今回は八重、母となるがテーマ
久栄の母となろうとする八重だが、久栄には母と認めてもらえない。
まあ、前話の久栄と時栄の母娘の仲を取り持とうと、憎まれ役を演じたことが裏目に出ていることが要因ではあったが、久栄に「母を追い出した人に頼るわけにはいかへん」と言われるまで、自覚はなかったようだ。
みね、襄の父・民治が語る“母(親)となるための教え”
みねが出産、しかし、産後の肥立ちが悪く……。そして、襄の父・民治までも……
回想シーン(久栄への形見としてペンを八重に託す)はあるものの今生の別れのシーンはなく、民治に至ってはナレーションのみ。
「平馬が生まれて、やっとこれからという時に……なじょしてぇ………
あぁぁ…神様が居んのなら、私の命を持ってってくなんしょ……
みねも…平馬も……久栄も…みんな、なじょして母親と別れねばなんねえんだぁ!」
悲痛な佐久の叫びだ。確かに佐久が一番、人生の別れの辛さを味わっている。
夫・権八、次男・三郎も戦死、長男・覚馬とも長年生き別れのうえ、再会の際には覚馬も体を痛めていてたうえ、「うらと時栄の問題」、さらに「跳ねっ返り過ぎ」の娘・八重……心労が続くなあ。
「子は思うようにはならんと言うことを、心得ておくといい」
と、親の宿命(心構え)を教える。言った後、襄の方を見やりにやっと笑う。味のあるシーンだ。
さらに、
「断りもなくアメリカに渡ってくれてよかった。相談されたら、反対せねばならんところだった。
子を信じ切るということは、親にとって一番難しい」
とも。これは、駆け落ちの前振りとも。
また、みねからは、赤子の抱き方を指導される。
しかし、弟、二人の姪がいるというのに、赤子の抱き方が下手とは……。
「久栄には好きなことをして欲しい」と八重に告げもした。
幼なじみ・ユキが語る“母となるための助言”
久々登場のユキ、≪年、取ってねえ。若過ぎだろ≫と思ったが、意外と落ち着いた地味な和装が似合う。息子を叱る姿も悪くない≫と思った。
母としての迷いを見せる八重に
「八重姉さまらしくねえなあ。
壁にぶつかっても、自分の決めた道を行くのが八重姉さまだ。
迷った時は、“母親らしく”ではなく、“八重姉さまらしく”やってみたらどうだべ」
“八重らしく”というのが、“迷わずに進め”なのか“自分のやりたいようにやれ”なのかは、はっきりしないが、どちらにしても、自分の思うまま突き進んできた八重に、この言葉は危険なアドバイスだと思った。
ユキの本意は「母親らしく」ということに囚われるなということだろうが。
会津戦での回想シーンがあり、その後の生活苦や、薩摩人との結婚の際の苦労が語られたが、この辺りはお座なり的に流しただけに感じた。
薩摩出身の夫を紹介する際、ユキが少しビクビクして八重の表情を窺っていたのは良い演技だった。
八重がそれを知り、にっこりとして挨拶するのを見て、ほっとしていたユキだが、これはかなり残念な演出(脚本)だ。
20年の年月が流れたとはいえ、八重のその後を知らないユキは、薩摩人である夫に対し、≪八重が鉄砲を取りだし撃たないか≫は大げさだが、夫に対し悪口を叩かないかぐらいの心配をしたはずで、その後の二人の会話で、八重の気持ちを問いただしそうなものである。
佐久が語る“母となるための助言”
失恋の痛手に八重の前から走り去る久栄を追おうとする八重を
「さすけねえ(大丈夫だ)」と
娘を信頼せよと制止する。
「自分が傷つくより、ずっと辛え」という八重に
「母親はみんなそうだ」と佐久。さらに
「跳ねっ返りの娘を持つと、苦労すんべ」とチクリ。
上っ面の恋と徳富健次郎の情熱
母親を追い出され、母の汚名の為居心地の悪さを感じていた久栄と、優等生の猪一郎に劣等感を感じていた健次郎、相通じるものを感じた二人は惹かれあった。
しかし、恋に逃げようとした久栄と、ならぬ恋で駆け落ちをするという設定に憧れを抱いただけの健次郎。二人の恋は上っ面のもののように感じた。
八重もふたりに浮ついたものを感じ、ふたりを止めようとしたが、
小説家としてやっていく自信はない。情けない人間だと吐露し、
「兄貴が憎うて……………羨ましか。
それが人間じゃなかですか。そぎゃん自分ば堪えて、まっとうな人間になろうと、みんな必死でもがいていとっとかなかですかっ。
俺は…………俺はそぎゃん人間の本当ば書きたか。書かんと自分じゃおられん。
食べるために小説ば書いとるんじゃなか、小説ば書くために食べるとっ!」
と、熱い思いを訴える健次郎を認め
「応援する。ただ、駆け落ちは駄目だ。里帰りはできなくなる。
苦労と不幸は違う。健次郎さん、久栄のこと、必ず幸せにしてくなんしょ」
とふたりの背中を押した。
久栄も八重を母と認めたようだ。
八重の性格だと、「上っ面の恋だ」とか「お前と一緒にいると久栄が不幸になる」と、健次郎に金を持たせて東京に追っ払うのが、八重らしいと思うのだが……
しかし、
健次郎はひとりで東京に行ってしまう。
小説家としての自信はなく、東京に言っても苦労するだろう。
そんな苦労を久栄にさせたくないということもあるが、≪久栄とふたりでいると、生活の為、執筆に専念できなくなる≫というのが本心であろう。
【その他の感想】
「近頃の若いもんは……」
「八重もそういうことを言う齢になったか。私も娘の頃は“近頃の若いもんは…”と言われたもんだ」
佐久は自分の若い頃を例えて場を和ませたが、≪八重にそんなことを言われたくない≫と大多数の視聴者が思っただろう。
それにしても、「近頃の若いもの」=「明治の生まれ」という図式に驚き、佐久でさえそんなことを言われたという事実……永遠に繰り返す「世代間の感覚や常識のズレ」かも。
【ストーリー】番組サイトより
母・時栄(谷村美月)が覚馬と離縁し、山本家を出ていって以来、ふさぎ込む久栄(門脇麦)。八重(綾瀬はるか)は、母親代わりになろうと久栄を気遣うが、なかなか心を開いてくれない。
そんななか、久栄がただひとり心を許したのが徳富猪一郎(中村蒼)の弟・健次郎(太賀)だった。優秀な兄といつも比較され肩身の狭い思いをしている健次郎と、山本家に居心地の悪さを感じている久栄。2人は悩みを打ち明け合ううちに、結婚を意識し合うようになる。しかし、その展開に八重が猛然と待ったをかける。
久栄の母となろうとする八重だが、久栄には母と認めてもらえない。
まあ、前話の久栄と時栄の母娘の仲を取り持とうと、憎まれ役を演じたことが裏目に出ていることが要因ではあったが、久栄に「母を追い出した人に頼るわけにはいかへん」と言われるまで、自覚はなかったようだ。
みね、襄の父・民治が語る“母(親)となるための教え”
みねが出産、しかし、産後の肥立ちが悪く……。そして、襄の父・民治までも……
回想シーン(久栄への形見としてペンを八重に託す)はあるものの今生の別れのシーンはなく、民治に至ってはナレーションのみ。
「平馬が生まれて、やっとこれからという時に……なじょしてぇ………
あぁぁ…神様が居んのなら、私の命を持ってってくなんしょ……
みねも…平馬も……久栄も…みんな、なじょして母親と別れねばなんねえんだぁ!」
悲痛な佐久の叫びだ。確かに佐久が一番、人生の別れの辛さを味わっている。
夫・権八、次男・三郎も戦死、長男・覚馬とも長年生き別れのうえ、再会の際には覚馬も体を痛めていてたうえ、「うらと時栄の問題」、さらに「跳ねっ返り過ぎ」の娘・八重……心労が続くなあ。
「子は思うようにはならんと言うことを、心得ておくといい」
と、親の宿命(心構え)を教える。言った後、襄の方を見やりにやっと笑う。味のあるシーンだ。
さらに、
「断りもなくアメリカに渡ってくれてよかった。相談されたら、反対せねばならんところだった。
子を信じ切るということは、親にとって一番難しい」
とも。これは、駆け落ちの前振りとも。
また、みねからは、赤子の抱き方を指導される。
しかし、弟、二人の姪がいるというのに、赤子の抱き方が下手とは……。
「久栄には好きなことをして欲しい」と八重に告げもした。
幼なじみ・ユキが語る“母となるための助言”
久々登場のユキ、≪年、取ってねえ。若過ぎだろ≫と思ったが、意外と落ち着いた地味な和装が似合う。息子を叱る姿も悪くない≫と思った。
母としての迷いを見せる八重に
「八重姉さまらしくねえなあ。
壁にぶつかっても、自分の決めた道を行くのが八重姉さまだ。
迷った時は、“母親らしく”ではなく、“八重姉さまらしく”やってみたらどうだべ」
“八重らしく”というのが、“迷わずに進め”なのか“自分のやりたいようにやれ”なのかは、はっきりしないが、どちらにしても、自分の思うまま突き進んできた八重に、この言葉は危険なアドバイスだと思った。
ユキの本意は「母親らしく」ということに囚われるなということだろうが。
会津戦での回想シーンがあり、その後の生活苦や、薩摩人との結婚の際の苦労が語られたが、この辺りはお座なり的に流しただけに感じた。
薩摩出身の夫を紹介する際、ユキが少しビクビクして八重の表情を窺っていたのは良い演技だった。
八重がそれを知り、にっこりとして挨拶するのを見て、ほっとしていたユキだが、これはかなり残念な演出(脚本)だ。
20年の年月が流れたとはいえ、八重のその後を知らないユキは、薩摩人である夫に対し、≪八重が鉄砲を取りだし撃たないか≫は大げさだが、夫に対し悪口を叩かないかぐらいの心配をしたはずで、その後の二人の会話で、八重の気持ちを問いただしそうなものである。
佐久が語る“母となるための助言”
失恋の痛手に八重の前から走り去る久栄を追おうとする八重を
「さすけねえ(大丈夫だ)」と
娘を信頼せよと制止する。
「自分が傷つくより、ずっと辛え」という八重に
「母親はみんなそうだ」と佐久。さらに
「跳ねっ返りの娘を持つと、苦労すんべ」とチクリ。
上っ面の恋と徳富健次郎の情熱
母親を追い出され、母の汚名の為居心地の悪さを感じていた久栄と、優等生の猪一郎に劣等感を感じていた健次郎、相通じるものを感じた二人は惹かれあった。
しかし、恋に逃げようとした久栄と、ならぬ恋で駆け落ちをするという設定に憧れを抱いただけの健次郎。二人の恋は上っ面のもののように感じた。
八重もふたりに浮ついたものを感じ、ふたりを止めようとしたが、
小説家としてやっていく自信はない。情けない人間だと吐露し、
「兄貴が憎うて……………羨ましか。
それが人間じゃなかですか。そぎゃん自分ば堪えて、まっとうな人間になろうと、みんな必死でもがいていとっとかなかですかっ。
俺は…………俺はそぎゃん人間の本当ば書きたか。書かんと自分じゃおられん。
食べるために小説ば書いとるんじゃなか、小説ば書くために食べるとっ!」
と、熱い思いを訴える健次郎を認め
「応援する。ただ、駆け落ちは駄目だ。里帰りはできなくなる。
苦労と不幸は違う。健次郎さん、久栄のこと、必ず幸せにしてくなんしょ」
とふたりの背中を押した。
久栄も八重を母と認めたようだ。
八重の性格だと、「上っ面の恋だ」とか「お前と一緒にいると久栄が不幸になる」と、健次郎に金を持たせて東京に追っ払うのが、八重らしいと思うのだが……
しかし、
健次郎はひとりで東京に行ってしまう。
小説家としての自信はなく、東京に言っても苦労するだろう。
そんな苦労を久栄にさせたくないということもあるが、≪久栄とふたりでいると、生活の為、執筆に専念できなくなる≫というのが本心であろう。
【その他の感想】
「近頃の若いもんは……」
「八重もそういうことを言う齢になったか。私も娘の頃は“近頃の若いもんは…”と言われたもんだ」
佐久は自分の若い頃を例えて場を和ませたが、≪八重にそんなことを言われたくない≫と大多数の視聴者が思っただろう。
それにしても、「近頃の若いもの」=「明治の生まれ」という図式に驚き、佐久でさえそんなことを言われたという事実……永遠に繰り返す「世代間の感覚や常識のズレ」かも。
【ストーリー】番組サイトより
母・時栄(谷村美月)が覚馬と離縁し、山本家を出ていって以来、ふさぎ込む久栄(門脇麦)。八重(綾瀬はるか)は、母親代わりになろうと久栄を気遣うが、なかなか心を開いてくれない。
そんななか、久栄がただひとり心を許したのが徳富猪一郎(中村蒼)の弟・健次郎(太賀)だった。優秀な兄といつも比較され肩身の狭い思いをしている健次郎と、山本家に居心地の悪さを感じている久栄。2人は悩みを打ち明け合ううちに、結婚を意識し合うようになる。しかし、その展開に八重が猛然と待ったをかける。