英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

女流棋士誕生35周年記念パーティ⑧

2009-06-19 22:53:55 | 将棋
 女王様に謁見したあと、ふわふわ気分でふらついていると、山口女流1級と再び遭遇。どこぞのおじさんと話している。このおじさん、辺りをきょろきょろ、手にはカメラが。
 私と目が合い、
「兄さん、写真撮ってあげようか?」
 お、まず、私に恩を売って?から、自分もツーショットを撮ってくれというのだ。なかなか、紳士的ではないか?
「では、お言葉に甘えて、お願いします。シャッターをゆっくり押していけばいいです」
 と、簡単な説明をして、私のデジタルカメラを渡す。
 渡しながら、期待していた、あるお約束を。

 「では、撮りますよ」
と、おじさんは言いつつ、デジタルカメラを目のところに持っていく。光学カメラ(従来のカメラ)で撮るときのポーズです。
 でも、ファインダーはないので、当然被写体は見えません。

 やってくれました!(喜)
 おじさんも、間違いに気づき、デジタルカメラの画面をのぞいて、上手にとってくれました。その写真がこれです。



 おじさん、ありがとね。


 その後、徘徊していると、斜め前方に千葉女流三段が。
「あっ、千葉さんだ~」
と声を掛けると、
「はい、千葉ですぅ~」
と。
 はは、イメージ通りでした。それに、めちゃめちゃスリム。
「清水さんとのタイトル戦は、すごく面白かったです。
 わけのわからなくて、すごくレベルが高かったです」
 今考えると、ちっともほめ言葉になっていないなあ。
 でも、あの時の将棋は、難解ですが、一本筋が通っていて、質の高い将棋でしたよ。最近は、ちょっとさびしいなあ。


 ここで、小暮さん、何と、yutanpoさんを見つけてきてくれました。
 ネットでは、意見のやり取りをしていましたが、実際に顔を合わすと、変です。
 ブログから受けていた彼の印象は、論理的で客観的で、それでいて、女流棋士に関しては相当の愛が感じられた。
 実物もそんなイメージ通りでした。それに優しそうで、どこか上品な感じがした。
「はじめまして…で、いいですよね」

 最初は緊張気味だったが、現在の棋界についてや、過去の思い出なんかを楽しく語り合えました。
 かれも、小暮さんの計らいで、お目当ての女流棋士・室田女流初段とツーショットを撮りました。私がシャッターを押したのですが、大丈夫だったかな。

 彼との話も楽しかったのですが、私はもう一人の標的に的を絞った。
 その標的とは、もちろん……
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フリー女流棋士

2009-06-19 22:05:45 | 将棋
 周知の通りと思いますが、北尾女流棋士がLPSAを脱退して、「フリー女流棋士宣言」をしました。正式に脱退となったのは彼女が参加していたLPSA主催の棋戦が終了した6月15日とのこと。

 彼女のブログの6月1日の記事では(16日のブログで退会の詳細が書かれていますが、これについては後述)
「今後は日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会のどちらの団体にも所属しない、フリーの女流棋士として、対局はこれまで通り続けていくことを希望しております。また、将棋界のさらなる発展のため、幅広い普及活動を行っていく所存です」

 とあります。

 この時点の疑問点
①フリー女流棋士になって何がしたいのか?
②そもそも、フリー女流棋士ってどういうものなのか?


①フリー女流棋士になって何がしたいのか?

 彼女の夫、片上六段のブログによると
「彼女とたくさん話し合った結果、より自由な形でいままでの枠組みではできなかった活動をしていきたいという、彼女の意思を尊重することにしました」
とあります。
 なのでLPSAでの彼女の思いと組織の方針が一致しない何かがあったと推察されました。でも、「自由な形でいままでの枠組みではできなかった活動」とは、どういうものなのでしょう?

 あとは、これは邪推ですが、「どうぶつしょうぎ」のリケンに関することでもめたのかもしれないとも思いました。


②そもそも、フリー女流棋士ってどういうものなのか?

 「フリーの女流棋士として、対局はこれまで通り続けていくことを希望しております」が、「フリー女流棋士」って何?
 まあ、大体のどういうものかは想像ができますが、そういう制度や資格はなかったはず。いきなりフリー女流棋士宣言をしても、そのものが定義されていないのですから、筋が通りません。もし、宣言するのなら、せめて、自ら定義をする必要があったでしょう。

 それはさておき、「対局はこれまで通り続けていくことを希望」というのは、虫が良すぎるというのが第一感です。
 現在、公式戦とされている棋戦は、将棋連盟とスポンサーとの契約の上に成り立っていると思います。これは、将棋連盟が長年培ってきた財産です。だから、将棋連盟に属さない元女流棋士が公式棋戦に参加するのはおかしいです。
 本人もこれを理解して、お願いしているのだと思いますが、やはり虫がいいとしか思えません。
 羽生名人や谷川九段のように連盟に大きく貢献してきたのなら、そういう立場を認めると言うのは納得できるかもしれません。

もちろん、本人の事情も理解はできます。公式戦で成績を上げるのを第一としてきたはずですし、普及の面から考えても、現役棋士というほうが何かと都合がいいです。
 ただ、それを望むなら、やはり組織に残るべきでしょう。組織を飛び出して、従来の待遇を望むのは甘いです。組織にいる制約と組織からの保護、相反する要素を考慮して決断をするべきで、北尾女流棋士の「フリー女流棋士宣言」はわがままであるとしか思えません。


 こういう批判ももちろん予想しての彼女の行動で、私戸の部外者が批判しても仕方がないかなと思っていたら、新たな動きがありました。

 まず、北尾女流のブログの『退会』(6月15日記事)です。

 それによると、LPSAの運営方針と彼女の思いがずれてきてしまったことが理由とのことです。
 LPSAを立ち上げた際、分裂したがまた女流全員が一つになることを目標としてきたはずだが、最近の連盟とLPSAのやり取りを見ていると、そうは思えず、北尾女流棋士は理事として棋士としてその方向修正に努めたが、どうにもならず、今後はフリーの女流棋士として活動していくと述べています。

 でも、フリーとして活動していくことが、女流が一つになることにつながるとは思えませんし、具体的な方針、活動も語られていません。
 これでは、単に、組織に嫌気がさして飛び出してしまったとしか思えません。


 さて、もうひとつ、動きが。
 マイナビ女子オープンサイト(6月18日)にて、
マイナビ女子オープン フリー女流棋士の出場について

第3期マイナビ女子オープンが7月25日の公開一斉予選対局をもって開始されるにあたり、所属団体から独立したフリー女流棋士の出場について、主催三者で協議の上、以下のように決定いたしましたことを発表いたします。

当棋戦への対局を希望するフリー女流棋士に対して、円滑な棋戦運営を継続するため、以下の条件のもとに出場を認めることといたします。

当該棋士本人と日本将棋連盟又は日本女子プロ将棋協会が公認フリー棋士として1期ごとに契約をすること。

北尾まどか女流初段については、日本将棋連盟が公認したフリー棋士となるため、マイナビ女子オープンへの出場を承認いたします。

北尾まどか女流初段より
「フリーの女流棋士にも出場権を認めて下さいましたマイナビ女子オープン主催者の格別のご高配に心より感謝いたします。せっかく与えていただいた機会をいかせるよう、全力を尽くして対局に臨みます」

株式会社 毎日コミュニケーションズ
社団法人日本将棋連盟
一般社団法人日本女子プロ将棋協会>



 棋戦開催が迫っていたとはいえ、こんなに簡単に認めてしまっていいのでしょうか?
 今後、「それなら私も」と「フリー女流棋士宣言」をする女流が現れたらどう対処するのでしょうか?
 もし、二人目が現れた場合、これを却下した場合、「北尾女流がよくて、どうしてわたしはいけないの?」と反論されたらどうするのでしょうか?
 対局料半額、今後一年間で何勝以上とかの資格維持条件などを設けたのでしょうか。それなら納得、牽制できるかもしれません。また、宣言資格取得条件としてタイトル3期保持など決めたのでしょうか?

 今回の連盟の対応は、ずさんとしか言えません。


 LPSAのフリー女流棋士に対する見解が出されていました。
『フリー女流棋士の対局権利に対するご説明』(6月16日)

 LPSAは「フリー女流棋士」という立場(資格)については、かなり疑問視しているように感じられます。
コメント (2)
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『臨場』 第9話「餞~はなむけ」 【補足】追加

2009-06-19 10:56:07 | ドラマ・映画
 作ったような話(実際そうなのですが)でした。あまりに作為的なご都合主義は好きじゃあないのですが、今回はあまりにも見事なオチなので、ショートショート的な面白さを感じました。

★美人女子大生殺し
 鍵がかかっていたことで、容疑は身内や管理人に向けられた。ところが、犯人は玄関から出て行ったのではなかった。
 ではどこから?……押入れから天井裏を通って出入りした!犯人は密室とか容疑を他者に向けるとかいう意図はなく、犯人にとっては必然の経路だったのですね。
 こりゃ、一本取られた!

 しかし、被害者の切った爪が犯人の足の裏に付着して、犯人の行方をたどるというのは、少し苦しい。
 それより、押入れから忍び込んだ時点で、欲望に任せての場当たりの犯行で、天井裏の誇りなどを押入れや部屋に撒き散らしていると考えられます。爪を捜すまでもないでしょう。

★認知症老人の思い
 毎年送られてくる年賀状にまつわる小松崎刑事部長(伊武雅刀)のエピソードを語りたかったために、無理やり小松崎の生みの親に凶器を拾わせたのはかなり無理やりの展開。でも、そうしないと、倉石(内野聖陽)との接点が生じない。また、ひとつの手がかりとなる似顔絵も書かれなくなります。

 認知症の老女が森に行くわけは?
 ………ジュウイチという鳥の鳴き声を聞くためだった。

 ジュウイチはカッコウ同様に托卵の習性、つまり、他の鳥の巣に自分の卵をおいて自分の代わりに育てさせるのであるが、この托卵と、この老女が息子の小松崎を養子に出すことを重ねさせ、その鳴き声の「ジュウイチ」が小松崎の名の「周一(しゅういち)」に聞こえる。息子の名前が呼ばれるこの空間が好きだったのです。

 しかも、小松崎はその母の思いを知り、母とのカレーライスの記憶を思い出す。小松崎のカレーのルーツはこれだったんですね。

 あと、母は自殺だったのかの問いに、倉石は
「自慢の息子を持った親が自殺をするはずがない」
という言葉に、ジーンときました。


 退官云々で、特に焦りまくる立原(高嶋政伸)らは、いらない。別に退官を絡ませなくてもよかったのでは。

【補足】
 老女役の佐々木すみ江さん、ほとんど、セリフらしいセリフはないのですが、ジーンとさせてもらいました。この方も『ハンチョウ』に出演されていらっしゃいますね。
コメント
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