わかなつむ はるのたよりに としふれば おいつむみこそ わびしかりけれ
若菜摘む 春のたよりに 年ふれば 老いつむ身こそ わびしかりけれ
若菜を摘む春にちなんで、年をとって老いを積むわが身を思うとわびしい思いがすることよ。
「つむ」という同音異義語を重ねて「若」と「老」を対比させての詠歌。巧みな修辞ですね。
わかなつむ はるのたよりに としふれば おいつむみこそ わびしかりけれ
若菜摘む 春のたよりに 年ふれば 老いつむ身こそ わびしかりけれ
若菜を摘む春にちなんで、年をとって老いを積むわが身を思うとわびしい思いがすることよ。
「つむ」という同音異義語を重ねて「若」と「老」を対比させての詠歌。巧みな修辞ですね。
延喜の末よりこなた、延長七年よりあなた、内裏の仰せにて奉れる御屏風の歌、二十七首
春
はるたちて かぜやふきとく けふみれば たきのみをより たまぞちりける
春立ちて 風や吹きとく 今日見れば 滝の水脈より 玉ぞ散りける
延喜の末から延長七年(929年)にかけて、帝の仰せによって奉った御屏風の歌二十七首。
春
立春となった春風が氷を溶かす今日見ると、川の深いところで水しぶきが玉となって散っている。
「延喜の末」は、文字通り最後の年だとすれば923年ですので、929年までの6年間に詠まれた歌ということになります。「二十七首」とありますが、実際には 317 まで38首採録されています。
春が来て風が氷を溶かすというと、古今集0002 の著名な貫之歌が思い出されますね。私もとても好きな一首です。なお、この歌は新拾遺和歌集(巻第一「春上」 第18番)に入集しています。
そでひちて むすびしみづの こほれるを はるたつけふの かぜやとくらむ
袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ
紀貫之
よのなかに ひさしきものは ゆきのうちに もといろかへぬ まつにざりける
世の中に 久しきものは 雪のうちに もと色かへぬ 松にざりける
世の中で長く変わらないものは、雪の中でももとの色をかえることのない松であるよ。
末尾の「ざりける」は「ぞありける」が縮まった形ですね。
もみぢする くさきにもにぬ たけのみぞ かはらぬものの ためしなりける
紅葉する 草木にも似ぬ 竹のみぞ かはらぬものの ためしなりける
紅葉する草木にも似ても似つかない竹こそが、変わらないものの良い例なのであるよ。
個人的には「だから何?」系の歌 ^^;; で、祝賀の歌としては正直あまりピンと来ませんでした。