英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『八重の桜』 第33話 「尚之助との再会」

2013-08-19 23:35:30 | ドラマ・映画
 ドラマを視聴直後は、名台詞や名シーンが目白押しと感じる。
 今回の場合、≪八重・覚馬と岩倉具視・木戸孝允の対峙シーンが一押しかな≫と思っていたら、八重と庄之助の別離のシーンが、押しのけて“一押し”の座に就いてしまった。
 しかし、改めてレビューを書く段になると、いろいろ引っかかりを感じてしまう。


 それはさて置き、今回の一押しシーンは

「私の妻は、鉄砲を撃つおなごです。
 私の好きな妻は、夫の前を歩く、凛々しい妻です。
 八重さんの夫になれた事が、私の人生の誇りです。

 もう二度とここに来てはいけません。
 あなたは新しい時を生きる人だ。

 生きなさい(行きなさい)」


「待ってっからし。
 前を歩いて、京都でずっと待ってっから。

 旦那様……」

「それでこそ、八重さんだ」


 自分(尚之助)が、八重の人生の妨げになってはいけない。

 ≪八重が前を歩いて、自分は後ろから見守り、支える≫
 八重と一緒になることを決めた時、尚之助はそうあろうと決めたのだろう。
 八重が後戻りして、自分に尽くすことは、その考えとは逆で、尚之助には耐えられないことであったのだろう。


 再開した尚之助は、寺子屋みたいなことをしている自分を「身の丈に合ったこと」と自嘲し、「八重は新しい時を生きる人間」として「自分はそうではない」と見切ってしまっていた。
 詐欺で訴えられ裁判中の身。藩の為に自ら申し出たとはいえ、藩から見限られ、しかも、その会津藩も存在しない(薩摩も長州もなくなったが)。そんな状況では、尚之助も彼らしくない後ろ向きの思考に傾くのも仕方がないが、彼自身、自分の体がもう長くないと自覚していたのが大きな要因なのだろう。

 庄之助の考えを理解した八重も、尚之助の意志に従う。
 涙の別離で、お互いに分かり合い、愛し合った二人の気持ちを思うと、胸が苦しくなるシーンだった。

 であったのだが……
 考えてみると、この二人の関係は対等ではない。
 先のない、障害となるだけの身上とは言え、『尚之助が八重のために身を引き、八重はその気持ちを汲んで前に進む』というと聞こえが良いが、『八重は尚之助の気持ちに甘えて、窮地の彼を見捨てた』のだ。
 一般のドラマの主人公なら、自分の夢は捨てて(一旦あきらめ)庄之助に尽くすのだろう。しかし、そこは大河ドラマの主人公(史実に反することはできないし)、鬼の選択をする(≪涙でごまかした≫というきもしないではない)。
 これ、この二人の性別が逆ならしっくりくるのかもしれない。私が、このヒロインの選択に引っ掛かりを感じたのは、古い人間だから?
 このシーンは、ヒロインである八重が庄之助と簡単に離縁になったのではなく、深い夫婦愛があったカラカラであることを強調したかったという狙いがあったと推測されるが、今回、無理に鬼の選択をさせなくても、尚之助の死後に、彼の真意を知って悲しむという方が自然だった。

 さらに
 このシーンに至る今回の展開に、脚本の苦心(強引さ)を感じてしまう
 展開は
 槇村正直(嶋政宏)が、業務妨害の容疑で捕まり東京に拘留された。覚馬は、槇村の後見人である木戸孝允(及川光博)にとりなしを頼むため、八重(綾瀬はるか)を連れて東京へ向かう。結局覚馬の申し出は聞き入れられなかったが、時を同じくして起きた政府内の分裂によって槇村は釈放される。(番組サイトのあらすじより)
 であるが、

 八重と覚馬が東京に行って槇村釈放を陳情したことは無意味で、もちろん、人生には無駄な努力や行為は星の数ほどあるので、別に批判される展開ではない。
 だが、今回の上京は、八重と覚馬が岩倉具視・木戸孝允に痛烈な言葉を浴びせる為と、八重と尚之助を第一種接近遭遇(ニアミス状態)させ庄之助の健康状態を視聴者に示唆する為であると思えてならない。


八重岩倉・木戸
「藩を自分たちで壊しておきながら、まだ佐賀だ長州だとこだわられるのは、いささか滑稽。
 権力は政治を動かす道具に過ぎぬ。たかが道具に足を取られて、まともな政ができますか?」(覚馬)
「教えてくなんしょ。あなた方には、いったい、どんな新しい国の姿が見えているのですか?
 誰もが学校に行けて、病院に掛かれて、ドリームが語れる。そんな日本が見たくて、槇村様と兄は働いているのです。槇村様のこと、どうかご再考を」
 言いたいことだけ言って、最後に頭を下げる。うまいなあ。
   

幕府を壊した功労者たちの残念な扱い
 上述したように、八重と覚馬が痛烈に「将来のビジョンを持たず、権力争いに明け暮れている」と批判し、槇村も「命懸けで幕府という錆びついた国を壊しててくれた。だが、壊しただけ」の岩倉具視、大久保利通、板垣退助、木戸孝允。西郷隆盛だけ大人物に描き、彼らを志の低い輩扱い。
 長き徳川幕府と鎖国で遅れていた日本が、必死で西欧列国に追いつこう努力したであろう彼ら、残念な扱いだ。


 更に残念なのは、三条実美
 久々に登場したというのに、板垣退助らに詰め寄られ、仮病でごまかそうとしただけ。しかも、仮病はひと目で見破られ、見限られただけ。(卒倒したのは事実らしい。ただし、自宅で) 

一見、無茶苦茶な槇村正直、大いなる志を持っていたようだが…
『覚馬の発案、槇村の決済、明石が実行、この三人の京都の近代化』
と、持ち上げていたが、槇村が有能な人物に思えない。権力に任せてゴリ押しするだけ。


よく分からない征韓論
・征韓論、それぞれの主張の理屈がわからず、板垣退助・江藤新平と岩倉具視・大久保利通の対立点がはっきりしない
・士族の憤りを治めたい西郷の考えは分かるが、征韓論とその憤りをどう決着したかったのか、大久保の思惑もよく分からない。


 そして、今回、最も疑問に思ったのが、新島襄の演説
 今回、英語教師の「あなたの夢は何ですか?」という問いに「学校をもっと大きくして、もっと学びたい」と答えていて、それは、新島襄が訴えた「苦しんでいる人々や、祖国日本を救うため、学校を作りたい」という思いが一致していた。
 しかし、新島が内乱が起こり日本が喘いでいることを憂い、人々を救いたいという思いに至った人生が語られていない。彼がなぜ密航をしたのかよく分からないし、遠いアメリカに居て、激動の日本をどれだけ知り得たのだろうか?

 八重と庄之助の別離に迂闊にも感動してしまったが、その直後、取って付けたような新島の演説を聞いて私は白けてしまったが、そう思ったのは私だけなのだろうか?
 次回のタイトルは「帰ってきた男」らしいが、「帰ってきた」と言われてもねえ……



【ストーリー】番組サイトより
 覚馬(西島秀俊)の仕える槇村正直(嶋政宏)が、業務妨害の容疑で捕まり東京に拘留された。覚馬は、槇村の後見人である木戸孝允(及川光博)にとりなしを頼むため、八重(綾瀬はるか)を連れて東京へ向かう。結局覚馬の申し出は聞き入れられなかったが、時を同じくして起きた政府内の分裂によって槇村は釈放される。
 その後、勝海舟(生瀬勝久)から尚之助(長谷川博己)の居場所を聞いた八重は、尚之助が住む浅草へ行く。しかし、再会の場にいたのはやつれきってすっかり生気をなくした伴侶の姿だった。尚之助が斗南藩のために罪をかぶったことを知った八重は、夫の力になるべく再び共に暮らしたいと訴えるが、その思いはかなわなかった。
コメント (2)
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