漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0239

2020-06-25 19:04:35 | 古今和歌集

なにびとか きてぬぎかけし ふぢばかま くるあきごとに のべをにほはす

なに人か 来てぬぎかけし 藤袴 来る秋ごとに 野辺をにほはす

 

藤原敏行

 

 誰が来て脱いでいったのか、この藤袴は。秋がやってくるたびに野辺によい香りをただよわせていることよ。

 「ふぢばかま」はもちろん秋の七草の一つにも数えられる植物ですが、名に「袴」とついていることから、そこに咲くふぢばかまを「誰かが脱いでそこに置いていった袴」と詠んでいるわけですね。

 「秋の七草」もおさらいしておきましょうか。「ハギ」「キキョウ」「クズ」「フジバカマ」「オミナエシ」「オバナ」「ナデシコ」の七つ。「オバナ」とはススキのことですね。そう言えばずいぶん前に春の七草、秋の七草についてこのブログに書いたよなぁと思い出して検索してみたら、もう7年の前のことでした。当時は表題の通り「漢検ブログ」でしたので植物そのものというよりその漢字に焦点を当てた記事ですが、よろしかったらご覧ください。

 

春の七草

秋の七草


古今和歌集 0238

2020-06-24 19:27:28 | 古今和歌集

はなにあかで なにかへるらむ をみなへし おおかるのべに ねなましものを

花にあかで なに帰るらむ 女郎花 多かる野辺に 寝なましものを

 

平貞文

 

 花に飽きてもいないのに、どうして皆さんはもう帰ってしまうのでしょうか。女郎花がたくさん咲いている野で寝てしまいたいとさえ思っていますのに。

 詞書によれば、役人たちの嵯峨野への道行きに同行していた作者が、逍遥を終えて帰ろうとする一行に向けて詠んだ歌とのこと。「をみなへし おおかるのべに」は 0229 の冒頭と同じですね。あるいはそれを踏まえての歌でもあるのでしょうか。

 作者の平貞文(たいら の さだふみ)は平安時代前期の貴族にして歌人。名前は「さだぶん」とも読み、また、「定文」とも書くようです。中古三十六歌仙の一人で貫之ら古今和歌集の撰者とも親交があり、古今集には九首、勅撰集全体では26首が入集しています。

 

 0226 からの女郎花を詠んだ歌群はここまでとなります。

 

 


古今和歌集 0237

2020-06-23 19:47:52 | 古今和歌集

をみなへし うしろめたくも みゆるかな あれたるやどに ひとりたてれば

女郎花 うしろめたくも 見ゆるかな 荒れたる宿に ひとり立てれば

 

兼覧王

 

 あの女郎花がどうにも気がかりに思える。荒れ果てた家の庭に一人ぽつんと咲いているので。

 女郎花を女性(=人)に見立てて、「ひとり」と表現していますね。
 作者の兼覧王(かねみのおほきみ)は第55代文徳天皇の皇孫で中古三十六歌仙の一人。古今和歌集には五首、後撰和歌集にも四首が入集している勅撰歌人です。

 


古今和歌集 0236

2020-06-22 19:42:14 | 古今和歌集

ひとりのみ ながむるよりは をみなへし わがすむやどに うゑてみましを

ひとりのみ ながむるよりは 女郎花 わがすむ宿に 植ゑて見ましを

 

壬生忠岑

 

 

 一人でもの思いにふけっているより、この女郎花を私の家の庭に移し植えたいものだよ。

 例によって女郎花は女性の比喩。愛しい女性を遠くから見てひとり思い悩んでいるより、いっそ家に連れて帰って一緒に暮らせるものならなぁという思いでしょう。反実仮想(実際には起こり得ないことや、起こらなかったことを想像する)を表す助動詞の「まし」が、この歌に込められた思いの切なさを一層際立たせていますね。

 


古今和歌集 0235

2020-06-21 19:38:00 | 古今和歌集

ひとのみる ことやくるしき をみなへし あきつゆにのみ たちかくるらむ

人の見る ことやくるしき 女郎花 秋露にのみ 立ち隠るらむ

 

壬生忠岑

 

 

 人に見られるのが辛いのか、女郎花よ。だから秋露に隠れてばかりいるのだろうか。

 「立ち」は「隠る」についた接頭語で「立ち隠る」で一つの単語(動詞)ですが、同時に「露」の縁語ともなっています。「縁語」とは、手元の文献(文英堂『原色 小倉百人一首』)の解説によれば「意味的に関連の深い語群を、意識的に詠みこむことで、言葉の連想力を呼び起こし、複雑なイメージを作り出す表現技法」。ただ、掛詞や序詞に比べると技法としては分かりにくいですね。私がまだ不勉強なのだと思いますが、正直、「後付け」の理屈のように感じることも多いです。(苦笑)