カンボジア経済

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野党のデモ 一段落か

2014年01月10日 | 経済
 12月中旬から始まった野党・救国党のデモは、12月25日ごろから賃上げを求める労組も加わって大規模化、長期化してきましたが、暴徒化したデモ隊の一部に政府側が発砲して5名の死者と多数の負傷者を出す最悪の惨事にまで至りました。犠牲者の方々のご冥福を祈ります。なお、この強硬策について、ニューズウィーク誌は、韓国大使館が韓国企業のためにカンボジア政府・軍に強く働きかけを行ったことが契機となったと報道しています。また、1月4日には、民主広場の救国党デモの本拠地も政府側により強制排除されました。プノンペン市は、この日以降のデモを認めないとし、救国党側も混乱を避けるため、この日以降のデモを見送っています。なお、今週は、プノンペン市内は全く平穏な状況で、一般市民にも安堵の表情が見られます。
 賃上げについては、労組側の大規模デモ、ストライキに対し、最低賃金の引き上げ(当初案は4月から95ドル。12月31日に2月から100ドルに積み増す改定案。)を提示しましたが、これを不満とする労組の過激行動等もあり、雇用者側(GMAC)は、ロックアウト(工場閉鎖)で対抗しました。また、政府側も硬軟両用で、最低賃金引き上げを打ち出す一方で、強硬策に出ました。
 日本の労働運動史を振り返りますと、労組の結成、運動の広がり・高揚を経て、運動の長期化と過激化による大衆支持の喪失、労組内部での穏健派と強硬派の路線対立から分裂、強硬派の一部の過激化による自滅、穏健派と雇用側による賃上げルールの確立と実績の積み上げ、労働運動の希薄化、労組の組織率の低下と地盤沈下といった流れでした。
 カンボジアの労働運動がこれと同じ道をたどるかはこれからですが、救国党の無茶な要求への固執により、支持基盤の中核であった都市中間層の支持が剥落しつつあるように見られます。また、動員した農村部貧困層も運動の長期化と政府の強硬策により運動から離れつつあるように見えます。1月6日以降、80%以上の労働者は工場に戻り、多くの工場が生産を再開している模様です。
 救国党の大規模デモ戦略は曲がり角に来ているものと見られますが、与党と野党の対話はなかなか実現しておらず、今後も紆余曲折があるものと見られています。双方が対話を通じて譲歩しつつ、国会の正常化と安定的な労使関係の確立が図られることが期待されます。



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