おなじ八年二月、内裏の御屏風の料、二十首
家にて子の日したるところ
わがゆかで ただにしあれば はるののの わかなもなにも かへりきにけり
わが行かで ただにしあれば 春の野の 若菜もなにも 帰りきにけり
おなじ年の二月、宮中の御屏風の歌、二十首
家で子の日をしたところ
私は行かないでただじっとしていたので、春の野にでかけた皆が、若菜からなにからを持って帰ってきてくれたよ。
「二十首」とありますが実際の収録は十首。「十」を「廿」と誤記したのかもしれませんね。「おなじ八年」は天慶八年(945年)のこと。「子の日(ねのび)」は、長く延びた小松の根を引いて若菜を摘み、長寿を願った行事。たびたび出てきますね。
何か事情があってか読み人自身は家にいたところ、若菜摘みにでかけた他の人々が自分のために持ち帰ってくれたという、ちょっと珍しいシチュエーションを詠んでいます。はりきって自ら出かけて行った浮き立つ気持ちを詠んだ 490 とはちょっと対照的ですね。
むかしより おもひそめてし のべなれば わかなつみにぞ われはきにける
むかしより 思ひそめてし 野辺なれば 若菜摘みにぞ われは来にける