英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『ダンダリン 労働基準監督官』 第10話

2013-12-06 20:52:01 | ドラマ・映画
 今回は、労働基準云々の話ではなく、凛個人、人間として、そして、生き方にまつわるドラマであった。
 頑ななまでの凛の監督官の仕事ぶりを形成した原因はなんだったのか?それはいつからだったのか?葬儀の時、なじられたシーンがあったが、死に追いやった原因は凛にあるのか?その事件以前の凛はどういう性格だったのか?
 これまで労働問題に対する凛の処し方や考え方も興味深く、面白く、それとは離れたドラマとなってしまうのは、少々残念だが、上記の疑問も非常に気になるので、文句はない。



★謎の人物、正体を現す!
「大切なモノが踏みにじられる痛みを知れ」
「仕事を奪われることの悲しみを知れ」というメッセージを送っていたが、凜の友人で社会労務士の岸本が飛び降りたビルの屋上で、正体を現す。

 1年前、凜が指導して倒産した会社の社長だった。アプリドリームの飯野社長(旧姓御子柴)
 会社を潰してしまったせいで、婿養子だった御子柴は離縁され、家族も失ってしまった。

 恨みが原動力であったとはいえ、1年であれほどの会社を作り上げるのは信じがたい。物理的(時間的)にも無理だし、恨みに凝り固まって、関係ないものを陥れるような人間に人がついてくるものなのだろうか?

「お前(凛)が動き続けることで無関係の人間が傷つく……その方が痛みが効果的だろ。
 若い監督官の南三条?お前の指導係なんかになったから、巻き込まれちゃったねぇ!へっへっ。
 西東京署の署長とかも、そう。南三条の件が明るみに出たら、キャリアも終わりだな!」


 最低だ。岸本という社労士の肉親かと思ったら………
 “賃金未払い”は自分の欲の為の悪行であり、“賃金未払い”で逮捕されただけで、会社って倒産するものなのか?……逆恨みもいいところだ。
 本人に復讐するのならまだしも、直接関係のない者を陥れ、傷つける……情けなさすぎるぞ!



☆カラオケで不安や悲しみや怒りを発散するより、もっと動けよ!
・西東京警察署の署長に、被害者女性の行方を捜索してもらう約束を取り付けた
・明日から、勤務終了後に「当日、その女性が自ら車に乗り込む」のを見た目撃者を探す
・強力な弁護士を探す

 (実際には動きづらいと思うが)カラオケなんてしていないで、今動けよ!人頼みが多いし。

 まあ、南三条の将来を考え、出来るだけ内密にしておこうとする署長の覚悟は格好良かった。



☆ある意味“ポジティブ”で、ある意味“ネガティブ”
「お友達からなら、いいですよっ!」って………
「“気持ち悪い”とか、“移動願い出しますよ”とか、最悪そこまで覚悟してたんですけど」………


☆それもそうだ
南三条がラブホテルに強引に女性を連れ込もうとし激しく抵抗されているところを警官に目撃されて、逮捕された!

「あの南三条さんが、何段階もいろんな事すっ飛ばして、女性とそんなことするとは思えませんが」

【ストーリー】
凛(竹内結子)のもとに、一通の手紙が届いた。中には南三条(松阪桃李)の写真とともに「大切なモノが踏みにじられる痛みを知れ」という謎のメッセージが…。凛が密かに南三条を心配する中、オンラインゲーム会社「アプリドリーム」に勤務する美月(石橋杏奈)が、残業手当についての相談で西東京労働基準監督署にやってきた。「アプリドリーム」の勤務時間の管理方法に問題がないことを確認した凛と南三条は、しばらくの間、美月の退社時間に内偵をかけて様子を探ることに。

内偵を開始して数日後、突然胡桃沢(風間俊介)から呼び出された凛は、南三条を現場に残して胡桃沢のもとへ。すると、一人で内偵を続けていた南三条の車に、美月が乗り込んできた。南三条から「内偵終了」の連絡を受けた凛は、胡桃沢との不毛な会話を不審に思いながらもそのまま帰宅してしまうのだが…。

翌日。平穏な朝を迎えていた土手山(北村一輝)たち監督課の元に、真鍋(佐野史郎)が血相を変えてやってきた。南三条が美月への暴行未遂容疑で逮捕されたのだ!このままでは南三条が冤罪で送検されてしまう。彼の無実を信じて疑わない凛は、「アプリドリーム」と美月の証言に対して抱き続けていた違和感の根拠を確かめるために、再び「アプリドリーム」へ。

美月の同僚の話から彼女への疑惑をますます深め、「アプリドリーム」の本社へ向かった凛。すると彼女の前に、思いがけず胡桃沢が現れた。南三条の逮捕の一件は、すべて彼の罠だったのだ。無感情に「死んでください」と言い放つ胡桃沢を前に、凛の決断は?同じ頃、相葉(賀来千香子)の元にも謎の男(柄本明)が現れて!?
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『相棒season12』 第8話「最後の淑女」

2013-12-05 22:33:35 | ドラマ・映画
相当なレベルの残念な回だった。

「失踪した管理人・矢島が、作家・夏川郷士を殺害して自殺に見せかけた」という仮説
 さゆりの母(屋敷の管理人の妻)の遺品から、夏河が書いたと思われるノートが発見され、そのノートの記述内容を検証して、仮説に辿り着いた。
 ノートの内容は、「ノートを書いた本人」が「あの男」が自分を殺すのではないかと思い怖れて、日常出来事にも恐怖を感じていたというものだった。
 単なる創作ノートなら取るに足らないモノだが、夏川郷士は「自然主義文学の影響を強く受け、自ら体験したことしか以外は書かないという偏狂な作風」だったので、実際の出来事だったのではないかと考えられる。
 そのノート内容を検証すると、屋敷の管理人の矢島が「あの男」に該当した……。

 もちろん、この仮説は相棒ファンなら一目瞭然のフェイク。さらに、大女優の岩下志麻が絡んでいて、大部分の視聴者が「彼女が犯人だろう」と予想したはずだ。(この際、そのまま終了してしまった方が、最大級の意表だったろう)
 しかし、ドラマでは右京が「僕としたことが迂闊でした」と慌てるところまで引っ張っていた。あり得ない!

★納得できない事象、残念な事象
①夏川は「自ら体験したことしか以外は書かない」などと評価されていたが、「自ら体験したことしか書けない低質な作家と言った方が良いだろう。それに、夏川は人を恐れるような繊細さは感じられず、ノートを書いた人物の印象と一致しない。
 実際、夏川は自尊心は強く傲慢で、最低の部類に属する人間だったようだ。

杜鵑(ほととぎす)の罪
 「あの声で トカゲ喰らうか 杜鵑」と江花須磨子(岩下志麻)は、「人間は見かけによらず、穏やかな顔をしていても、その裏にどんな醜い側面が隠されているか分からない」と示唆して。推理を逸らそうとした。
 それが功を奏して、「優しそうな矢島が過去に殺人を犯していたことが判明し、そのことで夏川になじられたか、脅されたかして、矢島が殺意を持った」という仮説が成り立った。

 実は、と言うか、これも相棒ファンなら容易に想像できた≪「杜鵑の罪」が杜鵑の習性の「托卵」(ウグイスなどに自分の卵を育てさせる)が、本当の罪だった≫ということ。とても驚愕の真相とは言えない。
 まあ、それは許容できるとして、「托卵」=「強姦」というのは少し意味が合わない。「托卵」なら、「須磨子がさゆりの実の母親で、矢島夫妻に育てさせた」でなければならない。


得意気に真相を語る右京だが……
「(僕たちは)大きな勘違いをしていたようです。冷静に考えれば、どうにも納得がいかない記述が、このノートには何ヶ所かありました」
 と語られても、「今更感」が強い
 「ノートを書いた人物」=「夏川」、「あの男」=「矢島」ではなく、「書いた人物」=「須磨子」、「あの男」=「夏川」であったことが、この話の自慢のカラクリであるようだが、「やっぱり感」しかなかった。
 一言でいえば、話がつまらないのである。

 多少、感心したのは「書き物の合間に広間に降りていこうとした瞬間」という記述が、1階に書斎がある夏川には一致しない。
 あと、ロビーの絵画の位置に右京が違和感をかんじたことぐらい。


そもそも、あのノートを、なぜ矢島の妻が所有していたのだろうか?
 夏川が書いたものなら、多少無理はあるが管理人であった矢島が保管していたとする説明が成り立つ。しかし、そのノートは須磨子が書いたもので、それを矢島の妻が持っているのは不思議過ぎる


「峯秋、いい人化計画」、着々進行
「あの頃の峯秋さんと同じ。真っ直ぐな目ね」
「このサロンは気取り澄ました俗物たちの集まりだったけど、あなたのお父様だけは違ったわ。
 私が唯一、信頼できる殿方でした」

 今シリーズ、峯秋をやけに持ち上げているような気がする。

 それはともかく、今回、「表向きのさゆりの援助者」って、おいしい役回りだ。
 
 それに、「真っ直ぐな目で信頼できる殿方」だったが、「夏川氏自殺」の真相には気づかなかったのだろうか?それとも、気がついていたが、胸にしまっていたのか?…
 だとすると、右京に調べさせたら、真実が明らかになることは容易に想像できたはず。
 単に、須磨子が好きだっただけとか(笑)


★些細な、でも、気になる点
「私の些細なミスで、あの男が怪我をした」
 テニスのダブルスのパートナーが怪我をしてしてしまうほどのミスが想像できない。
 ダブルスでの些細なミスと言えば、後衛が打ち損ねて、前衛の頭にボールが直撃だが、それで、腕に大怪我ということはない。大怪我するとしたら、息が合わず激突するか、スイングしたラケットがパートナーの腕に当たることぐらいだが、それだと「些細なミス」とは言わない。
 些細なミスで相手のチャンスボールとなり、強烈なスマッシュを受け損なって腕を負傷というのはあり得るかもしれないが、それは怪我をしたものが下手だっただけとも言える。


【ストーリー】番組サイトより
 右京(水谷豊)は、峯秋(石坂浩二)から小百合(大谷英子)という若い女性を紹介される。母の遺品から20年前に自殺した文豪・夏河郷士(野崎海太郎)が書いたと思われるノートを発見したというのだ。その内容から20年前の夏河の死は自殺ではなく、小百合の父が殺したのではないかと疑問を抱きはじめたという。さっそく捜査にかかる右京。
 米沢(六角精児)の鑑定では、ノートは確かに夏河によって書かれたものだという。
 右京は享(成宮寛貴)を連れて夏河が住んでいた慈朝庵と呼ばれている大豪邸を訪ねる。夏河の死後、篤志家である江花須磨子(岩下志麻)という女性がその屋敷を買い取っていた。右京らは須磨子の協力を得て、夏河の死が本当に自殺だったのか、それとも他殺なのか、屋敷内を調べ始める…。
 ノートに残されていた「ホトトギスの罪」とは一体なんなのか!?

ゲスト:岩下志麻

脚本:戸田山雅司
監督:橋本一
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『八重の桜』 第48話 「グッバイ、また会わん」

2013-12-02 22:28:50 | ドラマ・映画
八重と襄の愛と別れ
・襄を心配する八重、八重に心配を掛けまいとする襄
 大磯で療養していることを悟られまいと東京で葉書きを投函させる襄だったが、八重はその筆圧の弱さで襄の体調の悪さを悟る。≪襄さん、元気な時にはがきを書き溜めしておくべきだったね≫
 駅で切符を買っている時、蒸気機関車がホームに到着するシーン……力作だった。
 八重に病状を知ら知らせることを頑なに拒んでいたが、駆け付けた八重の姿を見て、素直に喜ぶのは襄らしいなあ。
・最後の別れ
 徳富蘇峰、小崎弘道らに10か条の遺言を託した後、聖書の「エペソ人への手紙(3章の7)」を読んでもらう。私はキリスト教については全く知識がないのだが、文面だけだと「神様の力が働き、神様の力を信じて生きてきた。ちっぽけな自分に神様の愛は与えられているが、自分はその神様の愛はすべてのものに与えられるものだと伝えなければならない」という意味と考えられるが、きっと、「自分がそう信じ、そのように生きてきたことを確認する」意味があり、それは最期の別れの時に読むものなのだろうと思うが、本当のところは私には分かりません。
 「八重をひとり残していくことが気がかり」、「まだ別れたくない」、「戦の傷や犯した罪も悲しみも、一緒に背負ってくれた。私を愛で満たしてくれた。ありがとなし」「私はあなたの笑顔が大好きだ」「私と襄は神様の絆で結ばれた離れることのない夫婦だ」
 「グッバイ、また会いましょう」……襄らしい言葉を残して、永眠。

勝海舟
「新島さん、あんたは日本にかけがえのないものをもたらしてくれた」
 う~ん、このドラマでは、「日本に」という言葉には違和感を感じる。
 襄は、ずっと寄付金集めしかしていない。


久々登場の元会津藩士たち
秋月悌次郎……懐かしかったが、何しにやってきたのだろう?あいさつ?顔見せ?…意義を探すと、≪襄の旨意書を読んで、奮い立った≫⇒勝海舟の言葉「日本にとってかけがえのないもの」を補足しているのだろう。今話の終盤、捨松の留学先での話も補足の意味合い。
梶原平馬……前半、頑張り過ぎて燃え尽きてしまった人だ。懐かしかったが、すでに亡くなっていての再登場は、氏らしいか。
山川二葉……今回登場は、平馬とテイの登場の必須条件?
水野テイ……二葉の命の恩人であるが、その二葉から忘れられていた。私も≪誰だっけ?≫状態だったが。


覚馬、無理攻めの上、手順前後!
 襄を失い、消沈中の八重。いきなり、
「東京に行け!赤十字の精神と最新の看護法を学んで来い!」
と、覚馬に言われても、そりゃ、断るだろう。
 さらに、
「情けねえ奴だ!新島襄の妻は、こんな意気地のねえ女だったのかっ!」
と、キレられても、何の事だか分からないよね。

「赤十字の看護の真髄は、敵味方の区別なく、傷ついたものに手を差し伸べることにある。
 苦しむもの、悲しむものに寄り添い、慈しみの光で世を照らす。
 新島さんが創ろうとした世界だ」
って、それを先に言わんと分からんだろう!

 それにしても、同志社大学はどうなったんだ?
 襄が命を燃やしたのは、同志社を大学にすることではなかったか!

 ふたりの別れのシーンは良かったが、いきなりの大転換。大減点である。

 実際に大学になったのは、大学令に基づいて大学に昇格した1930年。襄の没後、40年後なので、とてもあと2回では、無理ではある。(専門学校令により同志社大学(神学部、政治経済学部、英文科)を開校したのは1912年)
 それに、八重は徐々に襄の教え子とはソリが合わなくなり、疎遠になっていった。(八重に原因あり?)


「襄がここに残したものを守っていかなくては。
 まだまだ、これからだ


 と、やる気満々の八重。………でも、残り2話なんですが…

           


【ストーリー】番組サイトより
 関東に向かった襄(オダギリジョー)は、同志社大学を設立するための募金活動をしていたが、体調を崩して大磯の旅館で療養していた。見舞いに訪れた蘇峰(中村蒼)は、八重(綾瀬はるか)に病状を伝えるべきだと言うが、襄は断固としてそれを拒む。
 一方、京都では、八重が襄からのはがきの文字で、夫の体調に異変があったことを察知する。すでに襄の病状を知っていた覚馬(西島秀俊)から事情を聞き、予感が真実だったことを知った八重は急ぎ大磯へ向かい、襄と最後の言葉を交わす。
 襄の死後、なかなか前に進めずにいた八重だったが、覚馬の勧めで日本赤十字社の篤志看護婦の仕事をしていく決意をする。
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森内名人、竜王位を奪取(復位)

2013-12-01 13:08:09 | 将棋
第26期竜王戦七番勝負、第5局は挑戦者の森内名人が勝ち、対戦成績4勝1敗で10年ぶりに竜王位に復位しました。

 渡辺竜王ファンの気持ちを代表するかのようにssayさんが、熱い思いを冷静に語っています。(コメント欄の九鬼さんの言葉も必見です)
 また、shogitygooさんは、実に明晰な「森内、渡辺論」を展開しています。(なので、私がしゃしゃり出るのは野暮だと思っていますが……)

 第4局の競り合いを森内名人が制し、3-1の星以上に「森内復位」の雰囲気が漂い、第5局で終了するような気がしていた。
 第5局も熱戦になったが、渡辺竜王の攻めを受け、そして受け止めきった後、渡辺陣に襲い掛かるという全局を通しての流れだった。
 名人戦で羽生三冠を4-1、竜王戦でも渡辺竜王を4-1で退けた。しかも、「辛勝」とか「幸運」とかいうものを微塵も感じさせないものだった。「強さ」しか感じさせなかった。
 名人戦は、中盤、戦いが始まりひと悶着戦いが経過したあたりで、森内名人が優位に立ち、それを必死に羽生三冠がもがくが届かない印象だった。羽生ファンとしては、勝負を見ているのが非常に辛かった。
 それに対し、渡辺竜王は終盤まで互角の競り合いを演じ、将棋も面白かった。事前の研究もほぼ互角だったように思う。
 第5局の63手目、▲5七金は森内名人は「思いつき」と述べたが、第4局で思いついたのではないだろうか。
 渡辺竜王は「この手は前に調べたことがあって、そのときに△同馬しかないかなと」と述べている。≪△同馬以外の手は利かされなので取るしかない≫という意味で“自信なげ”な表現だが、△同馬で十分指せると見ているからこそ、60手目△4四同金と第4局とは手を変えたのだろう。
 ただ、「第4局時に思いついた」という仮説が正しければ、▲5七金以降の展開は事前に十分練っていたということになる。さらに、昼食休憩を挟んでの着手で、十二分に腰を据えた▲5七金だったのではないだろうか。
 対する渡辺竜王は「調べたことがある」と述べていたが、過去に結論を出していて、▲5七金の直前までは深く掘り下げていなかったのではないか。▲5七金と着手されて48分考慮しているが、もっとじっくり考えたほうが良かったような気がする。ここで長考するのは≪意表を突かれた≫と思われるので、勝負の駆け引きとしては損なのだが、△5七同馬を指すという行為は同じであっても、ここで深く読んでおけば読みの厚みが増し、その後の局面においても思考が深まりやすくなると考える。

 名人戦において、森内名人の研究の用意周到さと、優位を確保しそれを勝ちに結びつける読みの確かさを嫌と言うほど味わった羽生ファンだったが、今回、渡辺ファンも同じ憂き目にあってしまった。
 しかも、今回は競り合って、しかも、渡辺竜王の攻めを受け止めての勝利だけに、森内名人の強さが際立った。
 研究では引けを取らない渡辺竜王も、指せると想定、あるいは読んだ局面が、いざ直面すると難しいと感じる場面が頻発し、森内名人の研究や読みが怖ろしく深いことを実感したのではないだろうか。特に、渡辺竜王が攻め込むという得意な展開になっても、あと一歩届かない、森内陣を切り裂けない、森内玉を捉えきれない……そんな思いが局を重ねるほど強くなっていった。 

 私は、無駄を省く渡辺竜王の合理性について、過去に「渡辺竜王考 その1」「渡辺竜王考 その2」という記事で、批判めいたことを書いたことがある。また、常々、そういう合理性重視では、いづれ強さに行き詰まると考えていた。しかし、昨年度の渡辺竜王は、その私の考えを打ち砕いてしまった。
 ところが、森内名人はその渡辺竜王の強さを凌駕する強さを見せつけた。
 今回の竜王戦で、森内名人は「往復ビンタ」を2度も喰らわした。相手を負かした方を持って勝利してしまったのだ。負かされた方は≪私の方が強い≫と宣言されてしまったような屈辱である。
 実は、森内名人の穏やかな表情の裏には、そういう“意地の悪さ”(勝負への徹底さ)を持ち合わせているような気がしているが、根本にあるものは“将棋に対する探究心”である。
 渡辺竜王は、“良い”“悪い”の結論を出したがるが、森内名人は結論を急がない。一応、“こちらを持ってさせる”という手ごたえを持って指しているが、対局中(局後)に“相手にもこういう手があるな”と
と考え、その手の可能性を追究するのではないだろうか。それが結果的に「往復ビンタ」になる。

 王将戦は最終局を前に、羽生三冠が挑戦を決めた。
 竜王失冠により、「三冠対二冠」で充分価値の高い対決であるが、「二位決定戦」という趣が強くなってしまったのは残念であるが、失意を味わったニュー渡辺がどういう将棋を指すのか注目される。羽生三冠も、ここで敗れては来春の名人挑戦も陰りがさしてしまう。

 森内、羽生、渡辺の戦いの新章が始まった。興味は尽きない。
コメント (8)
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