世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

1月23日(木)のつぶやき

2014年01月24日 | 音楽

具体的夢を描こう

2014年01月23日 | 
夢は出来るだけ具体的であればあるほど叶い安い。


ところが、多くの人は、自分の夢をあまり語ろうとしない。

夢は人の語るところから始まるというのに。


だからボクはいつも言う。


人に語れと。

そして、紙に書け、と。


人に語らないのは、恥ずかしいからだ。


こんなことを言うと、馬鹿にされるのではないか。

もし、実現しなかったら嘘をついたことになるのではないか。

信用を失うのではないか。



だが、語らないからなかなか実現しないので、

人に言えば、より具体的にアイデアが浮かぶようになる。


そして、賛同者や、応援してくれる人が出てくる。



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納豆レストランについての

ボクは、人に言い、ブログに書き、

facebookにアップし続けている。


そうすると、はじめは笑い飛ばしていた人も

コイツは本気でそんなバカなことを考えているのかと

呆れ顔でも真剣に聞いてくれるようになる。



そして、貴重なアドバイスや知恵を貸してくれる。


昨日もある方から貴重なご意見を頂いた。


「かじさん、コンテストを開いたらどう?」


この方は普段からいろんな情報を取り入れ

企画しては実行されるその業界では一目置かれるやり手だ。


ベトナムのレストラン経営者に

納豆を使ったレシピを考えてもらい、


実際納豆を使って料理をし、食べ比べるという戦法だ。


そして、優勝者には賞金を出す。

そして実際にその方のレストランのメニューとして出していただく。


こちらはその権利を売るというものだ。


そうすればニュース性もあり、

普及も早いだろう。


第一、資本投下が最小限で済む。


ボクは聞きながらメモしていく。


そして早速、現地のカウンターパートにその旨メッセージを送った。

そうしたら、すかさず、検討しますという返事。


こうした動きは素早くやることが肝心だ。

良いと思ったら、間髪を入れず動く。

考える暇を与えない。


リアクションを待つ間、じっくり検討すればいい。



こうして、小さな種が芽を出していく。

大輪の花を咲かせるかどうかは

根気よくフォローすることだ。


これを怠るとせっかく芽吹いた芽を枯らしてしまうことになる。



真剣さ、本気さ、熱意といったものが人を動かす。


一人では何事も成し遂げられない。


だが、最初は一人で動かなければならない。


孤独の戦いの中に人を引きずり込むのは情熱以外の何者でもない。


Passive, Positive, Agressiveにいかなければならない。


とにかくがむしゃらに夢に向かって突き進もう。

倒れても倒れても、立ち上がり、前に向かって進む。


諦めないこと、辞めないこと。


そうすれば必ず夢にたどり着く。



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夢のない人へ。

この国ではいつまでたっても夢は見つからないかもしれない。


だったら、外へ飛び出してみないか。


家に中でじっとしていても埒は明かない。

だったら外へ飛び出してみないか。


そうすれば何かが変わり、

何かに気づくだろう。



知らない土地で、知らない人に

話しかけてみよう。


微笑んでみよう。


そうしたら、何かが変わり何かに気づくだろう。


その小さな種を持ち帰り、

庭に植えよう。


そして、毎日毎日水をやり世話をすれば

芽を出し美しい花を咲かせるだろう。


その花が散る頃、また旅に出よう。

そして新しい種を見つけたら、家に帰ろう。


きっと違った花を咲かせるだろう。


人生とはこの繰り返しなのではなかろうか。


1月22日(水)のつぶやき

2014年01月23日 | 音楽

キャビンアテンダントとデートする方法 (男性必読) goo.gl/wNUScK


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CAとデートしました

2014年01月22日 | 
海外に行って時間を持て余すなら、

CAとデートすることをお勧めする。


もちろん、英語ができないとこういうこともできなくなるが。



国内線、客室乗務員のお休みは、

4日働いて2日休みのパターンが多い。


国際線は、スケジュールがバラバラだが、

だいたい、ヨーロッパ方面・カナダ・アメリカなど、

フライトタイム10時間超える場合は、帰国すると、2日か3日お休みがもらえる。


ただし、現地でも24時間は必ずお休みもらえるようになっている。



東南アジアのようなフライトタイム4~5時間ならどうだろう。

結構日帰りも多いらしい。


それなら帰り便を狙えばいい。




例えばベトナムエアライン。


ベトナム人のCAは美人が多く、愛想がいい。

目が会うと、必ずニコッと微笑んでくれる。






それにアオザイを着ているので、一層そそられる。






ベトナムエアラインはJALとの共同運行になっていて、

深夜ハノイやホーチミンを出て、早朝日本に着く。


そして、その帰り便が午後ベトナムに着くこととなる。


ここで運良く休暇を取るCAなら、現地でデートができる可能性が大きい。


地方出身のCAは、いちいち自分の田舎帰ったりせず、

提携先のホテルに泊まる。


ハノイの場合、5つ星のSホテルだ。


彼氏のいないCAは誰しも時間を持て余している。


東南アジアは時差も1~2時間しかないから、

ほとんど時差ボケはない。


彼女らも体力は温存している。


当然向こうも独身であれば、虎視眈々といい男を狙っているはずだ。



ビジネスクラスならまだしも、エコノミーとなるとかなりのテクニックを要する。


まず、当然だが紳士的でなければならない。

言葉遣い、身のこなし、食事のマナーなどなど。


CAはお目が高い。


さて、そこで声のかけ方だ。


狙い目は、彼女らが飲み物や機内食を回収し終わり、一服している時間帯が最適だ。


一番後ろでカーテンを引いてたむろっている場合が多い。


幸いトイレもその位置にある。

だからトイレを済ませ、出てきたとこでおもむろに声をかける。


Can I have a glass of wine?

ワインはビールでもオレンジジュースでも構わない。


カップをもらいながら

”Do you have a flight tonight?”

と聞いてみる。


”No.”といえばアタック開始だ。


まず出身地などを聞いたりさりげなく会話をする。


そして相手が自分のことを聞いてきたらしめたもの。

空かさず言う。


「実は、ハノイは何度か来ているけど、とっても気に入ってるんだ。

観光地は行き尽くしたし、どこか面白い穴場を知らない?」


「あるわよ。○○なんかどう?」


「どこにあるのかな?

よかったら連れて行ってくれない?ご馳走するよ」


”OK”となれば、

あとは時間と待ち合わせ場所、携帯番号をゲットすれば、バッチリ。



       


さあ、君にはできるかな?



【追記】


英会話に自信のない人は、

すぐに「フリートーク」にいらっしゃい。


懇切丁寧に手ほどきします。

旅の最終段階

2014年01月21日 | 
「実現できない夢はない」とばかりに

今までやりたいことをやってきた。


ボクのライフスタイルは、

「旅」という一文字で塗り固められている。

これまでの夢の実現は全てそのコンセプトに沿ったものだった。



「流れ者の渡り鳥がふらりと地方の町に現れ

町のヤクザに絡まれている美女を助ける。

彼女は彼を好きになるが、

彼は彼女を残して赤い夕陽に向かってギターを抱えて馬に乗って去っていく」


このワンパターの「渡り鳥」シリーズの映画に小学生の時に魅せられた。

そして、この映画のイメージがボクをずっと引きずってきた。


      これがボクのライフスタイルの原点



周囲からあきられながらも未だにこの映画のように生きることを続けている。


ひとところに留まらない、

柵(しがらみ)を作らない。


これがボクの「旅に生きる」というライフスタイルを形成した。


その間に2度、錨を下ろして停泊すること(結婚生活)を試みたがダメだった。

(現実は、女性を残して格好よく去っていくどころか、

二度も女房に逃げられた(^O^))

I was deserted by my 2 wives.




だがドッコイ、ボクの旅には常に「恋」と「ビジネス」がついてまわる。

それらは、ボクにとって両方共人助けなのだ。


恋もビジネスも一方的にはできない。

相手がいて、相手から好かれて初めて成立する。



物見雄山的観光だけの旅にはもう飽きた。

リラックスや気分転換はできるが。


今ボクの旅のスタイルは、

観光の旅からビジネスを構築する旅へと大きくシフトした。


つまり、消費する旅から、旅先でお金を稼ぐ手段を見つけたのだ。


だからといって、渡り鳥はひとところに留まることを知らない。

常に動くこと、移動することを強いられる。


ときには港町に姿を現し、

時には大草原に、そして時に、湯けむりの町へと。


これがボクの子供時代の旅心をくすぐり、

「スイッチライフスタイル」へと駆り立てたのだ。




映画の世界の渡り鳥は、

いつもどうやって食べている(稼いでいる)のだろうと子供ながらに思っていた。


彼は、ギターと歌で流しとして稼いでいた。

つまり食べる手段を持っていたのだ。



ボクの旅の次の段階は、

旅をビジネス化することである。


つまり、動くことがお金を生むシステムを構築することにある。


旅そのものををビジネスにするにはどうしたらいいのか。


映画の中の渡り鳥は、主にギターと歌で生計を立てていた。

悪者をやっつけた謝礼金もあっただろう。



旅をビジネス化する手段はほぼわかっている。


ギターをモバイルPCとスマホに変え、

歌を講演やセミナーに変えればいいのだ。


ただまだそれがお金になる段階まで達していない。

あるいは、思い切って飛び出せば、案外やっていけるのかもしれない。



事業の足固め、

海外展開の実施の先には

広大な海とどこまでも続く大草原が待っている。


Be all you can be!

なりたい自分になれ!

外国人の取り説

2014年01月20日 | 人間関係
「新生フリートーク」になって早3ヶ月半が過ぎた。

徐々に新しいお客様が増えてきた。


このところ、ニューカマーが多い。

そのほとんどがクチコミだ。


古い仲間たちも帰ってきている。


それもこれも、

新しいマネージャーの良さが発揮されだしたことが大きく貢献している。



フリートークの基本理念は保ったまま、

ボクは、人間としての個性を活かすことに努めている。



「日本人に英会話力を」、

「外国人に雇用を」、


というのがフリートークを作った時の2大理念だ。


それには揺ぎがない。

そしてそれは今申請中のNPO法人へと受け継がれようとそている。




外国人を使うというより、

彼らの良さ、個性を十分に発揮してもらう、

表現してもらうことでフリートークは成り立つ。


その意味で、初代マネージャーは思う存分個性と魅力を発揮していた。

彼女の社交性、エンターテインメント性は群を抜いていた。


多くのゲスト(お客様)が彼女のファンとなった。

そうして彼女は1年で黒字化に成功した。



それだけに、彼女の卒業(退職)とともに

フリートークからゲストの姿が消えた。


「企業は人なり」と言われる所以だ。


本来「フリートーク」はここで消えてなくなっていてもあながち(not necessarily)不思議ではない。





ボク自身が手がけたホテルは、

これまで3箇所(阿蘇・南阿蘇村、大分・久住高原、阿蘇・西原村)とも自分自身のいわゆるプライベートブランド力で伸ばしてきた。


そこに、「ペンション」、「観光牧場」、「古民家」というブームが火をつけた。

ボクの感性とマーケットニーズがぴったりと符合した証だ。


それには、すべて『旅』 という根本的な自分自身のコンセプトが隠されていた。



それは今も変わってはいない。


子供の頃から、ボクは『旅』 一筋で生きてきた。


「外国語大学」、

「総合商社」、

「宿泊業」と携わる姿は違っても、

そこには全て『旅』 という共通理念が必ず内在している。



フリートークも然り。

ゲストハウス「ラブトリップ」に関しては、まさに宿泊業の名残りを潜ませた。



国内はもとより、

ボクの旅先は海外へと大きくシフトしている。


その中でどうしても避けて通れないのが、当然だが外国人との接触だ。



今、ボクにとって、外国人は単なる一期一会の存在を離れ、

生活を共にする存在へとその意義を増した。


仕事上の、生活上のパートナーとして。


その関係は事実上は雇い主と従業員と言えるかもしれないが、

ボクの中ではそういう位置づけではない。


ボクは人を雇うということをあまり好まない。

そこには主従関係が生まれるからだ。


むしろボクは、対等な関係を好む。


だから自主性に任せる。


ところが、日本人ときたら、

こと仕事に関しては他人依存が強いから自ら動こうとしない。


日本人体質の中には、指示待ち族、事勿れ主義が蔓延している。


多くの外国人にはその意識が希薄だ。

むしろ、如何に自分を表現するかに長けている。

その芽を摘み取ってしまったら、元も子もないではないか。


自分が好むと好まざるにかかわらず、

その個性、特徴を活かすべきだ。



だからボクは何も命令しない。

提案し、判断は相手に任せる。


明らかに日本人に接するときと、外国人に接する時では

ボクの考えは異なる。



外国人を日本人と同じように手懐(てなず)けることなどバカのやることだ、と思っている。

それでなくても、日本に住む多くの外国人は日本に同化しようと必死なのだ。


とくに「おもてなし」と呼ばれるサービス精神においてはお粗末そのものと言える。

だがそれは、身をもって教える、いわゆる背中で語れば彼らは自ずと理解する能力を持っている。



よく日本人は外国人を「あいつら」と表現することがある。

とくに海外においては顕著である。

何か特権意識を持つかのように、だ。


この意識を払拭しなけれbならない。

確かに、日本人は多くの外国から優秀性を持った目で見られる。

それは日本民族として誇りに思う。

(㊟ ただ、英語に関しては、世界中からバカにされているkとを忘れてはいけない)


だが、日本人が世界で秀でた民族であるを良いことに相手を蔑むようなことがあったら、

それは愚行の何者でもない。


それぞれのお国柄に特徴があるように、

人にも特徴、個性がある。


それを生かさず殺してしまったら無意味だ。


だから、彼らと接するときには

彼らをリスペクトすることから始めなければならない。


そして、思い切って任せることだ。


たとえ、例え自分のやり方、考え方と違ってもだ。

相手を信頼することだ。


「好きにやっていいよ」というと、

最初は戸惑う人もいるかもしれない。



ただ、結果を重要視することは忘れない。

すなわち成果を出すこと、つまり利益を上げることだ。


ここに暗黙の了解がある。

それは彼らのサラリーに無条件に反映するからだ。


利益を上げなければ淘汰される。

言うまでもない企業の論理だ。


それをわきまえ、実行に移せる者だけが残る。


だから、出勤時間も、休みも全て本人に一任している。


法を犯さなければ、あるいはスレスレでも何をやっても構わない。

要は、結果が重要視される。


それだけ厳しいのがグローバル社会(世界)なのだ。




そうしてもう一つ、心がけていることがある。

前のマネージャーと一切比較しないこと。


話題にもしないこと、だ。



彼は水を得た魚のように徐々に頭角を現してきた。

これこそがボクノ意図するところである。



【追記&補足】


今や海外(ハノイ)にも店を持つ身。

そこで働く人も、全て現地の人々(ベトナム人)である。



ドップリと外国人の中に身を置く自分を、

ボクは幸せ者だと感じ、

彼らの一人ひとりに感謝している。


ボクがいなくても、彼らは一生懸命考え、工夫してやってくれている。



海外展開はこれから勢いをますことは間違いない。

もちろん、国内においても然りである。



なお、題を「取説」としたのは

人に対しては不適切な言葉であると自覚している。


そのうえで、敢えて使ったのは、

一種の流行り(はやり)に沿っただけのことである。


ご理解いただきたい。


「外国人の取り説」まとめ:


① リスペクトする

② 任せる

③ 信頼する

④ 比べない



不思議なことに、

これは、ボクの子育ての論理とも一致する。


浮気の勧めとその効用

2014年01月19日 | 
浮気が発覚したときは殺されるのでないかと思うほどの修羅場を見た。


ビンタも2発食らった。

とにかく激しい。


You always make me tired!


だが、一旦嵐が過ぎ去ると、

嘘のように優しくなった。


Iwas jealous 'coz I love u.

なんと嬉しいことを言ってくれる。




自分のブログやfacebookで90%以上の自分を暴露している。


そこに監視の目が光る。

恋人であろうが行政であろうがボクの動きを注視している。



先日もタレコミがあった。

そのためボクは行政に呼び出され、しこたまお灸を据えられたのだ。


それが嫌でfacebookをしないという人もいる。


だがボクは敢えて自分を世の中に暴露する。


損をしてでも、そうせざるを得ない自分がいる。

それは正々堂々と生きているからだ。


叩けば誇りの出る身ではあるが、

それでもお天道様に顔向けができないことは極力やらないようにしている。


絶対と言い切れないところが、弱いところなのだが。

それは愛嬌でもある。


法律に触れない程度のワルはする。

そうでなければ人生面白くない。


スレスレ、グレーゾーンのところで生きるのが面白い。



    昨夜のカラオケ



「あなたもワルねー」 とはよく言われる。


だが、悪党、悪人とは一度も呼ばれたことはない。

知っている範囲だが。

ベトナム人はキレイ好き!? 旅の心得

2014年01月18日 | 
仲間たちがどんどん増えている。


知り合い、友人、家族、ベトナムにそうした輪が広がり始めている。

知らない土地、特に海外にこうした人間関係を築けることは、

とってもありがたく幸せなことだと思う。


ベトナム人との付き合いは、

公私を問わず、家族との付き合いを意味する。


家に招待されることは珍しいことではない。



それだkに親密度がます。

ベトナム人の家族の絆の深さを感じさせられる一面でもある。




トイレの便器の横の小さなシャワー。




6年前、初めてベトナムを訪れた時、

どこのトイレにもこれがついていることに驚かされた。


これはとても合理的で簡単でコストもさほどかからない。

もしかして、日本でシャワートイレができる前からあったのかも。


ギリシャなどに行くと、便器(和式型)の横に水の入ったカンカンやプラスティック容器が置いてある。

要は、これで用を足した後洗ってくださいというものだった。


水でお尻を洗う習慣は昔からあったのだろうか。

特に暖かい国においてはそうかもしれないと思った。



一方、ベトナムに最初に行った時の不潔さにも驚いたことを覚えている。

汚れた爪でフォーの麺を鷲掴みにして丼に入れる。


たらいで食器を洗う。

プラスティックのカゴに無造作に入れられた野菜には虫がつき、

ところどころ傷んでいる。


こんな光景を目の当たりにして食べるのをためらったものだ。


だが、ベトナムを訪れる回を増すごとにそうした光景も徐々に消えていった。


麺を掴む手には薄い手袋がはめられるようになった。


こちらが見慣れたせいもあるだろうが、違和感がなくなっていった。





そういえば、6年で20回以上訪れているベトナムで

一度もお腹を壊したことがないのは不思議だ。



同じような状況にあったネパールでは、完全に酷い下痢状態に陥ったことがある。

その後のタイ、香港ではずっとお腹を壊したままで帰国するまで不調は長引いたものだった。



ラオスでもお腹を壊し、

ハノイまでの22時間に及ぶ長距離バスの中でのたうちまわっていた。



だが、数回訪れたカンボジアやフィリピンそしてマレーシア、シンガポールといったところでは

お腹の調子はいずれも順調だった。



それぞれの国で、水が合うか合わないかは大きな問題だ。

もちろん、どこへ行っても水道水を飲むことは御法度だが。


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【旅の心得 常備薬編】


風邪薬、

胃薬、下痢止め、

頭痛薬、鎮痛剤、解熱剤、

抗生物質、

バンドエイドなどなど。


寒いところへ行く時は、ホッカイロ。

ティッシュ(ウェットティッシュも)やトイレットペーパーも携帯していると、

いざというとき重宝する。


トイレにトイレットペーパーが置いてないところも多い。



また、地元の汚い食堂では、

箸やスプーンは一度拭いてから使用する。


などなど、ちょっとした旅の心得は大事だ。

英語の効用と弊害

2014年01月17日 | 英語
英語がしゃべれると、得なことがいっぱいある。


世界中でモテまくる。


フランス語のようにロマンティックでもなく、

イタリア語のようにエロティックでもない。


英語はストレートなところが好きだ。



英語をしゃべると、まず性格が変わる。


とにかく、明るくなる。

ポジティブになる。

ユーモア力がつく。


誰にでも話しかけやすくなる。

つまり、社交的になる。

だから、誰とでもすぐ親しくなれる。


バーの、カウンタートークが上手くなる。

Have we met before?(以前お会いしましたっけ?) とか

Can I buy you a drink?(一杯おごらせてください) とかいった具合だ。


これらが英語で言い慣れると、

日本語でも平気でさりげなく言えるようになrから不思議だ。


つまり、初対面の人に気軽に話しかけることができるようになる。


もちろん、外国人に物怖じしなくなる。

そしてこれらは世界中で通用するのだ。



ところが、あまりの人懐っこさに、誤解を招くこともしばしばである。

つまり、軽っぽい人間だと思われてしまうところがある。


それから、嫉妬を招く。



それもこれも、言葉はあくまでもコミュニケーションツールであって、

その根本となる人間性を磨かなければどうしようもないということだ。


モラルやマナー、教養、経験がないと、しゃべる言葉が上滑りする。


女性を口説くのも、ビジネスにおいても

アプローチやプロセスにおいては共通する手法が多々あるが、

結局決め手は、誠実さ、人間性にかかってくることは言うまでもない。



ただ言えるのは、

英語がしゃべれたほうが

デメリットより、はるかにメリットの方が多いということだ。


特にこれからの世の中は、英語を避けては通れない。



【追記】


英語を身につけた人と、

そうでない人の人生の差は大きいと思う。


その差は、数十倍、あるいは数百倍もあるのではないだろうか。


当然、英語力は人生の幅を広げ、可能性を拡大させる。


英語力を身につけないで人生を終わるのは、あまりにももったいない。

50歳でも、60歳でも遅くはない。


日本人はすべからく英語の下地は出来ている。


自分はできない、もう遅いという思い込みを捨てることだ。


今始めなければ死ぬまで宝の持ち腐れで終わるだろう。