幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「メスチノン錠60㎎」一部変更申請時の不適切な方法による 試験データ提出に関する調査・再発防止策の実施完了について "不正な一部変更申請は認められないので、本来なら製品回収、改善命令、行政処分”

2024-11-20 08:55:55 | 社会

 弊社は、2024年4月12日付「『メスチノン錠60mg』一部変更申請時の不適切な方法による試験データ提出に関する調査について」にてお知らせしましたとおり、弊社の製品である「メスチノン錠60㎎」について、2009年に実施した製造所及び処方・製法の変更等に関する承認事項一部変更申請の際に、不適切な試験方法によって試験データを提出していたこと(以下「本件不適切行為」といいます。)が判明したことを受け、本件不適切行為に係る事実関係の調査、原因の究明及び再発防止策の策定を目的とした外部の弁護士を含めた社内調査チームによる調査(以下「本調査」といいます。)を実施してまいりました。この度、本調査が完了し、本調査結果を踏まえた再発防止策の実施を完了いたしましたので、お知らせいたします。
詳細につきましては、下記PDFよりご確認ください。
1. 調査結果について 
 4 月 12 日付プレスリリースにてお知らせしましたとおり、2009年に実施した本製品 の一部変更承認申請の際に必要な加速安定性試験に関して、当初は規格に適合しない試験結果となったことから、適切な手順に則ることなく規格に適合する結果となるまで再試験を繰り返した上で、その再試験結果を正式な試験データとして提出していたことが判明しました。
 本調査の結果、本件不適切行為は、薬事法(当時)改正に伴う承認事項一部変更申請の期限が差し迫っていた状況において、本製品の製造所変更に関 する検討を主導していた当時の部長クラスの責任者による当該申請を期限内に行いたいという強い意向を受けて行われていたことが判明しました。なお、本調査の結果、本製品の当該申請に係る本件不適切行為以外に、承認申請に必要な試験結果について、規格に適合しない試験結果となったにもかかわらず、適切な手順に則ることなく規格に 適合する試験結果を作出する等の不適切行為は検出されませんでした。 本製品につきましては、出荷試験及び長期保存試験において、各試験項目が規格に適合し、品質に問題ないことを確認しており、自主回収や出荷停止は行っておりません。 また、これまでに、本製品について、本件不適切行為に起因すると考えられる健康被害や、有効性・安全性に影響があったとする報告は受けておりません。

感想
 本来、申請データが不適切であれば、それはその申請が認められません。
認められないものを製造し出荷していれば、それは薬機法でいう不良医薬品です。
 なぜ県が、監麻課が回収させないのか不思議です。

 申請データが規格に適合しない結果が出たのですから、きちんとOOS対応を行って行う必要がありました。
 
 県、監麻課はこれまでの回収の方針を変えてきたのか、それとも何か別の理由があるのか、これまでなら、製品回収、改善命令、行政処分です。

[ヒロシさん](下)「死ぬまでどう生きるか」 50歳代になって、もう一つやり遂げたいこと…目標は武道館 ”保護ねこ飼って生活が変わった”

2024-11-20 07:00:44 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー

 ひとりでキャンプをする「ソロキャンパー」として知られる芸人のヒロシさんは、2年ほど前から家族が増えて、生活は一変しました。今後の人生設計について、ご自身の考えを話してくれました。(聞き手・道丸摩耶、撮影・中山博敬)

歴史に名を残しても意味がない
――テレビの世界から抜けて、今は好きなように生きている実感がありますか?
 いやぁ、ずっときついですね。今は今で、違う種類のきつさが出てきます。目的を見失って、何のためにこれをやってるんだろうと思うときがあるんですよ。どうせ死ぬのになって。そもそも何のために生まれたんだろうと考えたときに、歴史に名を残したって意味はないし、死んでからキャーキャー言われても生きているうちに言ってほしかったってなるし、結局、人類は子孫を残すために生きているのかなって。でも、僕は結婚していないし、するつもりもないし、子孫を残すこともない。となると、あとは自分が好きなことを全部やってしまおうと思うんです。

――結婚しないと決めていらっしゃるんですか。
 (相手に)出会えないからね。芸人として売れていた時、「キャー!」「ヒロシさん!」って応援してくれる子たちはいたけど、ステージの上から自分のうちわを持っている子が目に入っても、電話番号を渡すわけにいかないじゃないですか。皆が見ているわけだし。だから、「声をかけてみたいな」と思いながら、「ヒロシです。ヒロシです。ヒロシです。」と名前だけ売り込んで去っていくわけです。その結果、何もないよね。

――芸能人というのはモテると思っていました。すみません……。
 芸能人御用達みたいなお店に行ったらモテると思ったけど、そこでもモテないんですよ。僕より有名なタレントさんがいっぱい来てるから。今の時代、こんなことを言うと怒られるかもしれないけど、僕はタレントパワーでモテたかったんです。下っ端の時、売れるとモテ始める先輩をたくさん見てきたので、「いつか俺もなってやる!」と思ってたけど、僕が売れた時は、タレントパワーでモテる時代は終わってました。もうちょっと早く売れていれば、違ったんでしょうかね。
浮気されて終わる

――モテたいけれど、結婚するつもりはないんですね。
 まずモテて、お付き合いがあって、結婚があるわけじゃないですか。僕はお付き合いが何なのかが分からない。結局は浮気されて終わるし、しかも浮気された方なのに、毎回、相手にいろいろと言われて結局は、僕が相手に謝って別れる羽目になるんですよ。お付き合いって何なんですかね。別に罰則もないし。そもそも結婚したって、すぐに別れることもあるでしょ。「じゃあ別にしなくてもいいんじゃない?」という考えで生きてきました。結婚は面倒くさいけど、モテたい。昔は夜中に街に出てナンパし続けるなんてこともしてましたけど。

――体力がありますね。
 お金はなかったけど、エネルギーはあったからね。今はもう出かけたくない。疲れるから。キャンプの仕事ばかりしているから山から山の移動ばかりで、最近は風呂にもなかなか入らないんですよ。今日は取材だから、ちゃんと入ってきました。久しぶりに服も小奇麗なのにして、髪にドライヤーをかけてワックスもつけて、ひげもそってきました。今日は美しいヒロシです。でも、人前に出る仕事がなくなったら、飯も好き放題食うし、太ったとしても痩せようと思わないでしょうね。たぶん仕事をしていなかったら、ずっと家にいます。

――家にいるのが幸せですか?
 売れる前、アルバイト生活をしていた時に、「バイト行きたくねえな」とそのままバイトを辞めたことがあります。でも、1週間たつと暇になってくるんですよ。そうすると、バイトしたくなってくる。不思議ですよね。家にいるのは好きだけど、暇だと何かしたくなる。


2匹の保護猫を迎えて生活が変わった
――家には、猫がいるとか。
 2匹います。2年前かな、保護猫のオス「あつし」を飼うことになって、1年後にメス「さくら」も増えました。魚を飼った経験はありましたが、猫は初めてでした。昔から猫好きだったんです。けれども心配性だから飼えなくて。もし、いなくなった時の喪失感が怖くて。だから我慢してきたんですけど、いろいろなことが重なり保護猫の活動をしている団体を見に行って、一緒に生活をすることに決めました。

――猫を飼って生活は変わりましたか?
 変わりましたね。僕はテレビのナレーションの仕事をたまにやっていましたが、自分が飼うまで、「かわいいワンちゃんですね」って台本に書いてあるのが全然分からなかったんですよ。「犬でいいでしょ!」って。「ワンちゃん」「猫ちゃん」って言うのにすごく抵抗がありましたね。それなのに今ではうちの猫ちゃん……、ほら、もう猫ちゃんって言っちゃってます。
 災害があった時、避難所に犬や猫を連れていけないという話も、今までは仕方ないことだと思ってたんですけど、今は「絶対に一緒に避難したい」と思います。やっぱり家族ですよね。そんな思いが強いから、あつしやさくらに何かあったら……。それも承知で飼ったんですけど、きついでしょうね。僕が先に死にたいです。僕が先に死ぬなら、誰か信頼できる人にお金を預けて、あつし、さくらのお世話をしてもらいたいです。って自分で言っておきながら、無理ですね。信頼できる人がいないので。

――猫と一緒にいると、寂しくないですか。
 確かに猫を飼ってからは、ひとりという感じはしないです。ひとりの夜って、何かむなしいときがあるでしょ? 僕はひとりが好きなくせに、昔はそれがむなしくなる夜がたびたびあったんです。そういう感覚がなくなったのは、年をとったせいもあるかもしれないけど、たぶん猫ちゃんのおかげだと思います。

バンドで売れたい
――芸人、キャンプと2度のブレイクを経験されました。今後の目標はありますか?
 僕はまだテレビに憧れがあった時代に芸人としてかすって、インターネットの時代が来たらユーチューブのチャンネルの認知度が高くなって、両方を経験できた。運がよかったのかな? あとは死ぬまでどう生きるかなんですけど、もう一つくらい大きなことをするとしたら、昔から好きなバンドかなって。

――ベース担当ですよね。
 はい。今52歳ですけど、悪あがきして最後にバンドで売れて、日本武道館とか大きな会場でたくさんの人の前に立ってみたい気持ちがあります。
 あとは、動物たちです。具体的にどうしたらいいかはまだ思い浮かばないですが、キャンプで山に行くと、犬や猫が捨てられていたという話を聞きます。コロナ禍の時に飼ったペットを捨てる人もいるらしいです。そういう犬や猫をどうにかしたいと思うんだけど、どうすればいいか分からない。今は、うちの猫を譲ってくれた団体に餌を送ったりしています。犬や猫が普通に生きられるように支援したいです。
猫としゃべりたい

――老後の楽しみはありますか。
 子どももいないので、お金を残したって仕方ない。それなら全部、自分のために使い切って死にたいよね。自分の本には、「全財産を払って、ベッドの周りに女の人たちに来てもらって死んでいきたい」って書いたんだけど、それが駄目なら、精巧で普通にしゃべれる人型ロボットができていたら買いたいね。話し相手だけじゃなくて介護もやってくれる機能があって……。

――ロボットは実現しなくても、猫ちゃんはいてくれるのではないでしょうか。
 それならしゃべりたいですよ、猫ちゃんたちと。今は一方的に、僕がしゃべってますから。向こうからもしゃべりかけてくるんですが、遊んでほしいのか、ごはんが欲しいのか、分からない。ごはんかなと思ってあげると食わないし。遊んであげようとすると無視されますね。鳴き声から何を求めているか翻訳するアプリとかあるけど、全然違うことを言ってると思うんですよ。夕方なのに、「おはよう」とか訳されますからね。誰かもっと正確な翻訳機を開発してくれないかな。

――そうやって楽しく生きていければいいということですね。
 いや、楽しく生きていける自信はないです。すみません。だって、戦争が始まったらどうしようとか考えちゃいますし。シェルターを掘ろうと考えたこともあったけど、僕とあつし、さくらがシェルターで過ごしたとして、いつかは外に出ないといけないでしょう? 出て誰もいなかったらどうしようとか、そんな想像ばかりしちゃいます。
 この先どうなるかは自分でも分からないけど、これまでの常識みたいなものが崩れていってる時代だと実感します。僕は昭和生まれだから、「人生とはこういうものだ」という考えを強く持って生きてきたけど、今は柔軟さが必要なんじゃないかな、と思います。どんなことが起きても対応できる心構えだけは持っておきたいです。なかなか難しいんですけどね。

ヒロシ 1972年生まれ、熊本県出身。芸人として「ヒロシです。」のフレーズで始まる自虐ネタで大ブレイク。2015年からユーチューブ「ヒロシちゃんねる」を配信。チャンネル登録者は111万人を突破(24年10月時点)した。年内に書籍を発売予定。キャンプ番組「ヒロシのぼっちキャンプ」(BS-TBS、水曜夜10時~)や「ヒロシのひとりキャンプのすすめ」(熊本朝日放送、木曜深夜0時15分~)などに出演中。その他の情報は公式HP「 ヒロシ・コーポレーション 」で。

感想
 ペットの存在は大きいですね。
何がブレイクするかわからないですね。
わかることは、今目の前のやること、やりたいことをやることなのでしょうね。
それが未来に花咲くと信じて。

「冨山売薬薩摩組」植松三十里著 ”密貿易 薩摩藩調所広郷、富山藩、薩摩組/貧しい富山藩を救っただけでなく、多くの人を救った富山の売薬さん”

2024-11-19 17:17:47 | 本の紹介
・老婆は力ない声で言った。
「一服でけしん薬が欲しか」
 一服で死ねる薬が欲しいという。こんなことを頼まれるのは珍しくない。喜兵衛は落ち着いて聞き返した。
「ないごて、そげん薬が要るとですか」
「体中が痛かで寝たっきりになっちょって、もうないも役にも立ちもはん。息子夫婦には嫌わるっばっかりじゃ。もう生きっちょっ価値もなか」
 起きられないほど、あちこちが痛いのなら、骨の病気かもしれん、先は長くはない。
「それなら痛みを和らげる薬を置いていきますから、我慢できないときには飲んでみたもんせ」
 だが老婆は首を横に振った。
「値ん張る薬を、いくつも飲んわけにはいかんど。そいより、けしん薬を一服だけでよか」
「お孫さんの顔を見たくはなかですか」
「そりゃあ見たか。しゃっでん、早う、ほかん嫁をもれち、息子に言うちょっと。じゃっどん、だいも、あたいの言うことなんど聞かん」
「そげんでしたか」
 喜兵衛は言葉を選びながら話した。
「昨日、ご夫婦に子ができやすくなる薬を渡しもしたから、できるかもしれません。それまで待てもうはんか」
「うんにゃ、今さら、あの嫁に子が授かっはずがなか。それに役立たずの婆は、これ以上、長生きしたくなかど」
 喜兵衛は、しばらく考えてから言った。
「ある大きなお寺に、徳の高いお坊さまがおりもした。お坊さまは、若い僧侶や小坊主のためを思って、厳しく育てもした。おかげで皆、立派に成長し、それぞれ別のお寺の住職として巣立っていきもした」
 老婆を目をつぶった。寝てしまったのかもしれないが、喜兵衛は、かまわずに話をつづけた。
「でも徳の高いお坊さまも、歳には勝てもはん。いつしか病に倒れ、若い僧侶たちの世話になりもした。そうなっても相変わらず厳しくしていたところ、すっかり嫌われてしまいもした。耄碌したいう陰口も聞こえてきもす。嘆くお坊さまの夢枕に、あるとき仏さまが現れて仰せになりもした。『世話してくれる若い者たちに、まず感謝せよ』と。それから『近頃、どうだ?と聞いてやれ』と。老いたお坊さまが『急に、そんなふうに態度を変えたら、だれでも戸惑うでしょう』と反論すると、仏さまは仰せになりもした。『穏やかに聞き続ければ、いつか相手も心を開く。何か話し始めたら、決して頭ごなしに叱ってはいかん。自分の経験をひけらかしたり、自分の考えを押しつけてもいかん。そうか、そんなことがあったのかと、ただただ聞いてやるだけでよい』と。お坊さんは納得がいきもはん。『でも、それでは愚痴を聞くばかりで、進歩がありません』と、また反論すると、仏さまは『愚痴を聞いてやるうちに、本人が考える。どうすべきか自分で答えを出す。話を聞いてやって、その答えを待つのが、今のおまえの役目だ』仰せになりもうした。お坊さまは、なおも言い返しもした。『若い者の考えが至らぬゆえに、今まで口うるさくしてきました。それが無駄だと仰せですか』と。すると仏さまは微笑まれました。『無駄ではない。お前が口うるさく育てたおかげで、自分で考えられるようになったはずだ。若い者たちを信じてやれ。まずは、そこからだ』と仰せになり、そこで、お坊さまの夢が覚めたそうです。以来、老いたお坊さまは、夢のお告げの通りにしたところ、若い僧侶たちに慕われるようになり、ふたたび尊敬も集め、心穏やかにお浄土に旅立たれたそうです」
喜兵衛は話を締めくくった。
「これで、私の話は終わりです」
 すると老婆が目を開けた。下まぶたの際が、にじんで光っている。どおうやら真剣に聞いてくれて、心を動かされたらしい。

・調所は手のひらを、こちらに向けた。
「いや、たとえわしが死んでも、わしの志を継ぐものが、まちがいなく薩摩には残る。かならずや日本は、薩摩藩が変える」
 自信に満ちた言葉だった。

・調所は追い詰められたら、あれ(鳥兜)を開けて服用するのは疑いない。寅松が毒をあおったように。
 最初から調所は約束した。密貿易が発覚したら、ひとりで罪をかぶって死ぬと。

・「昨日、薩摩藩の江戸屋敷で、調所どのが服毒自殺された。ご老中と島津斉彬さまと、冨田さまと、冨田さまの思惑通りで、これで、一件落着だ」

・「ならば寅松が死んで、松太郎も、おふくろさんも、さぞ驚いただろう」
松太郎は、まだ妻をもらっていない。これから母親とふたり暮らしになる。
「いいえ、さほど驚きはしませんでした。常々、親父は『抜け荷がみつかりそうになったら、俺が命をかけて秘密を守る』と言っていましたから。『それぐらいしか、もう役に立てない』とも」
 喜兵衛の喉元に熱いものが込み上げる。
 寅松は足を悪くして以来、旅に出られなくなって、人の役に立て亡くなったことを、何よりも苦にしていた。
 だからこそ船で移動できる密貿易に、積極的に名乗り出たのだ。
 喜兵衛の胸に悔いが湧く。
「あの山津波のときに、いっそ助けなければよかったのか。足の怪我が寅松の生涯に、これほど大きな影を落とすと、わかっていたら」
 すると松太郎が、また激しく首を横に振った。
「そんなことはありません。なぜ親父が、ここを死に場所として選んだのか。それは旦那に対して、心底、ありがたく思っていたからです。そrを示したかったからです」
 松太郎はすがるようにして言った。
「どうか悔いたりしないでください。それよりも親父を褒めてやってください。よくぞ秘密を守りとおしたと」・・・
「寅松、よくやった。おまえは冨山だけでなく、薩摩の人たちも救った。それも、とてつもない買うの人間を助けたんだ。偉かったぞ。偉かった」
 語尾は涙で潤んで、大声にならない。

・人は誰でも死ぬ。でも自分の死さえも、人のために生かす者がいる。調所広郷しかり、寅松しかり、そして冨田兵部しかり。
 彼らの命を救うことは、とうてい不可能だ。でも彼らにとっては、死にゆく姿こそが大事なのだということを、喜兵衛は知っている。
 冨田の死からほどなくして、富山藩が加賀藩に吸収された。不安定な時節柄、加賀藩前田家は支藩を信用できなくなったのだ。

感想
 薩摩藩の調所広郷は薩摩藩の500万両の借金を200万両の蓄財まで建て直しました。
 それが明治維新で薩摩が行動できた軍資金になったのでした。
富山藩の売薬薩摩組の死を覚悟した働きがなければ、薩摩藩にお金がなく最新鋭の軍備を揃えることが不可能で、薩長連合もなく、明治維新は無かったか、違う形の結果になっていたかもしれません。

 調所は立て直しは”密貿易”しかないと判断し、禁止の密貿易に手を出し、富山藩を通して、売薬の薩摩組に依頼したのです。
 密貿易は薩摩藩から船を造るお金をもらい、冨山で船を造って北海道の昆布を買い、それを薩摩に売る。薩摩はそれを中国に売り利益を得る。富山の薩摩組は薩摩を通して得た漢方を手に入れることと、禁止されていた薩摩での売薬商いの再開を認めることでした。
 頼む側の調所広郷、受ける側の薩摩組も死を覚悟した行動でした。
 徳川幕府に見つかると、薩摩藩、富山藩にも影響するので、藩主は知らずに勝手に自分たちが行ったことにして、死を覚悟した企てでした。
 実際、調所広郷は鳥兜を服毒し自殺、薩摩組にも自殺してすべてを自分が責任を負った寅松、こういった人がいたからできたのでしょう。

 密貿易を密告したのが、島津久光と跡目争いをしていた島津斉彬グループだったそうです。
 老中阿部正弘と島津斉彬は手を結び、島津久光との世襲競争に勝ったのだそうです。
 島津斉彬は名君となっていますが、いろいろな側面があることを知りました。


富山の方には必読の一冊のように思いました。
 売薬(配置薬)はお薬を置いて、使った分だけお金をもらう(「先用後利」;お薬は高いので事前に多くのお薬を買えなかった。そこで、使ったお薬だけを払う仕組みにして、お金のない人もお薬を利用できた)。
 この先用後利は冨山藩主前田正甫公が多くの貧しい人にもお薬を使って欲しいとの願いで生まれた考えです。
 江戸城腹痛事件がきっかけでした。
 売薬さんはその思いを持って薩摩にもお薬を届けたいとの思いもあったようです。
 お薬が薩摩の人々に役立っていたエピソードも盛り込まれています。
 越中反魂丹は元々冨山のお薬ではなく、富山藩で効き目を高めたお薬です。

 そして、お客さんの話を聴くことも売薬の大切な行為だったようです。
かつ病の症状などを聞いて、ふさわしいお薬の説明をしていたようです。
 子ども時代に配置薬の人が来て、紙風船をもらったのが嬉しかったです。

 遊びのボランティア(入院している子どもと遊ぶ)仲間が米国の病院に視察に行く時に、「紙風船が手に入らないか?」と頼まれました。
 仕事とボランティアを混同することは避けたかったのですが、ある富山の会社、配置薬をされているのを知っていたので、「紙風船を欲しい。手に入りますか? お金は払います」と頼んだところ、無料でいただきました。
 公私混同になるので、お金を払いますと言ったのですが、固辞されました。
 米国の子ども病院視察した仲間が、入院している子どもたちに紙風船を渡して遊んでもらったそうです。楽しんでいたと聞きました。
 社会貢献したので、この程度の公私混同は良いか。いや会社も社会貢献の一端をに担ったから「良し」と思うようにしました。
 紙風船を分けてくださったその会社の取締役の方に米国の病院で子どもたちが喜んでいたことを伝え、改めてお礼を伝えました。

 冨山の医薬品の資材メーカーを訪問したとき、紙風船を分けてもらった話をしたら、そのメーカーで作っていると言われ、実物を見せてもらいました。それを内職の手仕事で糊を付けて紙風船を作るのだと教えてもらいました。
 紙風船にする前の実物を見て感動しました。
 小さい頃、紙風船で遊んだ記憶がよみがえり、今も紙風船の需要があることが、なんか嬉しかったです。

橋下徹氏 斎藤元彦氏再選も「権力者として不適格と主張し続ける」 3725文字の長文投稿で持論 ”法無視&パワハラ、おねだりの人を選ぶ、兵庫県出身者として情けない”

2024-11-18 07:58:22 | 社会

 元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏(55)が17日、自身のX(旧ツイッター)を更新。無所属の前職・斎藤元彦氏(47)が当選確実となった兵庫県知事選についてコメントした。 
  斎藤氏は元尼崎市長の稲村和美氏、日本維新の会を離党した前参院議員清水貴之氏ら無所属6新人を破り再選を果たした。選挙戦ではパワハラなどの疑惑告発文書問題で失職した斎藤氏への評価や、混乱した県政の立て直しなどが問われた。  
 橋下氏は、斎藤氏が再選確実となったことを報じるニュースを取り上げ、「民意は大変重いものですが、僕は引き続き斎藤さんは権力者として不適格であることを主張し続けます。パワハラ・おねだり・公益通報者保護法違反を理由とするものではありません」と投稿。続けて3725文字の長文を投稿し、8項目にわたって自身の考えをつづった。  
 橋下氏はまず、「怪文書」への斎藤氏の対応について「大問題」とし、「斎藤さんはここで怪文書は公益通報に当たらないと自ら判断し、怪文書の作成者を探しに行った。副知事、幹部が一体になり組織あげて探しに行ったのです。こんな権力の使い方ほど恐ろしいことはありません」と持論。自身が大阪市長時代に経験した裁判を引き合いに「公益通報保護法違反かどうかは別として、怪文書後の内部告発の中身の真実性が確定してから作成者の処分を決めるべきでした。告発によって兵庫県庁の悪いところを正してくれたのであれば、怪文書・告発文作成者の悪いところには多少温情をかけるべきなのです」とし、「ところが斎藤さんは公益通報の結果が出る前に告発者の処分を先にやってしまいました。これは権力の使い方として完全にアウトだし、恐ろし過ぎる」と断じた。  
 そして斎藤氏のパワハラ、おねだりについてのメディアの報道も問題だとし、「インフルエンサーたちがメディアの報じ方のおかしさを猛主張したのをきっかけにパワハラ・おねだりの事実はない、告発者の方が悪い、斎藤さんはメディアの捏造によって貶められたという意見が大拡散したのです」と解説。「僕のような出演者も含めてマスメディアはこれだけ有権者がメディアの報じ方に不満を持っていることをしっかりと認識しなければならないでしょう」とした。  
 そのうえで「僕は斎藤さんの権力の行使のやり方のおかしさ、権力者として資格なしという主張を続けます」と持論。斎藤氏が県議会解散ではなく出直し選挙を選択して再選を果たしても「知事選に当選しただけでは不信任決議をひっくり返すことはできません。それほど不信任決議は重たいものなのです」と説明した。  
 そして斎藤氏を支持した「兵庫県民の民意は非常に重い」としつつも、「しかしその民意に対して意見を言っていくこともコメンテーターの仕事だと思っています」とつづり、投稿を結んだ。


感想
 兵庫県出身者として恥ずかしさを感じています。

この件については橋下氏の言われていることに賛同します。

ネットの怪文書「嵌められている」に騙される県民、愚民としか言いようがないです。
『学問ノススメ』福沢諭吉著
「愚民が愚政を産む。だから学びなさい」
その言葉の重みを痛感しました。

「折られた白杖は7本」 暴行被害に声を上げた視覚障害者の願い

2024-11-17 00:58:44 | 社会

 9月、東京都内の地下鉄駅で50代の男性が後ろから蹴られる暴行事件があった。男性には視覚障害があり、相手の姿は見えない。目の不自由な人が被害者の事件は泣き寝入りとなるケースが多い。だが、今回はある行動によって容疑者が逮捕された。男性は事件を振り返り「暴言を吐かれたり、白杖(はくじょう)を折られたりした経験が多くの視覚障害者にあることを知ってほしい」と訴える。

よく使うトイレで後ろから

 男性によると、9月3日夕、東京都千代田区の都営地下鉄神保町駅ホームにある多目的トイレに1人で立ち寄った。男性は網膜の難病で、現在は光の明暗は識別できる状態。よく使うトイレで、白杖を左右にスライドさせてドアが閉まっていることを確認し、白杖をドアに当てながら待っていた。

 その後、ドアが開いたので中へ進んだが、後ろから衝撃を感じて前へつんのめった。思わず白杖をぎゅっと握り踏ん張ったが、背中のリュックが浮き両肩からずれた。一瞬、何が起こったかわからなかったが「蹴られた」と思った。

 「誰ですか。こんなことするのは」。男性はそう言い、ホームへ出て点字ブロック上を歩きながら大声で駅員を呼んだ。駅員に時刻を尋ね、それを記憶してもらった上で、警察への通報を依頼。警察官は5分ほどで駆けつけたという。男性にけがはなく、白杖も折れずに済んだ。

防犯カメラが捉えていた
 約1カ月後、30代の男性容疑者が警視庁に暴行容疑で逮捕された。警視庁神田署によると、容疑者はトイレを利用中、ドアに白杖の当たる音を聞き「せかされているような気がして、途中で用を足すのをやめた」と話しているという。

 おおむね容疑を認めているものの「リュックを蹴ったが、体を蹴った覚えはない」「トイレのドアを開けた時、つえをついてリュックを背負っているおじさんがいたのは覚えているが、目の不自由な人であるとは知らなかった」とも話したという。同署は容疑者を釈放し、任意で捜査を続けている。

 今回は現場近くの防犯カメラが一部始終を捉えていた。同署は逮捕に至った要因について「防犯カメラがあったことは大きい」とする。ただ、防犯カメラは録画画像に保存期限があるため「ためらわずに早く通報してほしい」と呼びかける。

「みんな泣き寝入り」
 当時を怒りを持って振り返る男性も、逮捕までは「また同じ目に遭うのではないか」と不安に駆られた。

 こうした暴力を受けたのは初めてだが、白杖を使い始めた約15年前からこれまでに折られた白杖は7本に上る。自転車や自動車の車輪への巻き込みや歩行者との衝突によるものだ。大抵は何も言わず、逃げられる。

 点字ブロックの上に立ったままの人にぶつかったり「どけ」「早く歩け」と言われたりしたこともある。初めは何も言えなかった男性も、約10年前に埼玉で盲導犬が刺された事件や盲学校の女子生徒が点字ブロック上で足を蹴られた事件以来、声を上げようと意識を変えた。それが今回の逮捕につながった。

 男性が暴行を受けたことを視覚障害のある知人らに話すと、ぶつかって暴言を吐かれたり殴られたりしたほか、抱きつかれた女性もいた。「日常茶飯事で、みんな泣き寝入り。だから、自分の経験を他の視覚障害者や視覚障害のない人にも知ってほしい」。男性は力を込める。

「勇気を持って行動を」
 日本視覚障害者団体連合(東京都新宿区)によると、年間2000件ほど寄せられる相談のうち「車に白杖が巻き込まれて折れた」「白杖歩行していて停車中の自動車にぶつかり文句を言われた」などのトラブルは数件にとどまる。多くは相談がないまま泣き寝入りしていると推測されるという。

 会長で弁護士の竹下義樹さん(73)も白杖を折られそのまま逃げられた経験を多く持つ。竹下さんは今回の事件を受け「理不尽な無理解がなくなり、視覚障害者の安全が守られ、惨めな思いをさせられることがなくなってほしい」と話す。その上で、視覚障害者にこう呼びかける。「被害に遭ったら、社会を変えるためにも、被害届を出すなど勇気を持って行動してほしい」【谷本仁美、松本惇】

感想
 視覚障害者の朗読ボランティア2~3年をしたことがあります。
また、ボランティア仲間に視覚障害者がいて、ガイドヘルプをしたこともあります。
 一緒にバリアフリーを考えたので、いろいろな話を聞きました。

 白杖は視覚障害者にとって目ですが、それを折られることがよくあるそうです。
また点字ブロックに自転車が止めてあり、怖い思いをしたこともあると言われていました。

 学校教育で、やはり視覚障害者の方のお話を聞く機会を設けていただきたいです。
知らないとわかりません。
知ると何をすることがヘルプになるかわかります。

①弱視の方は拡大鏡を持っているが、明朝体だと虫食い字を見ているそうです。
②白杖を持っている右手は、視覚障害者にとっては目になります。
 その手をつかまないで欲しい。
③ガイドヘルプするときは、右肩に掴まってもらう。

 道がわからなくなっているか、それとも人を待っているのかを見て、道がわからなくなっているかもしれないと思ったときは、声をかけるようにしています。