員もいた。
プライベートな時間なんて
ほとんどないに等しい。
宿泊業も
24時間営業なら
添乗員も
何が起きるか分からない状態で
おちおち寝てなんかいられない。
商社マンだって
宮仕えの身であれば
自分の好きなところへ行って
好きなことをすることなど
なかなか出来そうで
できなかった。
週末、
スイスのアルプスで
スキーを楽しんでいたら
上司にイヤミを言われたことがある。
だからこそ
リゾート地における宿泊業を選んだわけだが、
これは正解だった。
現在
ゴールデンウィーク最中、
多くのお客様を迎えている。
3~4年くらい前までは
半年働いて
半年遊べるサイクルでやってこれた。
絶頂期には
100日働いて
265日は好きなことができた。
1年2か月間も
働かず
世界一周ができたほどだ。
だが
それも
今は昔。
年間50日ほどの稼働率では
暇はあっても
やりたいことをやる資金がない。
だけどそんな中、
添乗員という役割が
形を変えて
俄かに現実のものとなって
蘇ってきた。
その名も
「個人添乗員」
プライベート案内役とでも言おうか
このところ
ボクと一緒に
海外旅行をしたいという人が増えている。
昨年も
ベトナムに連れて行った男性がいた。
今回、
ボクと旅したいという
女性も現れた。
うしっしっしっし。
それは
なんと
なんと
84歳の可愛いおばあちゃんだ。
ご主人に先立たれ
好きだった海外旅行も
諦めかけていた。
荷物を持つのが大変という。
それならボクが持ってあげましょう、
というと、
では一緒に行きましょう、
ということになった。
こういう形でお役にたてれば
タビスト冥利に尽きるというものだ。
さらに
決定しているのは
ベトナム行だ。
以前このブログでも書いたが
目の不自由な方のお供をすることになっている。
そして
ニューヨーク。
娘の結婚式に参列するのだが、
この機会に
一緒に行くカップルが2組いる。
そして
秋には
もう一人
何処でもいいから連れて行ってくれという
男性が現れた。
まず
パスポート申請から
お願いしている。
日本人は
パスポートさえあれば
思いついたらすぐにでも
出国でき
いろんな国にビザなしでいける。
これは
他の多くの国に比べたら
すごく幸せなことなのだ。
(それすらも自覚していない日本人が多い)
そして
さらに嬉しいことに
あなたと行きたい、
私を旅行に連れてって
という女性も数人(?)。
これは
あくまでも酒の場での話なので
信憑性は(まったく)ない。
それでも
ウッシッシ、と
心は躍る(?)。
だが
純真な(?)男心を
愚弄するのは
辞めてほしい。
いずれにせよ
自由気ままな一人旅も
もちろんいいが
ボクの旅の経験が、
こうして
誰かのお役にたてるのなら
それもまた嬉しいことなのだ。
さあ、
兼高かおるさんに成り代わって
かじえいせいが
ご案内します。
世界の空へ。
Let's go to the world with me !