幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「強制収容所のバイオリニスト ビルケナウ女性音楽隊員の回想」ヘレナ・ドゥニチ-ニヴィンスカ著 ”若い世代に引き継ぐ「警告の記憶」として”

2024-05-07 18:00:18 | 本の紹介
・クウォジンスキ博士の質問のひとつは簡潔で、しかも残酷な内容です。「どうしてわたしは生きのびたのか?」博士は医学的、心理学的研究の観点からこの問いを発しました。今、世間の人々もまた同じ質問を発し、あのようなこと全てが本当に起こりえたのか、とても理解できないといます。
 当時を思い起こし、考えた末にわたしが今、言えること、それはひとつです。「あのような非人間的な状況にあっても、過酷な運命に打ち克つように、あるいは辛い体験を少しでも和らげるようにと他の人たちに手を差し伸べた人間がいた」ということです。
 付け加えなければならないのは、わたしの場合、多くの瞬間に神の手によって自分の運命が繰られているように感じました。
 私が最終的に自らの回想を決断したのは、さまざまな人たちの衝撃的な発言がしばしば活字になっていることです。彼らは言います。ドイツが設けたアウシュヴィツ=ビルケナウ収容所、および他の強制収容所において、ガス室やクレマトリウム(死体焼却炉)で大量虐殺が行われたという事実はなかった、と。
 信じがたい犯罪の最後の生き証人の一人として、わたしは次世代に知ってほしいのです。ある種の性急で一見すると純粋なイデオロギーは、拡大するにつれて人間の子事の不完全さゆえに利己的で破壊的で憎しみのこもったシステムに変わってしまうことを。ナチズム、レイシズム、コミュニズムのように。
 CARITAS SUPREMA LEX ESTO(愛は最高の法)――普遍的な格言は人間に光を放ってくれるはずです。

・今、わたしはドゥニチ一族の最年長者です。ヴロツワフ、ボスナニ、グディニャ、クラクフと当然のことながら全ポーランドに散って住んでいるいとこの孫たちによく会います。いつのことだったか、その一人がわたしに次のような質問をしました。「おばさんの話を聞きながら思ったんだけど、ソ連とドイツではどっちの占領者がルヴフに住んでいたポーランド人にとって残忍だったの?」ポーランド人に対するソ連とドイツ権力の無慈悲さは同じようなものでした。しかしながら、そこには違いがありました。「超人」ドイツは公然の敵で、彼らは自分たちの目的が我々ポーランド人の絶滅にあることを隠しませんでした。一方、ソ連権力者はわたしたちに吹き込みました。自分たちはポーランド人の親友であり、解放者であり、兄弟であると。これは共産主義の本質を成す偽善です。わたしはそこに厭わしさ、底意、とりわけ陰険さを感じます。

・ユダヤ人に手を貸したり、救出したりすることは非常に困難で危険でした。それでも人々は様々な手段で彼らに手を差し伸べました。わたしのギムナジウム時代の友人マリア・ヴォザチンスカは自分の洗礼証明書をユダヤ人同級生のイーダ・クレインに渡しました。これによってイーダはアーリア人としての身分証明書でパレスチナに脱出することに成功しました。

・ウォツキ刑務所にて
 二人の親衛隊員が待っていました。尋問の直前、裸になって、前に立つようにと命じられ、わたしと母はこの命令にすっかりうろたえました。それまでお互いに裸体をさらしたことはありません。しかも男性の前で裸になることを強要され、パニック状態になりました。この無礼極まりない要求にわたしも母も強い屈辱感と無力感を覚え、打ちのめされました。

・そのことから察して、彼らを我が家に同居させたことがわたしたちの逮捕理由になったようです。

・刑務所でわたしたちは見捨てられていたわけではありません。刑務所の外からも多くの支援を受けました。中でも最大の支援者は前述のRGOでした。囚人の家族はRGOと協力して汚れた下着を洗濯し、清潔な下着を届けてくれました。最低の衛生環境の中で、これは需要なことでした。この支援には別の、非常に人間的な意味もありました。つまり、帰りを待ちわびている人たちの愛と配慮を証明していたのです。

・ビルケナウ監房にて
 わたしたちがたどり着いたところは「死の工場」でした。四基のガス室とクレマトリウム(死体焼却炉)がほとんど絶え間なく作動していることを知ったのはそれから間もなくのことです。まさにここでドイツ人はユダヤ人の民に対して完全かつ瞬時の絶滅を実行していたのです。またここに収容した何千人もポーランド人囚人、ソ連人捕虜、ロマ(ジプシー)、他の国の市民、そしてとりわけ最初の選別をくぐり抜けたユダヤ人に対して飢えと殺人的労働による緩慢な絶滅も実行していました。

・音楽隊への入隊 ――「アルマ・ロゼだわ!」

・ビルケナウで生きのびるチャンスを手にしたのは、どちらかと言うと屋根の下で働くこともできた恵まれた労働隊の囚人でした。その中でも音楽隊は恵まれた、いや、非常に恵まれた労働隊だったのです。

・この「組織化」という形態は命を賭して行われました。

・アルマ(ユダヤ人)がバイオリニストであるとの情報が収容所に素早く流れたことで、彼女は残忍な実験に供されることを逃れました。アルマは渡されたバイオリンを手にするとその場で演奏し、周囲を魅了しました。アウシュヴィッツに素晴らしいバイオリニストがいることを知った女性収容所総監督マリア・マンデルは、女性音楽隊の指揮に当たらせるためにアルマをビルケナウに移し、それまで指揮者だったゾフィア・チャイコフスカには音楽隊ブロックの棟長を命じました。・・・
 アルマには、音楽隊の指揮者であると同時にカポとして、小さな個室が与えられました。

・アルマの努力によって充実した演奏レパートリーは、収容所隊長のフランツ・へスラー、マリア・マンデル、偽医者のヨーゼフ・メンゲレ、さらに数人の親衛隊員の関心をますます高め、このことは様々な形で音楽隊に利益をもたらしました。・・・
 わたしが記憶しているアルマの姿は以上のようなものです。アルマはわたしの、そして数十人の音楽隊メンバーの救い主でした。避けられない収容所の死からの救い主でした。ところが、わたしたちは死を避けることに成功しましたが、アルマは、残念ながら、避けられませんでした。

・結局、わたしはチフスに打ち克ちました。しかし手にはフレグモーネ、つまり化膿した水膨れが残りました。

・わたしはされにもうひとうの特殊な治療に身を委ねました。壊血病が悪化し、歯をすべて失う恐れがあったのです。

・わたしたちポーランド人とユダヤ人の間に壁が生まれました。その基にあったのは反ユダヤ主義ではなく、無慈悲な飢餓の力でした。ドイツの収容所に蔓延していたこの飢餓の力のせいで普遍的な連帯、人間性、思いやりといいう理想が負けてしまったのです。

・ヘレナさんはエピローグの中で、この本を書いたのは「警告のための記憶」をこれからの人々に引き継ぐためである、と記しています。ヘレナさんの記憶が未来の世界を支える若い世代に継承されていいくことをわたしは心より願っています。(訳者・田村和子) 


感想
  ナチスの強制収容所では生きのびるために必死でした。
でも必死の努力をした人もほとんど生きのびることはできませんでした。
 ドイツ人は「音楽」が好きで、収容所でさえ、多くの人を殺害していても、音楽を楽しむことをしていました。
 そのための音楽隊を収容所内で作らせていました。

 アルマ・ロゼは音楽隊員が生きのびるためには、音楽隊の価値を高める必要があると考え、練習と新しいレパートリーを増やしました。
しかし彼女は食べたもので亡くなったと。
死因は不明ですが、本にはウオッカがメタノールが入っていたのを飲まされたのではないか(毒殺)と。アルマ自身はお酒は飲まなかったとのことでした。

 ヒトラー一人ではユダヤ人600万人は殺害できません。
多くの人が殺害の指示に従ったのです。
またヒトラーを生み出したのは当時のドイツ国民とも言えます。
日本でも朝鮮、中国、東南アジアに”大東亜共栄圏”を掲げ、住民を共栄とのことで軍隊が行き、多くの人々が亡くなっています。
 その戦争に賛成したというか戦争を決めた人を選んだのは国民なのです。

 著者の家族はポーランド人でしたが、政治犯をかくまったとの疑いで刑務所、母とともにビルケナウ強制収容所に入れられました。著者はバイオリニストだったので音楽隊に入ることができて生きて収容所を出ました。母は過酷な労働と不十分な栄養や環境のために亡くなりました。
 たまたま部屋を貸していただけでした。
つまり、政権に反するものをかくまうとこうなるのだとの見せしめだったのかもしれません。最後までドイツは罪を明確にしなかったそうです。
 母の死亡理由は「心筋梗塞」と明確(嘘)にしたとのことです。
 そんな中でもユダヤ人をかくまったり、支援した人もいました。
自分たちの命をかけて支援したようです。

 過去の歴史から学ばないと、また同じことを繰り返してしまいます。
戦争では善人も人を殺すことをしてしまうのです。相手を殺さないと自分が殺されるからです。
 忘れてはならないことは、戦争を決めた人は、戦後も生き残り、その家族も多くが生き残ったということです。
 そして戦争を決めた人は、自ら人を殺害をしていないのです。
殺害をした人はトラウマとして苦しみます。
ベトナム戦争での米軍の人がそのトラウマで苦しみました。

 民意が低いと戦争になるリスクが高いのです。
長くなると独裁者が生まれます。
なぜなら独裁者が自分のための政治をして自分たちの私腹を増やすことを第一に考えてしまうのです。
澱んだ水にはボウフラや微生物が増え水が腐ります。
流れないと腐るのです。あるいは水を変える必要があるのです。
福沢諭吉著『学問ノススメ』で「学びなさい」と言っています。
国民の民意がその国の政治である。
 そのためには過去から学ぶことがとても大切なのでしょう。
ドイツ人が悪いのはなく、人間には、特に権力者には国を自分のためにすることが起きるので、それが起きないようにするためには一人ひとりが過去から学び、そして今に生かすことで、よりより未来が来るのでしょう。
日本の今の政治はどうなのでしょう?

日本は昨年から順位を二つ下げて70位、先進7カ国(G7)では最下位となった。
 これは報道が自由に発言できないというか、政権におもねているのか、わかりませんが、大手マスコミの情報だけでと真実はわからない状況になっているということなのでしょう。
 報道だけでなく、自由な発言が難しい国になりつつあるのかもしれません。

 何度も勧告を受けていますが、改善されずに、さらに報道の自由度のランクを下げ続けています。
 海外の評価を知ることも必要なのでしょう。