カンボジアの建築家ヴァン・モリヴァン氏が、第18回日経アジア賞(文化部門)を受賞されました。ヴァン・モリヴァン氏は、独立後のカンボジア建築に東洋と西洋を融合した新たなスタイルをもたらした建築家として有名です。
同氏は、1926年、カンボジア南部のカンポット州生まれで、1946年にパリへ留学、1956年の帰国後は建築家としての活動に加え、芸術・教育を振興する役割も担いました。内戦により1971年にスイスに亡命した後は、国連人間居住計画(ハビタット)の上級技術顧問として活動されていました。20年以上経った内戦終結後にようやく帰国することができ、シアヌーク前国王に請われて政府の国務大臣に就くと、アンコール遺跡の保存・修復と、そのための人材育成に全力を挙げられました。
1950年代から60年代、シアヌーク前国王のもと、フランスから独立したばかりのカンボジアは、新国家建設にふさわしい建築物や都市計画を求めていました。国家建築物の主任建築家と都市計画・住宅整備局長に抜てきされた30歳のモリヴァン氏は、新しいアイデアの建物を次々に生み出しました。アンコール時代の装飾と現代建築の要素を両立させた独立記念塔(写真上)。扇形の外観が特徴的なチャトモック国際会議場。「コルビジェ建築」に通じるピロティや日よけを備えた外語大学校舎。後に「ニュー・クメール建築」と呼ばれるジャンルを築いたモリヴァン氏が設計した作品は80カ所以上、当時の公共建築の約8割を占めたといわれます。
ヴァン・モリヴァン氏の業績が、日本で認められたのは大変喜ばしいことだと思います。心よりお祝い申し上げます。
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同氏は、1926年、カンボジア南部のカンポット州生まれで、1946年にパリへ留学、1956年の帰国後は建築家としての活動に加え、芸術・教育を振興する役割も担いました。内戦により1971年にスイスに亡命した後は、国連人間居住計画(ハビタット)の上級技術顧問として活動されていました。20年以上経った内戦終結後にようやく帰国することができ、シアヌーク前国王に請われて政府の国務大臣に就くと、アンコール遺跡の保存・修復と、そのための人材育成に全力を挙げられました。
1950年代から60年代、シアヌーク前国王のもと、フランスから独立したばかりのカンボジアは、新国家建設にふさわしい建築物や都市計画を求めていました。国家建築物の主任建築家と都市計画・住宅整備局長に抜てきされた30歳のモリヴァン氏は、新しいアイデアの建物を次々に生み出しました。アンコール時代の装飾と現代建築の要素を両立させた独立記念塔(写真上)。扇形の外観が特徴的なチャトモック国際会議場。「コルビジェ建築」に通じるピロティや日よけを備えた外語大学校舎。後に「ニュー・クメール建築」と呼ばれるジャンルを築いたモリヴァン氏が設計した作品は80カ所以上、当時の公共建築の約8割を占めたといわれます。
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