幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点」野坂祐子著 ”トラウマケアの啓発”

2021-11-21 02:03:55 | 本の紹介
・TIC(Trauma Informed Care)とは、行動の背景にある“見えていないこと”を、トラウマの「メガネ」で“見える化”するものであり、支援における基本的な態度や考えかたである。トラウマの治療や心理療法ではなく、誰もがトラウマの理解に基づいて対応できるようになることが目指される。

・トラウマは「こころのケガ」と喩えられる。

・人は、一人では回復しない。トラウマが人を強くするのではなく、他者とのつながりを感じることがトラウマを負った人に力を与える。トラウマによって壊された安全や信頼、生きる希望を再構築するには、他者との関わりのなかで、再び安全や信頼、希望を獲得していくしかない。トラウマが「よい思い出」になるのではない。つながりのなかで歩む回復への道のりが、人生を豊かにし、「新たな思い出」をつくりだしていくのです。

・人間にとってのソフトウェアは何か。それは、健全なアタッチメント(愛着)である。遺伝子や脳は、アタッチメントによって起動する。養育者の安定した関わりというアタッチメントがあってこそ、人間が備えている“母なる基盤”のマザーボードが機能するのである。

・人生の初期に養育者と安定したアタッチメントを経験していることは、購入直後のPCにウィルス対策ソフトをインストールしておくようなものである。それによって、その後の人生におけるさまざまなウィルス(トラウマ)の侵入を防ぐことができる。すべてのウィルスから子どもを守ることはできないが、アタッチメントが築かれていれば、養育者はウィルスとなる出来事にいち早く気づき、子どもをケアすることで、子どものレジリエンスを高めることができる。

・子どもの場合、トラウマ症状が生活全般に影響を及ぼしやすい。たとえば、不安や警戒心による過覚醒やフラッシュバックによる悪夢の回避から不眠症状を示す子どもは多いが、成長期の子どもにとって、十分な眠りが確保されないことで、それだけで発達や成長に深刻な影響をもたらす。眠れないことで、食欲不振や体調不良が起こり、集中力を保てなければ、学力は低下する。友人関係のトラブルが重ねなければ、学校に通う意欲はさらに失われ、昼夜逆転の生活や不登校に至りやすくなる。

・トラウマの影響を受けている人の世界観は、「また危険なことが起こる世界観は、「また危険なことが起こるに違いない」「誰も信用できない」「自分は愛されていない」という非機能的認知に基づいている。危険な状況を危険と捉えるのは機能的認知だが、何も起きておらず、むしろ安全な場面でさえも危険だと認識するのは非機能的認知であり、トラウマ反応である。さらに、そうした認識するのは非機能的認知であり、“現実”にしようとする無意識の行動化が起こる。これをトラウマの再演という。

・トラウマの影響を受けた人たちと関わる臨床現場では、支援者による体罰や虐待、あるいは放置(ネグレクト)といった不適切な対応が起こりうる。これらはさまざまな要因によって生じるものであり、支援者の人格や力量といった個人的な要因だけでは説明できない。しかし、実際には、なぜそうした事態が生じたのかといった検証が不十分なまま、職員個人への指導や処分で終わってしまうことが少なくない。

・米国の小児科医ナディン・バーク・ハリスは、地域の子どもたちの健康格差をなくすために尽力し、ワクチン接種や喘息の入院率において大きな達成を遂げた。ところが今度は、子どもたちが続々とADHDで病院に送られてきたのだ-しかも、丁寧に診断してみると、そのほとんどADHDではなかったのにもかかわらず、落ち着きのない子どもたちが、なぜこんなにたくさんいるのだろう? ハリス医師は、問いかける。「同じ井戸から水を飲む100人の子どもたちのうち98人が下痢をしているなら、医師であれば、まず何をすべき?」 不調を訴えるすべての子どおたちに処方箋を書くこともできる。しかし、こう考えることもできる。「いったい、この井戸のなかには、何があるんだろう?」
子ども一人ひとりの症状を診て、医療につなげることは、もちろん大切である。具合の悪い子どもを個別にケアしていく。しかし、それと同時に「井戸」に対処なければ、問題が解決しないのも明らかである。下痢という症状に対して抗生物質を処方すれば、一時的に症状は治まる、だが、井戸の水を口にしている限り、子どもの健康は害され続け、生涯にわたって処方薬が欠かせなくなる。

・トラウマインフォームドケアとは、この井戸の存在を知り、水を飲んで育っ互いことによる影響を認識し、その影響をふまえて対応することである。
トラウマの井戸の存在は、語られないし、気づかれない。だからこそ、支援者は井戸をないものとせずに、「あるかもしれない」という前提で井戸を探すところがら始める必要がある、そのためには、喫煙や飲酒と同じように「井戸の水を飲みましたか」と尋ねなければならない。

・逆境体験がその後の人生にもたらす影響を明らかにしたのが、小児期逆境体験(Adovaerese Childhoood Expeariennces.ACEs)に関する研究がある。この調査は、米国疾病予防管理センター(CDC)が1995年から1997年にかけて実施したもので、ACEsと呼ばれる18歳までのさざまな逆境体験を幾種類も経験するほど、神経発達不全や社会的・情緒的・認知的障害のリスクが高まり、生涯にわたって心身の健康や社会適応に悪影響を及ぼすことが示された。

・小児期逆境体験(ACEs)の項目
 ・繰り返し、身体的な暴力を受けていた
 ・繰り返し、心理的な暴力を受けていた
 ・アルコールや薬物乱用者が家族にいた
 ・母親が暴力を受けていた
 ・家庭に慢性的なうつ病の人がいたり、精神病を思っている人がいたり、自殺の危険がある人がいた
 ・両親のうち、どちらもあるいはどちらかがいなかった
 ・家族に服役中の人がいた
 ・親に無視されていた
 ・親に食事や生活の世話をしてもらえなかった
 ・性的な暴力を受けていた

・虐待やDVから守られるための一時保護所やシェルターは、安全な場所であるが、本人にとっては見知らぬ場所で安心できない。このように、トラウマの影響を受けた人にとって安心できる場面は必ずしも安全ではないし、支援者にとって安全な場面だからといって本人が安心できるわけでもないし、支援者にとって安全な場面だからといって本人が安心できるわけでない。「安心・安全」は、ひとくくりにして捉えられやすいが、トラウマを体験した人にとって、安心と安全は≠ではなく、相反するものである。
この「安全・安心」のジレンマは、当事者を混乱させるだけでなく、しばしば支援者と当事者の対立を生じさせる。

・日本でTICが紹介されるようになったのは2014年以降であり、精神科医療の領域から導入された。

・トラウマインフォームドケアの10原則
1) 暴力や被害体験が、発達と対処法略に及ぼす影響を認識している
2) 最も重要な目的は、トラウマからの回復である
3) エンパワメントモデルに基づいている
4) 回復に向けた本人の選択とコントロールを最大限尊重する
5) 協動的な関係に基づいて行われる
6) 安全、尊重、受容についてのサバイバー(被害者)のニーズをを大切にする雰囲気をつくる
7) 症状ではなく適応とみなし、病理よりもレジリエンスに着目することでストレングスを強調する
8) 再トラウマ体験を最小限にすることを目指す
9) 文化に配慮し、それぞれの人生経験や文化的背景をふまえて本人を理解する
10) TICを実施する機関は、サービスのデザインやその評価に利用者を招き入れ、関与してもらう

・3段階のトラウマケア
  トラウマに特化したケア     トラウマの影響を受けている人が対象 
                   特定の介入により人生を統合していく支援
  トラウマに対応したケア     リスクを抱える人が対象
                   被害の影響を最小限に抑え、
                   健全な成長と発達の機会を最大化するための支援
一般的なトラウマの理解と基本的対応 すべての人が対象 
                   トラウマ・逆境の理解と生活環境に及ぼす影響
                   についての一般知識をもって関わる

・トラウマレスポンシブケアとトラウマスペシフィックケア
 レスポンシブとは、その人自身のトラウマの内容に合わせて対応するという意味である。
 スペシフィックケアとはトラウマによるPTSD症状に特化した介入や支援を行うこと。

・トラウマを理解する「3つのE」 
 「Event:トラウマとなる出来事」
 「Experience:トラウマをどのように体験したか」
 「Effect:トラウマによる影響」

・TICを実践する「4つのR」
1) Realize:理解する 
 トラウマの広範囲に及ぶ影響を理解し、回復につながる道筋がわかっている
2) Recognize:認識する
 対象者や家族、スタッフ、関係者のトラウマの兆候や症状を認識している
3) Respond:対応する
 トラウマに関する知識を、方針、手順、実践にしっかり統合して対応している
4) Resist re-traumatization:再トラウマ体験を防ぐ
 再トラウマ体験を防ぐために積極的な手立てを講じる

・トラウマの影響を「見える化」する三角形モデル
          トラウマ体験
リマインダー(きっかけ) トラウマ反応(症状)

・まずは、支援者が、対象者のトラウマ体験とトラウマ反応の関連を理解する必要がある。
「暴言や暴力」が過覚醒やフラッシュバックによるものであったり、「怠惰や無気力」が回避や麻痺、気分や認知の異常、もしくはうつ症状である可能性も考えられる。
「嘘やごまかし」の裏にある自信のなさや他者不信が見えてくることもあるだろう。  

・心理教育とリラクセーション
トラウマやその影響に関する情報を提供することを心理教育(psycheducation)といい、TICでは、まず一般的なトラウマの知識を共有することから始める。こころのケガになる出来事にはどのようなものがあるか、それによってどんな影響が起こるのか、どんあふうに手当したらよいのかといった内容をわかりやすく説明する。
また、安全に心理教育を行うために、呼吸法や筋弛緩法といったリラクセーションスキルを教えることも重要である。

・加害者臨床においてトラウマインフォームドな視点をもつということは、加害者に被害体験があることを想定するだけでなく、どのようなにトラウマが加害行為につながったのか、その機序を明らかに詩、それを具体的な教育や介入に反映させることである。

・対人援助の現場では、以前から、支援者の感情労働に伴うバーンアウト(燃え尽き)や情緒的疲弊が生じやすいことが指摘されてきた。トラウマを体験した人の話を聴くことで、支援者には二次的外傷ストレス(Secondary Traumatic Stress: STS)も生じる。STSとは、トラウマ臨床に携わる支援者に、当事者と同じようなPTSD症状や燃え尽き、世界観の変容などが生じるというものである。

・健康な組織づくりに向けた7つのコミットメント
1) 非暴力
 いかなる場合も暴力行使しない、組織全体で非暴力の価値を共有する
2) 感情的知性
 感情を自覚し、それを適切にコントロールして表出するスキルが身についている
3) 社会的学習
 あらゆる経験から学ぼうとする、お互いに学び合う
4) オープンなコミュニケーション
 率直な感情や考えを伝えあう、隠し事や操作的なやりとりのない開放性がある
5) 民主性
 あらゆる意見が尊重され、それが活かされている、全員が関与している
6) 社会的責任
 自分自身をコントロールする責任をもち、役割を果たしている
7) 変化と成長
 つねによりよくなるために変化することをいとわず、成長する責任を果たす

感想
「わたし虐待サバイバー」羽馬(はば)千恵著 ”虐待はその時も苦しいが、その後もトラウマとなって苦しめる”

トラウマはその時だけでなく、その後にも大きく影響するようです。

トラウマケアすることの難しさが伝わってきました。
いろいろな試行錯誤がされており、TICもその一つのようです。

トラウマケアする人の心のケアもとても大切なようです。

小さい時に大切された、愛情をもって育てられたことが、その後のストレスへの対応やトラウマにならずに乗り越える力になるようです。
ワクチンの例えがよく理解できました。

「ソニー半導体の奇跡 お荷物集団の逆転劇」斎藤 端著 ”井深&盛田の思想が脈々と引き継がれている”

2021-11-20 10:35:35 | 本の紹介
・2005年に半導体事業本部の副本部長、2008年には本部長を拝命した私は、半導体技術についてはまったくの素人でした。

・CMOSイメージセンサーの方が高精細かつ高速に撮影できるようになるため、ハイビジョン放送や将来の4K放送時代に主流となる可能性がありました。

・CCDの危機を最初に警告したのは、CCDの生みの親である越智成之でした。
その越智が、しかもCCDイメージセンサーを否定しかねないCMOSイメージセンサー開発の重要性について、半導体事業本部だけでなく、本社の投資を審議統括する経営戦略本部にも啓蒙して回り始めたのです。2000年ごろのことです。

・事業面から啓蒙活動を加速させたのが、ソニー・コンピュータエンタテインメント社長で、当時は半導体本部長を兼務していた久夛良木 健でした。プレステ生みの親でもある久夛良木は、技術全般に造詣が深かったのです。
「将来の投資はCMOSイメージセンサーに特化すべきだ」

・唯一の楽観材料は、当時のイメージセンサー市場は今ほど大きくなく、大手半導体メーカーがどこもCMOSに興味を示していなかったことでしょうか。

・創業者の盛田もスピーチで語っていました。
「マネジメントの大事な気質は、ネアカであるかどうかが一番重要だと考える」

・半導体事業本部に異動して半年にならない2005年秋のことです。私は思ってもみないトラブルに巻き込まれます。CCDイメージセンサーのワイヤーボンディング不良による品質トラブルです。
最初は影響の軽微が偶発不良化だと思われていました。ところが、九州の大学にも協力依頼して原因究明を進めると、深刻な問題が浮かび上がってきたのです。
「どうしてヨウ素が入っているんだ」
原因究明でわかったのは、封止用樹脂に、本来入っていないはずのヨウ素化合物が存在し、これが水と反応して腐食性ガスを発生させ、金糸の結合部分が腐食し剥がれを起こすという事実でした。
生産工程削減のため、諷刺用樹脂をUV硬化樹脂に替えたことがことの発端でした。工程変化の際の確認プロセスでトラブルが起きたのです。
担当者はUV硬化樹脂への工程変更にあたってテストを繰り返しましたが、このときは特に問題はありませんでした。しかし、その後になって、材料メーカーが無断で、軟化材としてヨウ素化合物を混入させていたのです。材料メーカーの一存では変更できない決まりになっていたのですが、どうも樹脂の製造を容易にする目的だったようです。
材料メーカーを提訴したところで、先方に補償費を払う体力があるはずもありません。とにかく工程を元に戻したらしいのですが、ここでソニーも痛恨のミスをおかします。
ヨウ素が腐食性ガスを出すには水分が必要です。当時、ソニーが生産するCCDイメージセンサーのパッケージにはプラスチックとセラミックの2種類がありました。プラスチックは水分を通す一方で、セラミックは水をまったく通しません。
それならということで、プラスチックパッケージの製品は元の樹脂に戻す、ただしセラミックパッケージの製品はヨウ素が入った樹脂のままでも問題ないだろう、変更の必要なし、という判断をしてしまったのです。
たしかに実験室の中では、セラミックパッケージはまったく水分を受け付けませんでした。ところが、実際に使われるときには電気基板のはんだ付けされます。はんだ付けの温度は200度を超え、その工程でセラミックパッケージにクラックが入ることがあったのです。
結果的に、このクラックから水分が侵入して腐食性ガスが発生してしまいました。高温多湿のアジア地域などで頻発したと記憶しています。
セラミックパッケージは、民生用のカメラや携帯電話向けのパッケージに多く使われており、影響は甚大でした。セラミックもプラスチックと同様、工程を元に戻しておいてくれさえすれば-。後悔しても後の祭りでした。
一般に工程変更はさまざまな問題を誘発する恐れがあり、その全プロセスをトレースできるようにし、何かあればその原因を追究できるようにするとともに、不要な変更はご法度というのが品質管理の原則です。

・漢詩『盤根錯節(ばんこんさくせつ)に遇わずんば何ぞ以て利器を別たんや』
盤根錯節というのは、わだかまった根と入り組んだ節のこと。苦境に立って初めてその人の実力が知られるという意味です。

・ディスプレイカンパニーの中村末広からこう教わりました。
「前任者の不始末もすべて現担当の責任だ。すべてを背負って責任を持って立ち向かう気概がないといけない。その代わり、ヒット商品を生む技術なんて大体は過去の人たちが仕込んでくれていたものの中から出るんだ。それはそれでありがたく頂戴していい。それがトップマネジメントというものだよ」

・半導体事業本部の新本部長に着任した中川は、久多良木(プレステ開発者)体質の一掃から着手しました。
「俺に嘘つくな」(事実を正しく報告してもらいたい)
「無駄なことするな」(コストにもっと厳しく)
「人を信用するな」(別ルートで裏を取れ)

・東芝との交渉は終盤を迎え、あとは最終承認を得るだけとなりました。
「さあ、みんな揃って、ソニーマンから東芝マンになるか」
ところが、思わぬ処から反対の狼煙が上がったのです。
中川と並ぶもう1人の副社長、井原勝美です。民生用製品を担当する井原1人だけ、猛反対したのでした。
「ソニーはカメラやカムコーダーで業界のリーダーになっており、高い収益性を誇っている。この競争力の源泉の1つは、社内にCCDイメージセンサーをはじめとするデバイスを持っているからにほかならない」
「半導体部門を他社に渡そうというのは絶対反対。将来、角を撓めて牛を殺すようなものだ」
その後、JVの話は立ち消えになりました。
こうなると井原は、たとえ上司が相手でも遠慮などしません。ハワードや中川の短慮を鋭く責めたのです。調和型のハワードは、両副社長の納得いく方法はないかと宿題を出し、継続検討となりました。
井原の論理はまったく正しかった。しかし、その論理を、出て行けと言われている半導体部門から言い出すわけにはいかなかったのです。

・選択と集中の難しさ
成功するかどうかわからないグーグルテレビの開発になれないテレビソフトエンジニアは、たちまち疲弊してしまいました。・・・
ついに2012年3月期、ソニーのテレビ事業は1480億円という単年度赤字を計上し、テレビ事業始まって以来の不振の種を作ってしまいました。
少ない兵力を多方面に分散させて失敗した例です。
社内では鳴り物入りだったグーグルテレビは結局、アメリカで少し発売されただけで、欧州ではどこのメーカーからも発売されませんでした。

・社内から総スカンをくらい、金食い虫と批判されても、自分たちの技術を見極める力を信じ、会社の未来のために成功のシナリオを考え抜く、この岩間の精神は、デバイス部門のグループにによく根付いているように思います。
半導体事業部門の社員たちは、岩間を慕い続けました。CCDイメージセンサーが1000万本出荷されたとき、鈴木智行以下イメージセンサー事業部の主要メンバーは、再度お墓参りを行いました。墓石に最新のCCDイメージセンサーを貼り付けて報告したのです。この姿がNHKの番組『プロジェクトX』の中で放映されたのを記憶しています。

・裏面照射型をやろうぜ
光の感度を上げるために、フォトダイオードアレイの上にある配線層の側ではなく、フォトダイオードの下、つまり裏面から光を入れたらどうかと言うのが裏面照射型CMSイメージセンサーの発想です。
裏面照射型の原理じたいは古くから知られており、ハッブル宇宙望遠鏡のセンサーなど特殊用途では実用化が進んでいました。特殊用途使用では低温での使用に限定することができるうえ、加工精度が低くても歩留まりが悪くても価格に転嫁できます。低い温度では電子の動きも鈍くなるためノイズも少ないのです。
しかし民生用ではそうはいきません。常温の使用でもノイズを発生させないような新たな工夫が必要です。また、裏面を極限まで高精度で薄く削らないといけないので、技術的なハードルが高く、生産性も低いため高価になってしまいます。これが民生用で使われない主な理由でした。

・周囲も反対はするが潰しはしませんでした。ソニーの設立趣意書に「技術上の困難は寧ろ歓迎」とあるのを組織として受け継いでいて、10人程度の開発チャレンジは黙認されるケースが多いように思います。
「見込みのある開発は上司に内緒で開発。失敗したら闇から闇へ」
昔、ウォークマンを開発した大曾根幸三元副社長がこんなふうにおっしゃっていたのを聞いたことがあります。

・2008年6月1日にから半導体事業本部長に就任した私は、平山たちに1年後の商品掲載のスケジュール厳守を要求しました。
・・・
「多少は遅れるようなことがあっても、結果としては早く世に出すことになる。これはすべて私が責任を取って謝る。セットの人たちに叱られても仕方がない」
背中をこう押してあげれば、結果としては最速で準備できるはずなのです。

・他社製品につぎつぎ採用

・他社に活路を見出す
ソニー社内で「デジカメで動画を撮って楽しむ」という文化を形成するには時間がかかりそうな雲行きでした。
裏面照射型CMOSイメージセンサーの特徴を最大限に生かしたデジカメを、カシオと共同開発することにしたのです。

・ソニーマンの個性
自由に自分の価値観で作戦を立て、ある程度まで秘密裡に薦めていく。それぞれが個性を発揮するから、とがった作戦が生まれてくる。全員のコンセンサスを得て進めようとしていたら、皆が潰れてしまう。これが井深の言う「皆の潜在能力を発揮できるような組織運営」ではないかと思います。

・「大事な交渉は一度壊してからが勝負だよ。ここからが価格交渉の本番なんだ」
(大賀典雄元会長から)このように教えられていたので、慌てることはありませんでした。

・このころ、韓国のスマホメーカーもグループ内でCMOSイメージセンサーを内製し始めていました。ソニーにとっては、技術で追いつかれた時に突然注文が来なくなるリスクが出てきたのです。のちに定年退職した技術開発部長がいつの間にか韓国の会社にスカウトされた事実もあります。

・気がつけば、ソニーの裏面照射型CMOSイメージセンサーがスマホ業界の標準になっていたのです。

・300mm化実現の仰天アイデア
(当時の)200mmと300mmのシリコンウエハーサイズの違いは、コスト面で甚大です。ウエハー上に作成できる半導体チップの数はサイズの約2乗で多くなります(実際は周辺効率もありそれ以上です)。しかしそのコストは2乗まで増えない。つまりコストがべらぼうに違ってくるのです。
「300mmの設備は200mmの設備を転用するわけではなく、新規の開発です。わからないことがたくさんあります。開発部門でしっかり検討しないと無理です」
半分諦めつつ、それでも何か良い方策がないものかと皆、天を仰ぎました。
「これから正月休みだ。経営会議メンバーは休みの間も寝ずに考えてきてくれ」
私は仕方なく、会議をお開きにすることとしました。
すると正月明けに、この難問に解決策を提示してきた幹部が現れたのです。研究開発部門を担当する岡本裕です。
「自分の部下である研究開発の技術者を熊本(製造所)に異動させて、プロセス開発とラインの立ち上げを一気に行うしかない」
熊本への異動大作戦。命令された部下たちはたまったものではありません。
約170人がやってくるのです。しかも彼らは出向扱いといえ、厚木には帰るべき組織がもう存在しないため“片道切符”での熊本異動です。
「自分たちの力でCMOSイメージセンサーを世界ナンバーワンにしてみせる」
この高い志の前には、私の心配なぞは杞憂だったようです。

・福島はCMOSイメージセンサーの差異化技術で貢献のあった人物ですが、その後、サムソン電子に再就職してしまいました。当時社長だった平井一夫や人事担当執行役の藤田州孝も大いに驚きました。
「二度とこのようなことにならないよう対策するように」
鈴木や半導体部門の人事担当をこう責めたのを覚えています。
福島はサムソン電子では専務待遇の研究所長で、部屋付き、車付き、通訳兼秘書付きの厚遇だったそうです。日本の人材流出の典型であり、こういう残念なことになる背景にはソニー側の配慮に何か問題があったのはないかと反省したわけです。

・盛田の教え
「昔の石垣は石の大きさも不揃いで形もまちまちだ。しかしこれをうまく組み合わせれば頑丈な石垣ができ、小さい位置も小さいなりに大きい石がずれるのを支え合っている。同じ大きさに綺麗に切り揃えられた大きくて強い石だけでは頑丈な石垣はできない」

感想
ソニーが大赤字を出しましたが、その後V字復活を遂げ、今は売上/利益を更新しています。
そこには技術への取り組み、マネジメントのやり方、トップの考えが重要なカギを握っているように思います。
今も脈々と井深&盛田の思想が引き継がれており、その実践が行われていることが、ソニーの強みのように思いました。
トップには技術が分かる人がいないとまた自由闊達な意見を出せる場がないと、技術系の会社に未来は暗いように思いました。

そしてやはり人を大切にすることができるかどうかなのだと改めて思いました。

「わたし虐待サバイバー」羽馬(はば)千恵著 ”虐待はその時も苦しいが、その後もトラウマとなって苦しめる”

2021-11-18 18:25:18 | 本の紹介
・13歳の千恵さんへの手紙(大人になった千恵から)
  今、毎日が地獄のような日々ですね。・・・
  でも大丈夫。踏み止まれるよ。・・・
  やがて大人になったあなたは、心を病んで、何度も自殺未遂をします。
  親の愛情に飢えたあなたはたくさんの人に愛を求めては、裏切られ、
  心は傷だらけになるでしょう。虐待の後遺症にも、ひどく苦しむでしょう。
  長い年月、虐待の後遺症は医者にも誰にも理解してもらえないでしょう。・・・
  でも大丈夫。あなたは幸運にも、素晴らしい希望の宝物を3つもっているの、
  この3つの希望の宝物のおかげで、あなたは回復することができるでしょう。
  1つ目の宝物は、5歳まで愛情たっぷりに育てられた刹那の記憶。・・・
   幼い頃に大人たちに愛情深く温かく包み込まれた体験ほど、
   大人になり人生の苦境に立ったときに、
   土台となり勇気づけてくれるものはないのです。
  2つ目の宝物は、生まれ育った明るい性格。
   明かるいあなたを好いて、たくさんの人が応援してくれる、幸せな大人になれるでしょう。
   多くの人に愛情をもらえて、いつしか心の深い傷も言えるでしょう。
  3つ目の宝物は、まっすぐな一生懸命さ。・・・
   前向きに努力し続けるあなたは、いつしか、何があっても大丈夫、
   と自信を持って強く生きていくことができるでしょう。
  13歳のわたしに、この本を送ります。

・悲惨な結婚生活を知った母の両親は、「子どもを堕ろせ」と頻繁に忠告にやってきたのだ、それでも、お前を生んだのだ・・・母は幾度となく、わたしにその話をしました。・・・
 母は一度は私の堕胎を決意します。しかし妊娠3か月をとうに過ぎており、医者から「もう中絶できない」と言われたそうです。

・「ちえが悪いからミツオ(義父)さんに厳しく怒られるんや」
 母は、いつもそういいました。

・やがてミツオさんは、まだ小学校低学年だったわたしに、家事全般、特に料理を毎日作るように強制しました。
 「女は家事ができないとダメだ。料理は女の仕事だ」・・・
 「さっさとしな!」と怒鳴りつけ、わたしにきつく当たることもありました。
 パートの仕事をしながら子育てと家事をすべてさせられていた母には、
 料理は楽しいものだと娘に教える余裕はなかったのでしょう。
 大人になった今でも、料理をしようとすると圧迫感に襲われます。
 台所に立つことが苦痛でなりません。

・小学生低学年の頃から、洗濯物をたたむのも、わたしの仕事になりました。・・・
「テレビを観ながらたたむな!」と突然怒鳴られました。

・ミツオさんはその頃より、二言目には、「ちえは頭が悪い」と罵るようになりました。
 そのたびにわたしは、自分は頭が悪いのだ、他の子よりも劣っているのだという呪いにかかり、
 言われるたびに自信をなくしていきました。

・なぜ真面目な女の人ほど、ダメな男を支えちゃうんだろう。

・優しかった母までもわたしを傷つけた。
 母の顔色をうかがうことは、父の顔色をうかがうことの何倍も、しんどい気持ちになりました。

・「朝、髪はとかすな」
 鏡を見ることも(ミツオさんから)怒鳴られるようになっていきました。

・毎日服を着替えず、髪をとかさなければ、学校でいじめにあう。
 毎日着替えて、髪をとかせば、父親から、殺されるほどの虐待にある。

・12歳で自殺を考えた。
 一度は、大型トラックの前に飛び出して自殺すれば楽になれるのではないかと考え、
 道路の真ん中に立ってみたこともありました。

・12歳のわたしと4歳の妹で、夜間二人だけ置き去りにされることもしょっちゅうでした。
 母はユウジさん(三人目の父親)のための食事は作りましたが、
 娘たちの食事をまったく作らなくなり、毎夜、テーブルの上に千円札を一枚置いて出て行きました。

・高校に進学した春、母は再び、離婚しました。そしてまたすぐに新し男性を家に呼び寄せたのです。・・・
 ある日突然家に入ってきて、無理やりパパと呼ばされ、性的な嫌がらせも我慢しながら、
 なんとかユウジさんいも慣れてきた中学3年のわたしは、
 母があっけなく「あんな男はいらん」と言い捨てたことに失望しました。

・胸にナイフをしのばせて、未差別殺人をする自分の姿を思い浮かべ、社会への恨みを晴らしたいと何度も想像しました。
 しかし、そうした犯罪を犯したいという衝動に駆られるたびに、
 5歳まで可愛がってくれた祖父母や、親戚のおじさん、おばさんの顔が浮かびました。
 人間、犯罪を実際に犯してしまうか、ギリギリでブレーキがかかるかの違いは、
「思い出のなかに振り返る顔があるかないか」だとわたしは思います。

・再び不登校になり、高校は中退

・高校中退者がどうすれば大学受験できるのかを一生懸命調べて、大学入学資格検定を受験。
 さらに貸与型奨学金を借りて、地元の兵庫県から北海道の帯広の国立大学への進学を決めました。
 帯広の大学から合格通知を受け取ったとき、生まれて初めて、自分の背中に羽根が生えたような気持になりました。

・命を脅かすいじめっ子、母、その男たちという存在がようやくいなくなったというのに、
 大学1年生の頃にはもう、うつ症状などの気分変動の激しさが現れ始めました。
 新しい人と出会ったときは極端に緊張し、汗だくになり固まってしまいます。・・・。
 同級生と普通にコミュニケーションが取れないことで、
 さらに精神は落ち込み、様々な症状に悩まされるようになりました。

・自殺未遂から医療保護入院に
 入院初日から、私は閉鎖病棟の保護室に入れられました。
 まるで刑務所の檻のような、鉄格子の柵がある小さな部屋でした。

・その閉鎖病棟へは計3回入院し、入院期間は最長で約50日間に及びました。

・一度信頼し友人関係になっても、どうせわたしはすぐにその関係を壊してしまう。
 ならば、最初から友達なんか作らないほうが、わたしはこころの安定を手に入れられる。
 貸与型奨学金を借り足して、大学院(修士課程)まで進学しました。
 学部と異なり、大学院では、業績が優秀であれば、
 貸与型奨学金が免除される制度があったため、それを目指して勉学に必死で励みました。
 そして大学院を無事に卒業し、貸与型奨学金220万円は全額免除になりました。
 しかし、大学6年間、ずっと精神不安は続きました。

・他人や友人がどうであれ、自分の人生には直接的には関係ないことです。
 それならば友人の幸せを嫉妬するのではなく、一緒になって喜んだ方が、自分のこころも幸せな気持ちで満たされる。
 この考え方の方が生きていく上で得だなと思うようになってから、
 「他人との比較」という苦しみから解放された自分がいました。

・大学院の修士課程2年のとき、就職先を探しますが、
 自分の野生動物の研究を生かせる求人はほとんどなく、あっても狭き門でした。
 専門外の仕事でもいいかと思い、求人サイトに登録し仕事を検索しますが、
 どの仕事にも興味が湧かず、どんあ仕事をするのかイメージもできませんでした。・・・
 ついに、大学院在学中に就職先が決まるという結果には至らず、無職のまま卒業してしまったのです。

・大学院まで卒業したのにアルバイトで生活するという状況は、本当に惨めでした。

・誰にも頼らない、と決めたはずなのに、でも、
 どんどん人を切っていくたびに自分の魂もずたずたに切られていくようでした。
 古本屋に行って自己啓発本を何冊も買ってきては、生きていく答えや自身の在り処を探して貪り読みました。

・25歳で、わたしは、生活保護となりました。
 その後の半年間はほぼ寝たきりの引きこもりになりました。

・悪戦苦闘の末、非正規雇用ですが、何とかひとり暮らしができるだけの仕事が見つかり、
 生活保護から抜け出すことができたのです。
 動物園の飼育員の臨時職員でした。
 決まった仕事は1年契約でしたが、臨時職員とはいえ、生き物に触れることができ、
 自分の専門性の活かせる仕事に就けたことは飛び上がるほど嬉しく、希望に満ち溢れていました。

・その後、低賃金で不安定な非正規雇用からも抜け出したいと思い、働きながら転職活動をつづけました。・・・
 その甲斐もあって1年後、ようやく市役所に正規職員で転職が叶いました。職種も博物館の専門職の学芸員です。

・その間、過去に精神科で辛い経験があるにもかかわらず、再び精神科へもかかっていました。・・・。
 病院を変わるたびに違う病名をつけられました。
 36歳になった現在、障害者枠ではなく一般枠でなんとか職に就けてフルタイムで働きましたが、
 病気の悪化で失業を繰り返しています。
 この本は、約1年前から働きながら夜や休日に執筆して来ました。
 この春から、足りない分の生活費を生活保護から賄い、働ける日は働き、
 生活保護に頼りながら、最後の執筆を進めています。
 大学の学部の頃に借りた奨学金の約500万円は、まだ返済できる見込みはありません。

・この症状は、白川美也子先生の『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』と言う本で、
 「サバイバーミッション」という症状だと知りました。
 トラウマから生きのびた人が、
 トラウマを抱えた他の人を助けることを使命だと思い込んでしまうことがよく起きるそうです。

・人間関係とは、鏡のようなものだということを、この時知りました。
 笑顔で話しかければ、笑顔でわたしに返してくれる。
 自分が明るければ、明るい友人が集まってきてくれる。
 おそらく、幼児期に学習するであろう、この人間関係の基本の基を、わたしは、30歳で知ったのです。

・虐待という名の、負の連鎖が我が家に続いていることに気づき始めたのは、
 母が自分の子ども時代の家庭の悲惨さと、わたしを比較して、「おまえの方がマシだ」とわめき出した頃です。

・この物語を書くことで、過去の母との出来事がわたしのなかで整理でき、
 図らずもトラウマの処理をすることができたのだと思います。

感想
虐待はその後もトラウマとして人を苦しめるのでしょう。
著者も少しずつ学ばれて行かれたようですが、いまだに苦しい思いをされ、そのために人間関係に問題が起き、そして仕事を辞めていくことを繰り返されています。
愛着障害もあり、お父さん的な人を求めて、また壊れていくときもあったようです。
愛に飢え、求めてもそれに十分こたえてくれる人がいなかったようです。
また逆に、その求めが大きすぎて応えられないというより、恐くなって去っていく人もいたようです。
小さい時から周りの支援、社会の支援がなかったようです。

幸せになって欲しいです。
千恵さんを理解し受け容れる懐の大きいパートナーに巡り合えると良いのですが。

福井の高校演劇から表現の自由を奪わないで!顧問会議は『明日のハナコ』の排除を撤回してください。 "表現の自由を脅かす行為!”

2021-11-18 17:03:33 | 社会
https://www.change.org/p/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C-%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%BC%94%E5%8A%87%E9%83%A8-%E9%A1%A7%E5%95%8F%E4%BC%9A%E8%AD%B0-%E7%A6%8F%E4%BA%95%E3%81%AE%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%BC%94%E5%8A%87%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%82%92%E5%A5%AA%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7-%E9%A1%A7%E5%95%8F%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%81%AF-%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%82%B3-%E3%81%AE%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%82%92%E6%92%A4%E5%9B%9E%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84発信者:福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための『明日のハナコ』上演実行委員会 宛先:福井県 高等学校演劇部顧問会議
――「ハナコ」にもう一度会いたい!――


 「ハナコ」というのは、『明日のハナコ』という劇の主人公の名前です。

 この劇は今年9月の福井県高校演劇祭で、福井農林高校演劇部によって上演されましたが、その後、映像を残すことも、脚本を読むことも禁止され、マボロシの舞台にされてしまいました。

 いったいなぜ、『ハナコ』は禁止されたのでしょうか。



●『明日のハナコ』あらすじ●

 舞台はある高校。「ハナコ」たちは今度上演する劇の稽古をしている。その劇は、1948年の福井震災から始まって現在までの歴史をたどるものだった。学校のこと、仕事のこと、戦争のこと、原発のこと、未来のこと・・・

 彼女たちはさまざまなことを考え、そして成長していく。

           *

このたび、福井農林高校演劇部の上演にかかわる顧問会議の一連の動きを、重大な表現への抑圧だと考える有志が、実行委員会を立ち上げ、上演にむけて活動を始めることにしました。実行委員会の求めることは、以下の通りです。

・10月8日の顧問会議で行われた決定3項目を撤回すること。               (ケーブルテレビでの放映の禁止/記録映像閲覧の禁止/脚本集の回収)

・福井農林高校演劇部員たちへ誠実な謝罪をすること。

・今後演劇表現の内容をもとにあらゆる不利益な扱いをしないこと。

・表現の内容に理不尽な介入をしないこと。

・人権侵害を行ったことへの真摯な反省を表明すること。

【ことの経緯】

 2021年9月18日~20日、例年どおり県の高校演劇祭(演劇部の県大会)が県民ホールで開かれ、福井農林高校演劇部は「明日のハナコ」という劇を上演しました。創作作品です。この世界はいったいどうなるのだろう、自分たちはどうなるのだろう、と不安と闘う少女の成長の物語です。原発の問題、生きる上で大切な誠実の問題、などが盛り込まれていました。

 新型コロナウィルスが猛威を振るっていた時期だったので、今年は無観客での上演になりました。見る人がいないのでは劇とは言えません。しかし、例年、演劇祭の劇は「福井ケーブルテレビ」が録画・放映してくれることになっていたので、部員たちは救われる思いだったのです。
                        *
 ところが、9月20日、その福井ケーブルテレビより、福井県高等学校演劇連盟に対して連絡がありました。。

「福井農林高校の劇の放映について、社内で審議にかかるかもしれないので連盟としての意見を求めたい」

「個人を特定する点、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念している」とのこと。

 そこでその日に行われた顧問会議の結論は、

「ケーブルテレビ局内の意向を尊重する」。つまりケーブルテレビ側が放送しないと決定したならばそれに従う、というものです。

その理由としては、

1 この劇には、反原発・個人名・差別用語が含まれている。放送後、それらを取り上げられて、生徒や福井農林高校に非難が寄せられることを憂慮する。学校は教育的に生徒を守らなければならないから。

2 福井農林高校の劇は、表現方法はともかく、上演に問題はないと思う。ただ、不特定多数の人目に触れる放送はいかがなものかと思う。

3 高文連は原電からの支援を受けている。また、ケーブルテレビも原電と関係のある企業がスポンサーになっているかもしれない。これからもケーブルテレビと良好な関係を保ちたい。放映すると影響がでる。

 「1」について、まず差別用語は、劇を見てもらえばわかりますが、差別意識を持った取り上げ方はしていません。個人名についても、図書館にある書籍をそのまま引用したものです。反原発については、たとえば「原発からの支援を受けている」という意見には、こう反論したいのです。補助金は、活動の思想的方向や表現内容についてなんら干渉するものではないし、これまでも干渉した例はないはずです。そういう性質の支援であるからこそ、公的な組織が(高文連は県の組織です)は公明正大に受け取ることができるのです。もしも干渉があって、内容を規制しなければならないようなものであれば、それも意見の一方を否定するようなものであれば、そのような助成を受け取っている県が裁かれる事態になってしまうし、即刻県はその助成を返上すべきだというのが、行政上の通念だと思われます。したがって、「3」の理由がまかりとおれば、これ以降、福井では原子力発電の危険性を訴えるような劇を作れないことになります。表現してはいけない分野を生んでしまうことになります。また、原発に関係する内容次第では社内で審議にかかるなどと、排除する可能性も示すのがケーブルテレビなら、むしろ結果的に表現の自由を制約することになるそうしたケーブルテレビの姿勢こそ、問われるべきです。そう主張して生徒を守るのが教員の仕事じゃないでしょうか。

                 *

 その後、福井農林高校演劇部生徒たちの反応を聞き取ったのちに、10月8日に再度、顧問会議が開かれ、あらためて次の三項目が、決定されました。採決もなく、でした。

・福井農林高校の劇だけはケーブルテレビでは放映しない。

・DVDはつくらず、記録映像を閲覧させない。

・脚本集はすべて回収する。

                 *

会議ではスクールロイヤー(顧問弁護士)の意見として次のような見解が述べられました。

・劇中における反原発の主張は、表現の自由が保障されるので問題ではない。

・人権尊重の立場から、表現の自由は制限されることがある。

・劇中使用された「かたわ」という差別用語は、使用するだけで駄目である。

 顧問会議で具体的にどのような討論があったのか、議事録が公開されないのでわかりませんが、最後の「差別用語は使用するだけで駄目」という理由が会議の流れを強く決定したとのことでした。

                 *

この問題について、県内の別の弁護士に尋ねたところ、以下のように教えてくださいました。

・その単語を使用したからすなわち違法であるという判断は、法律家としてあり得ない。そのような見解を述べる法律家はいない。まして、スクールロイヤーは良識ある人物が選ばれているのでそのような判断をしたとは考えられない。

・問題となる差別用語だが、もし、この劇が前敦賀市長と同じ立場に立って障碍者を差別したのであれば問題だが、反原発の立場から批判的にこの言葉を述べている以上、そこに差別意識はなく、よって問題ではない。

・前敦賀市長は公人であるから、特定の個人を非難したという批判も当たらない。当然、遺族からの名誉棄損などということも起こりえない。

・もし万が一クレームがあったら、と考えるのは怖れすぎである。その単語だけを切り取って何者かがクレームをしてくるということはおよそ考えにくい。

 つまり、この差別用語の問題は、放映の禁止や脚本の回収をする根拠にはなりえないということです。

 上演した生徒たちは、「いわれなき批判がくるかもしれない」と聞かされて、不安な面持ちになりました。けれども、そのあと、それでも放映してほしいと言いました。悔しい、と泣いていました。自分たちが稽古してきた劇が放送してもらえないのは悔しいと。

 私たち実行委員会は、どうしても、その泣いた生徒のことを考えると何かしないではいられないという気持ちになります。生徒たちは、自分たちの劇がテレビ放映にふさわしくないと思われたことに傷ついています。生徒たちは、信じてもらえなかったということに傷ついています。稽古しながら、原発の問題や社会の問題について、自分たちでも調べました。「こういうことは今まで考えたこともなかった」という部員もいました。それでいろいろ考えるようになった。それこそ「学習」というのではないでしょうか。

 世界に類のない原発集中立地のこの県で、こうした表現の抑圧がまかりとおるようになれば、日本中の表現者にとって、重大な抑圧への一歩です。表現の自由は、基本的人権の最重要な一つです。生徒たちの表現への悪罵とも言える三項目の決定は、あらゆる人の基本的人権に対する敵対宣言と言えます。

 今これを看過したら、今後も権力者や学校当局などにとって不都合な表現は演劇部活動では抑圧・排除されることになるでしょう。すでにそういう動きが、他の学校の劇に対しても圧力としてなされています。これはとても危険な動きです。私たちは、歴史に汚名を残しかねないこの愚行を撤回させたいと思います。心ある市民の皆さんの署名の力で、撤回させたいと思います。ご協力お願いします。

 また、「明日のハナコ」を県内演劇部員、演劇部顧問教員、一般市民の方々に実際に鑑賞していただけるような企画も考えています。劇を実際に上演し、その後、差別用語の成り立ちなどについて、あるいは原発の問題について、みんなで考える催しです。書籍を執筆されている著述家・専門家の方にもご登壇いただけるよう、調整中です。

 日本劇作家協会の言論表現委員である劇作家鈴江俊郎氏(愛媛県在住・元桐朋学園芸術短期大学演劇専攻教授)も、これは単に高校演劇にとっての問題であるだけでなく、表現の権利が大きく歪められた、世界にとっての人権問題なのだと考え、実行委員会に参加されました。起こった事件をありのままに知っていただいて、あるべき姿とはどういうものなのか、皆さんとともに考え始めるための企画です。是非ご参加ください。

                 *

ハナコ  ほら、たくさん家やらビルやらあるだろ。                      こっからだとちっちゃなオモチャみたいに見える。あの中にはたくさん人間がつまってんだ。

ちっちゃなオモチャみたいな人間が。ご飯作って、洗濯して、掃除して、働いて。

あの中にオレの親父がつとめていた会社があった。

建設系の会社でさ、親父はそこの係長だった。

ある時、会社は新しく道路を造る仕事を請け負った。何十億ってお金が動く、でっかい仕事だ。

うまくいけば会社は大もうけできる。社員もたくさん給料がもらえる。

でも、その道路は自然保護区のすぐそばを通ることになってた。

それでどうやってもその道路は環境破壊になってしまうことがわかったんだ。

なんとかっていう絶滅危惧種の鳥がそのへんに生息してたらしい。

親父はそれを上に報告した。

そしてもちろん、握りつぶされた。

そりゃそうだ。何たって何十億だからな。

会社の中で、親父に味方するヤツは一人もいなかった。

でも親父はバカだった。

そのレポートを新聞社に持ち込んだ。自然保護団体に持ち込んだ。ネットにアップした。

大騒ぎになった。

道路の計画は中止になった。

何とかって鳥は助かった。

そして親父は会社をクビになった。

親父はバカだと思う。大馬鹿だと思う。

学校の中でこんだけイジメが起きてるんだぜ。

そんでみんなその学校を出てるんだ。

だから会社にイジメがあるのは当たり前だ。

だからこの世界にイジメがあるのは当たり前だ。

だから、オレはときどき、この全部を踏みつぶしたくなるんだ。
(福井農林高校演劇部「明日のハナコ」上演台本より)

感想
顧問会議とは何でしょう?
メンバーの名前と肩書を知りたいです。

福井ケーブルTVに加入している人が、見たいというと何か変わるのでしょうか?
福井ケーブルTVにしている人が、今回の福井ケーブルTVに抗議して、退会すると変わるのでしょうか。
変えたいものです。

福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための 『明日のハナコ』上演実行委員会
https://ashitanohanako1108.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

「可愛くブッとびながら1億円I LOVE ME」杉口加奈著 ”自分を愛する”

2021-11-15 02:45:45 | 本の紹介
・すべて感情をコントロールできるかどうかにかかっています。

・考え方や視点を変えることができたら簡単です。

・今この瞬間から「人に気を使える優しい私」や「こんな場所はこうするべき」という常識まみれのあなたにおさらばしてください。

・過ぎたことはもう関係ない、大事なのは未来だけ。

・人と比べて落ち込むのは、自分軸がズレているときです。自分の人生の主人公は自分なのに、それをすっかり忘れてしまっているんです。

・ごくごく自然に、「自分が大好き!」という気持ちになれることが大切なのであって、「自分を愛さなきゃ」と気負うものではなりません。

・きっと、自分の中の足りないものにばかり目を向けているから、自分を愛せないんですよね。それなら、まずそういう感情を認める。認めたうえで、その場所に滞在し続けないことなんです。

・人生なんて、死なない限りは何とかなるなる!

・すべては自分の責任だということを理解できたら、自分が変われば未来も変わるということも理解できます。そう、誰だって変われるんですよ! 未来をつくるのは自分自身の言動なのだから。

・もし困難があったとしても、その困難する楽しむ。それこそが、私たちが地球に生まれた目的なんです。

・私が大好きなフレーズは、「ピンチはチャンス!」なのです。

・どんなことも、失敗ではないんだから。
 その先が、必ずあるんだから。
 失敗を怖がって安全なところにとどまっていたら、何も変わらないどころか後退していっちゃうから。

・自分の夢を叶えたかったら、「叶える!」とまず決めましょう。そして、決めたからには最善の努力をする。

・私の婚活塾では、もちろん型にはめるようなことはしていません。逆に、自分らしいファッションで、自分がキラキラできることをアピールしてほしいとお伝えしています。

・私は、女性が男性に尽くすのではなくて、逆にわがままなくらいじゃないと愛されにくいと思っています。実は男性には「ちょっと振り回されたい」という願望があるのです。これはもう、本能的なものですよ。だから、女性の方が立場が上だっていうこと!

・自分を輝かせることに時間を使うべきですよね。人のことなんて置いておいて、ますます魅力的な自立した女性になればいい。

・幸せな人生を力強く歩いていくためには、自己肯定感が絶対に必要です。

・これから社会がどんなに変化しようとも、自分の中にブレない芯をしっかりと持っていることが大切。そうでなければ、世の中にあふれる雑多な情報に自分を見失ってしまいかねません。
そして、自分の輝きを表現したいのなら、精神的にも経済的にも自分の足で立つ自立した人間でいる必要があります。そうって努力して輝くことができたら、自然と人が集まってきてくれるもの。これこそが、豊かな毎日をおくるためにとても必要なことなのです!

感想
婚活前に、人生の生き方、生きる姿勢をきちんと持つことを言われているようです。

「VENUS BIBLE 愛するより愛される女であれ 究極のマリッジ・ハンティング」杉口加奈著 ”考え方と行動を変えると恋愛も上手く行く”

「妥協するなら結婚するな!無敵の婚活女[ヴィーナス]」杉口加奈著 ”考え方から入り、かつ女性の魅力をたかめる”