・「人から嫌われたくない」なんて思ったことはない。
誰もが納得する方針転換などないのだから、市長が改革を進めたらハレーションが起こり、反発する層が出てくることは当然だ。嫌われても、恨まれても、市民のために結果を出すことが政治家としての私のミッションだから、そして多くの市民が私を信じてくれたから、ブレることなく走り切ることができた。
元々、「四面楚歌」とか「絶体絶命」という言葉が好きで、四方を囲まれたら終わり、とは思わない。地上が無理なら空にジャンプするか、地面を潜って逃げるか、と体中の細胞がが活性化して状況を打開するアイデアが次々に浮かぶ。
・明石市は子ども施策だけに力を入れたと思われがちだが、そうではない。「困ったとき」は誰にでも、突然訪れる。そのときに必要な支援を届けるのが行政の役割だ。少数の困りごとを切り捨てず、寄り添い解決することが多数の人々のセーフティネットになるという思いで、様々な施策を「条例」にして、残してきた。
「手話言語・障害者コミュニケーション条例」
「障害者配慮条例」
「犯罪被害者支援条例」
「更生支援・再犯防止条例」
「優生保護法被害者支援条例」
「インクルーシブ条例」
「子どもの養育費条例」
それぞれの対象者は多数派ではないが、市民の理解を得て制定してきた。
・在任中、毒舌、暴言と言われた私だが、これでも市長の任期中は慎重に言葉を選び、奥歯にモノが挟まったような言い方したできなかった。本書では、市長としての12年間を、聞き手を務めてくれた飯島浩さんい本音で語った。
・一人ひとりが声をあげなければ、社会を変えることはできないのだから。
・(障害を持って生まれた)弟のこと以前に、まず家がものすごく貧乏だったんです。明石市の西部に位置する、播磨灘に面した二見町という貧しい漁村。その村のなかでも貧しい家庭に、私は生まれました。親父は小卒で漁師になってますし、母親が中卒。私が幼い頃から、「金持ちとは喧嘩するな」「歯向かうな」というのが両親の口癖でね。「貧乏人が金持ちと喧嘩しても勝てるわけないから、悔しくても頭下げなしゃあないで」と言うんです。私は「そんなわけない」と思ってたんですけどね。
だけど、両親がそう言うのにも理由がある。うちの親父は、兄貴2人と義兄(姉の夫)を戦争で亡くしているんです。親父からすると、3人の兄が戦争に取られて死んでるわけです。戦時中、うちの村の人たちは激戦地に行かされて、明石市内の他の地域と比べても、やたらたくさん死んでるんです。つまり、昔から貧しかったうちの村に暮らす人の命は軽かったんです。それをつぶさに見ているから、「金持ちとは喧嘩するな」となるわけです。
歴史を調べてみると、江戸時代から貧しかったようです。明石の豊かな漁師町は権力に可愛がられて、いい場所で漁をすることを許されていたのですが、うちの村は魚が獲れる漁場で漁をさせてもらえずに、餓死者が続出していた。生まれてきた子どもたちを満足に育てることができなかったので、うちの村だけやたら水子地蔵が多いんです。
・両親は、いったんは承諾してしまったのですが、「やっぱりこの子を死なせることはできない」と思い直し、私が待つ自宅に弟を連れ帰ってきました。「障害が残ったとしても、自分たちで責任を持ちます」と突っぱねたんです。私は両親から「お前は将来、親が死んだら弟の世話をせえ。そのために二人分稼げ」と言われて育ちました。両親の言う通り、二人分稼がないと弟と生きていけないし、両親を楽にさせたいという思いも幼心に強かった。だからこそ、自分が勉強を頑張らないと、と思いました。
・(10歳から明石市長を目指していたとはすごい)はい。冷たいまち・明石を優しくるのが自分の使命だと思い、そのために生きていこうと心に決めたのです。東大受験のための勉強中に眠くなっても、「今、寝てしまったら救える人も救えなくなる」と本気で考えていました。自分には使命があり、その使命を果たすためには「受験ぐらい通らなあかん」と。
・18歳で大学進学と同時に上京し、故郷を離れるんですが、東京でも1日遅れで神戸新聞を取ってました。なぜかというと、神戸新聞の明石版を読むため。私はどこにいようが、ずっと神戸新聞の明石版を読み続けています。それは、世の中の誰よりも証に詳しくなる必要があったから。
・(大学に出した退学届けはどうなったんですか?)
いったは、完全に東京の家を引き払って明石に戻っていました。地元で塾でも開いて生活しなきゃいけない、ぐらいに思っていたんですね。結局、半年後に、当時の東大の学部長から「泉くん、何してる?」と電話がありまして、「自分から負けたんだから誰かが責任を取らないと。だから退学して地元に戻った」と近況を伝えたところ、「本当にそれは君のやりたいことなのか。そうじゃないなら、君にはまだやるべきことがあるはずだ。みっともなくても恥ずかしくてもいいから、帰ってきなさい」と言われ、復学することになりました。結局、退学届けは受理されてなかったんです。
涙を流しながら東京に戻り、卒業後NHKに入りました。その後、テレビ朝日に移り『朝まで生テレビ』の草創期を番組スタッフとして担当し、その後、石井紘基さんの本を読んで感動しまして、石井さんを国会に送り込むために、石井さんおご近所に引っ越し秘書として選挙を応援しました。ところが、選挙で負けてしまい、石井さんに謝りました。
「私はあなたを(選挙で)通したかったけど、ダメでした。次こそ通しますから頑張りましょう」と。そしたら、「これ以上、君を引っ張りまわすわけにはいかない。騙されたと思って、弁護士になりなさい。君はいつか政治家になる。でも急いではいけない」と強く言われ、司法試験を受け弁護士になったのです。
・1977年、33歳の時に弁護士資格を取得して、明石市に戻り、市民活動のお手伝いなどに奔走しました。
・後継に指名した丸谷さんは、幼い頃に父が病死、働きづめの母が倒れて入院したときは、妹と2人きりのヤングケアラーでした。大学進学を諦め就職した後に、お金を貯めて働きながら夜間の短大に通い、45歳で大学院に入学しています。並大抵ではない努力を重ねてきた苦労人なんです。だからこそ、弱い立場の人や困りごとに気づくことができる。
・実は初めて市長選に出たときに、故郷である明石市二見の幼なじみや近所のオッチャン連中から、「ふさは、覚えとけよ。ワシらはな、お前が人殺ししても味方やからな」と言われました。
・いま国民のキーワードは「不安」なんです。・・・日本は社会保険料が高いから、国民負担率は47.5%もある。諸外国と比較しても国民負担は決して低くないのに、還元される分が極端に小さい。そして30年間経済成長しておらず、給料も上がっていない。にもかかわらず、税金や保険料ばかり上がるから、どんどん可処分所得が減っている。光熱費の高騰や円安が、それに拍車をかけ、国民生活を直撃している現状です。だから少子化が止まらないし、少子化だから経済成長できない。完全に負のスパイラルに陥っています。
・役人にはコスト感覚のコの字もありません。ホンマに親方日の丸なんです。
・たとえば首相が「子ども予算を倍増する」と決めれば、予算は作れる。それを前提に財務省が調整していくだけですから。仮に、その総理大臣の決断に歯向かったとしたら、いまは総理大臣委人事権がありますから、財務大臣も事務次官も代えることができる。
(総理大臣の人事権に対抗する各省庁の強力な武器が「リーク」です。役人は膨大な情報を持っている。それをマスコミにリークして政治家をスキャンダルで追い込むのはお家芸ですね)
・下水道工事。20年間で600億円費やして下水道を太くする大プロジェクトが決まっていたんですけど、「600億円って大きな額やな」と思い、担当を呼んで詳しく聞かせてもらった。担当は「浸水対策のために必要だ」と言うんですが、どんなリスクがあるのか詳細を聞くと「床上浸水してしまるリスクがある」と。「人は死ぬんか?」と聞いたら「人は死なない」と言う。それで、どのくらいの頻度で床上浸水する可能性があるのか聞いたら、「100年に一回」、しかも、対象となる世帯はったの10世帯。
「ちょっと待て」となりますよね。・・・下水道事業を150億円まで削りました。
市長がハンコを押さなければ、できる話なんです。市長が「無駄だ。やらない」と腹を括れば、その瞬間に450億円浮く。・・・
私の自宅ポストには「殺すぞ」とか「天誅下る」と殺害欲が入ってました。そりゃ、450億円分の大仕事が吹き飛ぶわけですから、当然怒る人はでてくるでしょう。
・必要かわからないような部署の人員はどんどん削減して、消防や児童相談所なんかは増やしました。火事や事故などに対する安全対策、児童虐待防止といった福祉事業には人手が必要ですから、国の基準を上回る職員を配置しています。
加えて、専門職員を増やすため、専門性の高い非正規職員を正規化していきました。たとえば、DV相談員は、他の自治体など年収200~300万円で働いています。社会に必要で、なおかつ専門性の高い仕事を年間200万から250万円で、しかも非正規という身分が不安な状態でこき使うのは間違ってる。明石市では年収700万円で全国公募して、首都圏で第一人者と言われる方々が明石に引っ越してきています。
・中央省庁の官僚はそれほど賢くないし、市民・国民のことを本気で考えているわけでもない。悲しいけど、そこをちゃんと受け止める必要があります。財務省に任せていたら日本がよくなるというのは、完全な幻想です。実際、この数十年日本がそれを証明しているでしょう。
・国民負担を増やすことによって子ども予算を確保するなんて、当たり前すぎて誰でもできることです。そんなん賢い人のすることとちゃいますよ。国民負担を増やさずに、子ども予算を実現させるのが、本当に賢い官僚の考えることでしょう。結局は厚労省という役所の論理から抜け出せることができないのです。
・(私の取材では、実はそうでもない。官僚はみな「安部さんや菅さんが望む餌だけ渡すんです」と言っていました。
たとえば、加計学園の獣医学部創設。これ、官僚としては当然認めたくはなかったんだけど、「そんなに安部さんが興味あるなら、それだけ差し出す」と。そうしておけば、安部さんも菅さんも、役所の権益の中にそれ以上は入ってこない。むしろ、安部・菅という強力な政権のもとで、役所はおいしい餌だけを与えて、あとはやりたい放題だったとい話です。実際、天下りも増えたし、予算も拡大した、。「安部・菅政権は、実は官僚パラダイスだった」と、キャリア官僚たちは言っています。
森友学園問題で公文書改竄を指示した財務省の佐川宣寿理財局長(当時)について、裁判所は佐川氏が改竄を主導したとい事実を認めながら、個人の法的責任は問わないという判決を下しました。民間企業で文書を改竄したら間違いなく逮捕・起訴されて有罪です。公務員が公務で行った改竄なら法的責任を問わないというのは、官尊民卑そのもの、あり得ない判決です。
司法までこのような姿勢だから、官僚のモラル崩壊が止まらない。東京五輪汚職にしろ、東京地検特捜部が逮捕・起訴するのは民間人ばかり。政治家や官僚は見逃すんですよ。警察も検察も裁判所も所詮は官僚。仲間意識が強くて政治家や官僚に甘い体質があるんです)
・韓国は大統領制で割と頻繁に政権が切り替わるから、それまでの不正が発覚する。日本では滅多に政権が代わらないから、どんな不正があっても隠され続ける。表に出るから出ないかの違いだけだおt思います。
・明石市では、対象者本人に支給することを何よりも大事にしてきました。たとえば、重労働で薄給である保育士さんが長く続けることができる環境を整えるため、「保育士定着支援金」という制度を設けています。明石市内の保育園で働いてもらったら、採用後7年間で最大160万円の現金を支給するという制度なのですが、支給の対象は保育士さん本人、本院の口座に直接振り込みます。
ちなみに、保育士さんへの支援金を巡っては、お隣の神戸市と競い合うようにして制度が生まれた背景がありまして、神戸市もほぼ同額。ただ、やり方が違う。神戸市は、保育園にお金が渡り、園の裁量で本人以外への配分ができる仕組みになっています。
・(種明かしをすると、子育てや社会保障の専門を名乗っている記者は、単に厚生労働省と仲良しなだけ。厚労省の役人に知り合いがたくさんいれば、「私は社会保障の専門記者だ」と会社内外で威張るわけです。
外務省や防衛省に知り合いが多ければ「私は外交防衛の専門記者だ」となるし、経済の専門記者は財務省と金融庁に知り合いがいっぱいいる。ただそれだけにすぎないのですが、問題はその省庁にいる「お友達」が言っていることを、自称・専門記者が疑いもせずにそのまま書いてしまうこと。すぐ役人に騙されるんです。役人のほうは、利用しようと思って付き合ってるだけのことが多い。
・(残念ながら、朝日新聞記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないし、保身しか考えていない。「自分が出世したい」とか、「社内の立場を守りたい」と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。本当に訴えたいことがあればリスクを背負ってでも闘うはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない)
・結論からいうと、財務省の官僚ががいちばん害悪なんですよ。作業能力がいちばん高い人が財務省に行く。すると、厚労省とか他の役所の人間は財務省に引け目を感じてしまっている。・・・
私に言わせてもらえば、財務省の上のほうの人間はそんなに賢くもないし、全く政治がわかってない。わかっていない人がわかったフリして進めるから、おかしなことがボコボコ起きる。
・やはり吉本興業と組んでいるのは強いでしょう。吉本のトップが維新支持だから、吉本芸人はテレビでやたら維新のことを褒めますやん。吉本の関係者と食事すると「泉さんに維新を批判されたら困ります」と言われますもん。
感想;
この本は政治の実態をさらに知りたい人にはお勧めです。
それと一人でも、多くの市民の支持者がいれば政治を変えることができることを明石市で証明してくれました。
多くの税金を市民・国民のために使おうとせずに、政治家・官僚・業者のために使おうという政治の流れと力が大きくて、腹を括ってやらないとなかなか大変だということです。
泉元明石市長を大手マスコミの記事だけだったので誤解していました。
大手マスコミも、国や自治体から仕事をもらっているので、それまでと違うことをされるのを認めず批判していたようです。
でもネットの情報は真実を伝えているものも多く、明石市民は大手マスコミの情報を信頼せず、泉さんを信頼していたようです。
その結果が明石市に住みたいという人を増やしました。
「四面楚歌」「絶体絶命」の言葉が好きとのこと。
私も四面楚歌のことがありましたが、仲間が信じて一緒に行動してくれたおかげで、四面楚歌だった人たちも賛同してもらえた経験があります。
やはり誰かのため、何かのためと言う”錦の御旗”があるかどうかなのでしょう。
明石市民のためにまさに10歳の時からの思いを実現されたように思いました。
そこには、貧しさと障害を持った弟、そして何よりも真摯に人生を歩まれた両親の存在も大きかったと思いました。
大きな夢と希望の実現のために努力を重ねて来られたことがひしひしと伝わってきました。
聞き手の鮫島浩さんの生々しい政治・官僚の話も「なるほど、そうだったのか」と思うことが多く、今起きていることがよくわかりました。
それと世の中、自分の出世や利益を優先して、袴田冤罪事件、大川化工機事件、村木厚子さん冤罪事件を起こす人もいる中、善い人もいるのだなあと思いました。
学部長が泉さんの退学届けを受理せず、復学させた働き掛け、石井紘基さんの弁護士になって困っている人を助けるようにとのアドバイス、まさに善き人との出会いがあったからでしょう。それとなにより地元で支えてくれる人が多くいたことが、泉穂さんの人柄の良さを代弁してくれているように思いました。